Happy Days・3




★★★


「アーサーっていうのは、星野・アーサー・巧のことなのね」


アスファルトで舗装されていない道を歩く。車で通った道とはまた違う、散歩道のようだった。黒い枝が空高く伸びて、西日を遮る。眩しくはないが、薄暗かった。靴の底に砂利が当たる感触に慣れなくて、俺は何度か足を止めた。だが、ハーロックの足取りには迷いももたつきもない。年下に置いてかれるのが悔しくて、俺は少し早足になる。


「ホシノ・アーサー・タクミって、名前」


「うん。半分ニホン人。ニホンの人は大変だね。自分達の住んでたところが
 沈んじゃってさ。みんな各地区にバラバラなんだろ。アーサーの家族も、
 その中の1人。零も、大変だった?」


「大変だった? って言われても……」


──俺は、少しも大変な思いはしていない。大変だったのは、お父さまだ。
ニホン。それは、もうこの星から消えて無くなってしまった国の名だ。度重なる震災と、台風と、温暖化のせいで上がってしまった水位のために、土地の殆どが海に沈んだ。

ニホンだけじゃない。この星から消えてなくなってしまった国は幾らでもある。幾らでもあるけれど、その中で急激に進化した機械化社会に適応出来たのは、多分ニホン人だけなのだ。他は、全部地球連邦の『民族保護法』の名の下に小さなコロニーをあてがわれ、監視され、救援物資を与えられて難民生活をしている。勿論、ニホン人だってその中には沢山含まれていて、全員が全員、こんな風に普通の生活が出来ているわけではないけれど。

結局、生き残りたければ大きな権力を持った存在に、良いように扱われる他に手立てがないのだ。例えば大貴族であるお父さまの妾になって、お父さまを産んだ女性のように。


「……俺は、何の大変さもないよ。まぁ、見ての通りニホン人の血は混じっ
 ているけれど…半分もないし。その、やっぱり星野という人は苦労してい
 るのかな。ニホン人は、何かと差別されるみたいだし」


俺の身は、『ウォーリアス』の名前が守ってくれている。お父さまの嫌う、この名前が。


「差別ぅ? そんなのないさ」


ハーロックが不思議そうに眼を見開いた。


「ここはハイリゲンシュタットだもの。代々誇り高き海賊騎士ハーロックが
 守る土地。ここは、小さいけれど理想郷だよ。誰も差別しないし、誰も肌
 の色や眼の色なんか気にしない。もっと大切なことが、他に沢山あるから
 ね。お父さまはいつもそう言うよ」


「偉大な人物なんだなぁ。グレート・ハーロックは」


俺は、今更ながらに感嘆した。グレート・ハーロック。お父さまの敵。けれど、あの人はお父さまの旧友で、多分、お父さまのことを眼や髪の色なんかでは差別しなかった数少ない人で。


「イダイかどうかは知らないけど、お父さまは俺にいっぱい教えてくれるよ。
 男として──戦士として、どう生きるのが正しいのか。何を捨てて、何を
 捨てちゃいけないのか。俺は、ちゃんと自分で判断して、お父さまの言う
 ことが正しいと思う。零は、自分のお父さまと話しててそういうのって
 ある?」


「俺は…そういうのは、無いよ。お父さまとは、滅多に話さないから」


俺はふと、目の前に陰が差すのを感じた。ハーロックが羨ましい。俺には、お父さまが正しいと、胸を張るほどの思い出も無いのに。胸が、ぎゅっと締め付けられる。


「でも、海賊なのに。君のお父さまは海賊だろ。正しいって、変だ」


そういうことではないのだと、わかっていても言葉がついて出る。ハーロックは「変じゃないさ」と、眉根を寄せた。


「そりゃお父さまは海賊だけど──言ってることが間違ってるなんて思った
 ことない。人を見た目で判断するな、身分で判断するな。持ってるお金の
 量で判断するな。嫌な奴にはへつらうな。友達は大切に。間違ってると思
 う? 澪中佐はそう言わないのか?」



「言わないさ。そんな話、聞いたことない!!」



俺の声が──森中に反響した。乾いた冬の空気。遠くに鳥の声。ハーロックが、眼を丸くする。


「そっちの方が──変だよ。何も教えてくれないなんて。そっちの方が」


そっちの方が、変。俺の心がずしりと重くなる。けれど、と俺は首を打ち振って彼の言葉を否定した。


「変じゃないさ。お父さまは忙しいんだ。陸軍だけど、中佐だけど、もうす
 ぐ戦争が始まるかもって、何日も司令部に泊り込んだり。最近も何か調べ
 てるみたいだし、本当なら、クリスマスだってお仕事のはずだったんだ。
 海賊みたいにのんびり子供と話なんかしてられない。なのに、グレート・
 ハーロックの誘いなんか受けて……君は平気なのか? 地球連邦陸軍中佐
 が来てるんだぞ。自分のお父さまと、敵が一緒にいて、不安になったりし
 ないのか?」


「不安? 何でさ」


「だって…その。罠かもしれないって考えたりしないのか? 俺がこうして
 君といるのだって、お父さまにそうしろって命令されたのかもしれない。
 今頃、地球連邦軍が君の家を取り囲んでるかもしれない。そういうこと、
 考えない?」


「つまりは君のお父さまが、友達を裏切るような卑怯者だって、そういうこ
 と? 凄いこと、言うね」


「お父さまは卑怯者なんかじゃない! 友達を裏切るなんて…そんなこと、
 するもんか!! そっちこそどうなんだよ。海賊なんだろ、人を罠にかけるく
 らい、平気でするんだろ!!」


「言ったな! お父さまはそんな男じゃないぞ。連邦の中佐を呼んだのだっ
 て、もしかして戦うことになっても勝つ自信があるからさ! きっとそう
 だね。お父さまは強いんだからな!!」


「お父さまだって負けない!! 招待に応じたのは君のお父上にだって勝つ自
 信があるからさ!!」


4つも下の少年に、我ながら大人げない態度である。けれど、この少年の眼差しは、ハーロックの目はただの6歳児のそれではなくて。


「俺だって──今ここで君とやり合うことになったって、負けない」


ついつい、本気になってしまう。ハーロックの眦が、きり、と上がった。
静かな森が騒々と落ち着きを失くして。



「なーにか。子供の身でもう殺し合いか? 面白いど、てめ」



俺達の間に走った緊張感を、瞬く間に崩してしまうような、飄々とした声。


「!?」


俺は、びくり、として周囲を見回す。日の光を遮る針葉樹。葉の全て落ちた落葉樹。枯れ葉に埋め尽くされた散歩道。遠くにも、近くにも人影は無い。


「何だ……? 気のせいか?」


「気のせいではないど。上ばかり見るな。こら」


ひょい、と視界いっぱいに広がる大きな顔。「うわ」と俺は思わず飛び退いた。
引いてみて、ようやく声の主の全体が眼に入る。俺の視線をより頭1つ分も下、大きな帽子とマントに全身を包み隠した小さなナニカ。顔面さえ大きな眼鏡に殆ど隠れていて見えない。「なーにか」ともう一度鳴かれて、俺はようやく我に返った。


「しゃ、喋るハイイロショウネズミキツネザル!!」


「落ち着け零! この人はDrオーヤマだ。確かに小っちゃくて可愛らしい
 けどハイイロショウネズミキツネザルじゃ霊長類最小だし、確かにここは
 森だけどマダガスカルじゃなくてハイリゲンシュタットだ。せめてピグ
 ミースローロリスということで!!」


「どちらも原猿種で人類には程遠いわい。この童共が」


喋るハイイロショウネズミキツネザルもとい、Drオーヤマと呼ばれたその男は、機嫌を損ねた様子もなく帽子を少し上げて俺達を見つめた。分厚いレンズの色つき眼鏡。眼を凝らしてようやく彼の小さくてつぶらな瞳が確認出来る。


「Drオーヤマ……」


知っている。地球最初で最年少の“エルダ”だ。しかし、最年少といっても彼がその栄光を手に入れたのは13の頃。お父さまの後輩でグレート・ハーロックと同期ということは少なくとも30代後半のはず。なのに、目の前にいる人物はどう見ても小動物──否、俺よりもずっと幼く見える。


「“エルダ”の知識と技術は凄いものだな……」


まさか、若返りの術まで手に入れているとは。感心しきる俺の耳元に、ハーロックが「違うぞ」と囁く。


「何考えてるか知らないけどさ、Drオーヤマはちゃんと大人だぞ。大人だけ
 ど、小さいの。小さいけど、イダイなの! お父さまの親友だからな」


「知ってる。オーヤマじゃなくて大山だ。石倉中尉はこの人をお父さまのエン
 ジニアにしたかったけど、グレート・ハーロックとの仲が良過ぎて駄目だっ
 たってよくぼやいているもの」


「なーにか。アイツが高所恐怖症で戦闘機も宇宙戦艦にも乗れんからだろが。
 ハーロックとの仲など関係あるものか。俺は宇宙工学と次元エネルギーの
 “エルダ”だ。戦車の修理屋とはワケが違う。無論、戦車の修理も出来るが
 な。基本的に空に用の無い奴には協力せん」


Dr大山はマントの隙間から小さな手を出して顎を掻いた。その仕草も何となくサルらしい。っていうか、いい加減霊長類原猿種から離れろ、俺。


「ねぇDrオーヤマ。Drがここにいるってことは、トチローも近くにいるん
 だよね。零を紹介するよ。どこ?」


ハーロックが気を取り直してDr大山の帽子をめくる。「上」と彼はがハーロックの頭上を指差した。と、同時に俺の額にぱらぱらと枯れ葉が降ってくる。


「?」


「トチロー!!」


ハーロックが、両手を広げた。


 ひゅるるるるる──ぼすっ。


樹齢100年を越えるような巨木の上空から、ナニカ小さなモノが落ちてきた。それは、寸分のタイミングも逃さずにハーロックの両腕に収まり、もぞもぞ、と彼の身体を伝って地面に足をつく。Dr大山とお揃いのマントと帽子を被った、小っちゃな生き物。身長などハーロックの腰ほどしかない。
「トチロー」と、ハーロックが優しくその帽子の中を覗き込んだ。


「トチロー、平気?」


「ん」



「しゃ、喋るブッシュベイビー!!」



「違うって! 誰が大草原の小さな天使か。零、紹介するよ。彼がトチロー。
 トチロー、彼がウォーリアス・零だよ。かの有名な地球連邦陸軍中佐、ウォー
 リアス・澪の息子さん。顔がそっくりだからすぐ判るよ」


「あ…す、すまない。先程ハーロックが紹介してくれた通りだ。俺はウォーリ
 アス・零。零と呼んでくれて構わないよ。えっと、トチ」


「………としろう。大山、敏郎」


静かな所作で、彼が帽子を取る。肩まで伸びた薄栗色の髪。幼い顔立ちとは裏腹に、明瞭な発音。透る声。不思議な子供だ。まだ、年の端もいかない幼児なのに。


「トチローじゃないじゃないか」


俺は、じっとりとハーロックを睨んだ。「だから、トチローだって」とハーロックが彼の頭を撫でる。──言えてない。全くもって発音出来ていない。俺は敏郎に向き直り、膝を折って彼の小さな手を取った。


「君は偉いな、きちんとご挨拶が出来て。幾つだろう? 俺の知り合い
 にも君くらいの子がいるけど、その子よりもずっと大人だねぇ」


そう、石倉中尉の息子、静夫くんがこのくらいか。確か彼は、3歳くらいで。


「6歳」


「そう、6歳──って、えぇ?!」


ハーロックと同い年か。俺は思わず飛び退いた。見えない。Dr大山もそうだが、この子も相当に幼く見える。6歳にしては体の出来たハーロックと並んでいると、大人と子供とまではいかないが、10は歳が離れているように見える。

実際は2人とも10歳にすらなっていないのだが。


「敏郎、産まれたのか?」


「ん」


Dr大山に問われて、敏郎はマントの下からずっと隠していた方の手を出した。
小さな手の中に更に小さなナニカを包んでいる。「何だろう」とハーロックが敏郎の手を包み込んだ。


「雛」


「ひな? トリの?」


「雛」


敏郎が俺の目の前にも出して見せてくれる。小さな手、小さな雛。生まれて初めて目にした、産まれたての鳥の雛は、丸裸で柔らかそうで──少しグロテスクだった。ピンク色の頭をこちらにもたげて、か弱い雛は「ぴぃ」と鳴く。


「羽が生えてないから判り辛いが、これはタイタン独立種のオオトリだ。
 不幸にも巣ごと砂嵐に巻き込まれ、母鳥も他の卵も砂に埋もれて死んでいた
 が、こいつだけは生きていた。敏郎がえらく気に入ってな、人肌で温めい
 たのだが、どうにも人の温度では限界がある。だから、この森で卵を温めて
 いそうな鳥のいる巣を見つけて代理母を」


Dr大山が敏郎の手から雛を受け取る。ハーロックが、ぽん、と手を打った。


「あぁ、それでさっき頃合いを見計らって引き取りにいったのか」


「うむ。下手をすると代理母に突かれたり、この雛が他の卵を外に落として
 しまったりするかもしれんかな」


「ふぅん、自然界は厳しいね」


「うむ、厳しいのだ」


ごそごそとマントの中に雛をしまい、「ところで」とDr大山が俺達を見上げる。


「そろそろ日も暮れよう。夕食時だというのにお前達は一体何をしておるのだ。 
 散歩なら明日でも良かろうよ」


「いや、出迎えだよ。アーサーが来るんだ。俺の友達。方向音痴だから俺が
 迎えに行かないと」


「あぁ、それで。この森は原生森だ。ここの一人歩きは危険だからな。敏郎、
 お前も行ってやれ。ジュニアも道には慣れているだろうが、日が沈めば勝
 手が違う」


「……」


頷いて、敏郎が、きゅ、とハーロックのコートを掴んだ。「行こう」と、ハーロックは優しく彼の手を引く。


「ではな。早めに帰って来いよ。弥生の料理が冷めないうちにな」


くるりと背を向け、Dr大山は音もなく俺達の頭上を飛び越えて、枝葉の中に消えた。そこで、俺はようやく気付く。先程から彼の足音が全く聞こえていないことに。落ち葉を踏み、樹木の間を渡っても、彼の動作音は皆無である。

まるで影のようだ。宇宙海賊グレート・ハーロックの参謀は、ただの“頭脳”ではないということか。


「ただ者じゃないね」


「もちろん。俺のお父さまの親友で、トチローのお父さまだもの。ただ者とは
 違うさ」


敏郎と手を繋ぎ、ハーロックは上機嫌である。先程、俺と一触即発の状態に陥ったことさえ忘れているようだった。
こんなものなのかもしれない。俺は思う。容赦も救いも無いように思えるお父さま達の応酬も、ある意味で一触即発だが、彼らの誰もそれを気にしている様子は無かった。

こんなものなのかもしれない──…友達というものは。


「忘れないで欲しいけど、俺のお父さまの親友でもあるんだぜ、あの人は」


俺は、少しだけ肩の力を抜いて、2人の後に続いた。














●ハーロックがツッコミ役に。



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