Happy Days・10
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★★★ 「澪中佐のお坊ちゃん、お前さんのお伽話は少々退屈だったようだ」 ゲオルグがどっかりとソファに座り込む。彼の重みでウレタン材が歪み、俺と敏郎は斜めに傾いだ。ハーロックから借りた銃が。内心慌てる俺に、敏郎がぎゅっとしがみ付いてくる。小さな手、稚い表情。俺の首に手を回し、膝に乗って抱きついてくる。──俺が、守らねば。彼の身体を抱き寄せて銃をゲオルグの死角に隠す。 「男の子にはもっと楽しい冒険譚や英雄譚じゃなけりゃな。なぁ? グレート・ハーロックのお坊ちゃま」 「まぁね。でもゲオルグ。お父さま達が来るまで俺達をわくわくさせて いられるような話のストックがあるの? 子供は飽き易いものだよ」 小生意気そうな瞳を輝かせ、ハーロックはゲオルグの肩に腕をかけてソファの肘掛けに座る。どうして身長が自分の倍ほどもあるような大人に向かって あのような態度が取れるのだろう。俺は、溜息をついて敏郎を膝の上に抱え直す。 「……ハーロック、君、もう少し目上の人に対する言葉遣いを憶えた方が」 「目上? 目上ってどういう意味だい零。ただ歳を取ってるってだけで 目上なら、この世で1番偉いのは気が遠くなるほど長生きしているシワ シワクチャクチャのジーさんってことになるよねぇ。でも、そのジーさん がこの世で1番嫌な奴だったら…零は、それでもその人に敬意を払う の?」 「そういう極論を言ってるんじゃないよ。君、ゲオルグには敬意を払って ないってのかい?」 「ゲオルグは面白い男だと思うけど、敬意っていうのとは違うね。人を敬う っていうのは、その人の全部を凄いって認めることだと俺は思う。だから、 たとえ面白い男でも、こっそり人の領地に入ってお父さまの暗殺を企んだ り、戦いたい人の子供を盾に決闘を申し込んだりするような奴には敬意を 払わない!! わかるよね、ゲオルグ。俺と零、どっちが道理に適っているの か」 「あぁ、お坊ちゃんらが俺のような大人を尊敬しないってことは正論だぜ。 もし中佐がいたら…グレート・ハーロックのお坊ちゃん、お前さんと同じ ことを言うだろうさ」 「そんな──…」 不可思議な理屈だ。けれど、ゲオルグもハーロックも、そのことに疑問を抱いている様子はまるでない。お父さまにも、彼らの言葉の方が通じるのだろうか。もしそうなら──。俺は俯いて唇を噛む。 「ゼロ」 敏郎が、凝っと俺を見上げた。温かな身体をそっと摺り寄せてきてくれる。 俺の心中を慮ってくれているのだろうか。俺は「平気だよ」と言って笑って見せた。 「そんなことより…さっきの話が気になるな。ゲオルグ、貴方は先程 お父さまについて何やら興味深いことを仰っていたようだが」 「ふん、本当に全くもって聞いていないのかね中佐のお坊ちゃん。あの人も 家庭には無頓着なところがあるが……お前さんらもよくよくあの人に無頓 着なんだな。中佐が家よりカブトムシの方を好きなのが、何だかわかる気 がするぜ」 「………」 大仰な身振りでゲオルグはお父さまに同情を示す。お父さまは、家に無頓着。 俺達も、お父さまに無頓着。お父さまのことを殆ど知らない俺を、お父さまは無頓着でつまらない子供だと思っただろうか。 そういえば、昔お父さまにカブトムシを貰って、それが小さな虫籠で窮屈そうなのが可哀想で逃がしてしまったことがある。お父さまは「ありゃりゃ」と何でもないように仰っていたけれど、本当は大切な虫を逃がされて不愉快な思いをしたのだろうか。 考えていると、たまらなくなる。 「…ゲオルグ、憶測でモノを言うのはよくないよ。中佐は自慢が嫌いなのか もしれないし、零は見てのとおり無口でシャイだ。それに、中佐は軍人で お忙しいから滅多に話す機会がないって、さっき聞いたし」 ハーロックが、ゲオルグの鼻先に人差し指を押し付ける。「そうだよね」と同意を求められ、俺はぎこちなく頷いた。しかし多分、ゲオルグの言うことは当たっているのだ。無口だの、軍人だからなどというのは後付けされた言い訳に過ぎない。 何も知らないというのは、知る努力をしなかったことと同じなのだ。それが、本当のところなのだ。 「お父さまの話は…冒険譚や英雄譚になるような話なのでしょうか。お父さ まは軍人になってまだそれほどの年月が経っていないように思うのです が」 「真の英雄…真の男が伝説化するのに年月なんか関係ないのさ」 ゲオルグがゆっくりと顎を擦った。ハーロックがその横顔に凝っと見入る。先程の『ヘンゼルとグレーテル』を聞くときよりも興味津々なその表情。 どうせ俺は話下手だ。その上、冒険譚や英雄譚にも詳しくない。溜息をついて敏郎の頭を優しく撫でた。幼子特有のやわらかな髪が、冷えた指にふわりと馴染む。 「そうさな、俺が初めてウォーリアス・澪中佐と会ったときは……さっきも 言ったが10年前の宇宙大戦、女王ラー・アンドロメダ・プロメシューム が支配する機械化帝国が初めて地球の大気圏内に進軍してきたときのこと だった。その頃の俺はまだ10代の青二才で、教師の指示に従って、礼拝堂 にある祭壇の陰に固まって震えて半べそかいているような、そんな小便小 僧でな──」 ☆☆☆ その日は、66地区に訪れる短い夏の間でも特別に晴れた爽やかな日だった。 朝から礼拝堂に集まる友人や先輩、後輩や教授達の表情も何となく晴れやかで。いつもは面倒で気怠い聖歌合唱なども、朝日に輝くステンドグラスの聖母子像を見ているだけで信仰心などなくても厳かな気持ちになれた。 とにかく、ゲオルグ・ノイマイヤーにとってはいつもと変わらぬ平坦な学院生活でも気持ちの良い部類に入る朝だったのだ。 そう、凄まじい爆音と共に、聖母子像が砕け散るまでは。 思わずしゃがみ込んで、恐る恐る顔を上げて見たときには、既に心地良い朝の風景は一変していた。地響きで揺れて不安定な床。ガラス片をまともに浴びて血塗れになった教授、友人、先輩、後輩──!! 「うっ……」 ゲオルグはせり上がってくる嘔吐感を懸命に堪えながら、すぐ近くで歌っていたはずの友人を探す。木製の長椅子の幾つかは砕け、幾つかは引っ繰り返って級友達を下敷きにしている。爆音のせいで痺れていた耳が聴覚を取り戻すと、聞こえてきたのは悲鳴、泣き声、呻き声と救いを求めるか細い声。 友人は、いた。大きな怪我は無いようだが、頭から出血している。揺すぶって、声をかけると反応したので安堵して、抱き起こす。 二度目の爆音。再び揺れる礼拝堂。今度はガラスではなく細かな瓦礫がばらばらと降り注いできた。ゲオルグは友人の上に覆い被さって庇う。男なのだから、軍人になるのだから、もっと毅然としなくてはと思う。怪我をした友人を庇うのも、当然のことだとそう思う。そうしなくては腰抜けだ。 「だ、大丈夫。だいじょう──」 三度目の爆音。さっきよりも近い。森の、焼ける匂い。学院の校舎がどこか崩れた。寮だったらどうしよう。あそこには、熱の出た友人や大切な本や、外出日のために取ってある小銭なんかが残ってるのに。 早く立って、安全な場所に避難して(そうだ、避難訓練のとおりにすれば良いのだ。最寄のシェルターに逃げ込んで、政府からの発表を待って)、否、それよりも怪我人の保護をしなくては、それとまだ自分では判断して逃げられないような下級生達の引率を。どうして誰も立たないのだろう。上級生達は何をしているのだろう。誰か立ってくれないか。誰か、誰か。 「…ルグ、ゲオルグ。ゲオルグ・ノイマイヤー!!」 背後から、突然肩を掴まれる。びくりとして振り返ると、そこには歴史学の講師が立っていた。祭壇の下に立っていたから助かったのだろうか。ガラス片を少々浴びているものの、かすり傷だけで立っている。 普段は頼りない、覇気のない退屈な授業をする若い講師。 「あぁ、無事だったんだね。君が庇っているのは……サム・スワロゥか。 頭から出血している。いけない、これを使いなさい」 引きつった笑顔を浮かべながら、震える手でハンカチを差し伸べてくる。ゲオルグもまた、震える手でそれを受け取った。 「な…何が、あったの……先生…」 これだけ喋るのにも喉が渇く。講師は「わからないよ。済まないね」と俯きながらゲオルグを立たせた。 「だけど…ひょっとしたら──ラー・アンドロメダ・プロメシュームが侵略 停止協定を破ったのかもしれない。彼ら機械化人の食料は人間の生命エネ ルギーだ。食料が枯渇しては……国が傾く。牧場が欲しくなったのかも」 「牧場? じゃあ、俺達これから」 「大丈夫、大丈夫だから。地球にだって、軍隊はあるんだ。君達は、その卵 だろう? もっと、気を強く持って。ゲオルグ、君はクラスで1番体術や 武器の扱いが上手いじゃないか。先生達から、聞いているよ。さぁ、泣か ないで」 祭壇の下に行きなさい、と促してくれる。ゲオルグはふらふらとよたつきながらも祭壇下に辿り着いた。古代樫で作られた、頑丈な祭壇。ガラス片まみれだが、あれだけの爆音や衝撃にも関わらず細かな傷しか残っていない。 「今外に出るのは危険だよ。狙い撃ちにされる。事実、さっき上級生達や先 生方が何人か外に出ようとしていたけれど──2度、3度の攻撃で」 怪我をした友人──スワロゥを抱えて、講師はゲオルグの前でしゃがむ。 「それじゃあ僕はまだ怪我をして動けない子達を避難させなくちゃならない から。ゲオルグ、君はスワロゥを」 「は…はい」 それだけ言うのが精一杯だった。ゲオルグは腕の中の級友をしっかりと抱き締める。荒い呼吸。まだ──生きてる。血は出ているけれど、大丈夫。 「せ、先生。せんせぇ」 「大丈夫。心配ないから、君達はちゃんと隠れてい」 四度目の、爆音。凄まじい煙と──炎。 ゲオルグは思わず友から手を離し、自分の耳を塞ぎ、頭を抱えて祭壇の下に小さく、小さく身体を丸めた。もう、腰抜けだとか毅然としなくてはいけないとか、そんなことはどうでも良くなっていた。 ただ、自分の命ばかりがこんなにも惜しい。 振動が薄れて。ようやく全身の震えが治まった。煙のせいでつまった鼻と止まらない涙をどうにか拭って、ぼやけた視界を何度も擦ってましにする。 目を開けて、濃い血の臭いに吐き気を覚える。 「──…ッ!!!!」 講師が、ついさっきまで立っていた講師が。こちらを向いて倒れていた。 濃い血の臭い。息を呑む。何度も何度も呼吸を整えて、動かない級友を抱きかかえて祭壇の中に半ば押し込む。ゲオルグはそのまま戦艦のエンジン音が遠くへ移動したのを確認して、講師の方へ這い出した。 「せ…先生。先生」 這う手に滑る血の感触。生まれて初めて触る人の血に、ゲオルグは躊躇い、吐き気を堪えて腹を押さえた。 「ゲ…げ、ゲオルグ……」 講師が、ゆっくりとこちらに向かって手を伸ばしてくる。下半身が無い。さっきの爆発で吹っ飛んでしまったのだ。指先に何か触れる。それが、講師の内臓の一部だと認識した瞬間、ゲオルグの目から下の感覚は全て抜け落ちてしまった。 ただ、死にゆく人間に為す術もなく震える子供。それが、現状。 「だ──大丈夫、かい? だいじょうぶ……」 講師は下半身を失くしていることに気付いてないようだった。血塗れの顔で笑顔を作り、懸命に生徒を捜している。 「あぁ、暗く…なって、しまったね。随分、瓦礫が降って…きたの、かな」 暗くなどなっていない。むしろ天井に大穴が開いて先程よりも明るくなったくらいだ。ゲオルグは否とも応とも言えず、ただ指に付着した臓物を床に払い落としていた。おぞましい。怖い。死にゆく人。死。死だ。死。死にゆく講師。死にゆく級友。嫌だ嫌だ。あんな風にはなりたくない。 「こわ…い。怖い……ね、せんせぇも、怖いよ……はは」 講師は笑っている。かけていた眼鏡のレンズは全て割れていて、彼の頬に刺さったり、細かな傷を作っているのに。 嫌だ。嫌だ。こんな風にはなりたくない。 「でも…だいじょうぶなんだ……こわい、けど。こわい、けど」 大丈夫、と講師は繰り返す。ゲオルグは震える手で、講師の彷徨う手を掴もうと。 「ゲオルグ……スワロ…ゥを」 宙を彷徨う講師の手が止まった。そのまま、永久に停止した。煙と、血と、瓦礫の崩れ落ちる音。ゲオルグは素早く手を引いた。死。死が感染しそうだ。頭上には、わけもわからないまま飛び交う戦闘機。戦闘母艦。呼吸の音が、やけに激しく自分の中に反響する。 ただただ、祭壇の下に隠れて。ただただ、祈った。 血とか、生とか、死とか。爆音。モノが燃える臭い。森が、石が、人が、燃える臭い。吐き気と、涙と。止まらない。心臓が、五月蝿くて、煩くて。立てない。自分も、腰から下が無くなってしまったみたいだ。慌てて自分の全身を触って、安堵する。 誰か。誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か──か、神様。 神様、かみさま。ここは、聖域なのに。 五度目の、爆音。今度は礼拝堂の中心から聞こえた。 ゲオルグは全身を竦めた。けれど、今度は火の臭いがしない。振動も、無い。 ぱらぱらと細かな屋根の破片が落ちる音。あれほど耳の中に響いていた音が、消えた。 「あぁあぁあ! もう! てめぇハーロック!! もう少し優しく落とせって 言ったろ?! おめ、ここど真ん中じゃねぇか。生体反応の、ど真ん中!!」 低音なのに、澄んだ声。機械化人の、“声”じゃない。ゲオルグは恐る恐る祭壇から這い出た。体勢を低くしたまま、様子を窺う。 「あ……」 思わず、呼吸が止まる。大穴の開いた礼拝堂天井。そういえば、今日は晴れだったっけ。陽光が──眩しい。目の奥にまで、差し込んでくる。爆風のせいで舞い上がった塵や埃が、朝方の霧のように煌めいて。 「え? 違う? いーや、真ん中だね、全部瓦礫の下敷きだ。は? ぜ・ん・ ぶ!! 俺の足の下だってぇのこのイカレパイロット!!」 精悍な顔立ちの、地球人らしき男。一瞬聖画の世界から抜け出てきたのかと思うほど、その横顔は整っていて美しかった。美術の時間、教科書で見たギリシャ神話の英雄を象った石像に似ている。濃茶の髪、同色の、強い力を秘めた瞳。 しゃらん…と金属製のコートが翻る。その日の晴れた空を彩る太陽の光と同じ色。まるで、その人物自身が全て、『光』そのものであるかのように包み込んでいた。 「え? いるって?! あぁ──…いるな。気配がある」 彼が、こちらに視線を向けた。光のコートから覗く紺色の軍服。地球連邦陸軍所属を示す胸章。味方だ。人が降りて来たということは、この辺りの敵は掃討したのだろうか。ゲオルグは安堵し、震える全身を奮い起こして「助けて」と声を上げた。掠れて、途切れ途切れのものだったが、彼には充分届いたようだ。瓦礫も死体も器用に避けて、ひらりと一段高い場所にいたゲオルグの元に現れる。 「おい」 しゃがみ込むこともせず、ゲオルグの前に仁王立ちになる男。ゲオルグは思わず「はい」と背筋を伸ばす。 「生きてるの、お前だけか」 「は──…い、いいえ。先生が…友達が」 スワロゥ。自分の命が確保されてようやく、他人の存在を思い出す。ゲオルグは、祭壇の下に押し込んでいた級友を指し示した。 「で、でも…怪我、してて。頭、血が」 「あれ、こいつトム・キャットじゃねぇか。おいおい、教師になったって 聞いたけど、逃げ損ねたんか。おーい、“泣き虫キャット”!」 聞いていない。しかも、下半身を無くして、そこら中に内臓を撒き散らしている講師に向かって妙に明るく話しかけている。背中を向けられて、ゲオルグは途方に暮れる。足が震えて、立てないのに。 「あ、あの…俺、いえ、僕達は」 「キャットぉ。お前、歴史の先生なんだろー。みんなにニホンシとかヨーロッ パシとか教えるって言ってたじゃねーか。馬鹿だなぁ。教わったろ、爆撃 があったときにはシェルターだよ。こんなところでビビッてちゃ死ぬだろ。 あーぁ、だからお前はここじゃなくてもっと田舎の寂れた学校が良いって 言ったのに」 しゃがみ込み、「痛そうだなぁ。あ、もう痛くはねぇか」と頭を掻いて男は、講師を仰向けにさせて胸の上で手を組ませている。ゲオルグは「あの」と意を決して彼の背中に声をかけた。 「あの、これ…一体」 「あ? お前、ナニしてんだよ。もうこの辺安全だからよ。シェルター行け よ。この辺で生きてるの、お前だけだぞ。あと、その友達な」 「あ、あの……どうして、こんな」 「知ンね。俺だって非番だったんだ。いいから行けよ。まだ来るぜ。アイツ ら、ここが軍人養成施設だと知ってて爆撃してきやがった。今はちょっと 休止状態ね。だから早く」 「た…立て、ません……」 本当に、足が動かないのだ。足。俺の足。前はどうやって動かしていただろう。思い出せない。男が移動すると、その端から講師の死体が見えた。目を閉じて、胸の上で手を組んでいても下半身が無いのに。 「なぁ、お前。将来の夢って何よ」 男が、ゲオルグを覗き込んだ。間近で見ても非の無い美貌。大きな瞳に見つめられ、ゲオルグはどきまぎとする。 「こ、こんな時に……あの」 「こいつな、ここで死んでる先生。これ、俺の同級生。泣き虫で、弱虫で 歴史オタクの劣等生。銃とかサーベルとか格闘技の時間なんてしょっちゅ う腰抜かして鼻水垂らして、あ、小便ちびったこともあったっけ。お前は どうよ。成績良い方?」 「い、良いほう……です」 「ふぅん。──で、お前、将来何になるのさ」 「え──…」 ヴェルナー学院は軍人養成学校だ。宇宙・空・陸・海、独自のカリキュラム構成を組んでいて、プロフェッショナルを養成する。この学院を好成績で卒業すれば、地球連邦軍でのエリートの椅子が約束されるのだ。けれど、男の口調はまるでそれを理解していないようだった。ぼりぼり、と頭を掻いて「こいつさ」と、講師を指す。 「まぁ、最初から軍人になる気はなかったんだけどよ、とにかく確実に喰っ ていけるってんで無理して入ってはみたものの、まるで素質がねぇんだも ん。俺を含め、相談を受けた悪友共の意見満場一致。学院中退してこいつ は教師になる道を選んだ。唯一、人より得意な歴史のな」 で? と男が目を細めた。 「で? お前は将来何になンだよ。お花屋さんか? ケーキ屋さん? それ とも偉い学者先生? 漫画家さんとか消防士ってのも良いよなぁ。あ、 ちなみに俺は昆虫博士になりたくてなぁ。結構素質もあると思ってたんだ けど、ちょっと家の都合が悪くてさぁ」 「あ…あの」 話の主旨がわからない。しかしこのまま黙っていれば、男は際限なく喋り続けそうだった。ゲオルグは仕方なく、「あのッ…」と声を張り上げる。 「あの──今は、そんな」 「……けどな、どんな職業についたって、ちゃんとお仕事出来なかったら 意味ねぇよなぁ。お花屋さんが花束作れなかったら意味ねぇし、ケーキ屋 さんがケーキ焼けなかったら意味がない」 男が立ち上がる。陽光に煌く光のコート。見下ろされて、ゲオルグは慄いた。男が長身だったからではない。その瞳から、全身から発せられる恐ろしいほどの威圧感に。 「軍人に──なる気なんだろうが、お前。無限にある可能性から、お前は こうなることを選んだんだろ。何か作ったり、誰かを喜ばせる商売じゃ ねぇ……人殺しの職業をよ。いつかお前の落とす爆弾が、同じ光景作り出 すかもしれねぇんだぜ? なのにビビりかよ」 「だ、だけど、俺…こんな、こんなこと」 「こんなことになるなんて、なんて言葉、戦場じゃ通用しねぇぞ。そんな トボけたこと言ってる奴から死ぬんだよ。まぁ、これを機にお前が軍人 人生ドロップアウトしてケーキ屋さんにでもなるっていうなら、それも 別に良いんじゃねって感じだけどさ」 ここで立てないのは許せない。そう言って、男は膝をつき、ゲオルグの胸倉を掴み上げた。 「だけどな、お前、ここで命救われたんじゃねぇのかよ。あそこでくたばっ てる、泣き虫で弱虫の先公によ。助けてもらったんじゃねぇのかよ!」 「そ──そ、れは」 そうだ。覇気のない授業をする歴史学の講師。彼が声をかけてくれなければ、ゲオルグは2度目の爆発で死んでいただろう。全身が震える。ぴく、と腿が痙攣した。 「誰かが体張って助けてくれた命でな、立てねぇだの何だのベソかいてん じゃねぇぞ。いーや、かくなとは言わんが後にしろ! さぁ立て、自分でちゃんと 立ってみせろ。お前は──」 男だろうがァ!! 聖堂に反響する、声。砕けた聖母子像。猛々しいバリトン。光のコート。 天井から降り注ぐ──陽光。 「あ……ッ」 足が、動いた。そのまま弾かれるように立ち上がる。今までの緊張状態で筋肉が凝り固まっていたのだろう、痺れるような痛みが走ったが、そんなことはまるで忘れていた。 ただ、波のように力が、勇気が戻ってくる。 「い…行きます……行けます。シェ、シェルターまで…行きます」 友人を背負って、涙が出た。どうして、先程まで自分だけが助かりたいなどと思っていたのだろう。何故死を恐れたりしたのだろう。友人を見捨てて、 1人だけ助かることの方が何倍も恐ろしいことなのに。 「で、でも…せんせぇ……先生は」 幼いゲオルグの体では、講師までもは抱えきれない。ここに置き去りにしなくてはならないのか。またいつ、爆撃が起こるかもしれないこの場所に。 そう思うと苦しくなる。唇を噛み締めるゲオルグを見下ろし、男の眼差しがふっと緩んだ。 「大丈夫だ。何も心配はいらねぇよ。お前は…友達と助かることだけ考えな」 「で、でも……」 「大丈夫。もうここに──戦火はあげさせない」 強く、雲一つ無い蒼穹を睨む。つられてゲオルグも太陽を仰ぐ。きら、と陽光に混じって降りてくる──光。 「澪!! 後続戦闘艦隊が──来る!」 通信機から響いた声。同時に銀色の機体を煌かせて、戦闘機が天井に開いた穴のすぐ傍まで降りてきた。凄まじい爆風と轟音。レイ、と呼ばれた男がコクピットに向かって何事か叫ぶ。まるで聞き取れなかったが、パイロットの男は了解したようだった。キャノピーを開いて彼に向かって手を伸ばす。瓦礫を蹴って、レイが飛ぶ。光の中、轟音と風の中、その姿は本当に荘厳で。 神様のようだ──。本気で、思った。 ☆☆☆ そこまで話して、ゲオルグは自身の言葉に感嘆する。 「思い出しても胸が高鳴るぜ。神ってモンが本当にいるのなら、あの時の あの人はまさしくそういうモンだった。美しくて…勇猛で。音速で飛び立っ た戦闘機を見上げて、俺は自分がさっきまで死にそうだったことも忘れち まったんだぜ。この世界に、どれだけいると思うよ? 他人をそういう 気持ちに出来る偉大な男がよ」 「いるさ、俺のお父さまとか」 ハーロックが当然、といった顔で頷く。俺は、少々信じられない気持ちでゲオルグを見つめた。確かに身内の目から見てもお父さまの容姿は整っている方だと思う。
けれど、日常で見るあの人が神にも等しいというのはまるきり嘘だ。神は新聞を読むフリをして漫画を読んだり、息子の紹介も忘れてウルトラ怪獣の話をしたり、仕事をさぼって虫採りに行ったりするような不真面目な存在ではないだろう。別に敬虔なプロテスタントというわけではないが、あの人と神を同列に並べるのは、それこそ神への冒涜である。 |
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●長くなってしまったので以下次回に(泣笑)。 |
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