Ghost in the Ship・6
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☆☆☆ 夢を、見ていた──。 もうこの世にはいない父の夢だ。過去の出来事だ。 僕は、それを回想するかのように夢に見る。 正、見てごらん。これが精神センサーのプロトタイプだ。もう少しで 完成だよ。 父が僕を差し招く。幼い僕は背伸びをして、実験台を覗き込む。 銀色の台の上には、小さなブラックボックス。電極とアンテナが数本、 箱のあちこちに刺さっている。 人の心を読む機械だ。正も知っているだろう。人の思考の全ては脳内の シナプスが巻き起こす微妙な電気信号から成るものだと。これは、それを 人工的に行う機械だ。人の思考信号は個人によって異なるが、電極に触れた人間なら、それをこのアンテナが読みとって、中の機械で電気信号化する。電極を摘んでみたいかな? 正。 嫌だよ。だって、怖いもの。 僕は、じり、と後ずさる。心が読めてしまう機械なんて、前にした悪戯なんかが途端にバレてしまうではないかと、幼い僕は恐れている。 こんなの役に立たないよ。人の心なんて読めても──良いことないもの。 そうだな。良いことはとても少ない。 父が笑う。僕の思い出の、そのままに。 けれど──この理論はとても役に立つのだよ。例えば、これを使えば、 人の思考電気信号のパターンを記憶して保存しておける。保存しておけば、 いつかその人が死んでしまってもまた会えるのだよ。正。 本当? お母さんにも会えるかな? 僕は期待する。ほんの数週間前に海王星の衛星『トリトン』で事故死した お母さん。僕は、興奮で頬を赤くする。 お母さんにまた会える? お母さん、また僕にお弁当を作ってくれる? 僕の話を──聞いてくれる? それは、とても難しいだろうな。母さんの思考パターンは保存出来なかったし……お弁当を作れるような身体を持たせるには、この装置は大き過ぎるんだよ。話を聞くくらいなら出来るだろうが。 父がそっと装置を撫でる。どこか、希望に満ちている。僕は「嫌だ!」と 大きく叫んで。 嫌だ! こんな機械のままじゃお母さんじゃないよ。お母さんは優しくて ……温かくて!! こんなの嘘だ。ニセモノだよ!! ニセモノじゃない。正、人の心は電気信号の色々なパターンで出来ている。 科学で解明出来るんだ。だから、この装置がもう少し進化すれば科学的に 人の記憶を──心を作れる。 嘘だ! お母さんは作り物じゃない。作り物のお母さんはニセモノだよ。 お父さんの馬鹿!! 馬鹿ぁ──!! 僕は泣いた。12歳の誕生日を迎えたばかりの僕には、父の孤独が、喪失感の大きさがわからずに泣いた。本当に大好きだった母のニセモノを作って、それを身代わりにしようとする父のやり方が気に入らなくて──年甲斐もなく大泣きした。 父は、それきり人の心に関する研究を止めた。 僕は、暫く父と口をきかなかった。 ★★★ 「……は」 目を覚ますと、メディカルルームの天井が見えた。白い天井。 固い医療用ベッドの感触。視線を落とせば、リノリウムの清潔な床。 僕は、ゆっくりと身体を起こした。 「僕は──一体?」 確か主砲の改造ポッドが爆発して。僕は手足を動かしてみる。打ち身以上の痛みがない。爆発の中心にいたというのに──これは。 「よぉ、目が覚めたか?」 張りのあるバリトン。視線を上げると隣のベッドに見知らぬ長身の男が座っていた。ベッドの縁から床まで引きずるような長い黒髪。小さな顔にかかる髪を、どうにかこうにか頭上で結い上げている。切れ長の眼と、細くて高い鼻梁。薄い唇は、悪戯っぽい笑みの形に歪んでいる。 僕は暫く彼を観察した。やや無精髭が濃い気もするが、一言で言ってしまうなら、物凄く──ハンサムな人だ。 怪我をしているのか、額と上半身には包帯。きっとあの爆発に巻き込まれたのだ。まだ僕の知らない乗組員がいたのかと、僕は視線を巡らせて機関長を捜す。 「……あの、機関長はご無事でしょうか」 ざっと見たところ、メディカル・ルームにいるのは僕と彼だけだ。自己紹介から始めるべきかと考えつつも、僕は目の前の男に声をかけた。 「ご無事って……」 男が不思議そうに自身を指す。切れ長の眼の中で、小さな漆黒の瞳が不思議そうに僕を映した。 「ご無事だろ。見てわかんねーのかよ、台場」 「………??」 見てわからないものはわからない。いくら僕が新入りだからとて、見知らぬ乗組員にからかわれる謂われはない。僕は少々むっとして男を見返す。 「僕は確かに新入りですが、初対面のクルーにからかわれる謂われはありま せん。それとも、僕の質問が礼を欠いていましたか?」 「初対面?」 男は本当に不思議そうに身を乗り出してくる。白磁のような質感の肌が、ニホン人形のような顔が目前に迫ってくる。男は「大丈夫か?」と僕の額を一撫でしたあと、「あぁ」と元のようにベッドに座って手を打った。 「こっちのせいか。頭打ったからなぁ。回復にまで時間がかかるか」 「何を言っているんです。貴方こそ、頭を打っておられるなら、ドクターに きちんと診て頂いた方が」 「俺だよ、俺。貴方なんて水臭ぇなぁ。台場の尊敬してやまないダンディー でプリティーな機関長、魔地・アングレットだよ。俺は」 に、と形の良い唇を惜しげもなく左右に引き上げる。「はぁ?」と僕は跳ね起きて、枕元に設置してあるチェストの上から、咄嗟に注射器を握り締める。 「何を言ってるんだ! 新入りをからかうつもりならいい加減に」 「ち、違う違う。ちゃんと声聞けっつーの! 蛍は一声で気付いたぜ。 全く、おめぇは頭が良いのに勘が鈍いったら」 「──…?」 注射器を彼に向けながら、僕は注意して声に耳を傾ける。この声質、このイントネーション──これは。 「機関長──?」 「そうだよ。ようやく気付いたかこの間抜け」 姿形ごときで惑わされるとは未熟な奴。芋虫が蝶に羽化したかのような変化を見せつけておいて、機関長は悠々と長い腕を組む。 僕は改めて彼の全身を眺めた。良く出来たマネキンのような等身と純粋な東洋系の趣を備えた美貌。あえて機関長とリンクさせる箇所があるとすれば、無精髭と混じりけの無い黒髪くらいか。 「本当に機関長なんですか?」 「しつこい。まぁ、あと15分もすりゃあいつもの俺の姿になるさ。 何せ不安定な能力でな。頭を打ったり体調が悪いとどうにもこうにも」 「能力?」 「うん。昔、ちょっとな」 語尾を曖昧にして額の包帯を掻く。彼の仕草を見て僕はようやく意識を失う前のことを思い出した。爆発が起こるより一瞬速く、機関長が僕を庇ってくれたのだ。 「あぁ、機関長。あの、僕を助けて下さったんですよね。それで、その怪我」 「うん? 大したことないぞこの程度。それに、目下のモンを護ってやるの が目上のモンの仕事だろーが。礼を言われるほどでもねぇよ」 「はい──」 ぽんぽんと頭を撫でられて、僕はいささかこそばゆいような気持ちになる。こういうことを当たり前のように言うのが、この艦の男達なのだ。 僕はもぞもぞと身支度を整えて立ち上がる。無傷なのにいつまでもベッドに寝っ転がっているのは格好悪い。 「それじゃあ僕、キャプテンに謝ってきます。迷惑をかけてしまって」 「あいよ。どうせアイツも気にしちゃいねぇさ」 機関長がひらひらと手を振った。その拍子に、上半身の包帯がたわむ。結び目がきちんとしていなかったらしい。僕は慌てて彼の傍に駆け寄った。 「機関長、包帯が。ドクターゼロがまた酔っぱらって治療を」 「あー良い良い。自分で直すよ」 「何を言ってるんですか。その姿じゃ髪の毛が多過ぎて1人では無理でしょ うに」 機関長に後ろを向かせ、長く豊かな黒髪を掻き分けて、包帯の解けた箇所を 探し出す。機関長は「あーぁ」と何事かをボヤきつつも、僕のするように任せていた。僕は床まで引きずる髪を纏めて、彼の背中が見えるように前方に流す。 「──…?」 ふと、指先に触れた妙な違和感。 「何ですか、コレ」 探り出してみると、それは極々小さな銀色の球だった。髪を結い上げている大きなバレットから、直接数十本かぶら下がっているようである。「ふん」と機関長が溜息をついた。 「やっぱり見つけちまったか。指先の感覚が敏感なのは技術者か医者向き だぜ台場」 「はぁ。でもコレ、飾りじゃないですよね。わざわざこんな風に隠すように して」 「──尖糸球だよ。さっきもこれでシールドを作ったから、俺もお前も軽傷 で済んだ。本当は2人とも無傷で生還のはずだったんだけどな。暫く使っ ていなかったから、ざまぁねぇや」 「尖糸球──…?」 聞いたことがある、ような。急には思い出せなくて、僕は暫く黙々と包帯を巻き直すことに専念した。 結び目をきっちりと固く縛って。僕の頭にぼんやりと記憶が甦ってくる。 「機関長」 「はいはい。質問かね台場くん」 「大変不躾な質問で恐縮ですが」 「確かに俺は良い男だが、女はいねぇぞ。募集もしてねぇ。蛍のことなら 心配すんな」 「いえ、そういうことではなく」 それも一瞬は頭を掠めたが。僕は彼の髪をすっかり元のように流して、細くしなやかなそれを一筋掴む。 「僕の父の友人で、星々の歴史や文化を研究するのが専門の博士がいまして ──クスコ博士というのですが、その人は僕によく自分が若かった頃に フィールドワークした星々の話をお伽話のように話してくれたんです。 地球は勿論、今は万年雪の底に沈んでしまった惑星ラーメタルの2人の王 女様の話や、百万もの“死者”が眠る冥王星の番人の話。機関長の故郷で もある惑星『女神の子宮』のお話も」 「──…うん」 機関長が俯く。彼は、既に僕が何を言わんかとしているかを悟っているようだった。ひょっとしたら、尋いてはいけないことだったのかもしれない。 けれど、僕は一度口に出してしまったことを引っ込められるほど器用ではない。 「確か、『女神の子宮』には2つの精鋭部隊がありましたね。一つは宇宙 最強と名高い空間機動隊『ナイツ・オブ・グローリィ』。そして──もう 一つ」 機関長は無言のままだ。僕は、こくりと喉を鳴らしてその言葉を言った。 「もう一つは、主に地上戦や諜報戦を得意とする『ナイツ・オブ・アンデッ ト』。文字通り栄光を意味し、侵略者にすら礼を重んじる空間起動隊とは 裏腹に、地上戦においては敵方の殲滅を、諜報戦においては、時に要人 の暗殺や身内での裏切り者や脱走者の“始末”まで。惑星『女神の子宮』 において至高の存在たる女神“エルダ”を守るためになら、死すら厭わな い、けれど任務の成功率は常に100%を保証する不死身の騎士団。機関長 は──ご存知なのでしょう?」 「……まぁな」 「ひょっとして、キャプテンもご存知なのですか。銀色の糸を自在に繰り、 代々、『ナイツ・オブ・アンデット』の騎士団長を務める家の名前を。 秩序・倫理・正義・命、それら全てを犠牲にしても“エルダ”に忠誠を誓 う証、全てを否定する“UN”を名前に含む者。それが」 不死身の騎士団団長──Machi・Unglet。僕の呼吸が震えてくる。僕の、僕が触れているこの人は、宇宙でも屈指の強さを持つ戦士だなんて。 機関長が小さな溜息をついた。 「尖糸術はアングレットの家が持つナイト・スキルさ。もう少し、気をつけ ておくべきだったな。別に隠しちゃおらんことだが、思春期の少年には 刺激が強すぎる」 「別に教えて欲しいなんて言いませんよ。尖糸術は大層難しい術だと聞き及 んでいますから。でも、その騎士団長が何故こんなところにいるんです? 海賊稼業が悪いとは今更言いませんが本当に機関長が『ナイツ・オブ・ア ンデット』の騎士団長なら、何も海賊にならなくたって生きていく方法は 幾らでもあるでしょうに」 「そう幾らもはねぇよ」 機関長が髪を掻き上げる。細く艶やかな黒髪が、さらりと白いシーツの上に幾何学的な模様を描いた。 「何せ俺は故郷を裏切った背徳の騎士だ。イボウル星系の要、『女神の子宮』 の中枢を壊滅に追いやった。俺にはもう帰る場所なんてどこにもねぇ。本 当は、もうどこで野垂れ死んでも良かったんだけどな」 世の中上手くはいかねぇモンだ、と笑ってみせる。僕は「何故」と機関長の正面に回る。いかに暗部とはいえ『女神の子宮』において騎士の称号は最高位なのだ。しかもこの世にたった20名しか存在しない生命体の守護者という立場にありながら。金銭的にも、名誉的にも何一つ、不自由は無かったはずなのに。 「何故、騎士であるはずのあなたが故郷を、“エルダ”を裏切るような ことを」 「嫌な話になるぜ。それに、長くなる」 機関長の表情が初めて曇った。僕は、ぎゅっとシーツを握る。 「……あなたの仕えていた“女神”は…お亡くなりに?」 「あぁ。でも墓は無いんだ。俺が何もかも灰にしてしまったから」 「灰に?」 「そう。何もかも灰に。だから、俺が彼女に花を捧げようと思うとき、一体 どこに花を添えて良いのかもわからない。何もかも、灰に帰ってしまった 大地には、きっとまた新しい街が出来て、彼女が眠る痕跡を跡形もなくし てしまったから。誰も彼も彼女を忘れて、あの星はもう俺の帰る故郷じゃ なくなった」 機関長がきゅと膝を抱えた。僕はその傍らに座り、彼の頬にかかる長い髪と端正な横顔を眺める。 「もう、二度とかえらない」 「──…」 ふと、落ちた沈黙。 「機関長は……会いたいですか」 僕は機関長と同じように膝を抱えて、彼の顔を覗き込む。 「……誰に?」 「もう、かえらない人に」 「誰にも覆せないんじゃなかったのか?」 「さっきも言ったでしょう。人と、A.I.の間にさしたる差異なんかもう無いと」 「自立思考するA.I.か」 「死は何者にも覆せないと知りながら、甦ってしまった“ゴースト”です。 昔、僕の父はトリトンの事故で亡くなった母を“再現”しようとしました。 僕は、それを“ニセモノ”と呼んだ。だけど……もうどちらが本当なのか 判りません。プログラムと、人の心と。誰かに造られた、0と1の塊で あるとわかっていて、それが真実じゃないとわかっていて。それでも── 会いたいですか?」 「──…真実なんて、本当のことなんてそれこそ、主観に過ぎねぇよ。人が、 戦う理由にも似てる。復讐でも、信念でも、正義でも、悪でも、誰かの ためにと銘うっても。本当のことなんかそいつの心の中にしかない。本当 のことなんざぁ、言葉にすれば、他人に伝えようとすれば、そこで途切れ て、間違っていく。それなら、死者に会いたい願いもまた、そいつの心の 中だけのもの。懐かしい誰かが、想い出と変わらない顔で微笑んでくれる なら」 そうして、機関長がゆるりと顔を上げた。薄い唇には、見たことのない微笑。 混じりけの無い黒い瞳が、淡い希望に満ちている。 「信じ…ますか」 「多分、疑わない」 夢を見ているような声音で言うのだ。僕は、どこか、突き放されたような、 置いていかれたような気持ちになって立ち上がる。 ──わからないのは、幼さゆえか。それとも、そうまで深く誰かを愛する心は一部の特別な人間にしかわかりえないものなのか。 「キャプテンのところに、行って来ます。僕の、未熟さが原因ですから」 「おう。気にするなって言っただろ。アルカディア号は偉大な艦だ。お前が ちょっとやそっといじったくらいじゃどうってことにもならないって」 「──底意地が悪いですよね、その言い方」 僕はじっとりと機関長を睨む。どういう仕組みだか知らないが、長身ハンサムに化けた機関長は「ひひひ」と肩を揺らしていつも通りに笑った。 ★★★ 「あーぁ、柄にもなく説教しちまったよ。つかー親父だなぁ。老けたなぁ」 正が去ったあと、魔地は1人メディカル・ルームの天井を仰いで頭を掻いた。 シーツの上に倒れ込むと、長い髪が宙に舞う。9番目の“エルダ”、シーラ・ナゼグター。彼女の髪の色に良く似た黒髪が嬉しくて、長く、爪先に至るまで伸ばした髪。 たった1人の女に焦がれて。まだ、諦めも忘れもせずに。 「未練がましいよなぁ。腐ってるなぁ。生きてても腐ってンだぜ。死んでる お前が懸命に活動してるっていうのにな。どうだよ敏郎」 天井の一画に視界を据え、招くように手を伸ばすと、ふうわりと天井が落ちてきた。否、正確には天井ではなく天井から溶け出てきた大山敏郎のホログラム。 白い狩衣。真紅の小面。 ──気付いてたのか。 鼻先まで降りてきた、アルカディア号の守護天使。0と1に形造られた、けれど、紛れも無く彼の意志と彼の姿を持ったモノ。 「そりゃあな。この艦にはどこにもお前の気配で溢れている。ちょっとでも 勘の良い奴なら気付くぜ、多分」 ヤッタランは誤魔化せたのにな。 真紅の小面は“彼”の迷いか。魔地は敏郎を追い払うように腕を振って起き上がる。 「悪ぃ、訂正。そこそこの戦闘訓練を受けた奴ならってことだ。この艦じゃ 俺以外に気付く奴なんかいねぇよ。ハーロックだって、お前の“心”は感 じ取れても動いて回ってるなんて知らねぇぜ」 更に訂正してもらうぜ。この艦で“俺”の存在に気付いてた奴がお前1人と 言うのなら、それはそこそこの戦闘訓練じゃない。宇宙でも五指に入る実力の持ち主しか気付かないということと同義。元・『ナイト・オブ・アンデット』の騎士団長、魔地・アングレット。 得意げにくるりと宙で回転し、揶揄するように向かいのベッドに腰掛ける敏郎。 魔地は「うるせぇよ」と頬にかかる髪を払い除けた。 「そんな屁理屈より──正に変な入れ知恵したのはお前だな? 自立思考 するA.I.だの死がどうの。そんなに不安かよ。ハーロックの反応が」 真に優れたA.I.と人の心にさしたる差異など何も無い。台場正は優れた少年だ。俺が入れ知恵するまでもなく知っていたさ。その程度のこと。だから、尋いてみたかった。今、ここに存在する“俺”は、一体“誰”なのか。 面を一撫でし、映像が俯く。一点の染みも無い狩衣は、シーツの白に溶けて 今にも消え入ってしまいそうだ。眼球を通して伝わる映像。けれど、それは 彼の真実の姿ではない。大中枢コンピュータから生まれ、プログラムとして 発生した彼には実像など無いのだ。あるのは、ただの0と1である。この目に見えている映像も、艦内の要所に仕掛けられた小型投影装置から成る3次元映像に過ぎない。 魔地は凝っと“敏郎”を見つめた。 「そもそも人間の認識なんざぁ甘いモンだ。人間はコンピュータと違って 並列化出来ないからな。あくまで世界は主観で構成されることになる。俺 のあの小さな姿も──結局、そういう人間の五感の隙をついて見せている ようなモンだ。己のイメージする姿を他人の脳の中に投影させる。今風に 言うなら“ゴースト・ハック”か? あたかもコンピュータ・カメラの目 をハッキングして映像や時間を誤魔化すように、俺は他者の中の自分を欺 ける。今のお前とどう違う? お前がニセモノだというのなら、俺だって ニセモノだ。生身の身体、赤い血を持っていたって、このアルカディア号 に乗っていたって、俺の心は前進する意欲すらない。それなら、たとえ機 械仕掛けでも生きようとする“お前”の方がずっと人間らしいンじゃねぇ か?」 だが、いくらお前が他者を欺こうと、ハーロックだけは騙せない。アイツの眼は真実を見抜く。ハーロックの五感に隙はない。魔地、お前の言うとおりだ。“俺”は恐れている。ハーロックの、かつては親友だった男の眼を。生身であれば、何ら恐れることなく見返せた──あの眼差しを。 真紅の面は、迷いの印か。小さな拳をぎゅっと握る敏郎に魔地は「知らねぇ」と、そっぽを向いて見せた。 「あんま考えるの得意じゃねーんだわ。そもそも俺、生きてるのだって面倒 だし? わけわかんねぇしがらみが嫌だからこの艦に乗ってんだし。やめ だ、やめ。お前も尋く相手間違ってんだよ。俺の生き様知ってンだろ? 『女 神の子宮』で暗部やってて、惚れた女1人のために故郷を壊滅にまで追い やった駄目騎士だ。40年近く生きてきてまともにやったことなんざぁ人殺 しだけ。血に飢えたケダモノ以下なんだよ。そんな俺に命だの生身だのの 話をしても無駄。こういうのを馬の耳に念仏ってンだ」 魔地。 「お前もこんなところでビビッてねぇで行けっての。優れたA.I.と人間様に さしたる差が無いって言うならよ、胸張ってハーロックにそう言ってやれ。 ったく、小理屈ばかりで可愛げがねぇよな、頭の良い奴らは」 ──…そうか。 ふわ、と敏郎が立ち上がる。それを合図に魔地は彼に背を向ける方向でベッドに横たわった。 可愛げがなくてすまないな、魔地。けれど、一つだけ。 「……なんだよ」 お前は──疑わないんだな。 「うるせー」 魔地。 「だーから、とっとと行けっての! 俺に信じてもらったってしようがねぇ だろ!!」 手近にあったクッションを掴んで投げる。ぼすん、とそれがドアに衝突する前に、敏郎の姿は掻き消えていた。 「──ったく、疑うも疑わねぇも見えてンだからしようがねぇだろが」 科学で合成された優しい“ゴースト”。人がいかにこの眼に見えるものだけに頼るのか、知っている魔地だからこそ“敏郎”の存在は疑えない。たとえそれが0と1で出来ていようとも、本当に“魂”とやらが宿っている“幽霊”だったのだとしても。 ──この世で会えるだけマシじゃねぇか。 再び天井を仰ぎ、長い前髪を掻き上げて。魔地は深い溜息をついた。 |
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●あと一回で終るって言ったの誰だっけ……(私だ)。 すみません。あと一回。あと一回だけおつき合い下さいませm(_;)m。 |
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