Titan Rendezvous・3



☆☆☆


──ジュニア、よくお聞き。


それは、今も銀河のどこかを旅する父の声。


──お前がいつか、宇宙という海で己の力を試したくなったら、
 必ず惑星タイタンへ行くのだよ。


「なぜ?」と、ハーロックは父の膝の上で問う。まだ、物心がついて間もない頃だ。宇宙を自由に駆け回る父が、まだ幼いハーロックの傍にいてくれていた時の記憶。


──それはな、ジュニア。そこでお前はお前の“マイスター”に出会う。
 空の果て、海の果て、宇宙の果てを目指す我らがハーロック一族には、
 絶対に必要な人間だ。わたくしも十歳の頃に出会ったのだよ。
 この、地球でね。


──僕の“マイスター”はタイタンにいるの?


ハーロックは父を見上げる。鳶色の髪と瞳。端正な顔には一筋の傷。
いつの戦いで無くしたのだろう、眼帯で覆われた父の右目を、ハーロックは
見たことがない。
過酷な生き方を望み、幾多の戦いをくぐり抜けてきた父、グレート・ハーロック。
それでも、彼の左目は優しい暖炉の明かりを帯びて、真摯にハーロックを見下ろしている。


──そうだね、お前と共に生きるであろう“マイスター”は、きっと
 タイタンにいるだろう。今頃、わたくしの最上の友が、その身に持った
 全ての知識と技術を教えているだろうね。


──父上の、友は父上の“マイスター”だった?


──…そう。彼はわたくしの最上の友。もう二度と会うことはないだろう
 が、わたくしと友の思い出と青春は、今も友の手がけたデスシャドウ号の  
 中にある。彼はわたくしの“マイスター”。わたくしの夢を創る者。強く、 
 偉大なわたくしの親友。


グレート・ハーロックの手が、そっとハーロックの頭を撫でた。誇り高い戦士である父の目から一滴の涙がこぼれ落ち、ハーロックの頬を濡らした。


──父上、どうして泣くの? 男は、泣かないのでしょう?


ハーロックは手を差し伸べる。父は、まるで小さな少年に戻ってしまったかの
ようだった。声もなく、ただただハーロックの指先を涙で濡らす。


──父上? 父上? どこか、痛いのですか?


──あぁ、そうだね。ただ肉体の痛みなら、わたくしは涙を流しはしないの 
 だよ、ジュニア。男は──男なら、体に負った痛みに涙を流してはいけな
 い。


──けれど、心の痛みなら。グレート・ハーロックは儚げに目を伏せる。


──ジュニア、心の痛みに鈍感になってはいけない。男が友のために泣けな
 くなってしまってはいけない。二度とこの時空で出会うことのない友を
 想って泣くことは、恥ずかしいことでもなんでもないのだ。


──だけど、父上。涙を流すくらいなら、会いに行けば良いと思います。
 男なら、泣くよりも赴かなくては。母上は、いつもそう言いますよ。


涙を流す父の姿を見たくなくて、ハーロックは膝から、ひょい、と飛び降りた。
外は雪。買い物に出た母はまだ戻らない。


──母上は、父上を立派な戦士だと言いました。だから、父上は友達に
 会いに行くべきです。友達なら、きっと会いたいと待っているでしょう?


──そうだな、ジュニア。これを理解するには、お前はまだ幼過ぎる。
 友だからこそ、会えないのだ。自らの艦を、自らの意思で降りた者の
 気持ちを思えば、わたくしは彼に会うことは出来ない。彼も、
 わたくしに訪ねられることを望みはしないだろう。


静かに、厳かに断言する父。ハーロックは、訳が分からず首を傾げた。そして、幼馴染みのヤッタランのことを思い出す。一つ年下の友人と、ハーロックは毎日のように遊び、ヤッタランもまた、ハーロックに誘われるのを心待ちにしてくれている。
そのように告げると、「今はそれで良いのだよ」と、太陽系最強の海賊は父の表情をして笑った。


──今はそれで良いのだ。未熟な子供が、そのような気持ちを理解する
 ことの方がよくない。さぁ、もうわたくしは行かなくては。


──父上。今度はいつ、地球に戻って来るのですか?


シルバーベルベットのマントを羽織り、立ち上がる父の背にハーロックは問い
かける。グレート・ハーロックは緩々と首を横に振った。


──わたくしが次に地球に降り立つときは、多分、わたくしの最期になる
 だろう。そしてジュニア、次にお前とわたくしが出会うのは、どこか
 地球を離れた星。お前が宇宙に出てさえこれば、わたくしは駆けつける
 だろう。たとえ、銀河の果てからでも。何があっても、必ず。



☆☆☆


約束をして、去った父。それから本当に戻って来なかった彼は、今頃母からハーロックが地球を出たという連絡を受けているだろうか。父と、その親友で造り上げたというデスシャドウ号は、今、どこを飛んでいるのだろう。

追いつくのだ。必ず。次に会うときには、きっと一人前の男として。


★★★


「──俺の親父は、五年前に死んだよ。だから、“マイスター”の称号は
 俺が引き継いだ。と、いってもほんの五年前のことだけど」


大山敏郎、通俗名トチローと名乗った少年は、そう言って帽子を脱いだ。
大きな眼鏡、どことなく小動物を思わせる丸い顔。眼鏡の度が合っていないのだろうか、鼻の頭や頬に、ぶつけたような青痣が出来ている。
お世辞にも美少年とは言えないが、顔を背けたくなるほど醜くもない。小学校
低学年のときにクラスで飼っていたタヌキのポンポコリン(名前)に似ている。
ハーロックはまじまじとトチローの顔を眺めた。

既に太陽は中天を過ぎ、黄色だった砂は、淡くオレンジ色に発光し始めている。


「はぁ、そやけど、“マイスター”ちうたら技師の称号の中でも最高位やで。
 そう簡単に引き継げるもんかいな。世襲制やないんやで」


ヤッタランが、ローテーブルに肘をつく。ハーロックよりも一時間遅れで目覚めた彼は、既に鍋一杯のミソ汁を腹に収めていた。それでも、まだ足りぬ、とトチローからカロリースティックを貰って食べているあたり、やはり普通のブタ型ではない。


「確かに世襲じゃないけど、大山家に関してだけは“マイスター”の称号
 がイコール嫡男の資格なんだよ。大山を名乗る男なら、絶対に“マイスター”
 にならなくちゃいけない。親父は早くに死んでしまったから、俺の知識は
 大部分が自前の自己流なんだけどさ」


トチローがぽりぽりと頭を掻いた。首筋や頬に向かって流れる薄栗色の髪は、
もう随分洗ったような形跡がない。よく見れば、頬の絆創膏も、テーブルに
置かれた左手に巻いてある包帯も、もう何日もそのまま放置してあるようだった。


「なぁ、包帯替えれば? 怪我したんだろ。不潔じゃないか?」


ハーロックは、ひょい、と彼のマントをつまみ上げる。
「良いよ。構うなよ」と、トチローは素早く身を引いた。


「砂漠で生活してるとな、キリがねぇの。こういう細かい傷気にしてちゃ」


「細かいかなぁ。結構酷くないか。特にその腕とか。血とかこびりついて
 るぞ? なぁ、ヤッタラン、応急処置のキット出してくれよ。確か持って
 来てるだろ」


トチローの手首を捕まえて、ハーロックはヤッタランに問いかける。
「うん」とヤッタランが腰のベルトに常備しているキットを取り出した。


「旅するときには必須やで。ほな、わいが取り替えたろか。ジュニアが
 しょっちゅう喧嘩しよるから、わいはこういうの得意やねんで」


鼻歌混じりに包帯を手に取るヤッタラン。「いらん!」とトチローが声を荒げ、
ハーロックの手を振り解いた。


「こんな話をするために、わざわざ来たわけじゃないだろ。
 さっさと本題に入ろうぜ。名前と目的。この二つを手短に提示しろ。
 俺が“マイスター”として求める情報はそれだけだ」


「なんやねん。愛想のない。命助けてもろといてなんやけど、アンタ、もう
 少し優しい対応出来へんのかい。包帯替えたるって言うてんねやろが」


そっぽを向くトチローに、ヤッタランは、ぶぅぶぅ、と机を叩く。トチローは
更に不愉快そうに表情を歪めた。


「頼んでねぇだろ。別に。そういうの余計なお世話っていうんだ。
 俺は今すぐお前らを叩き出すことだって出来るんだぜ。そうしない
 だけありがたいと思えよ」


「あーそうでっか! そんな偉そうな態度取れるのも今の内だけやで。
 何せ、このジュニアはかの有名なハー──」


「あっ、コラコラ。やめろヤッタラン」


ハーロックは慌ててヤッタランの口を塞ぐ。『ハーロック』の名前を現在引き継いでいるのは父、グレート・ハーロックなのだ。父親の威を借りて事を為すなど、全くハーロックの望みではない。
ヤッタランを黙らせ、ハーロックは恐る恐る同い年の“マイスター”の表情を窺う。トチローは、凝っとハーロックを見つめ、「は?」と首を傾げていた。


「は、から始まる有名な一族なのかい? あんた。まさか、あのハーロッ」


「わ、我が名はハリソン・フォード! かの有名なハリウッドスターと同性
 同名なのだ! 凄いだろ!!」


思わず立ち上がり、胸を張る。暫し、薄暗い部屋に沈黙が流れた。
ハリソン・フォード。千年近く前の人物である。そもそも、ハリウッド・スターなどという言葉が死語だ。映画を作る時代など、もうとうに終わってしまっている。
ハーロックの背中に、嫌な汗がにじんだ。


「──…ふぅん。それじゃあハリソンさん、次の質問なんだけど」


きっかり三分黙ったあとで、トチローが口を開く。
取り敢えずは信用してもらえたということだろうか。“マイスター”に、
しかも命の恩人に偽名を名乗ってしまったという罪悪感が、ちくちくとハーロックの胸を刺す。


「は、ハリソンさん、なんて。同じ歳なんだから、呼び捨てでも、俺は……」


「俺は構うのさ。ハリソンさん! “マイスター”っていうのは一応職業
 なんでね。公私の区別をつけられない職人の仕事は最低と見なされるもの。
 俺はそんな中途半端なことはごめんでね」


机に肘をつき、トチローは、に、と笑った。成程、とハーロックは心中で頷く。


「了解したよ。君の心意気が一流なのだということはね。だけど、俺は俺の
 目的を容易く人に洩らしてしまうわけにはいかない。男だからね。それは、
 君にも理解してもらえると思うけど」


「勿論、夢や目的は他人に言ってみても始まらない。男なら、自分の胸に
 秘めておくものだ。気高く、崇高な意志なら、なおさらにね。だけど、
 今は沈黙するべきところじゃない。そうだろ?」


「無論……そうなんだけど」


ハーロックは、つ、と視線を下げる。黒ずんだ薄い床板。古びた宇宙船に住んでいたのは、死神でも父の親友でもない少年。
“マイスター”の称号は、自ら名乗るものでも、試験を受けて得るものでもないことを、ハーロックは知っていた。ただ、その創造物をみた人々が、
誰ともなしにそう呼ぶのだ。

“マイスター”。

それは、造り出す者。
或いは、創り出す者。
類い希なる知識と技術を受け継ぐ者。と。

ハーロックは意を決してトチローを見据える。


「俺は、俺の夢に命と生涯を懸けて生きると決めた。頭上に俺だけの旗を
 掲げて、俺の自由に生きると決めた。目的のために、振り返りはしないと
 決めたんだ。俺の夢は俺の心の中で一番大事な部分! 最も重要なこと!
 君は──それを訊くに足る人物なのだろうか」


「証拠を示せと? つまりはそういうことかね、ハリソンさん」


特に機嫌を損ねた様子もなく、トチローが目を細める。ハーロックは唇を
固く引き結んで頷いた。


「……能力が、年齢に比例するとは思わない。そんなことは年功上列の
 幻想を抱いていたい老人の戯言だ。俺は自分の力でここまで来た。
 誰の力も借りずに。大人達でさえ恐れる道を来たんだ。だから──」


「俺は俺の、力を示せというわけだね。通常、技師が自ら“マイスター”を
 名乗ることはないと、そう知っての問いだね? ハリソンさん」


「そうだ。器量の狭い奴だと思われるかもしれないけど、俺は俺の夢の
 ため、時に嘲笑を受けることを恐れはしないよ」


「………」


お互いの視線が正面から絡んだ。時計の無い空間に、ハーロックの腕時計だけがやけにはっきりと秒針を刻む。


「それではジュリエット、わたくしは何をもって貴女への愛の証と
 致しましょうか。貴女が誓えというのなら、わたくしは天に輝くあの
 銀色の月にでも」


不意に、掠れたボーイソプラノで、トチローが詠う。
「シェイクスピアかいな」と、ヤッタランが目を丸くした。「そうだよ、ブタ型」とトチローが立ち上がる。


「本当に大切なことというのは、証をもって示されるではなく、己の目と
 耳と心で見据えるべき事だ。真実は、天にも月にもありはしないからな! 
 けれど、運命の愛でさえ誓いと証が必要だというのなら、お前さんらが
 俺に証を求めるのは至極当然なこと」


「何が言いたい?」


ハーロックは部屋の隅に移動するトチローの背中を目で追いながら問いかけた。どうにも、この男の言うことは、いちいち回りくどい気がする。


「命の恩人の能力を疑うことに軽蔑でも感じるのか?」


「違うよ。お前さんらが正しいって言ったのさ。夢を語るにも訊くにも資格
 が必要。俺の親父の言っていたことがようやく理解できたよ」


トチローはごそごそと散らかった本の山を漁り、やがて鈍く金色に光る金貨のようなものを持ってきた。


「俺の親父は厳しい人でね。とっとと死んじまうにあたって、俺に一つの
 課題を出した。“マイスター”を名乗るには、それに相応しい知識と証を
 得ろと。その課題というのは──」


ちりん、と机に投げ出される一枚のメダル。17、というやけに中途半端な数字が書き込んである以外は、どこかの国の貨幣に見える。
ハーロックはそっと手を出して、メダルをつまんでみた。特に変わった金属でもない、純金製のそれは、ハーロックの手に心地良い冷たさを伝えてくる。


「……“エルダ”の紋章や……!」


ややあって、ヤッタランが呟いた。
エルダ。北欧神話に出てくる叡智の女神の名だ。それくらいなら歴史や神話の授業が苦手だったハーロックにもわかる。
だが、一体それが何だというのか。首を捻るハーロックの傍らで、
「信じられへん」とヤッタランが汗を拭った。


「これ、ホンモノかいな。ホンモノの、“エルダ”?」


「そうだよ。五年前のヴァルハラ試験で取った。“エルダ”のナンバーを得る
 ことが、親父が俺に課した唯一絶対の条件だったから」


何でもないことのように、トチローが嘯く。ヤッタランが「そうか!」と身を
乗り出した。


「思い出したで! 大山敏郎、どっかで聞いた名前やと思ったわ。
 僅か八歳で“エルダ”のナンバーズになった天才児!! 地球でもちょこっと 
 ニュースになったで。アンタが、あの……」


「そう。この大山敏郎は17番目の“エルダ”! “マイスター”を名乗る
 証明に、これほどれっきとした証はない!」


自らの胸を指し、トチローがきっぱりと言い切った。


「──くっ、ジュニア! これはトンデもないことやで!!」


緊迫した表情で、ヤッタランがハーロックを見返る。が、二人のやりとりを
聞いていても、ハーロックの頭から疑問符が消えない。


「……で? このメダルは何だよ。ゲーセンのコインか?」


聞かぬは一生の恥、と意を決して尋ねてみる。
びく、とその場の空気が凍った。


「そこまでアホなんか、おンどれはぁぁぁぁぁぁっ!!!」


間髪入れずに飛んでくるヤッタランの拳。ごすぅ、とハーロックは自分の頬に
拳がめり込む音を聞いた。


「い──たくはないけど、いきなり何だよ! 親父にもぶたれたことない
 のに!!」


「ジャンルを混乱さすなアホ! アホやアホやと思うとったけど、
 ホンマモンのアホじゃオノレは! まさしく馬鹿の十倍じゃ!」


「び、微妙に訛り方間違ってるぞ。ヤッタラン」


「関係ないワイ」


びし、と厳しいチョップを額にくれ、ヤッタランが頬を膨らませて腕を組む。


「なぁヤッタラン、だから“エルダ”ってなんなんだよ。授業でやったか? 
 それ」


ハーロックは殴られた頬をさすりながら、ヤッタランの顔を覗き込む。
トチローはまだ固まっていた。ハーロックの反応が、余程、予想の範囲外
だったらしい。 


「ほれ見ぃ。“マイスター”が固まってしもたやないか。超知的エリートには
 ジュニアみたいなアホは毒やねんで」


心底気の毒そうにヤッタランが肩を落とす。心外だ、とハーロックは背筋を
伸ばした。


「毒って……そこまで言いますかヤッタラン。大体、知的エリートだなんて
 いけ好かない言い方しやがって。ヤッタラン、こいつと知り合いなのかよ」


「知り合いっちうか、ヴァルハラ試験受けた人間なら誰でも知っとるわい。
 ジュニア、もう少し勉強すれば、わいと同じ飛び級クラスに入れたのに」


ヤッタランはハーロックが通っていた学校の天才児だった。二年も飛び級し、
既に、あちこちの企業や大学からスカウトがきている。ハーロックはむくれて
そっぽを向いた。



「俺、勉強嫌いだ。銃やサーベルの方が良い」


「そないなこと言うとるから、世間の情報に疎いねん。ええか、“エルダ”
 っちうのはな──」


ハーロックの鼻先に人差し指を押し付けて、ヤッタランが語り出した。
















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