Ghost in the Ship・7



こんなにも、遠くに感じたのは初めてだった。



★★★

ハーロックは、長い廊下を走っていた。


いつも行きなれた道。白い照明が点いているのは、ライトと同じ位置に同じ数だけ付けられたセンサーが、廊下に寝転ぶ船員達を捉えているからだ。“夜”の時間や無人の時には暗く、静かに、人の体温や姿を感知すれば途端に優しく行く手を照らす人工の灯。この艦の随所に見られる今は亡き友の気配。

最初は、少し歩調を速めて歩く程度の速度だった。けれど、遠い。
心臓の高鳴りとは裏腹に、『彼』への道がこんなにも遠い。


──重い。


ハーロックは漆黒のマントを脱ぎ捨てた。ふわりとそれは白い照明の中に
翻る。これは、喪服だ。この艦はいつだって喪に服している。昏い宇宙に
髑髏の旗をはためかせ、まるでカーローンの舟のように征く。


──本当は、墓なんて見たくなかったんだ。


この艦は棺だ。理想郷の名を持って生まれ堕ちたその時から、この艦には
死者が眠っている。肉体は遠く、彼の生まれ故郷にも似た黄色い砂の中。手向けるのはいつだって白い薔薇。言葉も無く、想い出の中の姿も持たず、『彼』の魂だけが宿る艦。それならばやはりこの艦はカーローンの舟なのだ。彼岸と此岸を行き交う舟だ。

忘却の岸の狭間にいつまでも。何一つ、取りこぼすことさえ出来ないまま。昇華させることも出来ないまま。


──違うのか。そうじゃないのか。


きり、と奥歯を噛み締める。いつも、いつだって佇んでいたのに。『彼』の墓標のすぐ傍に。あの日、へヴィーメルダーに降りしきる雨の中、ハーロックは右目と共に己の魂を手向けたのだ。
棺のような艦。少しだけ盛り上がった土と、主不在の乾いた帽子。

どちらも、還る場所なんかじゃない。


──本当は。


十字路に行き当たる。鼻歌交じりの船員とすれ違う。ぶつかりそうになって、寸前でかわす。──鈍っている。『彼』が傍らにいたあの頃は、もっと綺麗にかわせたのに。

魔地、とハーロックは心の奥で呟いた。
女神を亡くした背徳の騎士。もうどんな風に腐っていっても構わないのだと自嘲していたあの男を、どうしてハーロックに責められよう。


──本当は。


魂が宿るのだと言って大きな一つの機械になった友。



──本当は、墓なんて見たくなかったんだよ。



どうして名前を呼んでやれるだろう。それが、本当なのかも判らないのに。
大きな機械。点滅するシグナル。あの小さな姿はどこにいってしまったのだろう。
あの優しい手。あの眼差し。あの 声 を。


何か一つでも返してくれ。何か一つでも俺に示してくれ。
ただ疑わないでいるなんて、そんなに盲目じゃいられないんだ。


右目は墓においてきた。それ以外は棺の中に一緒に入れた。
けれど、死者と同じにはなれない。あの頃も今も、『大山敏郎』と同じものには決してなれない。胸の内には焔が一つ。消えることの無い焔が一つ。
それだけが唯一、彼と自分を今でも繋ぐものなのだ。


「キャプテン!」


メディカル・ルームからするりと台場が駆け出してきた。


「キャプテン、あの──僕のせいで艦が」


「台場」


立ち止まる。台場が正面に回ってきた。ハーロックを見上げる聡明な眼差し。かつて最も心を許した、かけがえのない友に似た。


「キャプテン、先程の異常反動は僕の責任です。僕が主砲の回路をいじって
 いたために」


「いや、あれはお前達の確認も取らずに発射命令を出した俺の責任だ。お前 
 が気にする必要はない」


「でも……」


「そんなことより怪我はないのか」


ハーロックはまだ何か言いたげに俯く少年の肩を出来るだけ優しく叩いてやった。艦に関する失敗は全て艦長である自分の責だし、彼はまだ少年なのだから、失敗も良い経験になる。
台場は暫く何事かを考えるそぶりをし、「僕は平気です」と再び顔を上げた。


「機関長が身体を張って僕を庇って下さいましたから。僕に怪我はありませんが、機
 関長には申し訳ないことを」


「だから気に病むな。機関長も男だ。長たる者が自分より目下のものを庇うのは当然
 のことだ。アイツもそう言ってはいなかったか」


「確かに同じことを仰っていました。だからといって僕の犯した失敗に何の
 罰則もないとは」


「罰則だの規律だのという言葉はこの艦を造った俺の親友が嫌う言葉だ。無論、俺も
 好まない。この艦は確かに戦艦だが、軍艦ではない。お前もこの艦を害しようとし
 て主砲の改良に取り組んだのではないだろう。善意で懸命に作業した者を失敗した
 からといって鞭打つほど海賊は非道の集団ではないぞ」


「キャプテンが非道とは──思っていません」


「そうか。これ以上に用件が無いのなら、俺は少々急いでいるのだ。そこを
 退いてくれるか、台場」


「──はい」


一歩、二歩と台場が廊下の壁側に退く。ハーロックは悟られぬように息をつ
いて歩き始めた。が、数メートルも行かないうちにふと思い当たって振り返る。


「台場」


「は、はい。何でしょうか」


「お前、コンピュータには詳しいか」


「コンピュータ? あの…それは」


「正しくは人工知能に、だ。少々尋ねたいことがある。身体に異常が無いの
 ならお前も来い」


「はい」


何かを決意したかのような表情で、台場はハーロックの後に続いてきた。「大中枢コンピュータのことでしょうか」と尋ねられ、ハーロックは素直に首肯する。


「その通りだ。このアルカディア号の全てを統制する中枢コンピュータには
 超高性能な人工知能──すなわちA.I.が搭載されている。お前は気付いて
 いたようだな、台場」 


「えぇ、この艦に乗ったときから、何となくは」


「──そうか。この艦はどこもアイツの想いや遊び心に満ちているからな。
 お前も聞いたことがあるだろう。アルカディア号の7不思議」


「異次元に繋がる落とし穴とか、目の光るキャプテンの肖像画とかの話です
 か。それなら、ついこの間酔っ払った機関長から聞きました」


「あぁ、それだ。何を隠そう異次元に繋がる落とし穴は四次元ダストシュー
 トだし、目が光る肖像画はサ●ダーバードのパロディだ。俺の偉大な親友 
 はそういった遊びが大好きだった」


ハーロックは目を細める。こうして話をしていると、今にも通路の陰から姿を現しそうだ。分厚いレンズの眼鏡を光らせて、顔中口にして笑う友の姿。もっと他の顔もしていたように思う。笑顔ばかりではなかったとも思う。けれども、最近思い出す彼の顔は、楽しそうな笑顔ばかりだ。病に苦しみ、人の愚かさを嘆いていた彼の背中も、憶えてはいるけれど。


「……だった、か。こうして少しずつ、過去になっていく。想い出になどに
 して“消化”したりは決してしないと、アイツの墓にも誓ったのにな。
 台場、お前は父を亡くしたな。その悲しみは永遠に続くと思うか」


「悲しみばかりが永遠に続いたら、人間は立ち行きません。父のことは
 悲しいというよりも悔しいです。だからこそ、僕は復讐のためにこの艦に」


少年の瞳に僅かな怒りが燃え上がる。ハーロックは思い出す。かつて、自分がこの少年ほどに幼かった頃に覚えのある感情だ。


「復讐。復讐というのなら、俺はあの青い星が何よりも憎い。アレは、かつ 
 て俺の両親を殺めた星だ。機械化人の脅威に怯え、防波堤となって戦って
 いた俺の父と──その親友だった人達さえも見殺しにした。前にも話したな。昔の
 俺は機会があるのなら、そんな腐ったブタ共が平然とのさばるあの星を、この艦で
 滅茶苦茶にしてやりたいと、そう思ったことがある」


「キャプテン・ハーロックがその気になったら、地球はおしまいですね」


台場が頷く。何の感慨も無い声だ。この聡明な少年は、ただ客観的事実のみを口にしている。
そこには恐怖も、賛美も感じられない。ハーロックは、ふ、と笑った。


「そうかもしれん。だが、我が友はそれを許しはしないだろう。あの星を
 愛し、そこに住む人々を無条件に許した友だ。地球の未来を信じると──
 そう言ってこの艦のために命を捧げた。あの星の人間のため、いや、全宇宙の全て
 の生命体のために全部捧げた。俺は、そうやって死んでいった友を裏切りはしな
 い。決して、しない」


「お察しします。僕も──男ですから」


「台場」


大中枢コンピュータルームの扉に着く。堅く閉ざされた鋼鉄の扉。優しい親友のもう一つの墓。


「答えられるのなら、教えてくれ」


冷たい扉をそっと撫でる。いつもは何事もなく開けられるはずなのに、今だけは妙に息苦しい。



「……この先にいるのは──誰だ?」



沈黙が──廊下に落ちる。白い照明。閉ざされたままの扉。いつもなら、すぐに迎え入れてくれるのに。


「何だ、とはお尋ねにならないのですね」


静かに、穏やかに台場が呟いた。ハーロックよりも数歩後ろに立ち、彼の目は、真っ直ぐに扉を見つめている。


「このアルカディア号で噂される7つ目の不思議を…ご存知ですか?」


「7つ目? いや、俺が知っているのは6つ目までだ。7つ目を知るとこの 
 艦を降りなくちゃならんのだろう?」


「それはデマゴギーですよ。無断で脱走する者のその動機を後付けしたに
 過ぎません。しかも面白く。火元は大方機関長辺りでしょう。あの人、
 真性のアホですから」


「台場……」


機関長を尊敬しているように見えたが、と問うと「そうですよ」と何でもないように答えられる。最近の若い者はよくわからないなぁ、とハーロックは少しだけ思った。


「尊敬はしていますが、ある意味で真性のアホなのは事実です。本当にその
 人を尊敬するということは、その人の欠点を見ない振りして神格化するこ
 とと同義ではないように思います。貴方が、この扉の奥にある人の存在を
 盲目的に信じてはいないのと同じです」


「……それは」


信じていないわけではない。ただ、時折判らなくなるだけなのだ。名前を呼ぶと、胸が苦しくなるだけなのだ。ここは棺。ここは彼の胎内。けれど、少しも救われた気になんかならない。


記憶は──この手で掴めないものは、そのうち融けて腐っていく。


「魔地は…信じると言っていたか。あれは俺よりも数段感覚が優れている。
 ひょっとしたら、俺の知らない何かを感じ取っていたのかもしれん」


「僕は機関長の過去をよく知りません。ただ、嫌な話になるとは聞きました。
 あの人は、もうとうに崩壊した星の騎士。女神を永久に喪った背徳の騎士
 だと。もう二度とかえらないものに逢えるのなら、記憶の中と同じようにそれが
 笑ってくれるのなら、多分疑わないと」


「魔地は愛のために生きた男。たった1人の──この世で唯一の女に焦がれて、その
 愛のために全てを捧げた。この宇宙で最も俺に近しくありながら、全く違うように
 生きた男。俺は魔地のようには生きられない。この胸の焔は──我が偉大な友の想
 い出を抱いて燃えるこの胸の焔は、信念のためには熱を増しても、愛情のためには
 決して燃え上がりはしないのだ。わかるか、台場。俺の言うことが」


「はい」


台場の動く気配がした。少年はハーロックの傍らに立って扉の開閉キーに手を伸ばす。


「──でも、あの人は言っていました。0と1から産まれた『自分』が、もしも温かい
 心を持たないただのプログラムだったなら、キャプテンを悲しませることになるだ
 ろうと。貴方は、悲しみながら『彼』を殺めることになるだろうと。本当のことを
 言います。僕は、つい数日前から『彼』に会って、話をしていました」


「話? このアルカディア号とか」


「いいえ」


少年は、ゆっくりと頭を振る。


「僕が話をしていたのは──『大山敏郎』その人です。偉大なキャプテンの親友。17
 番目の“エルダ”。そして…7つ目の不思議。この艦には、真夜中に舞う白装束
 の『ゴースト』が出る」


「ゴースト……?」


「幽霊と魂と。2つの意味を持つモノです。真に優れたA.I.と、人の『魂』 
 に差異なんか無い。過去にはあったのかもしれません。けれど、機械化人達が横行
 し、限りなく人に近い性能を持つアンドロイドやセクサロイドが一般価格で供給さ
 れるこの時代においてはそんなもの神話としか言いようがありません。機械と人と
 ──差異があるのだとすればそれは、見る人の心、いえ、主観が生み出すものなの
 だと」


「………」


ハーロックは、静かに台場を見下ろした。彼もまた、静かに自分を見上げて
いる。今は亡き友に似た聡明な眼差し。この眼が、嘘偽りを口にするとは思
えない。


「この先にあるものが何なのか、それを決めるのは──俺か」


「はい」


こくり、と台場が息を呑む。出会ったのなら、この少年は『彼』をどんな風
に思ったのだろう。どんな風に思い、そして今、どんな気持ちで自分を見上
げているのか。尋ねてみたい気もしたが──やめた。どうしようもないのだ。
これは。誰の話を聞いたところで、自分が揺らぐような存在ではないことを
ハーロックは知っている。変えられるのは、曲げられるのは、あの。


「そうか。もう良い。付き合わせて悪かったな。魔地のところにでも戻ってやれ」


「キャプテン」


台場が不安げな声を上げた。ハーロックは出来るだけ笑みの形に唇を歪めて
みせる。


「──声が、したんだよ台場。俺を呼ぶ、声が」


「……」


「ずっと昔に、俺を呼んだ懐かしい声だ。けれど、それが本当に友の『ゴースト』
 だったのか、この艦のコンピュータに組み上げられたプログラムなのか。
 年月が、それを曖昧にする。だから、俺は」


せめて1つだけでも、示してくれるというのなら。


「……キャプテン、1つだけ」


不意に、台場が決心したように人差し指を立てた。


「僕は──いえ、本来なら僕が依頼されたことですから、僕が為すべきなのかもしれ
 ません。でも、キャプテン・ハーロック、貴方が気付いてしまったのなら……この
 中にいる『人物』に、たった1つだけ尋いて下さい」


「1つ? たった?」


「1つで充分なんです。自立思考するA.I.には予めプログラムされているデータと、
 後々に使用者との対話や使用者の思考・行動パターンを記憶することによって発生
 する人格プログラムがあります。大中枢コンピュータの場合、人格プログラムは設
 計者であった『大山敏郎』氏の思考・行動パターンを記憶して、それに倣った答え
 を算出するよう計算している。でも、例えどれだけ完璧に一個人の性格をコピーし
 ても、使用者が変わって、年月を経てしまえば人格プログラムは『成長』する。そ
 う、少なからず、対話する使用者の人格パターンを自分の中に組み込んでいってし
 まうものなんです」


だから、と台場は一層に語気を強める。


「だから、1つだけ尋ねて下さい。貴方と…彼と、決定的に違う何かがあるはずなん
 です。僕はそれを見つけようと、質問要項を幾つか紙に書き出しました。でも、貴
 方が尋ねるというのならそんな紙は必要ありません。 たった1つ、貴方が『彼』
 を『彼』だと確信出来るような──そんな問いを」


「──それで、何がわかると? 大中枢コンピュータには我が友の全てが
 記録されているのだぞ?」


「いいえ、この数年間──実際に何年前なのかはわかりませんが、貴方が
 大中枢コンピュータに語りかけていた時間の内に、コンピュータは貴方の人格の影
 響を多少なりとも受けているはずです。だから、質問の仕方によっては貴方の望む
 ような『答え』を出すでしょう。でも」


「でも?」



「『人間』なら、変わらない──変われない想いがあるはずです。誰に何て言われて
 も、どんなに苦しくても、変わらない何かが」



たとえば今でも女神を愛する背徳の騎士の想いのような。
たとえば望まないまま真実を見抜く、この隻眼のような。


「……そう──か」


ハーロックは、そっと眼帯ごしに右目を押さえた。誰よりも自由に生きたよ
うに見えて、誰よりも沢山のものに囚われていた男。病にその身を侵されて、
人々の迫害に耐えて、それでも、彼はいつでも何かを守ろうと懸命になって。


昔も、今も。彼に尋ねろと言われるのなら。



──尋ねたいことは、1つだ。



「わかった。台場、お前の言う通りにしよう」


「はい。では僕は戻ります。主砲の改造ポッドの損傷を確認して、修復しなくてはな
 りませんから」


ぺこり、と一礼して、台場はさっさと踵を返して行ってしまった。その素っ
気なさと冷静さに、思わずハーロックは笑みを浮かべる。けれど、それも一
瞬のことだ。


「俺だよ、ハーロックだ。開けてくれ──…友よ」


扉に寄りかかるようにして、囁く。1人の男の魂に守られた艦アルカディア。
彼の意志が艦全体をカバーしているのなら、今の会話も『聞かれていた』は
ずだ。そして、『彼』にならわかるはず。もしも、『自分』がただの機械とハー
ロックが識れば、それは、もう。


躊躇うようなそぶりもなく、滑らかに扉が開いた。




★★★

一面の、桜吹雪だった。


薄暗く、広い空間の全てに降る、淡い花弁。手を伸ばせば、半透明のそれはするりと手の甲や指先を通り抜けて、漆黒の床に融けていく。
三次元映像の桜。儚い華。頬を、胸を、爪先を、感触も無く透けていく。


ふうわりと、一つ、人影が舞った。
白い狩衣。真紅の小面。風も無いのに膨らむ袂。白木鞘の日本刀を帯びた小
さなその影は、螺旋を描くように降りてきて、ハーロックの眼前に立った。



──初めまして、と言うべきだろうか。『俺』は、一カ月程前にこのコンピュー
タの中から生まれ出でたプログラム。0と1から発生した、『大山敏郎』の姿
と記憶を有するもの。




「……先程俺に声をかけたのはお前か」


ハーロックは僅かに眦をきつくする。白い着物。かつては好んで親友にと選
んでいた色。無垢で、誰よりも神聖だった彼に最も相応しい色。

「そうだ」と『彼』が首肯する。よく透る声。小面の頬にかかる、薄栗色の
髪。



台場正が調整していたプログラムでは、試射ならともかく、実戦では艦に異
常反動を起こしかねなかった。だから、隕石群を発見したときに組み換えを
行なったのだが──間に合わなくてつい声が。



「確かに、あれは俺の確認不足だった。危うく、魔地や台場に大怪我をさせるところ
 だったからな」


じり、と一歩を踏み出す。だが、小さな儚い『ゴースト』は慄くように身を
竦ませた。後退はしない。けれど、どこか自信の無いように。どこか、覚悟
を決めているかのように。


「その面はどうした。この艦を造った俺の『友』なら、そんな風に顔を隠して俯いた
 りはしない。堂々と、俺の顔を見れば良かろう。真実性能に優れたA.I.と、人との
 間に差は無いと、台場が言っていた。『お前』も、そう思っているのだろう?」



──…『俺』は。



「面を取れ。顔を晒せぬ『ゴースト』に、俺の相手をする資格は無いぞ」



──……。



数秒、沈黙して『彼』はすっと面に手を伸ばした。真紅の小面が音も無く落
ちる。ハーロックは膝を折り、頭二つ分も小さな『ゴースト』を覗き込んだ。
色素の薄い瞳が、無感情に自分を見下ろしている。想い出と同じ容貌、同じ
表情。ただ、記憶の中でも鮮やかだった笑顔が無い。

ゴースト。それは、死者の御霊か──魂か。


「……一つだけ、答えてくれ」


ハーロックは『彼』の二の腕を融けていってしまわぬように掴まえる。一つ
だけで良い。何か、一つだけでも示してくれるのなら──。



「こんな夢を──みないか?」




きっと、疑わない。



……夢?



『彼』が不思議そうに瞬いた。薄栗色の睫毛が揺れる。ハーロックは凝っと
見つめた。淡い光が『彼』の腕を掴む自分の指先までも発光させる。


「そう、夢だ」


ハーロックは僅かに唇を緩ませた。何度も、彼に問いかけたかったことだ。
彼が傷ついたとき。彼が泣いているとき──哭いているとき。彼が、病に侵
されたと知ったときも。


「とてもとても優しい夢だ。どこか、小さな星に降りて、何でも好きなことを自由に
 する夢。誰かのために、何かをしなくても良い夢だ。俺は最強の海賊騎士を目指し
 て日々あちこちを飛び回る。お前は、毎日を穏やかに暮らす。星のどこにでもロッ
 ジを建てて、庭に野菜を作ったり、花を植えたり」



──森を歩いたり?



「そう、湖で釣りをしたり。森で1番大きな木の下で昼寝をしたり。俺は時折帰って
 きて、お前にお土産を渡そう。沢山の本や、食べ物や、珍しい動植物。夜になった
 ら2人で星を見上げて話そう。そうしてるうちに夜が明けて、今度は昼まで2人で眠
 る。ヤッタランは、呆れて1人で食事を済ませる。魔地は──どうするかな」



きっと叩き起こされる。アイツは退屈が嫌いだからな。



「でもそれ以外には静かな毎日だ。誰かの血を見なくても良いし、爆音とも硝煙の臭
 いとも無縁の日々だ。気が向いたら近くの星まで酒を飲みに行っても良いし……
 ずっと、笑っていられるよ」


穏やかに、暮らせたら良いと何度も思った。優しい小さな親友は、決して戦
うことに向いていなくて。卵から孵した親友のトリと、のんびり日々を過ご
すのが好きで。

血に染まるのは──自分の役目だ。何度、彼の背中に問うてみようと思った
だろう。彼が、たった一度でも頷いてくれたら。すぐにでも叶えてやれる『夢』
だったのに。



ハーロック、それは。



透る声。『彼』は困ったように首を傾げ、ハーロックを見つめる。



それは、とても素敵だ。でも。



「でも?」


本当は、一度も尋けなかった。13歳のときに出会って、幾度も同じ経験を重
ねて。彼が何と答えるか、尋ねずともわかっていたから。


「でも……何だ?」



それは……幸せではないと思う。痛くなくて、楽しくても、それは『俺』の
幸せとは違うものだ。




0と1から産まれた『彼』は、そっと、宥めるようにハーロックの髪に触れ
た。



たとえ湖で釣りをしていても、大きな木陰で眠っていても、思い出してしま
う。この世に、俺の為すべき必要なことを。どれだけ、お前が想ってくれて
いても、お前が悲しませるようなことになっても、俺には、しなくてはなら
ないことが沢山ある。



「“エルダ”だからか? 人を救う──叡智の使徒としての使命か?」



いいやハーロック。男だからだ。自分の胸にあるもののために、戦わなくて
はならないからだ。たとえ、その先に痛みや楽しくないことばかりが控えて
いても。



それはとても厳かに。『ゴースト』は死者そのものの言葉で語る。亡き友の魂
が、安らげる場所を抜け出して、ここに姿を現したかのように。



こんなことを言う『俺』は、機械のように冷たいだろうか、ハーロック。



揺らぐことの無い、その『魂』が。


「……いいや」


ハーロックは身を乗り出し、全身で彼の身体を抱き締めた。



「お前の声を、思い出したよ。トチロー」




★★★

僕は、悶々として廊下の壁に寄りかかっていた。
もしも大中枢コンピュータをただの機械とキャプテン・ハーロックが判断し
たら、この艦は一体どうなってしまうのだろう。僕の復讐は? 否、そんな
ことよりも『彼』はどうなる。あの偉大な叡智の使徒たる『ゴースト』は。


「台場くん、どうしたの? 難しい顔をして」


艦橋の扉がするりと開いて、有紀蛍が姿を現した。「巨大隕石群はどうしたの?」と、僕は逆に問い返す。蛍は、ふ、と肩をすくめた。


「キャプテン不在じゃどうしようもないわ。取り敢えずコースや数を記録するように
 はしているけど……。台場くん、私の質問に答えてない」


「あは、バレたか。少し…真剣に考え事をしてたんだ」


「座敷童のことについて?」


「勘が良いね、蛍さん」

「ふふ、私も聞いたもの。それらしき人の『声』を。キャプテンも聞いたはずよ。
 さっき、出て行ってしまったもの」


ふわり、と身を翻して、蛍が僕を見つめる。吸い込まれそうな薄茶の瞳。僕は小さく咳払いをして「成程」といかにも冷静に頷いて見せた。


「そういえば、キャプテンもそんなようなこと言ってたな」


「会ったの?」


「うん。メディカル・ルームから出たときにね。あの人には珍しく、急いでるみたい
 だった」


「そう……私も見たわ。子供のような顔をして、「すぐ戻る」って言ったきりよ
 一体、何が起こっているのかしら」


蛍も僕の真似をして、壁に背中を預ける。僕は、ちら、と彼女を見上げて「賭けようか」と切り出した。


「これからどうなるか──賭けてみようか? 蛍さん」


「まぁ、珍しいのね台場くん。いつもは機関長に誘われたって賭けないのに」


「そう、珍しく賭けてみたい気分なんだ。僕のお小遣いを全部賭けても良いよ」


「じゃあ、私は何を賭けようかしら。やっぱり、お小遣い全部?」


蛍が腕を組む。僕は笑って「違うのでも良いよ」と彼女を見つめる。


「例えば……これからずっと、僕に美味しいコーヒーを淹れてくれるとか」


「ふふ、自信があるのね。台場くん」


「勝ち目の無いような賭けはしないよ」


「私もあるわ。でも、それじゃあ賭けにならないような気がしない?」


蛍も笑う。僕は「うーん」と腕組みをして。


「ならない、かな」


「ならないわ」


「そうかな」


「そうよ。多分、ね」


「そうだね──多分」



それから、僕達は同じポーズで天井を仰ぐ。


廊下に、穏やかな沈黙が落ちた。







END















●長かった……。でも、楽しかった……vv しかし大人のハーロックって何考えてるのか解り辛いぞ(汗)。まだまだ精進しないとなー。

●土岐さま、リクエストありがとうございました!! 文章のみ、お持ち帰り可でお願い致します。



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