Happy Days・4



★★★

日は、黒い森の中に殆ど隠れてしまった。
大窓のカーテンは閉められ、暖炉には一層多くの薪がくべられる。
飲み物を紅茶からブランデーに換えて、クッキーをチーズやブラックチョコレートに換えて、グレート・ハーロック達は相変わらずリビングに腰を落ち着けていた。


「……しかし、遅いな。こうしているとまるでクリスマスどころか新年すら
 過ぎてしまったような感覚に陥るよ」


グレート・ハーロックは溜息をつく。大山が戻ってこない。その子供、敏郎も、零も愛息子も出て行ったきりだ。皆がきちんと揃わなくては晩餐にも意味が無いのに。


「あんまり、余計なこと言わない方が良いと思いますよハーロック。ぶっちゃ
 け墓穴掘ってる感が否めません」


時夫がじっとりと睨んでくる。グレート・ハーロックには何が墓穴を掘っているのか、全くわからなかったので、穏やかな笑みで「すまない」と詫びるに留めた。澪が、ぽりぽりとチョコレートを摘まむ。


「それで? お前が聞きたかったことって一体何だ? さっきから微妙に
 はぐらかしやがって。言いたいコトがあるんならはっきり言えよ。はっきり
 よ」


「あぁ、すまない。だが──正直、この件に君が関わっているとは思えなくて
 な尋ねること自体が君への非礼に当たりそうな」


「良いから言えって。最近機械帝国の動きも不穏でな。それにつられて連邦軍
 部の動きもおかしくなってきてやがる。さっきも言ったが、“エルダ”の知
 識欲しさに大山のガキを付け狙うような計画も持ち上がってるし……まぁ、
 俺の目が黒いうちにはそんな卑怯な真似はさせんがな。全く、海賊のお前と
 俺達と、どっちが悪党かってハナシだぜ」


「自分が所属する組織をそのように言ってはいけないよ、澪。勿論、私として
 は君が連邦政府を抜けて、私達の艦に乗って頂けると幸いなのだけれどね。
 何しろ君の戦士としての個体能力は私や大山を遥かに凌ぐのだから」


「そらどーも。太陽系最強が何言ってやがる」


澪はいかにもだるそうにソファに身を沈めた。「本当のことさ」と言っても、彼はぐーたらとブランデーを舐めている。けれど、その眼差しだけは「話を進めろ」と促していて。

グレート・ハーロックは苦笑してグラスをテーブルに置いた。


「本題に戻ろう。澪、率直に尋くが──最近、連邦軍では何か…薬のような
 ものを新兵に使用しているのかな」


「薬?」


「あぁ──その、精神が高揚して、自ら戦いに赴くことを恐れなくなるような。
 極端に言ってしまえばそう……死すら恐れなくなるような」


「いや、陸軍にはそんなモン来てねぇけど。何で?」


「ここ最近、どうにも宇宙で連邦軍に苦戦を強いられてな。迷惑している」


「そりゃ単にお前さんが老けたんでないのか? もう32だろ。無理すんなよ」


ひひひ、と澪が肩をすくめた。彼の方が年上なのに、とグレート・ハーロックは内心呟く。


「32で老けたならアンタはもう化ける歳ですよね、34歳」


時夫が、ふん、と鼻息を荒くした。成程、グレート・ハーロックが老けているなら、同期の時夫も老けている計算になるのだ。30代には全く見えない、美女然とした容貌を僅かに曇らせて、時夫は胸ポケットから手帳型モバイルを取り出す。


「ドラッグねぇ……あぁ、ありましたよ。連邦軍の化学研究所で合成していた
 とっておきのが。その名も“ハイパー・ドライブ”。服用すると精神の高揚
 及び戦闘能力の増強、そして治癒力の強化。更には五感の鋭敏化まで。デー
 タによるとその身体能力は、健常人のおよそ5倍から10倍を引き出すとか」


「界●拳か?」


澪が楽しそうに身を乗り出す。「どちらかというとスーパーサ●ヤ人でしょう」と、時夫がわかり辛い反応を返した。


「でも副作用は●王拳並みと言っても過言ではなかったようですが。服用した
 兵士の10人中7人がその数日後に筋肉や神経がずたずたになって戦闘不能
 になるという問題が起きています」


「へぇ、何か聞いたことがあるような無いような。おいハーロック。そんな危
 ない薬が一体どうしたって言うんだ? こんなモノ、多分失敗作として研究
 チームごと全データを破棄されてるぜ」


「──いや、照合していないので何とも言えないが……我々の追討作戦に従事
 する者達に、その“ハイパー・ドライブ”が使用されてる可能性がある」


「………」


ぱちん、と薪が爆ぜた。「あのなぁ」と澪が溜息をつく。


「だから、聞けっての。確かに軍部じゃ精神高揚系のドラッグを研究してるさ。
 良いことだとは言わねぇよ。けどな、機械化帝国が侵略に来れば、あっとい
 う間に軍人はいなくなるぜ。言いたかないが、火力に差があり過ぎる。軍人
 が全滅すりゃあとは戦力の一般公募だ。今まで大した訓練も受けずにサラ
 リーマンやら学生してた連中が、そう簡単に敵を殺せるようになると思う
 か? 少しくらいはドーピングして、慣れることが必要だ。だからって、
 兵隊の肉体や精神を損なうような極端なモノ、使えばどうなるかの想像もつ
 かないと思ってンのかよ。お前」


「では、指揮官としての君に尋ねよう。地球連邦陸軍中佐ウォーリアス・澪
 殿。君なら──自分達の部下に使わせるかね? その敵を倒すことに『慣れ
 るため』のドラッグを」


2人の視線がかち合った。にや、と澪の口元が上がる。


「Noだ。他の軍はともかく、俺の部隊じゃ使わせねぇ。どのみち、薬に頼ら
 なくちゃならんような連中はいつまでたっても使いモンにはならねぇさ。
 てめぇの意志で、てめぇの手で相手に向かって引き金を引けなくちゃな。
 それが正しい戦争ってモンだろ」


「正しい戦争なるものが、存在するのかという議論はさておくとして、だ」


グレート・ハーロックは、懐から親指程のサイズのアンプルを取り出した。


「“ハイパー・ドライブ”であれ、種類の全く異なるドラッグであれ、地球連
 邦の旗を掲げる者達が、死をも恐れぬ戦法でデスシャドウに向かってくることと
 実は如何ともし難い。こちらに捕らえた兵士の血液から抽出したサンプルが
 ある。照合して頂けるとありがたいが」


そのまま、時夫に差し向ける。けれど、彼はあっさりと首を横に振った。


「出来ませんねぇ、そりゃあ」


「何故? 確かに、これは重大な軍法違反になるかもしれないが──この薬
 は危険だ。そして、連邦軍内部に危険なドラッグを流通させている何者か
 がいる。そのような邪な陰謀を放っておくわけには」


「いえ、軍法違反とかはこの際気にしません。澪さんのお守りをしていれば、 
 違反行為の100や200」


「では何故──?」


「そんなに瞳を潤ませないで下さいよ。アンタ、そういうところ無意識でアブ
 ないんだから。無いんですよ。照合するにもデータが。このドラッグはと2
 年も前に使用中止になっているはずなんです。何せ、さっきも言った通り副
 作用がきつ過ぎて兵士を害する危険性がありますから。会議でも、澪さん以
 下過半数の指揮官が使用中止を訴えて可決されています」


「あれ? 俺、いつ使用中止なんか訴えたっけ」


澪がきょとん、として時夫を見つめる。時夫は、心底馬鹿にしたような眼差しを澪に向けた。


「……アンタが会議中にも関わらず涎垂らして寝ていたときですよ。俺が代わ
 りに挙手しておきました。何か問題でも?」


「いや、全く無いな。ハーロック、それで? お前のことだ。他にも確信が
 あって使用不可になった薬のハナシなんかしてるんだろう?」


部下に馬鹿にされても全く動じた様子もない。澪が期待満面の表情でグレート・ハーロックに視線を移す。ハーロックは「無論」と立ち上がった。扉の近くに待機していた執事に命じて、2人に見せようと確保しておいたモノを運ばせる。

布に包んだそれを2人の前で解いて見せた途端、澪と時夫の顔色が変わった。


「──これは!!」


それは、信じられない方向に捻じ曲がったグレート・ハーロック専用の重力サーベル。まるで針金を曲げるかのように、ぎこちなく円の形に歪んでいる。


「何だこりゃ。おいハーロック、確かお前のサーベルは大山特製の合金製で」


「あぁ、本来ならこのように曲がることなどあり得ないことだ」


グレート・ハーロックは眼を細め、ゆっくりと指先で刀身を撫でた。


「だが、事実はこのようにして目の前にある。このサーベルは3日前に破壊
 された。そう──デスシャドウ内部にまで潜入してきた連邦軍の歳若い兵士
 が、素手で」


「素手で? 重力波を発生させているサーベルを? 腕が吹き飛んでしまい
 ますよ。それに、デスシャドウに進入するなんて──言っちゃ悪いですが連
 邦の宇宙機動軍は無能ですよ。にわかには信じがたいし、そのような報告、
 全く入ってきていませんよ。コスプレした賞金稼ぎでは?」


時夫がサーベルの柄を覗き込んで重力波発生装置がONのままなのを確かめる。「その可能性も考えたさ」とハーロックは頷いた。


「胸章は副長に鑑定させたが本物だった。兵士の腕は勿論吹き飛んださ。け
 れど、掴んだその一瞬で、私のサーベルを再起不能にしてくれたのだ。常
 人では考えられない。そして、連邦の宇宙機動軍が無能なのも知っている。
 それが、ここ1ヵ月ほどの間に突然の戦力増強。私は兵士にとどめを差し、
 その血液を『メディカル』で成分分析にかけさせた。結果、『メディカル』
 のデータバンクをもってしても照合出来ない新種のドラッグが検出され
 た」


「……成程、それで連邦軍のオリジナルだと?」


時夫が腕を組んでソファに沈む。ハーロックは俯いて、サーベルを元のように包み直した。


「──連邦軍が任意で使用しているものならば、私もこのように首を突っ込
 む気にはならなかっただろう。海賊がドラッグの危険性を訴え出るなど馬
 鹿馬鹿しいことだ。そんないかにも正義の味方であるような真似は人権団
 体がすればよろしいこと。私達には何の関わりもない」


「それで? クールなお前がやる気になったのは何故なんだ。まさか大山特
 製のサーベルを折られた仕返し、なんてこたぁないよな」


「あるいは──そうかもしれないな」


茶化す澪を前に、ハーロックは穏やかに微笑んで見せた。「げ」と澪が舌を出す。


「お、お前…そりゃ……」


「冗談だよ、澪。そうではなくて、血液を成分分析にかけたことはほんの興
 味本位だった。けれど、Drジャック・クロウヴァにここ最近、『メディカ
 ル』に運び込まれる患者達の話を聞いてね」


「何やら聖夜には相応しくないお話になりそうですね」


時夫がブランデーの入ったグラスを手の中で玩ぶ。ハーロックはアンプルを2人の目線の前に差し出した。


「そう、ここ最近『メディカル』に運び込まれてくる患者達の多くが──
 この薬を常用し、神経や筋肉に多大な損傷を負った者達。あるいはそのよ
 うな状態になった者達に傷つけられた重傷患者。連邦軍が廃棄したかもし
 れないドラッグが、民間にまで流通し始めていることの不思議」


「1番に考えられるのは──連邦軍内に破棄したデータをどこかに売りさば
 き、私腹を肥やす一方で、兵士達に服用させて無敵の軍隊を作ろうと企む
 者がいるということですね」


「下っ端じゃあ無理だな。それなりの権力がなくちゃ、一軍にドラッグを普
 及させるなんて芸当は難しい」


澪と時夫が顔を合わせる。ハーロックは、きゅ、とアンプルを強く握り締めた。


「このような薬で人心を惑わし罪無き人々に害なすことは、この世で最も
 卑劣な行為。そして、そのような行為をもってこのハーロックの乗艦に仇
 なすとは……見逃しておくわけにはいかない。そこで、提案なのだが」


「まぁ、こちらも連邦軍内部の膿を出すのには賛成ですよ。上手くいけば澪
 さんが出世します。この人を大総統の地位にまでしてその背後で軍を操る
 のが俺の夢ですから」


時夫がするりと立ち上がる。


「お前も抜け目ないよな。大山のためなんて言っちゃって。本当はこっちが
 本題なんだろ? この海賊騎士の長殿は」


澪がぽきぽきと指の骨を鳴らした。ハーロックは「そんなことはないさ」と嘯いてみせる。



「では、3人の意見が一致したところで」



「プロージェット。海賊と陸軍の即興連合に」



かちん、と3つのグラスが重なる。「ちょっと待て」と澪がハーロックを見つめた。


「俺達で勝手に乾杯しちゃって良いのかよ。大山の奴、面倒なのは嫌いだぜ」


「大山なら、何事においてもこのように卑劣な行為を許すはずがないさ」


誰よりも清廉潔白な親友。彼の考えることなど、思慮を巡らすまでもない。ハーロックはゆったりとソファに身を沈めた。




★★★


「なぁ、アレじゃないか。今、光ったの」


俺は、ハーロックの肩を叩いて一方向を示す。日が沈んで、森の中は文字通り真っ暗になってしまった。今は、敏郎が持っていた携帯用のペンライトだけが危なっかしい足元を照らしてくれている。ハーロックは夜目が利くのでそんなもの必要ないのだそうだ。どんどんと先に歩いていく。そんな梟のような芸当の出来ない俺は、敏郎の帽子のつばを掴んだまま、おっかなびっくり砂利道を歩いていた。


「見つけた? っていうかアーサーの奴、ライトとか持ってきてるのかなぁ」


ハーロックが腕を組む。そこまで心配になるような友達なのか、おい。


「方向音痴なんだろ。自分が迷うってわかってたら持ってくるだろうに。
 ほら、あっちだよ。向こうの茂みの方。車道かな。あっちに光が」


「あっちは確かに車道だけど……珍しいな、アーサーが道を辿って来るなん
 て」


「……は?」


「あぁ、いつもは絶対道なき道を来るんだよ。冒険とか言って」


俺が指差した方向に向かって歩き出しながら、ハーロックが、に、と笑う。俺は、呆れて肩を落とした。冒険だか何だか知らないが、待ち合わせに遅れるような道順で来ないで欲しいものだ。付いてきたのは俺の意志だが、こんなところを日が落ちてまで歩いていては半ば遭難しているような心持ちになってしまう。


ちか、と再び車道の方向に光が灯る。ハーロックが背伸びをした。


「ホントだ。光ってる。おーい、アーサー!」


「待て」


ここまでずっと沈黙していた敏郎が、初めて積極的な行動に出た。ハーロックのコートをぎゅっと掴み、慌てた素振りでペンライトの灯りを消す。


「トチロー、どうしたの? 今朝も言ったけどアーサーは方向音痴だから
 掴まえられるときに掴まえておかないとまた迷うし」


「あれは…携帯用ライトの光じゃない。エアカーか何かの…ヘッドライトだ」


「ふーん。お父さまは学院時代のお友達以外呼んでないって言ってたから、
 アーサーのお兄さんの車かな。アイツ、賢いじゃん」


「エアカー? 馬鹿な、エアカーならエンジン音と一緒に空気圧縮の音が
 するはず」



「サイレンサーカーというのだよ。坊や達」



「!!!」


俺の言葉が終わる前に、突然背後に複数の気配。──足音が、しなかった。気配も、ついさっきまで何も。


「振り向くんじゃない。この子を宇宙銃が狙っているからな」


低い男の声。姿を現したのは1人だけだ。ごり、と頬に押し付けられる冷たい感触。俺ははっとした。
知ってる。この銃身。銀色に鈍く光る大口径の。これは、お父さまや石倉中尉が軍装をしているときに腰に下げている──。


「な──アーサーじゃないじゃん! 零のドジ」


渋々といった感じで両手を挙げて、ハーロックがじっとりとこちらを睨んでくる。「すまん」と俺は項垂れた。


「まさか、本当に罠だったなんて…お父さまの卑怯者」


「どういう意味だよ零。ちょっと待て」


「おっと、お喋りはそこまでだ。坊や達、せっかくのイブなのに運が無いな。
 こんな時間にお散歩してちゃ、いつ何時危険な目に遭うかわからない」


「……ご忠告どーも。オジさんドロボー? だったら、ここの家は何か
 盗むのには向かないよ。海賊ンちだもの」


俺が銃口を突きつけられているにも関わらず、ハーロックは冷静に振り返って腕を腰に当てた。物凄い度胸か、はたまた俺の命なんてどうでも良いのか。
こうなったらヤケだと俺も視線を上げて銃を突きつけている人物を仰ぎ見る。
身長2メートルはあろうかという黒ずくめの大男。見るからに西欧系の顔立ちで、顎が割れているのがいかにも無頼といった印象を与える。隆々とした筋肉がシャツごしからでも見て取れた。

「良い度胸だな、お坊ちゃん」と、男はハーロックを見下ろして感嘆する。


「しかし頭はそれほど良くない。お友達が撃たれても良いのかね」


「良いわけないだろ。でも、ここで撃ったら後悔するよ。絶対」


「………」


暫し、男とハーロックの視線が激しくぶつかった。騒々と周囲の木立が揺れる。俺は唇を噛み締めたまま耳に意識を集中させた。


──…3人。否、4人か。


向こうのサイレントカーとやらにも人が乗っているとするなら、恐らく6人。
何事かの隠密行動ならば、それほど多くの人間が動くことはないだろう。
6人。けれど、向こうの人間がこちらに来るのにだってタイムラグがある。それならば、相手は4人。

無理に突破しようとすれば。俺とハーロックなら出来るかもしれない。これでも、格闘術の授業では柔術で先生だって投げ飛ばせる。多分ハーロックだって似たような実力があるのだろう。そうでなくては、あんな自信に満ちた態度を取るはずがない。

でも。

俺は、傍らでハーロック達の動向を見つめる敏郎を見下ろした。
暗闇に目が慣れてくると、彼の分厚い眼鏡の奥で、つぶらな瞳が瞬いているのが判る。


「……ラス●ル……」


似てる。ちょっとだけ胸がきゅんとした。──無理だ。こんなにも小さくて頼りの無い子を連れたままでは。下手をしたら大怪我をさせてしまうかもしれない。ここは大人しくしておくのが得策か。


「全く。全くもって大した度胸だ。只者じゃあないな」


再度、男が感嘆した。俺の思考が一区切りつくまで僅かに10秒。睨み合いはハーロックの勝利に終わったらしい。す、と俺の頬から銃口の感触が消える。


「ひょっとして、お前達向こうの屋敷の子供か? グレート・ハーロックの
 ジュニアかよ」


「だったらどうした! 言っておくけど、そんな銃を突きつけられたくらい
 で泣き出して命乞いをするような男はここにはいないぞ。見逃してやる
 からとっとと帰れ!!」


声変わりも済まないような澄んだ声音で、恐ろしく挑戦的なことを言う。ハーロックは相手をただの曲者だと思っているのか。──それとも。俺は内心の動揺を掻き消すように大きく深呼吸して男を見据えた。


「そうだ。ここにはそんな脅しに乗るような男はいない。地球連邦陸軍のお
 方とお見受けするが──これは何らかの作戦行動か? 指揮官の…連邦陸
 軍中佐ウォーリアス・澪の許可を得て行なっていることかお尋ねしたい」


「ウォーリアス・澪中佐?!」


騒、と周囲に目には見えない緊張が走る。俺は、咄嗟に敏郎を背後に庇った。


「──そうだ! ウォーリアス・澪中佐だ。もし無許可での行動なら、貴方方全員軍
 法会議にかけられるぞ。よろしいのか!!」


「澪中佐だと……まさか。おい、誰かライトを点けな。おっと、動くなよ坊
 や達。もう察していると思うが…お前達は囲まれてるんだからな!」


男の言葉と同時に、ぱっと視界が真っ白になる。男の大きな手が、俺の顎を掴み上げた。鋭い三白眼が──確かめるように俺の顔を行き来する。


「……面影があるな。いや、中佐が10歳程に戻ったら間違いなくこの顔だ。
 ふん、面白い。坊や達、命拾いをしたぜ」


「命拾い?」


ハーロックが小鼻を鳴らす。


「命拾いだって? どういうことだ」


「お前達は使えるということだ。来い! 嫌だと泣いても連れて行くぜ」


「泣くものか。良いだろう。お前達のようなこそ泥を飼っている親分が
 どんな奴だか拝見してやる。零、行ってやろう。屋敷に忍び込もうと
 している連中を見つけたんだ。こいつらの目的を知る権利が俺にはある」


「あぁ。どうやらそのようだ。囲まれているし──肚を決めなくちゃならな
 いな」


俺は、こくん、と喉を鳴らした。誘拐。一見、連邦陸軍兵に見える連中に略取されるなんて夢にも思ったことがなかった。こんなに容易く捕らわれたと知ったら、お父さまはどんな顔をするだろう。少しだけ、本当に少しだけ不安になる。お父さまは──あの家の跡取りがいなくなったら清々するのかも知れない、と。


「ふん、本当に良いクソ度胸だ。残念だぜ、お前達に悪い大人の見本を見せ
 るのはな」


男がいかにも楽しそうに哄笑する。それを合図に、茂みから音もなく男と同じ服、同じような体格の男達が4人現れた。皆、手にはそれぞれの武器を持っている。サブマシンガンや小銃──連邦軍に支給される宇宙銃を。銀色に鈍く光る大口径の銃身。物凄く嫌な気分になる。


「ほら、さっさと歩きな」


背後から銃口で押され、俺達はもぞもぞと動き出した。「お前もだ」と、兵隊の1人に敏郎が強く押し出されて転ぶ。かしゃん、と硝子の割れる音がした。


「あ」


「あ、じゃねぇよ。とっとと立ちな! このチビが!!」


「く」


「……ちっ、トロくさいガキめ!!」


敏郎の稚い動きに焦れたのか、少し痩せ型の兵は乱暴に小銃を彼の頭に振り下ろす。俺は、慌てて敏郎の前に立とうと足を踏み出した。


「ま、待て。その子は眼鏡を──」



「俺の親友を愚弄するな!!」



一際高く、ハーロックが吼えた。俺の声など掻き消すほどの声量で。ひゅ、と傍らで空気の切れる音。目のすぐ傍を鋭い何かが走る。護身用の小型ナイフだと気付いたときには、それは痩せ型兵の右手の甲を貫いていた。


「ッ──こいつ!!」


俺の背後で銃を向けていた兵が、銃口をハーロックに向けようとする。だが、その瞬間、もう1本のナイフが男の頬を掠めて古木に深々と突き刺さっていた。


「ハーロック、止せ! 短気を起こしては」


「黙れ零!!」


じゃき、とハーロックのコートの袖から3本目のナイフが覗く。護身用の小型ナイフとはいえ一体何本隠し持っていたのか。俺は、背中を丸めて眼鏡を探す敏郎に害が及ばぬよう彼の傍に駆け寄る。対して、ハーロックは先程俺達に銃を突きつけた大男の前に立ち、彼の顎下にナイフを突きつけていた。


「ひゅう、やるじゃないかお坊ちゃん。良い目をしている。このまま俺を殺
 してみるかね。本物の人殺しに目覚めるぜ」


「そんなことは、しない。けれど、勘違いするなよ。お前らに付いて行くの
 は、お前らの行動に興味があるからだ。子供だと思ってつけ上がり、俺の
 大切な親友に乱暴を働くというのなら──」


ハーロックは男を下から睨めつけ、低く、唸るように男に囁く。



「──どちらが命拾いしているのか、貴様らの命に教えてやるぞ」



「………」


フレアのような、激しい殺気。俺のすぐ傍で、手の甲を貫かれた兵が怯えきっているのがわかる。俺の腕の中で敏郎が硬直するのがわかった。いけない。こんなにも小さな彼を、怯えさせるようでは。


「ち──畜生! ゲオルグ、良いだろう。このガキを殺させろ! どうせ
 グレート・ハーロックのガキだ。良い見せしめになる!!」


俺に銃を突きつけていた兵が怒号を上げる。「まぁ待てよ」と男が兵を制止した。


「俺はこのお坊ちゃまが気に入ったぜ。良いだろう。お前達はVIP待遇だ。
 人質としては最上級の持て成しで連れて行ってやるよ」


男──ゲオルグはナイフの切っ先に怯えた様子もなくハーロックの肩を叩いた。「ふん」とハーロックはナイフを一回転させてゲオルグに手渡す。


「オジさん、物分りが良いね。残念だよ、オジさんが敵だっていうことがさ」


「言うじゃないか」


ゲオルグが、にやりと笑う。これで──一段落か。俺が安堵の息をついた途端、敏郎がぱっと俺の腕からすり抜けた。どうやら、眼鏡は拾えたらしい。


「ハーロック」


「あぁ、トチロー。酷い奴がいたもんだね。でも大丈夫。俺達VIP待遇
 だってさ」


腰に縋る親友の髪に触れ、ハーロックは優しく膝を折った。「無茶を」と敏郎は無感情に自分を守った海賊騎士を責める。


「下手をしたら…死んでいた。零の言うとおりだ。短気を起こしてはいけな
 い」


「うん。これからは気をつけるよ。トチローが無事なら、俺は良い子の人質
 だよ」


「さぁ男に二言はねぇな。その子には指先だって触れねぇよ。わかったら、
 車に乗ってもらおうか」


「勿論。お母さま達には悪いけど、こっちのパーティの方が興味深いね」


ゲオルグに促され、他の3人に銃口を向けられて黒塗りのサイレントカーに乗り込む。くどいようだが、誘拐なのだ。これは。確かに逃げるチャンスがあったのは認めるが、逃げたところでマシンガンで蜂の巣にされたら誰かに助けを求める暇なく天に召されることになっただろう。
どのみち、彼らの言うことに従う他に道は無かったのだが──ここまで有利な扱いになったのは、ハーロックの無謀なる勇気のおかげだ。不幸中の幸いである。


かくして、俺にとって10回目の聖夜が訪れた。

















アクセス解析 SEO/SEO対策