Titan Rendezvous・4



☆☆☆


エルダの紋章。
──それは、宇宙有数の知力を持つ者としての証。
叡智の女神の寵愛を受ける20人。


「ヴァルハラ試験は知っとるな?」


ヤッタランが固まったトチローを尻目に腕を組んだ。
ハーロックは「うん」と、ぶたれた方の頬を掻く。


「確か、全宇宙一斉知力テストだろ。一年に一回ヴァルハラ星雲が
 全宇宙に向けて発信する。でも、あれを受けられるのはほんの一握りの
 人間なんだろ。大学の教授とか。博士とか」


「それは見栄っ張りの地球だけでの話やで。ホンマは誰でも受けられるねん。
 テスト開始日に自分ちのパソコンやモバイルからアドレス打ち込めば、
 テスト問題開いてくれるし。一分野ごとに採点して順位出してくれるから
 わいもやってみたことあるで」


結果は惨敗やったけど。ヤッタランが思い出したように頷く。
ハーロックは目を見開いた。


「へぇ、ヤッタランでも惨敗だったのか。そりゃ難しそうだ」


「──難しいねんで。しかも、一分野だけではあのメダルは貰えへん。
 テストのジャンルは300以上。そのテストで、あの“マイスター”は
 最低250の分野において上位の成績だったはず。エルダの紋章は、
 ヴァルハラ試験の総ジャンルにおいて上位20人に送られる記念メダル、
 全宇宙のどこでも通用する叡智の持ち主である証。そういう人物を総じて  
 “エルダ”と呼ぶねん」


「20人中の17位……。それって、凄いか? ケツから数えた方が早い」


ごすぅ。再びヤッタランの拳がハーロックの顔面にめり込んだ。ハーロックが抗議の声を上げる前に、素早く胸ぐらを掴み上げられる。「このアホ!」と、
ヤッタランの顔が目の前にまで迫ってきた。


「20人っていうのは、全宇宙に散らばる知的生命体の中での20人やねん!!
 ええか? お勉強が出来る数千億という生き物の上位20人や。この宇宙で
 20人しか、このメダルを持っとうへんのやで!? しかも、この“マイスター”
 は、八歳の時にそれを成し遂げたんや。最年少の“エルダ”やで!!」

「凄さがわからへんのかい」と左右に揺すぶられて、ハーロックの脳が揺れまくる。凄さを凄いと感じる余裕がない。ハーロックは両手でヤッタランの頭を潰した。


「ま、待て待て。そんなに揺らしたら馬鹿になるだろ。わかった、
 わかったよ。このメダルが凄いっていうのはわかった」


薄く埃の積もったテーブルで輝く金色のメダル。しかし、ハーロックの
目にはどうしてもゲームセンターのコインに見える。


「レアってことだろ。これを持つのは凄い知力の持ち主。で、こいつは
 自分で“マイスター”を名乗るくらいだから、専門は親父さんと同じ
 ロケット工学。つまり、俺の艦を造ってもらうには申し分のない能力が
 あるってことの証明なんだろ」


ハーロックは額を押さえてコインとトチローを見比べる。
“エルダ”というものがどの程度、宇宙で認知されているのかは知らないが、どうやら今の自分よりも彼は高いレベルに立っている人間のようだ。
素直に感心しよう、とハーロックは心で頷く。


「──く、くふふふふッ」


「!?」


不意に、トチローが肩を震わせた。──硬直したのに、笑っている。
正直いって怖すぎる光景だ。ハーロックとヤッタランは思わず抱き合って後ずさった。


「な、なんだよ。急に」


「ほ、ほら見ぃ。ジュニアがあんまりアホやから、狂ったねん。
 “エルダ”のメダルを持つモンは超天才や。アホな発言には拒絶反応を
 示したんや! どうすんねん、“エルダ”はその所属惑星を統治する
 政治機関の所有資産やで。け、ケーサツ呼ばれるで!!」 


「げ! まだ海賊にもなってないのに捕まるなんてごめんだ。
 そうだ、病院に連絡を」


慌ててハーロックは衛生端末を取り出した。が、正面からするりと
伸びてきた手に、素早く端末を引ったくられる。
トチローが「ひししししっ」と、テーブルの上に膝をつき、
端末を片手に歯を見せた。


「端末で呼ばれたからって来るような、律儀な医療施設はタイタンには
 ないど。ここは自由が建前のコロニーだ。何をするのも自由。医者が
 仕事中に酒を飲んで寝るのも自由。政治機関に所属しない“エルダ”が、
 砂漠に住むのも自由! こんなメダル、本当は何の価値もない」


ぺち、とトチローが裸足でメダルを踏みつけにする。ヤッタランが口を
「あ」の字に開けて固まった。


「なんてことすんねん。このメダル一枚で、一生喰っていけるねんで」


「メダル一枚に保証される人生を望むなら、俺はこんなところで生活
 しやしないよ。欲しければお前にやるど」


いかにもつまらなさそうにトチローがメダルを放る。ハーロックは、手を
伸ばしたヤッタランより先に、立ち上がり、メダルを捉えた。


「何するんだよ! これは君にとって親父さんとの約束の証なんだろ。
 君の“マイスター”の信念を示すものなんだろ。それをこんな風に
 扱うなんて」


「しかし、このメダルの価値を知らないものにとってはまるで無価値。
 たとえばお前さんのような人間にはね、ハリソンさん」


「だけど、君には大切なものだろう。何より、自分の能力の証じゃないか。
 なのに──!」


「親父の遺言と、嫡男としての義務を果たしたまでのことだよ。真実、俺に
こんなメダルは必要ない。誰かに自分を認めさせること自体が無意味だ。
そんなことをしなくても、俺は俺の使命を果たせる。誰も、俺には必要ない」


「………!!」


──信じられない思考の持ち主だ。ハーロックは思わず眉を寄せる。確かに
実のない名誉にとらわれることは愚かだが、自力で得たものをおろそかにすることは、それ以上に愚かしい。そして、何より誰かと共にあることを拒んで心を閉ざしてしまうことも。
ハーロックは頭一つ小さなトチローに向かって声を荒げた。


「このメダルをつまらないもののように扱うって事は、君自身がつまらない
 と言っているようなものだ。誰も必要じゃないなんて、そんなの奢りだ。
 いくら頭が良くて能力があったって、俺は、そういう人間が大嫌いだ!」


「嫌いと言う奴に、無理に好いてもらおうとは思わんよ」


お帰りはあちら、と飄々とした態度で出入り口を示される。
まるで感情のないその態度に、ハーロックの苛立ちが一気にメーターの
針を振り切った。


「あぁそうかい! この冷酷者。ロボットタヌキ!! お前みたいな
 “マイスター”はこっちから願い下げだ。行こうヤッタラン。こいつに
 俺の夢を語るなんて、俺の夢が可哀相だ!」


「……ロボットタヌキ……?」


首を傾げているヤッタランを引きずって、ハーロックは足音も荒く表に出る。
砂漠の温度は夜気を帯びて、冷たく鳶色の前髪を揺らした。


「さ、帰ろうぜヤッタラン。今頃馬屋のジーサンも心配してるよ。今から
 歩けば明日の昼くらいには街に着くさ」


「アホ! 来るときも這う這うの体やったのに、歩いて帰れるわけないやろ。
 遭難死するで、ジュニア」


がっしりとヤッタランがハーロックの右腕にぶら下がる。
だが「それでも良いよ」と、ハーロックは眼前の砂漠を見据えた。
これ以上、あの少年に関わるくらいなら、死んだ方がマシというものだ。


「俺は──俺の夢を叶えるためには一人じゃ駄目だって思ってる。友達や、
 仲間がいなくちゃ一歩も進めないって思ってる。人は一人になっちゃ
 いけない。親父も母さんもそう教えてくれたよ。それを否定して砂漠
 なんかに閉じこもっている頭でっかちなんかには、俺の艦を造って
 欲しくない!! これ以上世話になりたくもない!」


「一人で進めない夢なんか捨てた方がマシだね。そんな甘ったれのためには
 この大山敏郎は頼まれたって何もしないよ」


「ひしししっ」と背後でトチローが笑う。ハーロックは反射的に、気密服の
左胸に挿してある短剣に手をかけていた。

振りかぶりそうになって、耐える。こんな簡単な挑発に乗って貶めてしまう
ほど、安い自分は持っていない。

強く噛み締めた唇からは──血の味がした。


「──…ヤッタランは、残れば良いよ。俺、また馬車借りて迎えに来るし
 さ。端末、置いていくから、いざとなったら地球に連絡すると良い」


「……ジュニア。そやけど」


「なーにか。冗談ではないど。お前ら、勝手にどうこう言ってるけどな、
 ここは俺の家なのだ。二人とも八割方は体力戻ってるんだから、お手手
 をつないで仲良く帰れ。俺が改造した砂漠仕様の自走二輪かしてやるから」


「いらん! これ以上お前の世話になるくらいなら──」


乾いたミイラになった方がマシだ。そう叫ぼうとしたハーロックの口を、
ヤッタランがひょいと塞ぐ。


「いやぁおーきに。助かりますわ。あ、この恩は必ず返すんで、
 カリを作ったとか思わんでな? ハー…いや、ハリソン・フォードの
 家系は律儀で気高いねん。たとえ気にくわん奴からの恩でも、絶対に
 返すねんで」


「良いよ、別に。返してくれなくっても。微細なことはすぐに忘れるのが
大山の血統だ。はい、これ。裏に止めてあるから」


ぽい、とキーが投げて寄越される。それきり、トチローは船の中
に引っ込んでしまった。しかも速攻で明かりが消える。
「ぐあぁぁあぁあ」とハーロックは滅茶苦茶に頭を掻きむしった。


「なんなんだぁぁあぁ。あいつはぁぁあぁ。タイタンの十三歳はみんな
 あぁいう風なのかぁぁあぁ。小動物みたいな顔してても可愛くねぇぇえぇ」


「落ち着ぃなジュニア。何はどうあれ帰れるやんか。取り敢えずは
 “マイスター”の自走二輪。あのプライドの高そうなところから鑑みても、
 整備は完璧にしとるやろ。良かったなぁ、三時間もあれば戻れるで」


頭の良い者は総じて切り替えが早いのか。ハーロックが呻いている間に、
ヤッタランはさっさと裏に回ってきたようだ。小さな瞳をきらきらさせて、
自走二輪を引きずってきた。


「さ、これで帰ろうや。“マイスター”は他に幾らでもおるねんで。
 何もグレート・ハーロックの親友の息子やなくてもええねんで」


「ん……。まぁ、そう、なんだけど」


ハーロックは足下に落ちていたキーを拾い上げた。ヤッタランが引きずってきた自走二輪は、土星の光で真紅に輝いている。
──キックボード型のそれは、どうみても一人乗りだった。


「二人で乗っても大丈夫かな。これ」


「大丈夫やろ。重量制限70キロやし。わいがジュニアの背中に乗れば
 ええんやし」


ぴょこーん、とヤッタランがジャンプする。子泣きジジイのように背中に
乗られ、ハーロックは重さによろめいた。


「重ッ! 昨日から思ってたんだけどさぁ、ヤッタランはもう少し
 ダイエットした方が良いよ。このまま大きくなったら絶対成人病になる」


「余計なお世話や。さぁ! 砂漠の海をヨーソロー!!」


ヤッタランが強く背中を叩く。ハーロックは弾みでアクセルを入れた。

 ふぃぃぃぃぃん……!

ふわり、と浮き上がる自走二輪。ハンドルを握ってバランスを取る。舞い上がった砂が、土星からの光を浴びてきらきらと輝いた。


「反重力だ……! 圧縮空気じゃないぞ、コレ!!」


冷えた風を額に受けて、ハーロックは叫んだ。「そうやなぁ」とヤッタランも
驚いた様子で応じる。


「やっぱり相当改造加えとるわ。これなら三時間かからんかもしれん」


「うん、俺の腕なら──一時間は短縮出来る」


手首に伝わる反重力エンジンの心地良い振動。少しだけ上半身を前に
傾けると、滑るように走り出した。
音も低く遠ざかる宇宙船の残骸。冷え切った砂漠の空気も、機体の周囲に
薄く張られたシールドが阻んでくれる。


それでも、ふと耳に届くハーモニカの旋律。


「昨日聞いた音楽も、あの“マイスター”が吹いとったんやな。
 あーんな小生意気な奴でも上手いもんやで。才能と性格はカンケー
 ないもんやなぁ」


「──…そうだな」


遠く、遠くまで流れていく静かな音楽。
それは子守歌のようにも鎮魂歌のようにも聴こえて。


──寂しそうな曲だ。


ハーロックは夜風に目を細めた。



☆☆☆

宇宙船の上でハーモニカを奏でるのは、既に日課になっていた。
最初は五年前。長く宇宙を放浪し、ようやく戻ってきた父親が、
たった八年で死んだ日の夜。
思えば、彼はそうなる運命を見越して戻ってきたのだろう。
──不治の病に侵されて、紙のように白い顔をしていたのに。
時折小さく咳き込んでは、名前の難しい薬を大量に飲んでいたのに。

トチローが思い出す父の顔は、いつでも太陽のような笑顔ばかりだ。

そんな父・大山十四郎が、いつも口ずさんでいた曲をトチローは奏でる。
父が永劫の眠りについたこの砂漠で、記憶を音に変換しただけの曲を奏でる。

──言葉には、決して出来ない沢山の想いを込めて。

遠ざかっていく自走二輪の砂煙を見送って、トチローはふとハーモニカを
離して夜空を仰いだ。


「クワヘラ〜」


散歩から戻ったトリが旋回している。鼻先を掠めて落ちてきた羽を、
そっと指先で捕まえて、トチローはトリに手を振った。


「おかえり、トリさん」


「オカエリマシタド」


伸ばした二の腕にトリが降りてくる。優しく顔を甘噛みしてくるクチバシに、
素直に身を任せてやった。


「オカエリマシタカ?」


「あいつらかい。うん、ついさっきね」


追い返したというのが正しいだろう。トチローは船首にしゃがみ込み、
トリの羽毛に顔を埋める。トリのお腹は温かくて、トチローは随分と
自分の体温が下がっていることに気が付いた。


「良い奴らみたいだったよ。まだ未熟で未成熟だったけど、
 とても良い目をしてた。あいつらなら、きっと近いうちに
 自分の夢を叶えるだろうね」


「オトモダチデスカ〜?」


トリが顔を覗き込んでくる。「ううん」とトチローは首を振った。
少しだけ寂しくて、少しだけ悲しくて目尻がぎゅっと痛くなる。


「違うよ。オトモダチにはなれないよ、トリさん。
 いや、なっちゃいけない。未熟で良い目をした奴らが、
 俺と関わりあっちゃいけない。わかるだろトリさん……俺の、
 言ってることが」


「サミシイノカ。イタマシヤ〜」


背中に回される大きな翼。小さなトチローの体はトリの翼にすっぽりと
くるまれる。温もりの中で、トチローは、泣いてはいけない、と唇を
噛み締めた。


「大丈夫だよ、トリさん。俺にはトリさんがいるし。地面の下には
 親父だっている。ああいう良い奴らにだって、俺がいつか一人で
 宇宙に出られたら、また会えるさ」


トリの頭に頬を寄せて、再びハーモニカに唇を押し付ける。砂嵐のない夜は、
いつもこうして朝まで奏で続けるのだ。


──言葉には、決して出来ない沢山の想いを込めて。

















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