Titan Rendezvous・2



☆☆☆


「は? 砂漠に出たい、って……。正気かね、お坊っちゃんら」


街にただ一件の貸し馬車屋。その主人である老人は、地図を見せ、
砂漠に行きたいと話したハーロックに、思い切り怪訝な眼差しを向けた。


「あそこは観光で行くようなところじゃないよ。しかも子供二人でなんて。
 絶対に無謀なことだ。止めた方が良い」


「絶対に無謀、なんて言葉はないよ。だって、あの砂漠の真ん中に
 住んでる奴がいるから来たんだ。その人は住んでるのに、俺達が
 訪ねるのが不可能なんて、そんな馬鹿な話はないぜ」


ハーロックは主人の背後にある厩舎を見つめ、さりげなく馬を物色
しながら言葉を続ける。


「それに、子供だからっていう理屈も変だ。もし大人がついてきて
 くれたからって、それが役に立つ奴かってことは全然別だろ。
 あそこで待ってる俺の連れは、ああ見えて普通の大人よりもずっと
 頭が良いんだぜ? それに、俺だってまだ、銃やサーベルで大人に
 負けたことないんだから」


──まぁ、うちのオヤジは別格だけどさ。

心の中で捕捉する。堂々と胸を張るハーロックの態度に、主人は諦めた
ように溜息をついた。 


「それほどに自信があるのならしようがない。ここは自由の街だからね。
 馬を借りるのも、子供が二人きりで砂漠を越えるのも自由。ただし、
 馬は買い取ってもらうよ。目的が砂漠越えときいては、安全に馬が帰って
 くる保証がないからね。そうさな、相場の倍は貰わんと」


「良いよ。じゃあ、二頭買うよ。馬車もつけて。俺、結構お金持ちなんだから、
 高い金額ふっかけて諦めさせようなんて、無理だよ」


主人の手に、相場の約二倍の宇宙金貨を支払ってやる。宇宙に出ようと決意
してから、ハーロックは結構地道に貯金もしてきたのだ。家を出る前日に
ありったけ引き出し、銀河系共通の宇宙金貨に両替してきた。
さすがに移動用の飛行機を借りることは出来ないが、レトロな馬車と
馬二頭くらいなら容易に都合することが出来る。


「ついでに、安くて良いから宿も紹介してくれよ。ジーサン、結構
 良い人みたいだから、ヤッタランでも安眠出来そうなところを
 紹介してくれそうだ」


そのヤッタランはといえば、ハーロックの出した金を逐一ノートに
つけている。俗な言い方をすれば『お小遣い帳』をつけているのだ。
ヤッタラン曰く、上手な資産運用が夢に近付く第一歩だという。
反論の言葉がなくもないが、ヤッタランの言っていることはある意味正しい。
ハーロックはヤッタランのしたいようにさせてやることにしていた。


「なぁ、ジュニア。馬二頭に馬車一台で金貨二十枚は払い過ぎやで。
 ジーサン、もうちょいまからんか?」


背後から、つんつん、と小さな指でハーロックの背中をつついてくる。
ハーロックは首を少しだけ傾けて、ヤッタランの言葉を遮った。


「良いんだよヤッタラン。俺達は確かに子供の年齢だし、信用がならないのも
 仕方ない。倍くらいすぐに払える用意がなくちゃ駄目だってことは俺にも
 わかる理屈だよ。それに、移動手段の費用として、これは高くない方だよ。
 移動用の飛行機借りるとなったら……俺、すっごく機体にこだわるから、
 馬の値段の倍の倍の倍は払わなくちゃならないだろうね。そしたら持ち金が
 なくなっちまう。ヤッタランに飯も喰わせてやれなくなる」
 
 
「あぁ、そら困る。ワイは人の5倍は喰うねん」


ぶぅ、とヤッタランは嫌そうに(それでも仕方なさそうに)引き下がった。
ハーロックは主人に視線を戻し、彼の手をしっかりと握る。


「さぁ、これで契約成立だよ。まさか、これ以上引き留めたりしよう
 なんて思わないだろうね。一度取り交わした契約を破ることほど
 商売人として恥ずかしいことはないよ」


「……わかっとる。どうやらお前さんは本気らしいな」


主人は深い溜息をついて俯いた。


「宿なら一件、儂の知り合いが経営しとるのを紹介してやろう。
 だが、金を払うのは戻ってからにした方が良い。砂漠から
 戻ってこれなければ払い損だからな」


「まだ脅す気かい。言っておくけど、俺は──」


「あの砂漠には、黒い翼を持った大口の死神が住んでおる」


ハーロックの言葉を遮って、主人は重たい口調で言った。


「お坊っちゃんらの目的がなんであれ、その死神と出会って
 しまったらお終いじゃ。生きては帰れん」


「死神? そんなものが本当におるとでも言うんかいな。比喩じゃ
 なくて、本当に?」


ヤッタランが眼鏡の奧の小さな目を丸くする。馬鹿馬鹿しいなぁ、と
ハーロックは頭を掻いた。


「死神、なんて宗教の時間じゃあるまいし。黒いフードをかぶってて、
 顔が髑髏で、鎌持ってる奴なんて、たとえいたとしても単なる変人
 だ。そんなの」


「砂漠に住む死神は、確かにおる。それが証拠に、あの『黄色の砂漠』
 に行こうという愚か者はこのタイタンにはおらん。みんな、死神に喰われて
 しまう。そうならなくても、土星からの強い光と、絶えることのない強風に
 みんな殺される。お坊っちゃん達は随分と怖い物知らずじゃが、例外はないぞ」


「ふーん、じゃあ買い出しに行こうか。ヤッタラン」


ハーロックはヤッタランの後頭部を軽く叩いて促した。「お坊っちゃんら」
と、主人が背中に声をかけてくる。「あのね」と、ハーロックは口元に
笑みを浮かべて主人に親指を立てて見せた。


「それじゃあ、俺達が死神も砂漠にも殺されない第1号になってやるよ。
 俺は、何ものにも絶対に負けないために生きてるんだから」


──この身に、唯一絶対の価値観を抱いて。自分だけの戦旗を掲げて。



☆☆☆

──『黄色の砂漠』には、死神が住むよ。
黒い翼と、大きな口をした死神は。
来るもの全てを喰らってしまうよ。


「………ゆ、め?」


目を開けると、一面に大クチバシが広がっていた。


「うわぁぁぁぁぁあぁッ!?」


顔面を挟まれそうになり、ハーロックは慌てて起き上がる。


「クワヘラ〜。オメザメナス〜」


大クチバシに黒い翼。細い首と凶悪な目つきをした生き物は、
意味不明な鳴き声を上げながらハーロックめがけて突進して
きた。ハーロックは隣で高いびきをかいているヤッタランを
しっかりと腕に庇いながら叫ぶ。


「な、なんなんだよコレ! トリか? トリなのか?!」


「トリコモナス〜。ケセラセラ」


「おいこら、起きろヤッタラン。死神! 絶対コレが死神の正体だ!!
 っていうか、何鳥なんだよ。何種何類なんだ、このトリ!!」


「──…トリさんは、トリさんだよ。類分けしないと、不安?」


危うく、ハーロックの手が薄型気密服の左胸に差しておいた短剣に
かかったタイミング。しゃり、と細かい砂を踏む音と共に、小さな
人影が入ってきた。


「あ……。おま、いや、君は?」


「連れのブタ型はもう少し寝かしておいた方が良い。基礎体力を充分に
 鍛えないで砂漠越えなんて無謀だ。もう少しでそれは死ぬところだった」


ハーロックの問いには答えず、大きな帽子と古びた砂よけマントに全身を
隠した小さな人物は、ハーロックの目の前にサプリメント飲料の入った
金属製のカップを差し出してくる。
──ヤッタランより分厚い眼鏡をしてる。ハーロックは帽子とマントの
隙間からのぞくレンズを見つけて、思った。


「飲め。お前はブタ型よりは数段マシな体力の持ち主。でも、多分お前が
 思ったよりも体は衰弱してるぞ。タイタンの砂漠を甘く見過ぎだ」


声の調子から、彼が同い年くらいの少年であることは理解できた。
けれど、彼のカップを持つ手は、ハーロックのそれより一回りも小さい。
ハーロックは取り敢えず礼を言い、カップの端に口をつけた。
甘い液体を一口飲むごとに体が覚醒してくるのを感じる。確かに、
体はハーロックが自分で思っているよりも衰弱しているようだった。 


「助けてくれたのは、君かい? 命の恩人の名前くらいは聞いて
 おきたいんだけど」


「名乗ることに意味なんかないよ。誰かに記憶されることにも意味は
 無い」


小さな少年は再び外に出て行く。
カップの中を全部飲み干して、ハーロックはようやく周囲を見渡す余裕が出来た。

妙に天井の高い、薄暗い空間。金属の壁にはところどころ腐食が見られ、
細い光が差し込んできている。床には、薄い木の板が敷き詰めてあった。
敷きっぱなしの布団。足の短い木製のテーブル、と平べったいクッション。
目を凝らして見ると、部屋のあちらこちらに大量の書物が積み上げられ、
散乱していた。今ではもう地球の図書館でも見られないほどの書物が。


「何だコレ。こんなのもう……骨董品だぞ」


かぶせられていた毛布をヤッタランに譲り、ハーロックは四つん這いで
落ちていた書物を一冊手に取った。表紙には何やら難しい言語が記して
ある。


「……これ、ニホンゴ? なんだよ、旧世界語なら英語かドイツ語じゃ
 なきゃ読めない。銀河系共通語のはないのか?」


「あるど。ここには一通りの言語は揃ってる。読みたければ読め。でも、
 人の物に触るときは、一言なにか言った方が良いよ」


不意に背後から声をかけられ、ハーロックは肩をすくませた。
振り向くと、先程の少年が今度は両手鍋を持って至近距離に立って
いる。
ハーロックが幼いときから人一倍鋭敏に鍛えてきた感覚の網を、
この少年はいとも容易く擦り抜けて背後に立ってきたのだ。
これは──体が衰弱していることなど理由にならない。
ハーロックは、きゅ、と唇を噛んだ。


「──ごめん。勝手に触ったこと、怒ってるか?」


「別に。俺もお前の銃と重力サーベルをベルトごと外した。
 ここは、何かと物騒な星なんでね。子供だからといって
 油断はならない。そうだろ?」


少年の口調はあくまで淡々としている。それでも、ハーロックに
クッションを勧め、欠けた椀に何やら茶色いスープを注いでくれて
いる仕草には、彼がハーロックの体調を心配している様子が確かに
見えた。


「子供って……君だって子供じゃないか。幾つだよ。それくらい
 教えてくれたって良い」


「十三だ。子供じゃない。もう男だ。子供っていうのは、自分で自分の
 責任を何もかも負えない奴のことを言うんだ。年齢なんか関係ない」


味噌汁、飲め、と少年が椀を差し出してくる。ハーロックは黙って椀を
受け取った。ミソ汁。ミソというのが何なのか解らない。正体不明の
スープを口に運ぶべきか暫し迷う。


「毒じゃない。味噌だ。原料は大豆。豆汁だ。飲め。それを飲んだら
 もう少し寝れ」


ハーロックの迷いを素早く見抜き、少年は鍋から直にスープを飲んで
見せてくれた。ここまでしてくれる人物を疑うのは恥ずべきこと。
ハーロックは息を止めて飲むことを決意し、実行に移す。こくん、と一口
喉に流し込んで、ぱちくりと瞬きした。


「……美味い!! 豆のスープがこんなに美味いなんて」


「お前、西欧人だな。これはお前の住んでいる国のはるか東にある
 国の伝統料理。気に入ったか? もっと飲め」


「うん。頂くよ、ありがとう」


ハーロックは素直に椀を差し出す。少年は、黙々と椀にスープを注いでくれた。
会話はない。ハーロックは黙ってミソ汁を喉に流し込み、少年も黙って椀に
スープを注ぐ。


「さっきのトリは?」


三度ほどそれを繰り返して、ハーロックはようやく人心地ついた。椀を
テーブルに置いて、光の差し込む出入り口に目をやる。


「トリさんなら散歩に行った。元々、お前らの意識が戻るまで見ててくれっ て
 頼んだだけだったから。本当は、もっと涼しい時に行くはずだったんだ。後で
 礼を言うと良い」


「君の飼っているトリなのか?」


「違う。友達だ。ここに住み着いてからの五年間、ずっと一緒にいてくれた」


空になった鍋を抱え、少年は再び外へと歩き出す。ハーロックは何の気なしに
立ち上がり、少年の後を追った。


「五年? 君、さっき十三だって言ったよな。じゃあ八歳のときからずっと
 こんな砂漠に住んでるのか? ご両親はどうした。街に行かないのか?」


「母親なら、街外れに住んどる。俺が街に行かないのは、その方が何かと
 不便がないからさ」


少年の口調にはあくまで抑揚がない。ハーロックは眉を顰めて少年の肩を
掴んだ。


「そんなのってアリなのか? 何の事情があるのかは知らないけど、同じ星
 にいて一緒に暮らさないなんて。それとも、こういうのが仕事なのかい?
 砂漠に暫時住んで、遭難者を助けるのが君の選んだ仕事?」


「そんな職業についた覚えはないな」


少年は、ハーロックの手を振り払い、ポリタンクに貯蔵されている水を使って
丁寧に鍋を洗う。そして、再び水を鍋に入れ、簡易コンロの火にかけた。


「俺を質問攻めにするより、もっと訊くことがあるんじゃないか? たとえ
 ば、お前の連れのブタ型のこととか。お前こそ、どうしてあんな未熟なブ
 タ型を連れて砂漠に来た。あのブタ型はもう少しで死ぬところだったんだ
 ど」


咎めるような、少年の口調。ハーロックは、ぐ、と喉を鳴らした。
確かに、ヤッタランを巻き込んでしまったのは己の責。しかし、それもこれ
も全て、幼い頃からヤッタランと目指した夢の為なのだ。


「……確かに、ヤッタランは体力的に弱いところがあるけど。でも、宿に
 置いて行くわけにはいかなかったんだ。これは、絶対」


「──そうかい。タイタンは自由な反面、力の無い者にはとても危険なとこ
 ろだからね。だから、俺は根本的なところを問うている。訊き方が悪かっ
 たか? どうして、未熟な子供が二人連れ添って『黄色の砂漠』に踏み込
 んだ。心中でもする気だったか? それなら俺は余計なことをしたことに
 なる」
 

少年の目が、初めて正面からハーロックを見据えた。その強さに、ハーロックは思わず息を呑む。
分厚いレンズの向こうで黒々と昏く輝く瞳。とても同じ年数を生きてきたとは思えないほど、厳しさを秘めた眼差し。


「死ぬ気だったのか? 早く答えろ。俺の手持ちの食料は、死にたい奴に
 分けてやるほど充分じゃないんだ」


声変わりさえしていない声音で、少年はハーロックに低く問うてくる。
ハーロックは負けじと頭一つ分小さな少年を見下ろした。


「死ぬ気なんかない。俺は──俺達には目的があるんだ。己の未熟を知り
 つつ、ついてきてくれたヤッタランと、俺には、共通の目的が。心中の
 つもりなんかない。救ってくれた君は……とても感謝してる」


だが。ハーロックは唇を引き結んで少年を睨みつけた。


「だがな! いかに命の恩人といえど、未熟だの何だのと好き勝手に言われ
 る筋合いはない!! 俺達の目的は“マイスター”に会うこと。会って、俺は
 宇宙を自由に旅するための艦を造ってもらう! そのために来たんだ。
 その夢を愚弄することは……ついてきてくれた友を愚弄することは
 許さない!!」


「──……そうかい」


ぱちん、と少年がコンロの火を止める。


「では、色々と訊かなくてはならないことが増えたな。取り敢えずお前は
 銃もサーベルも取り返そうとはしなかった。戦意がないのは認めてやるよ」


「──はい?」


相変わらず抑揚のない少年の声音。ハーロックは彼の言葉からどのような意図も感情も読み取ることが出来ず、間抜けな疑問符を飛ばした。


「認めてやるって……。君、もしかして」


「会いに来たんだろ。砂漠を越えて、わざわざ俺に」


さりさりと足音をたてて、少年がハーロックの傍らを過ぎて船内に向かう。
途中、くるりと振り返り、何とも形容しがたい笑みを浮かべた。


「“マイスター”は俺さ。第七十二代目“マイスター”・大山敏郎。通俗名
 “トチロー”。何故か、俺のオヤジもジーサンも、本名より、こう呼ばれる 
 方を好んだけどね」


「え……。君が“マイスター”なのか……? 君が?」


船内に戻っていく少年の背中を眺めながら、ハーロックは再び目眩を覚えた。
















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