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夜更け過ぎ──。
タイタンコロニーでも一、二を争う安宿『荒野の馬』亭。
その二階にあるツインの客室でハーロックは今も溜息をついている。
ヤッタランは一階の酒場で一人、軽い夕食をすませた。
寂れきったこの宿にいる客はヤッタランとハーロックの二人だけ。
よって、剣や銃の才能にあまり恵まれなかった十二歳のヤッタランでも
落ち着いてデザートのフライドポテトを平らげることが出来た。
「お連れの子はどうしたね? あの背の高くて綺麗な顔の」
宿の主人が、ひびの入ったグラスを磨きながら、嗄れた声をかけてくる。
敵意の全くない、お人好しという言葉の似合う口調だ。ヤッタランは「うん」
と、最後のポテトを飲み込んで顔を上げた。
「二階で溜息ついとんねん。帰ってから、ずーっとや」
「ははぁ、砂漠での用事が果たせなかったのだね。馬屋のバンザックに
聞いただろう。タイタンの黄色い砂漠には黒い翼の死神がいるんだよ」
命があっただけ儲けものさ、と老人は細い目をますます細くして微笑んだ。
死神、とヤッタランは口の中で復唱する。黒い翼を持ったモノは確かにいた。
だが、それは死神などという忌まわしいものではなく、幼馴染みと同い年の
少年に飼われている正体不明のトリだったけれど。
「……ホンマに、死神なんてまだモンに殺された人間がおるんやろか」
ヤッタランは主人の瞳を凝っと見つめる。基本的にヤッタランは曖昧なモノを
信じない。この手で触れ、この目で見ないものなど無いのと同じだと思う。
死神などというものが、たとえ存在するのだとしても、ヤッタランはまだ
それを目にしていないのだ。目にしていないモノを信じることは出来ないと
思う。確かめもしないことを鵜呑みには出来ないと思う。
世界は観測されるまで世界たり得ないと言ったユダヤ人の学者のように。
「ワイらは、少なくとも死神を見てないねん。そら、ちょっと砂嵐に
巻き込まれて死にかけたけど、死にかけたのと、死神を見たのは違う
やろ? そうやろ?」
「──ふぅん、坊やは小さいのに随分と賢いのだね」
主人が、すっと目をそらす。──おかしい。ヤッタランは主人の態度の
不自然さに眉をひそめた。おかしい。ただの噂話なら、こんな風に後ろめたそうには話さないものだ。
「なんやねん、オジさんは何か知っとんのか? あの砂漠に住む死神に
ついて?」
ヤッタランは身を乗り出した。あの砂漠に住んでいたのは──少なくとも
死神ではなく、“エルダ”の紋章を持ったマイスターだ。この老人はそのことを知っているのだろうか。
「ワイらが会ったんは死神やのうてワイらと同じくらいの歳の……」
「会ったのかい」
主人が、くる、と背を向けた。酒瓶を並べ直すふりをしながら、突然ぼそぼそ
と聞き取りにくい言葉で話し始める。
「あの子に──会ったのかい、坊や達」
「あの子……? やっぱり死神なんておらんのやな。砂漠におんのは、
黒いトリと、“エルダ”の──」
「そのことはあまり大きな声で言わんでくれ」
ぶる、と主人は背中を大きく震わせた。「頼む」と、食いしばるような声で
懇願され、ヤッタランは疑問符を飛ばしながらも声を潜める。
「砂嵐にあって死にかけたワイらを、“エルダ”が助けてくれたんや。
滅茶苦茶愛想がなかったけど、自走二輪も貸してくれて。実を言うと、
ワイの連れが落ち込んどんのもその自走二輪の性能のせいで」
「あの子は──このタイタンを救った偉大な男の一人息子だ。この星の
奴らは誰もあの子の父親に受けた恩を忘れ、あの子に冷たく当たるがな、
儂らは受けた恩義を忘れる愚か者とは違う」
「恩義?」
「このコロニーを人の住める環境に整えている装置の半分は、あの子の
父親が設計したものだ。あの人は十四年ほど前にこの星に降りてきて、
その時にはもう“エルダ”だった。二十歳になるかならないかという
小さな体躯の青年が、タイタンの厳しい環境に喘ぐ儂らの救世主になった」
「その人は……Drトシロー・オーヤマ?」
思わず問うと、「知っているのかね」と主人は大きく目を見開く。
「あの人は、歴史の表舞台には殆ど名前を残そうとしなかった。大きな
役どころは全て親友に譲って、自分は影の存在に徹したんだよ。自分の
造った戦艦の名前のように」
──最強戦艦デスシャドウ──!!
ヤッタランは、心の中だけでその名を噛み締めた。知っているも何も、
今二階でベッドに寝転がっている幼馴染みは、その偉大な戦艦の艦長の
血を引く唯一の男なのだ。
「Drオーヤマは、その。お亡くなりになったと聞いたんやけど」
「あぁ、そうだ。宇宙病だよ。闇の女神に愛される病だ。あの人は、自分の
死を悟って親友の艦を降りた。自分の血を、次代に夢を託すために。偉大
な──本当に偉大な男だ」
主人が拳を震わせる。ヤッタランは「はぁ」と控えめに首肯した。
──どうやら、馬屋の主人とこの老人はDr大山を敬愛しているらしい。
その息子を守るために、砂漠に死神がいるなどという嘘を旅人に吹き込んで
いたのだ。
しかし、何のために? ヤッタランは首を捻る。何のためにあの“マイスター”は人目を避けて砂漠に住んでいるのだろう。“エルダ”なら、叡智の紋章を
持つ者なら、その頭脳協力と引き替えに政府が保護してくれるはず。
衣食住、全ての面倒を政府が見てくれるのだ。三世代前の親族ならば、
全員がその恩恵にあずかれる。確かに、“エルダ”はその知能と才能ゆえに
トラブルの種になりがちだが(“エルダ”一人を奪い合って三つの星が戦争したという事実もあるのだ!)、それは特定の星に戸籍のない“エルダ”の話、具体的に言うのなら、その“エルダ”が既に滅んだ星の生き残りなどであった場合だ。極めて特殊なケースなのだ。
だから、地球人でタイタンに住むあの“エルダ”の安全は、場末の老人達が嘘などつかなくとも、地球政府かタイタンの管理機関が保証してくれるはず。
ヤッタランがそのように言うと、主人は力無く首を振った。
「このタイタンには──法など無いに等しいのだよ。自由法という法律でな、
個人の自由を邪魔する者が罰せられる法だ。すなわち、砂漠に住む幼い
“エルダ”が政府の保護を求めず自由に生きるのも自由。それを知った
愚か者共が、あの子を獲得しようとやってくるのも自由、というわけだ。
あの子が人間を避ける理由がわかるかね──?」
探るように覗き込まれ、ヤッタランは思わず「うん」と頷いていた。
恐らく、過去に何かがあったのだろう。宇宙には礼を知らない者も多く
いるという。そのためにあの少年はトリと共に街を離れざるをえなかったの
ではなかろうか。ヤッタランは、ふと、彼の腕に巻かれていた汚れた包帯を
思い出した。
「ひょっとしたら……今も──?」
礼を欠いた者達の訪問が続いているのだろうか。ヤッタランは立ち上がる。
ヴァルハラ試験の結果はスペース・ネットで検索すればいつでも誰にでも閲覧できる。20人の“エルダ”の名前も、知ろうと思えばそこから知れる。
若干十三歳の幼い“エルダ”。政府の保護を求めない叡智の紋章を持つ少年。
静かな交渉を望まない者達が真っ先に狙うのは、間違いなく彼だろう。
「アカン」とヤッタランは慌てて二階に駆け上った。背後で主人が何か言ったようだが、それも聞こえない。
体当たりするようにドアを開けると、ハーロックはまだ枕に顔を埋めていた。
「ジュ、ジュニア!! まだ浮上出来んのかい。あの“マイスター”……」
「うん、凄い技術の──持ち主だったよ」
ぼそ、とハーロックが力無くヤッタランを見る。
「反重力エンジンの軽快な音。保護シールドのレベル、バランサーの性能、
どれをとっても申し分ない自走二輪だ。もしあれが小型の戦闘機だった
ら……俺、あいつにプロポーズしてたかもしれないよ」
「そんなに気に入ったんかい? せやけどジュニア」
“マイスター”の手がけた自走二輪。最初は借りることすら渋がっていた
ハーロックが、道行き静かになっていったのをヤッタランは背中越しに見て
いた。こくん、と息を呑む音も聞いていた。砂漠から街に戻るほんの数時間の間に、彼は心酔してしまったのだ。
あの、愛想のない“マイスター”の技術に。
「俺、技術だけで人を評価するのって嫌いなんだ。だって、そんなの失礼
だもの。それに──やっぱり機械にも造る人の心が反映するもんだと
思うし」
ゆっくりとハーロックが上半身を起こす。ベッドの上に胡座をかいた幼馴染みを、ヤッタランは「そうやな」と優しく肯定してやった。
「まぁプラモデルでも作る人の性格が出るモンやしな。それが自走二輪でも、
戦艦でも大差はないと思うで。うん」
「でも、あいつは俺の好きなタイプじゃなかったよ。マシンはあんなにも
優しいのに」
「優しい?」
問い返すと、ハーロックは「うん」と真剣な目でヤッタランを見つめてくる。
「そう、優しいんだ。砂漠にも、乗る人にも。エンジンは空気を
汚さない反重力だし、砂の波に逆らわずに行くから、砂漠に住んでいる
小さな虫だって殺さない。それに──」
──あれに乗ってると、楽しいんだ。少し恥ずかしそうに、ハーロックは窓の下を眺める。宿の裏手に向かっている窓。すぐ下に、あの自走二輪が止めてある。
「俺が何も知らずにあのマシンに乗ったら、あれを造った人は何て心の
綺麗な優しい人だろうって思うよ。でも違った。あいつ、すごーく俺と
合わないヤツだった。それが──もう悔しくって!」
ぼすん、と再び枕に倒れ込むハーロック。ヤッタランは先程一階で聞いた
話を、彼にするかどうか迷った。すごーく合わない、と言っている幼馴染みに、わざわざ“マイスター”の境遇を話してやる必要はないだろうか。正義感の強いハーロックなら、きっと“マイスター”に深い同情を示すだろう。けれど、それはきっと無益な戦いの引き金にもなる。少年である自分達に、他の誰かを同情で救ってやれるほどの能力的余裕があるだろうか。ヤッタランは暫し考える。
──答えは、ノーだ。話すのはやめよう、とヤッタランは息をついた。
あの高慢ちきな“マイスター”が“エルダ”になったのも、政府の
保護を求めない身なのも、今のヤッタラン達には何の責任もないことだ。
「そんなら、明日の朝にはタイタンから出よか。母さん達も心配
しとるで。最悪、グレート・ハーロックに連絡がいっとるかも
しれんし。早めに帰っておいて損はなし。造艦が専門の“マイスター”
なら、まだまだ宇宙に仰山おるからな」
「うん──」
ハーロックが歯切れ悪く頭を掻く。珍しいことだ、とヤッタランは思った。
いつもは即決・即行動のハーロックが──悩んでいる。
「そりゃあ、造艦専門の“マイスター”なら、沢山いると思うけど……。
だけど、でも……“エルダ”の“マイスター”はいないよなぁ」
「なんやねん。“エルダ”がええんか? ジュニアらしくない。いざとなった
ら肩書きなんぞどーにもならんっちうのが持論やったやろが」
「そう……なんだけど」
もごもごと口を動かしては、俯く。ハーロックとの付き合いは長いが、
こんな態度は初めてだった。
こんなに、煮え切らないハーロックの姿は。
「──…こんなこと言いたくないけど、“エルダ”は、特別の頭脳や技術を
持った人間なんだよな。宇宙に、20人しかいないんだよな」
実に言いたくなさそうに、ハーロックが口火を切る。
「俺、小さい頃に聞いたんだ。親父の親友で、デスシャドウを造った
人も“マイスター”だったって。俺の目下の目標は親父で、親父の乗って
るデスシャドウは俺の憧れで──。でも、あの艦と同じものは誰にも造れ
ないって、親父は言ってた」
「“エルダ”であることが、大山家嫡男を名乗る条件やって言っとったな。
ちうことはあの性格悪い“エルダ”の親父さんは、やっぱり“エルダ”
やっちうことか」
ヤッタランは顎を擦った。最強戦艦デスシャドウの建造者は、“エルダ”。
と、いうことは、デスシャドウと同等、もしくはそれ以上の性能を持った
艦を造れるのもやはり“エルダ”というわけだ。成程、ハーロックが悩む
わけである。
「グレート・ハーロックを越えようと思ったら、“エルダ”の協力が必要
なわけやな。ふぅん、一理や。適当に機嫌取って説得するか? ジュニア」
「嫌だ! 適当なんてエゲつないことはしたくない。良いかヤッタラン、
人と人との絆というのはな、誠意と真実によって固く結ばれるのが
モアベターだと俺は思う!!」
がば、と勢い良くハーロックがベッドの上に立ち上がる。
「そんなら無理やろ」と、ヤッタランは一人で燃えるハーロックを見上げた。
「ゴマ擦るのが嫌やっちうんなら、あの“エルダ”はアカンやろ。もろ
ジュニアの苦手なタイプ。心の底から冷酷なタイプ。きっとあいつの
血管には絶対零度の血が流れとんのやで」
「絶対零度の血液──か。上手い冗談だなぁ。でも……俺はずっと」
ハーロックがベッドに立ったまま天井を仰ぐ。腕を組み、本当に
ヤッタランが見たことのない苦悩の表情を見せる。部屋に付いている
アナログな壁時計の秒針が、きっかり二週したところで、はぁ、と
ハーロックが溜息をついた。
「──とにかく、今日はもう寝ようかヤッタラン。砂漠で遭難しかかって、
疲れたろ。ごめんな、大変なことに巻き込んで」
ランプを吹き消し、ハーロックは頭からシーツを引っ被る。ヤッタランも
倣ってベッドに潜り込んだ。そして考える。──ハーロックは、一体何を
言いかけたのか、と。
──でも、俺はずっと。
天井を仰いだハーロックの表情。見えたのは、深い迷いと、そして。
何か、救いを求めるような。
ヤッタランは、ごろ、と寝返りをうった。
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