Happy Days・2



★★★

車を走らせること1時間半。遠くに見えてきたハーロック邸は、雪雲の下に霞んでいた。

鬱蒼とした森の向こうにそびえる城。大気のせいだろうか、黒く蔽い茂る木々達は、その眼下をエアカーが過ぎ去っても、こそ、ともしない。俺は、窓からいつまでたっても代わり映えせぬ風景を眺めながら、助手席ではしゃぐ父達の声を聞いていた。


「相変わらずでっかい城だなぁ。ウォーリアスの家のジジィ共が見たら歯噛
 みするぜ。アイツら、自分達が1番金持ちだと思ってるからなぁ。あー、
 ジジィ共に見せたかった。何でアイツらもう少し長生きしなかったんだ
 ろ」


「過ぎ去ったことをいつまでも悔やむのは良くないよ、澪。それに、城と
 いっても私が建てたわけではなく、18世紀ほど前の先祖が建てたものだ。
 自慢されても、嬉しくないな」


「18世紀ぃ?! 何それ、ニホンじゃ江戸時代だな。そんな昔は」


「江戸時代にも城はあったのでは?」


「さぁ? 俺そんな時代に産まれてねーから知らねーし。あったのかな、城」


「さぁ……私も、そんなに昔には産まれてないからなぁ」


「産まれてたらジジィ共よりもジジィじゃん。もう少し老けてねーと怖いだ
 ろ。それ」


「そうだなぁ。老けていないということは、少なくとも地球人ではないこと
 になってしまうな」


「じゃあバル●ン星人か?」


「バ●タン星人かもしれないな」


「そうか、新発見だな!!」


「あぁ、新発見だ」



……何を言っているのかよくわからない。言語は紛れもなく同じだというのに、気分は言語形態の全く異なる宇宙人達の会話を聞いているようだった。


「馬鹿でしょう?」


傍らに座って沈黙していた石倉中尉が、囁いてくる。


「馬鹿過ぎてどこからツッコンで良いかわからない。これがあの2人の恐ろ
 しいところです。1人で聞いていたら地獄ですよ。零さん、貴方をお誘い
 するよう澪さんに進言したかいがありました」


確かに、一分の隙も無い。俺は、窓から目を離して中尉を見やる。


「では、俺をパーティに連れていくようお父さまに言ったのは中尉なのです
 か?」


「えぇ、残念ながら澪さんは俺が言うまで貴方に声をかけることさえ失念し
 ていた様子でしたよ。まぁ、あの人は何でも失念する人だから、そんなに
 気にすることもありませんけどね」


「………」


気にする。思い切り気にする。中尉の言葉に嘘は無いのだと思う。お父さまが忘れっぽいのも知っている。でも。

やっぱり、失念されるというのは悲しいことだ。お父さまは、然程に俺を気にかけてはおられないのだ。息子の年齢は忘れても、バル●ン星人は忘れない。お父さまの中で俺の存在は宇宙忍者以下なのだ。

俺が沈黙したのを見て取って、中尉も再び口を閉ざす。それから15分ほどウル●ラ怪獣の話が続いて──ようやく正面に門が見えてくる。それでは、この森は私有地だったのか。ずっと公道を走っていたのだと思っていたのに。海賊の方が豪勢な生活をしている。悪銭身に付かずという諺は嘘だな、と俺はぼんやり思う。


「さぁ、到着だ。零くん、退屈しただろう。大人達に囲まれて、長時間車の
 中だったのだからね。しかし──ほら」


グレート・ハーロックが門より数メートル先で車を止めた。と、同時にボンネットに飛びつく人影。「お父さま!!」と澄んだボーイソプラノが聞こえて、俺はぱっと視界を上げる。



「お父さま! お帰りなさい!! もう、待ち過ぎてしなびたケーキになりそ
 う! Drオーヤマだってどっかに行っちゃうし」



ボンネットによじ登って来たのは、グレート・ハーロックから20ほど歳を引いて明るさと無謀さ(そもそも走っているエアカーのボンネットに飛びついてくるなど正気の沙汰じゃない)を足したような少年。やや光沢にかける鳶色の髪と、混じり気の無い大きな同色の瞳。パーティに備えたものか、正装してはいるものの、相当に着崩してしまっている。粗雑な行動のせいだろうか、シャツのボタンが、一個飛んでいた。


「あぁ、こらこらファルケ・キント。降りなさい。そして、お客様方にご挨
 拶を」


危うく息子(これだけ似ていれば絶対に血縁者だ。さもなくばクローンである)を轢きそうになっておきながら、あくまでも冷静なグレート・ハーロック。お父さまも中尉も動じた様子はまるでない。「降りましょう」と促され、俺は言われるまま中尉のあとに続いて降り立った。少年も、俺を見つけて嬉しそうにボンネットから飛び降りる。満面の笑顔が、きらきらしていた。


「初めまして! 俺、ハーロック。名前の全部を言うと、キャプテン・F・
 ハーロック。でもハーロックはファミリーネームでファルケっていうのが
 本名ね。でもこれは俺の奥さんになる人とかお父さまとかお母さまだけの
 名前なんだ。だけどハーロックって呼ぶとお父さまとごっちゃになるだ
 ろ? だから、みんなジュニアって呼ぶよ。君は?」


まくしたてるように自己紹介をして、手を伸ばしてくる。正面から改めて見れば、俺よりも幾つか年下のようなのに。人見知りとか、物怖じなどという言葉は彼の辞書には無いようだった。どちらかというと人見知りな俺は、それでもお父さまに恥はかかせるまいと、懸命に彼の手を握る。


「あ、あの…俺は、零。ウォーリアス・零。あんまりいっぱい名前は無いか
 ら、零ってみんな呼ぶけど」


「零! 良い名前。よろしく、零!! 行こう。荷物は? 俺持ってあげる。
 部屋はどんなのが好き? ベッドは大きい方が良い? 壁紙の色とか、立
 体テレビがあるとか、色々あるよ。どれにする?」


「え。えーっと。その。何でも」


「何でも好き? 頼もしいな。それじゃあお父さま、お父さまのお友達。
 あとは大人だけで好きにやってよ!」


ぐいぐいと腕を引っ張られ、俺はよたよたと小走りになる。「こらこら」とグレート・ハーロックが制止する声が聞こえたが、彼の耳には入っていない。


「あ…あの、俺の荷物……」


「俺の他にももう1人子供がいるんだけどね、トチローは無口だから。トチ
 ローっていうのはね、Drオーヤマの息子で、俺の親友! 親友って言っ
 てもつい昨日会ったばっかりだけどね。でも親友。あぁそうだ。親友って
 言えば俺の幼馴染みがさ」


俺の言葉も──入ってない。彼も相当退屈していたに違いない。俺の荷物は一体どこに運ばれるのだろう。テレビのある部屋だろうか。それともベッドの大きな部屋? 壁紙は地味な方が良く眠れると思うけど。そんなことを思いながら、俺はハーロック・ジュニアに引きずられてハーロック家の門をくぐった。




★★★


「改めて紹介しよう。澪、時夫、零くん。この子が私とテーラの宝物、ファ
 ルケ・キントだ。まだ6歳なのだが、ご覧の通りよく喋るし行動力もある。
 零くん、困ったことがあったら遠慮なくこの子に言いつけてくれ。悪いよ
 うにはしないはずだよ」


「うん、悪いようにはしないよ。改めてよろしく、零」


「あ、あぁ。よろしく、えっと…ハーロック・ジュニア」


「んー、長いからどっちか取った方が呼びやすいよ?」


「え…と、じゃあ、ハーロック」


広いリビングに通されて、俺は数人のメイド達が瞬く間にお茶の用意を整えていくのを横目にしながら、しどろもどろの自己紹介を終えた。荷物は結局、石倉中尉がここまで運んで来てくれた。ようやくソファに沈み込んで、俺はどっと疲労する。


「っていうか…滅茶苦茶さりげなく息子のこと『私の宝物』とか言いました
 よ。相変わらず脳がメルヘンですね。彼氏」


「あぁ、素じゃ言えねーな。だからって、泥酔してても言えやしねぇ」


出された紅茶をすすりながら、既にきっちりとリラックスしているお父さまと中尉。人の自己紹介にケチをつけられるような立場か、と、俺はお父さまの横顔を見つめる。

結局、お父さまは俺の紹介を一言も口にしなかった。
『私の宝物』。そこまで言ってくれなくても、せめて「うちの息子だ」くらいは公言してもらいたい。中尉が空港でグレート・ハーロックに紹介してくれたものの、ハーロック・ジュニアにとっては何だかお客に付いてきた謎の子供状態である。かと言って、彼がそれを気にしている様子は毛程も無いのだが。


「そう言えば大山の姿が見えないな」


息子の紹介などさっぱり忘れて、まだ見ぬ同窓を探すお父さま。俺は、メイドが差し出してくれたアールグレイとクッキーをもそもそと胃に収める作業に没頭する。


「あぁ…ファルケ・キント、大山はどこに?」


「Drオーヤマなら、さっき森の巣箱を見に行くって出て行ったよ。宇宙哲
 学がどうとかって難しいこと言ってたと思ったら、急に。トチローまで連
 れて行っちゃったから、俺退屈で」


「トチローくんまで? 一体どうしたのだろうね」


「さぁ、何かトリの卵がどうのとか、産まれるとか何とか。預けておいたの
 だとか何とか」


「何とかばかりだな。大山は」


「何とかばっかりだったよ。Drオーヤマは」


「まぁ、あの人がエキセントリックなのは昔からですから。ハーロック、奥
 方様は息災で?」


中尉が会話を無理矢理断ち切る。「テーラは元気だよ」とグレート・ハー
ロックはくるりと向き直った。


「今、弥生殿と今夜の晩餐の支度をしているが──時夫、君はご子息や奥方
 を連れて来なかったのかね? ちゃんと招待状を送ったのに」


「うちの子まだ3つですからね。特技といったら涎を垂らすか転ぶかですよ。
 それに、妻も平凡な女ですから。こんな天然ボケやら変人やらのキング達
 が集う巣窟に連れてくるなんてとてもとても」


「キングだなんて──いささか褒め過ぎでは?」


「いやぁ、照れるぜ時夫。お前、俺を尊敬しすぎ」
 

「いえいえ、ご謙遜なさることはありませんよ。いや全く本当に」


あははは、と平和な笑い声が明るいリビングに響き渡る。何故か──物凄く陰惨な会話を聞いているような気分になった。救いが無い。この人達の関係には救いが無い。



「あ、いっけね!!」



突如ハーロックが声を上げた。リビングが一瞬にして静まり返る。グレート・ハーロックがきょとん、とした。


「どうしたのだ? ファルケ・キント」


「アーサー迎えに行くの忘れてた。お父さま、俺、ちょっと行ってくる!」


「今から? もうすぐ日も落ちるし、迎えの車を行かせようか」


「いいよ。勝手に入ってくれって言ってあるから。アイツうろうろしながら 
 来るだろうし。多分、途中でトチロー達にも会うだろうし。澪中佐、時夫
 中尉、子供は好きですか? もう1人追加になるんだけど」


メイドの1人から差し出されたコートを掴み、ハーロックはぴょこんと一礼する。聞いていないのかと思っていたが、お父さまと中尉の自己紹介も一応耳に入れていたようだ。「えぇお構いなく」と中尉が微笑む。


「大人は大人子供には子供の楽しみがありますから。ご友人をお待たせし
 てはいけませんよ」


「おう! 道に迷わないように気をつけろよ」


「……お父さま……」


ここは、彼らのホームグラウンドだ。俺は静かにカップを下ろす。「零くん」とグレート・ハーロックが膝をついて俺の顔を覗き込む。


「君はどうする? 夕食まで、まだ時間があるが」


しかも、ハーロックが出て行ってしまってはこの城に子供が1人もいなくなってしまう。年下で、それほど気が合うとも思えないが、それでもいなくなられたら所在が無い。
俺は、仕方なくトランクを引き寄せた。


「え……。えっと、俺は、その。部屋まで案内して頂けるなら、荷物の整理
 を」


「もう整理し尽くしてありますよ。することが無いならグレート・ハーロッ
 クのご子息にご同行させてもらっては?」


「そうそう。友達作りはまず積極的なアプローチからだぜ。この文学少年」


お父さまが「がはは」と笑う。「文学少年?」とハーロックが首を傾げた。


「零は、本が好きなのか? それなら、うちの書庫に案内させるけど。旧ド
 イツ語が読めるなら、キャンプファイヤー出来るくらい本、あるよ」


「旧ドイツ語──」


読める。と、いうか俺の読む本といったら詩集ばかりだ。それも、旧ドイツの偉大な詩人達の。ゲーテはあるだろうか。トラクルは? ハイネは? 危うく問いかけそうになって、俺は慌てて首を振る。

人の家に招かれて、書庫にこもってるなんて非常識だ。家ですら、書庫に入り浸ってお母さまに叱られたことが何度もあるのに。人の家の書庫にこもって、お父さまに叱られるのだけは絶対に嫌だった。

だから、俺は立ち上がってコートとマフラーを掴む。


「ハーロック、良かったら俺も一緒に外に行くよ。その、車の中からだけじゃ
 なくて、森って一度歩いてみたかったから」


「決まり! 行こう!!」


ハーロックがにっこりと無邪気な笑みを浮かべて、俺に手を差し出した。




★★★

子供達がばたばたと森に向かったあと、ようやく、リビングに穏やかな空気が戻ってくる。グレート・ハーロックは1人掛けのソファに身を沈めて、目の前に用意されたカップを手に取った。


「しかし──内気な子だな。零くんは」


「内気っつぅか根暗なんだよなぁ。今時ペーパーブック片手にしてる奴なん
 て。詩とか好きでさ。ここに来たのだって尊敬する詩人の出身地だからだ
 ろ。内気っていうか、陰気。オタク臭ッ」


澪がおどけて両手を広げる。「真面目な話だ」とグレート・ハーロックはやんわりと無邪気な旧友を窘めた。


「内気なのが悪いとは言わないが、今の時代、繊細過ぎると生き辛いので
 は?」


「──かもな。そうでなくてもアイツは責任感強くてな。マーガレットや教
 師の期待を裏切らねーように必死らしいぜ」


「アンタもそれくらい殊勝なら良かったんですけどね」


時夫が静かに紅茶を飲んだ。「冗談」と澪はソファに引っ繰り返る。


「そんな風に生きてたらあっという間にストレス死だろ。ただでさえ軍人稼
 業は規律多いし会議多いし休みは少ねーし」


「アンタ、一度だってまともに規律守ったり会議出たりしたことがあるんで
 すか」


「無い。守ったことは無くっても、規律や会議がそこに存在しているという
 だけで不愉快極まりないのである!!」


「変わらないな、2人共」


グレート・ハーロックは笑みを零した。こんな風に笑うのは、何年ぶりのことだろう。最愛の親友が艦を降りて、それから1度も無かったように思う。
友、大山十四郎は──宇宙病だ。目の前で小漫才を繰り広げる2人も、そのことはよく知っている。この集まりの本当の意図も。多分、これが最後なのだ。


「今日は、本当によく」


「こらこら、その挨拶は晩飯のときまで取っとけよ。お前、昔っからアレだ
 よな。タイミングとか、読めねぇの」


「空気が読めないのはアンタの十八番ですけどね」


「時夫! お前なぁ──」


「──ハーロック、良いんですか?」


澪の言葉を遮って、時夫がすっと身を乗り出した。何が、とは今更問わない。2人は共に地球連邦の将校なのである。本来なら、こんな風に海賊の招きを受け入れられはしないほど重要な立場にある。


「上層部の連中は本気ですよ。最近、機械化帝国との不可侵条約も有名無実
 のものですから。地球連邦としては、どうしても貴方の、そして“エルダ”
 の力が欲しい。そのためなら、手段を選ぶなとさえ言ってきているのです。
 だけど、大山はあの通り。たとえこちらに協力させても3年と保たないで
 しょう。それならその子供を──いずれ、俺達にも正式な命令が下ります」


「聞く気は無いけどね」


「それもアンタの立場のためにはよろしくないですよ、澪さん。アンタの
 失脚を狙う連中は沢山いますからね。上層部にも空軍にも…陸軍にも」


時夫が、ふぅ、と溜息をついた。「だけどよ」と澪が上体を起こす。


「結局、今のハナシは大山の息子が“エルダ”じゃなかったら関係ないコト
 だろ? “エルダ”じゃねぇ普通の子供なら俺達に命令が下されること
 もない。どうだハーロック。俺達はまだ会ってねぇけど、大山のガキはそ
 れっぽいか? 確かに“エルダ”の血統は遺伝する。けどよ、男親の場合
 はその確率がぐっと下がるって聞いたことあるぜ。えーっと、何%だっけ
 か時夫」


「男親なら20%以下、女親なら──70%以上」


「大山の子なら──100%さ」


リビングに、沈黙が落ちる。それぞれのカップに、新しく紅茶が注がれた。


「何が根拠です。知能テストでも行ないましたか」


時夫が、胡桃入りクッキーをつまむ。


「いや、だが判る。一目で判るさ。我々──“F”の血を持つ者になら」


グレート・ハーロックは静かに2杯目の紅茶に口付ける。


「エフの血? 何だそりゃあ。やっぱりお前バ●タン星人か」


澪は大皿の上のマカロンを鷲掴みにして頬張った。輪郭が変形して折角の男前が台無しになる。グレート・ハーロックは微笑する。


「バル●ン星人ではないが──…似たようなものかな」


「似てないと思いますよ。推測ですが」


「そうかな」


「俺は似てると思うけどな。お前ってほら、宇宙人っぽいじゃん」


「似てねぇっつーの。しつこいですよ、アンタ」


再び、リビングに沈黙が落ちる。グレート・ハーロックは、ふ、と夕日差し込む窓を見つめた。


「そういえば…澪。少々、尋ねたいことがあるのだが」















●ツッコミ不在は辛過ぎる。



アクセス解析 SEO/SEO対策