Happy Days




★★★


──お父さまは、零が嫌いだ。


俺のお父さまことウォーリアス・澪は、俺のことが嫌いだ。
そんな風に思ったのは、昨日今日のことではない。

そもそもお父さまはこの『家』が嫌いで、自分がこの『家』の当主になったことを疎んじておられて。

お父さまは、最初からこの『家』に生まれて、この『家』で育った方ではないと、小さい頃にお母さまから聞いた。遠い極東の国でお祖父さまが現地の女の人に生ませた子供だったと。ごく普通の家の、何の責任も負うことのない普通の少年だったと。

だから、金髪蒼眼ばかりの親戚の中や、代々の当主を描いた肖像画のある部屋に立つと、お父さまだけがぽっかりと目立つ。

濃茶の髪と同じ色の瞳。肌の色も、俺やお母さまより少し黄色がかっている。顔立ちこそお祖父さまに似ているけれど、お父さまは間違いなく2つの国の血を受け継いだ容姿をしていて。

コンケツというのだと、お母さまから聞いた。髪の色や、眼の色のせいで、自分を生んで下さったお母さまの身分が高くないせいで、お父さまは本当に息苦しい思いをされたのだと。それでも逃げ出さなかったのは、自分のお母さまの遺言や、この『家』を潰してやろうと本気で憎んでおられたせい。

だから、男の俺が生まれた日、お父さまは酷くがっかりされたらしい。女の子なら、他の家にお嫁にやって、それきり何の縁もないことにすれば、『家』は無くなる。お父さまの『復讐』は終わったのに。


──お父さまはこの『ウォーリアス家』がお嫌いだ。近い将来、この『家』を継ぐ俺のことも、それほどに愛してはおられない。


その証拠に、お父さまはお仕事ばかりをスケジュールに積み込んで、この『家』には殆ど帰って来られない。本当は、お仕事をサボって遊んでいることもあるみたいだけれど、帰って来られないのだから俺にとってはどっちでも同じだ。

お誕生日も、ハロウィンも、イースター祭にも戻っては来なかったお父さま。


だから、クリスマスイブのその日、お父さまが仰ったことに俺は内心飛び上がるほどに驚いたのだった。




★★★


「クリスマスパーティ、ですか……?」


信じられなくて、もう一度尋く。お父さまはだらしなくソファに寝っ転がって「あぁ」と気のない返事をされた。


「今年はドイツでやるんだよ。お前そろそろ冬休みだろ。一緒に来るか?」


「そろそろ…と言うか、もう冬休みだから、昼でも家にいるんですけど」


俺はどきどきして俯きながら、そっとお父さまを上目遣いで盗み見た。
独特の癖を持つ濃茶の髪、新聞の記事に注がれっぱなしの濃茶の眼。曇った冬日の入るサンルームで、猫脚ソファに横たわるお父さまの横顔は、息子の俺が言うのもおかしいがとても精悍で凛々しい。俺はお父さま似だと、メイドやお父さまの部下の方によく言われるから、きっと将来はあのように精悍で凛々しい容姿になるのだ。


「ふーん。で? 来るのか、来ねぇのか?」 


陸軍将校のお父さまは、いつも軍服を着ていらっしゃるのに、今日は普通のカッターシャツとスラックス姿。

クリスマスのために休暇をお取りになったのだ。パーティは本当なのだ、と俺は本当に嬉しくなった。


「い──行きます! あの、お母さまもご一緒ですか? いつ頃、出発を?」


「んー、マーガレットは一緒じゃねぇよ。アイツ旅行とか嫌いだもん。出発? 
 いつだったかなぁ──時夫!!」


お父さまが、大声で呼ばう。「はいはい」と扉を足で蹴飛ばして、両手に2つもトランクを抱えた軍服姿の男性が入ってきた。


「呼びましたか? 用があるならそっちから来て下さいよ。その無駄に長い
 足は歩くためにあるんでしょうが」


石倉時夫中尉。お父さまの1番の親友で、右腕だ。亜麻色の髪をした、どこ
か中性的な容姿をした人。最初に会ったときには本当に女の人かと思ったく
らいだ。長い睫毛に、薄い唇。小さな鼻。でも、その口調は普通の人の3倍
は横柄で皮肉的だ。


「おや、零さんお久しぶりですね」


中尉が僕を見止めて微笑んだ。俺は「お久しぶりです」と返しながらこっ
そりと眼をそらす。正直、この人の眼は怖い。どんなに口元で笑っていても、
眼は全然笑っていない。──苦手だ。


「今年で10歳におなりでしたか? いや、背も伸びて。全く子供はすぐに大
 きくなる。ねぇ、澪さん」


「え、嘘?! 10歳? お前、12くらいになったんじゃねぇの!?」


ソファからお父さまが跳ね起きる。確かに、俺は普通の10歳にしては身体も大きくて、大人びているとは言われるけど。


「10歳です…お父さま。でも、背は伸びたんです。もう、クラスで1番くら
 いに」


「ふーん、まぁ、俺もデカかった方だけどよ。10歳にしちゃ老けてるんでな
 いか? お前」


お父さまは近寄って来て、しげしげと俺を眺めた。何だか、珍しい生き物でも見ているような眼差しに、俺はちょっぴり悲しくなる。更に畳み掛けるような「老けてる」という発言に、相当悲しくなった。一体、誰のせいだと思っているんだろう。同じ軍人の父を持つクラスメイトだって、お父さまは週に一度戻って来るのだ。息子を遊びに連れて行くためや、家族で団欒するために。

地球連邦陸軍中佐、ウォーリアス・澪が特別に家庭を顧みない男だということは周知の事実。週末明けごとに友人に気を遣われ、平気じゃないのに「平気だよ」と返す生活を繰り返してれば誰だって老ける。絶対に──老ける。


「老けて見えるのはアンタが子供っぽいせいですよ。アホみたいな父親持て
 ば子供は大人びざるを得なくなるでしょうが。反省したら、新聞読むフリ
 して漫画読むの止めなさい。荷物、用意出来ましたよ」


ごすぅ、と大きな方のトランクでお父さまの頭をドツく石倉中尉。お父さまも、珍しく新聞に眼を通しておられると思ったら、どうやら漫画を読んでいたらしい。新聞の隙間から落ちた『新起動戦記ガ●ダム』を拾い上げ、俺は人知れず溜息をついた。


「俺も…用意して来ます。ドイツへは中尉も一緒に?」


「えぇ、ある意味同窓会も兼ねていますから。用意は必要ありませんよ。
 俺が済ませましたから」


「え──? でも、着替えとか。課題とか、その」


お父さまに見せたいものとか──色々あるのに。「ご心配なく」と、中尉は俺の言葉を遮って人差し指を振り立てた。


「全てにおいてこの石倉時夫に抜かりはありません。澪さんの荷物と共に、
 零さんの荷物もこの通り」


「あ」


見覚えがあると思ったら──中尉が抱えていたトランクの小さな方は俺のトランクだった。暗証番号ロックキーのついた最新モデル。開けてみると、
確かに俺の私物や着替えが整然と詰め込まれている。


「おぉ、やるなぁ時夫。優秀だ」


お父さまの感心する声。「当然です」と胸を張る石倉中尉。俺は唖然として纏められた荷物を眺めていた。──机の中に隠しておいた日記まで入っている。


「中尉、あの…このトランクは暗証番号ロックが」


「あぁ、老婆心ながらご忠告差し上げますが、ご自分の誕生日やクラス番号
 を暗証番号にするのはお勧め出来ませんね。出来れば何の規則性もない番
 号になさった方が防犯上安全です。それに、日記なども本当に人に読まれ
 たくない内容の場合は紙媒体ではなくマイクロディスクなどに保存してセ
 キュリティロックをかけた方がよろしいかと」


「………はぁ」


駄目だ。この人にかかれば人のプライベートなど無いも同然。と、いうか他人の部屋を漁って荷造りをしたことなど、この人の良心をちくりとも刺さないのだろう。俺はとっとと諦めてお父さまを見上げる。


「それで、お父さま。いつ頃出発なのでしょうか。こんなにも早く荷造りを
 なさるということは──今晩にも?」


「うーん? チケットの手配なんかは全部時夫に任せてるからなぁ。よう
 わからん。時夫、いつだっけ?」


お父さまも首を傾げて石倉中尉を見やる。中尉は呆れたような蔑むような眼差しで、(上官の)お父さまを一瞥した。


「全く……自分のスケジュールを全く把握されていないなんて。首相ですら
 ご自分のゴルフの予定くらいは頭に入ってるんですよ? あの能無しでも。
 アンタ、それ以下ですか」


「良いじゃねぇか。お前が憶えてるんだろ。じゃあ不便無し」


お父さまは全く動じてない。もうここまで来ると慣れなのか器が大きいのか鈍感なのか何なのか。


「ま、アンタはそれで良いんですけどね。今更勤勉になれとは言いません。
 だから、そろそろ急いでもらえます?」


「は?」


誰も動じないので、俺は仕方なく声を上げた。この2人の会話──ツッコミがないとかなり厳しい。


「は? とは?」


中尉が、再び俺に視線を移す。


「あの、急ぐって……もしかして」


「──澪さん。アンタいつ零さんに話をしたんです。俺はてっきり今朝方に
 は済んでいるものと」


「んなワケねーし。俺、さっき起きたばっかりだし」


悪びれずに「がはは」と笑うお父さま。中尉はこれみよがしな溜息をついたあと、すたすたとトランクを担ぎ上げた。


「とにかく、あと30分ほどでエアシップが出ます。空港行って、搭乗手続き
 しようと思ったら、もう出ていないと間に合いません。常人なら全く間に
 合ってません。零さん、お父上が高級将校で良かったですね。こんな馬鹿
 でも一応検疫・身分審査・フリーパスですよ」


「………そうですね」


にっこりされても、困る。要するに、お父さまが悪かったのだ。昼間にのたのた起きてきて、当日の話を今していた。中尉が悪いのは──口だけだ。こんなところで荷造りもせずに立ち話をしていた俺達親子は、さぞかし馬鹿に見えていただろう。俺は赤面しながら自分のトランクを持ち上げる。


「じゃあ、中尉。その、お手を煩わせて、本当に」


「気にするなよ零。こいつはお手を煩わせるのが仕事だからな」


お父さまが優しく俺を慰める。しかし、元はと言えば全部この人が悪いのに。


「アンタにだけは慰められてくないでしょうよ」


中尉が冷静に言い放つ。──全くだ。俺は先程までの嬉しい気持ちが、どこか不安な陰に覆われていくのを感じていた。




★★★

地球連邦第66地区。旧名、ドイツは俺達が住む地区、第58地区(旧名グレート・ブリテン)とはほぼ東に一直線の方向に位置する大陸にある。エアシップを使えば1時間とかからないお隣さんだ。そして、内心憧れている偉大な詩人、ゲーテやトラクルのいた国だ。空港から降りてすぐ、俺は異国の寒気と感動に全身を震わせた。


「霧の国から一変、メルヘンとクラシックの国に到着ですね。お父さま」


「あ? 66区は工業大国だぞ? あとビールな。古いようだがこれは外せ
 ん。お前にも飲ませてやるぞ。本場のビールというものを。やっぱり年
 頃になったら本物を嗜まんとな。俺なんかは12で飲酒初体験だ。お前の
 歳くらいだったなぁ。感無量だぜ、零」


「……くどいようですがお父さま、俺はまだ10歳です」


機内で石倉中尉が用意してくれていたコートを羽織り、マフラーをしていてもまだ冷えているこの感覚。お父さまと全く意志の疎通が出来ていないせいだ。せっかくお父さまと旅行が出来ると思っていたのに、中尉もばっちりついてきた。エアシップの中では、2人で楽しそうに俺の知らない話をしていた。俺は鼻をすすってトランクを抱える。楽しい気分なんか、もうとっくに消えていた。


「入国手続きも完了しましたし、先方にも先程連絡したらもう迎えに来てる
 とのこと。澪さん、くっちゃべってないでもう出ますよ」


がらがらといつの間にか必要な手続きを完了させている石倉中尉。冷静至極に横切られ、俺とお父さまはそのあとを慌てて追いかける。


「そう言えば、お父さま。これは同窓会のような集まりだと仰ってましたね。
 良いのでしょうか? その、俺が付いてきても」


機内では、本当につまらなかった。大人2人の会話に入れず、かと言って自己主張してまで聞いて欲しいような話題も探せず、俺はトランクの中に入っていたトラクルの詩集をせっせと銀河共通語に訳していた。つまりは、それほどにすることが無かったのだ。クリスマスパーティと銘打った同窓会なら、更に大人が増え、わからない話題が増えるだろう。もしそのようなら帰ろうと、俺は怖ず怖ずと傍らを歩くお父さまを見上げた。「ん?」とお父さまが俺を見つめる。


「何だよ零。今更そんなこと気にしてるのか? お前、気遣いの人だなぁ。
 子供が遠慮なんかするなって」


「いえ、遠慮ではなく──」


「大方、エアシップの中で退屈されたんでしょう。大丈夫ですよ零さん。
 これから集まる予定の家には、貴方よりも年下ですが、お子さんがいらっ
 しゃいますし、多分、もう1人のお客人も自分の家族同伴でしょう。タイ
 タンはまだ女子供を留守番におけるような治安じゃないですからね」


中尉が、ちら、とこちらを向いた。さすがは鈍感なお父さまの右腕だ。荷造りから旅行の手配、人心の機微に関しても抜かりない。「退屈だったのか?」とお父さまがふと足を止めて俺の顔を覗き込む。


「ふぅん、退屈なら退屈って言えば良いのに。イイ子にしてたって得るモン
 は少ねーぞ。お前、つまんねー大人になりてーのか?」


「い、いいえ」


透明で、真っ直ぐなお父さまの眼差し。俺は、きゅ、と唇を噛み締めた。お父さまが、にこ、と笑う。


「そうだろそうだろ。子供のうちは我慢なんかすんな? 嫌なことや、して
 欲しいことがあったらすぐに言わないとな」


「して…欲しいことですか」


「そ、遠慮せずに何でも言うんだよ。アイスが喰いたいとか、仕事しねーで
 遊びに行きたいとか」


「そりゃ平素のアンタじゃないですか」


石倉中尉の嘆息。俺は、凝っとお父さまを見つめた。
こんな風に言葉を交わすことなんて、滅多にないお父さま。『家』には滅多に帰って来られないお父さま。ずっと疎ましがられているのだと思っていたけれど、ひょっとしたら。


「お、お父さま。それじゃあ」


俺は、恥ずかしいのをぐっと堪えて声を上げる。「ん?」とお父さまが小首を傾げる。


「早速おねだりか? 良いぞ。何でも言え。お菓子か? ジュースか?」


「そ、そうじゃなくて。その──」


もっと、こんな風に俺とお話を──。



「澪、時夫!!」



空港から出た途端、澄んだ声がお父さまと中尉を呼んだ。「迎えですよ」と中尉がお父さまの肩を叩く。背中を向けられて、俺は、出かけた言葉を呑み込んだ。


「よぉ! まさかお前が迎えに来るなんて思ってなかったぜ」


嬉しそうに駆け出していくお父さま。「あの方が今夜のパーティの主催者ですよ」と石倉中尉に促され、俺は慌てて居住まいを正す。お父さまが駆けていく方向に止められた漆黒のベンツ型エアカー。ドアが開いて、するりと上品な佇まいの男性が降りてきた。


「霧の国からようこそ。58区も寒いだろうが、ここの寒さも厳しいだろ
 う? 車の中はヒーターが効いている。さぁ、早くこちらに」


エナメル質の銅色の髪。緑がかった穏やかな瞳。白皙の美貌にそぐわぬ右頬を横断する傷跡と、左目を覆う眼帯。周囲の風景から嫌でも目立つ長身の立ち姿と、風にたなびくシルバーフォックスのロングコート。



「ぐ、グレート・ハーロック!!!」



俺は、彼の人を指差したまま硬直した。と、同時にお父さまが彼に親愛のハグをする。グレート・ハーロック。太陽系最強の戦士にして最大の宇宙海賊。お父さまの──最大の敵。


「中尉、グレート・ハーロックですよ! 逮捕しなくては。お、お父さまは
 一体何を」


「何をって…零さん、指差しは止しなさい。あの人、あんな天使顔でも怒ら
 せると結構怖いですからね」


「そうじゃなくって──だって! 敵でしょう?? 地球連邦に逆らって略奪
 行為を繰り返す反逆者!! 海賊なんですよ。あの男は!!」


「でも、今日逮捕すると今夜の宿泊場所がなくなるんですよね。ホテルは予
 約してないし、時期が時期だけに飛び入りで泊まれるかどうか」


「そんな悠長な!! お、お父さま! お父さま!!」


呑気に顎を擦っている中尉では駄目だ。俺は、ようやくハーロックから離れたお父さまの手を掴む。


「お父さま、離れて下さい! 海賊の長と陸軍中佐の貴方がこんなところで
 馴れ合っていると同じ軍人の方に知れたら──!!」


「零…お前」


お父さまがふと、憂いに満ちた表情になった。俺ははっとして口を噤む。
そうだ、海賊でも何でも、元は学び舎を共にした旧友なのだ。久しぶりの再会に口を挟むようなことをしては。


「あ…あの、すみません。俺」


「良いんだ。零。お前が俺の立場を思いやってくれた気持ちはよくわかる。
 けどな──」


お父さまが、そっと俺の肩に手を置いた。



「職業に貴賎はねぇぞ? 軍人だって、海賊だって立派なお仕事だ!」



「アンタどこまで鈍感なんだ──!!!」


思わず放った拳がめしりとお父さまの顔面にヒットする。「へぶぅ」と間抜けな声を上げて転がったお父さまを尻目に中尉が心からの笑みを見せた。


「ナイスパンチ! 胸がすっとしましたよ。グレート・ハーロック、ご紹介
 しましょう。この方が澪さんのご子息、ウォーリアス・零です。どうです
 か、初見のご感想は」


「素晴らしいパンチだったよ、零くん。君はきっとお父さまのような強い男
 になる。そう、何者にも侵されることのない、本当の戦士に」


優しく、穏やかな微笑を浮かべて、俺の手を握るグレート・ハーロック。先程までの俺の言葉や、足元に転がっているお父さまのことなど、最初から無かったかのような振る舞いだ。さすがは宇宙に名を馳せた男。常人の反応ではない。


「ありがとうございます。ウォーリアス・零、です」


目眩が、した。














●と、いうわけで始まります。クリスマス・お正月限定SS。見どころは内気極まりない零さんと……ボケばっかりの父親ズ。そして、主人公なのに名前すら出て来ていないハーとトチさん。


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