I Wish





「花火をしないか?」


グレート・ハーロックに。この俺──大山敏郎が誰よりも尊敬し、崇拝し、
神聖視して止まないあのグレート・ハーロック本人に、声をかけられたのは
『タイタン』を出てから一週間と少し経ったある夏の終わりのこと。



★★★


「──…花火、ですか?」


デスシャドウ号の食堂。昼食の時間はもう一時間も前に終わっていて、座っているのは俺一人だ。慣れない左手での食事と格闘していた俺は、慌ててスプーンを下げて彼の人を見上げた。『タイタン』で父の仇敵に折られた右腕には、未だにギブスがはまったまま。格好悪いところを見られたと、俺は思わず赤面する。

けれど、そんな俺の様子にもグレート・ハーロックは優しい笑みを浮かべた
まま。


「そう花火だ。子供は夏が好きだろう? 私や大山も好きだった。学生時代
 には、後で叱られるのも構わずに学校を抜け出してカーニバルなどに参加
 したものだ。環境や時代のせいにはしたくないが、君は──楽しい夏の
 思い出が、人より少ないのではないのかと」


俺のギブスに視線を落とす。白皙の顔に長い睫毛が影を差して、何ともいえない憂いの表情を造り出した。俺は思わずどきりとして、「そんなことは無いです」と首を振る。


「父が──色々してくれましたから。虫の標本を作ったり、川の流れを石で
 せき止めたり、星を観測したり……」


「それはとても楽しそうだね」


す、と自然に俺の正面に腰かける。何の飾り気もないデスシャドウ号の食堂に、
俺の目の前だけ大輪の薔薇が咲いた。それも汚れのない白薔薇だ。男を花に
喩えるなんておかしいけれど、グレート・ハーロックだけは例外だ。


「けれど、私は君と花火がしたいのだよ。君との……楽しい夏の思い出が
 欲しい。本当はスイカ割りやキャンプなども考えたのだけれど、君のその
 腕ではまだ難しいだろうから」


「──…はぁ」


穏やかなバリトンで誘われる。エナメル質な銅色の髪。大きな瞳。──近くで
見れば、濃いグリーンの光彩が混じっているのがよくわかる。右頬に一筋の傷と左目を覆う眼帯さえなかったら、この人の美貌は完璧なものにごく近い。
ただただ圧倒されるばかりで、俺は「はぁ」と胡乱な返事を繰り返すばかり
だった。


「どうだろうかトチローくん。『タイタン』で負った傷が、もう痛まないと
 言うのなら、私は夏の終わりに相応しい星を知っているのだけれど」


「はぁ」


「トチローくん?」


「は──…ぁ」


「トチローくん??」



「なぁーにが「トチローくん?」か!! そこは俺の席だよこの昼行灯オヤジ!」



がん! と俺とグレート・ハーロックの世界に麦茶の入ったコップが割って
入る。美しい彼の人に酷似した鳶色の髪、大きな瞳。幼い姿のグレート・ハーロック。


──ただし、思い切り気品と清廉さが欠けているが。


「ファルケ・キント……」


何をそんなに怒っているのだ? と首を傾げる麗しい実父を押し退けて、
ハーロックは身を乗り出して俺を抱き寄せた。


「トチローはまだ怪我人なんだぞ。ハナビだか何だか知らないけど、無理させ
 たらまた熱が上がるだろ! ほら、また顔が熱くなって、呼吸が儚い」


「……ハーロック……」


俺は、はぁ、と溜息をついた。顔が熱くなったのは、グレート・ハーロックの
美貌が俺の十数センチ先まで迫ってきたからだ。そして今、呼吸が儚いのはハーロックがぎゅうぎゅうと抱き締めてくるせいで息が出来ないから。


「取り敢えず…お前が離れろ。息が出来ん」


「あ」


途端に、ぱっと視界が開ける。俺が顔を上げると、困惑した表情のグレート・ハーロックと、捨てられた子犬のようにしょぼくれたハーロックの姿が並んでいる。「ごめんね」と小さな声でハーロックが唇を尖らせた。


「でも──トチローの顔色が赤かったから。俺」


「あー、良いんだこれは。熱はきちんと下がっとる。そうでなきゃ食堂で
 飯を食うことなんかドクター・佐渡が承知するわけないさ」


「うん。そうだよなぁ。あの先生恐いったら」


ぱっとハーロックの顔に笑顔が戻った。いつも穏やかな微笑を湛えている父親を持って、どうしてこんなにも落ち着きのない息子になるのだろう。遺伝子の不思議に俺は内心首を傾げた。


「……私は、君に無理を強いていたのだろうか……」


一方、そっと目を伏せて落ち込むグレート・ハーロック。「そんなこと!」と
俺は思わず腰を上げた。


「そんなこと──あるわけないです!! あ、あの。さっきのお誘い、嬉しい
 です! 花火なんて……俺、資料映像でしか見たことないし」


「そうか、では早速準備を整えよう。今夜──夕食が終わる頃に」


にこ、と優しく微笑んで踵を返す大輪の白薔薇。翻るマントの先まで気品
高さに満ちている。「はい」と俺はうっとり背中を見送った。


「……美しいよなぁ。グレート・ハーロック。何喰ったらあんな風になれるん
 だろう」


「白ソーセージと鯖の味噌煮と野菜のごった煮汁だろ。あと酒」


「そりゃ食堂のメニューじゃねぇか。味噌煮なら俺も喰っとるわい」


「オヤジの好物だよ。特にソーセージ。あ、あと生ハムも好きだし、
 北京ダックと回鍋肉も。二日酔いの朝には冷製キムチのスープ。それと」


「──…途中からお前の好物じゃねぇか」


俺は食べかけの食事を脇にどけてテーブルに突っ伏した。ハーロックは何故か
やたらと中華料理が好きなのだ。白米に死ぬほどキムチを乗せて喰うのが好きな男。酒の肴は韓国ノリとネギたっぷりのチヂミで大喜びだ。こいつのことなら何でも知っているのに。


「謎めいてるよなぁ、お前の父上は」


「父に上も下もないだろ。父は父だ。39歳だぞ。中年の極みだ」


「お前はグレート・ハーロックの偉大さを知らないからそういう軽口が
 叩けるんだよ」


──切ないくらいに、尊敬している。俺が溜息をつくと「あのさぁ」と
ハーロックが席を立った気配。目を開けると、大きな鳶色の瞳の中に俺の
顔が映っていた。緑色の光彩が無い、純粋な鳶色。俺の顔は何だか──タヌキ
に似ている。否、モグラかもしれない。


「トチローは、オヤジが好きなのか? 綺麗だからか? 俺の顔は嫌い?」


ハーロックは隣りに来て俺と同じように突っ伏している。アップに耐えうる眩しい美貌。タイタンで俺がつけた傷さえなければ、作り物のように左右対称だ。確かにこいつは美少年なのだ。そして、俺は綺麗で完璧なモノが好きだ。確かに──好きなのだけれど。


「駄目だなぁ。お前じゃ」


骨太なイメージがどうにも胸にきゅんと来ない。穏やかな色を湛えるあの瞳
とは対照的に、熱情的な焔を宿すこの瞳も。


──嫌いじゃ、ないけど。


どのみち親友に切なく胸を締めつけられるなど気色悪くてかなわない。俺がトレイ片手に席を立つと、「俺が持ったげるぞ」とハーロックも立ち上がった。


「オヤジは持ってくれねぇだろ。はい、ハーロックは頼りになる親友だと
 言いなさい」


「はいはい…ハーロックくんは頼りになる親友ですよ。敏郎くんは嬉しい
 なぁ」


「そうだろそうだろ。だから、オヤジとなんか遊ばないで俺と遊ぼう。
 片腕使えなくったって遊べるぞ。カブト虫も捕れるぞ。夜の内に大きな木を
 見繕って蜂蜜を塗っておくんだ。そうすると朝には大きいのが」


「いや、それとこれとは話が別」


俺は、ぴた、と足を止めて頭一つ大きな親友を見上げる。


「カブト虫はまた今度な。だって──今夜はグレート・ハーロックのお誘い
 なんだから。…──俺と、グレート・ハーロックとの約束」




★★★

『夏の日の星』。一年中が湿った夏の気温と湿度を帯びた星。あちこちに畑や
森があり、清流には蛍の群れ。幼い日々の懐かしさと郷愁から誰もがこう呼ぶ。そう──…

──永遠に終わらない、夏の日の星。



「ここの星は月に一度、旧時代の文化保護のために古風な祭を行うのだよ。
 それも気候が近いという理由で特にニホンの祭を。夜の7時から行われる
 花火大会もそうだ。今は廃れてしまった火薬と技術を用いて、職人達が腕を
 振るう。優秀な花火職人を育てる学校さえここにはある。大山も──ここが
 好きだった。ここは、彼の失った故郷に似ているそうだから」


どーん、と大きな花火が上がった。正確な円。赤や黄色の火花が夜空に映える。
うちわ片手に堤防に座り、「楽しいかね」とグレート・ハーロックが俺の顔を覗き込んだ。薄暗がりでもはっきりとわかる、八頭身の美しい人。

俺は少々──落ち込んでいた。
 

「楽しい……です。ハーロック達もあんなにはしゃいで」


視線を少し上げれば堤防の道沿いには沢山の出店。並木にぶら下がった提灯の列。遠くからはお囃子の音が聞こえて、それと花火の炸裂音が心地良く夏の夜風にしみていく。
「わーい当たったァ、景品おくれ」という親友の声が、やけにはっきり耳に
届いた。


「ファルケ・キントは射的をしているのかな。楽しそうで何よりだ」


「あいつの腕じゃ反則ですよ。動かない的なんて、目をつぶってたって当たる
 だろうに」


浅はかだった。そう、思う。この慈悲深くて仲間想いで息子想いのこの人が、
デスシャドウをそっちのけにして誰かと二人きりになんてなるわけがない。

二人だけで花火(はぁと)なんて、浮かれていた俺が阿呆だったのだ。


「トチローくんも遊ぶかね。ファルケ・キントのような射的は無理でも、たこ
 焼きを食べたり、りんご飴を食べたり」


あぁ、飴細工もあるのだよ。音もなく立ち上がるグレート・ハーロック。水面にトンボ柄の浴衣が本当によく似合っている。川の涼やかさをふわりと巻き上げた風に前髪を遊ばせ、微笑む姿は優美そのもの。そっと手を引かれて、俺はうっとりとしたまま腰を上げた。──が、すぐに我に返って首を振る。


「いいえ! 良いんです。夕飯は食べたし……俺、ここでこのまま花火を
 見ていたいです」


初めて嗅ぐ火薬の臭い。幼い頃、オヤジのパソコンで初めて動画の花火を見たとき、武器にしか使われないのだと思っていたモノがこんなにも美しく夜空を彩るのだと感動したが、実物はあの時の動画を遥かに超えたスケールと感動を与えてくれる。ぱーん、と金色の火花が雨のように長く尾を引くのを見て、俺はグレート・ハーロックに手を取られたまま硬直した。


「……きれい……」


大砲のような音が胸を打つ。一瞬の焔と、その儚い美しさに俺は何だか目尻が
熱くなって。


「そう、気に入って貰えたようで、私も嬉しい」


気が付けば、優しく涙を拭われていた。グレート・ハーロックが袂で拭いてくれたのだ。白い頬に、花火の色が淡く浮かぶ。オヤジの親友。地球の英雄。太陽系最強の戦士が、今、膝を折って俺の顔を覗き込んでくれている。ハーロックよりも僅かに線の細い目鼻のパーツの一つ一つ、薄い唇から規則的に洩れ出でる吐息までが──こんなにも近い。

よく考えたら……この状態は二人きりと同じだ。気付けば一瞬意識が遠のく。


「ぐ……グレート・ハーロッ……」


幼い頃、何度も何度もオヤジに寝物語をせがんだ。敵船にさえ慈悲をかける真の勇者。その気高い戦闘姿勢は、第一次世界大戦頃の誇り高き戦闘機乗りにも似ていると、オヤジはいつも自分のことのように胸を張った。誰に恥じ入ることのない潔白な態度。ただの一度も汚されることのない旗印。どうせこの世に生を受けて生きるなら、彼の人のようにと何度も思った。


「花火の儚さに涙するのだね。君は優しい心の子。けれど、そんなにも悲しい
 涙を零す必要はないのだよ」


トチローくん。穏やかな声音で俺の名を呼ぶ。あぁ、祭の喧噪が、花火の散る音が途端に遠く、拡散していく。グレート・ハーロック。この人の周りはどうしてこんなにも静寂に包まれて。


「君の父君──大山がよく言っていた。人の生はこの火にも似ていると。
 色取り取りの火。短い命。けれど、たった一瞬でも完璧な形を描いて咲く
 ことが出来たなら、あとに散ることの何が悲しいのだろう、と。人には
 悲しく映ったのだとしても、火は決して悲しくはないだろうと──…。
 彼は、本当にその言葉のままに生きて」


「えぇ、父らしい言葉です」


あの人は最期まで笑って逝ったのだ。何かや誰かを顧みることのない強さの
持ち主だったから、きっと何の憂いも無かっただろう。

ぱらぱら、とまた花火が幾つか散った。「あぁ、そうだ」とグレート・ハーロックが空を差す。


「この星には特有の願掛けがあるのだよ。あぁして夜空を彩る花火達の最後の
 一つ、この夏の夜一番大きな花火が打ち上がって散る前に、何か一つ願えた
 らその願いはきっと叶う、と」


「随分、少女的なことを仰有るのですね」


花火はもう連弾に入っている。幾つも幾つも、空一杯に広がって、星々の輝きさえも掻き消すほど。


「なに、出所は私の旧友だ。二十を過ぎてもカブト虫採りなどが好きで、この
 星をよく訪れていた、男の」


「父ですか?」


「いいや」


穏やかに、穏やかに満天の空を見上げるグレート・ハーロック。川から吹きつける涼やかな風。祭太鼓の音が遠い。


ひゅる──っ、と一際大きな打ち上げ音が響いた。「何か願ってみるかね」と、
尋かれ、俺は急いで夜空を仰ぐ。



 ぱぁん………。


 
紺色の空に炸裂する、七色の花火。


「──ど」


「声に出さなくても良いのだそうだよ」



ど──うか。



堤防の上では夜店と提灯が並び。対岸でもそれは明るく、明るく。
空には花火。ストロンチウム、カリウム、アルミニウムがぱちぱちと瞬き、遠くには太鼓やお囃子の音。



どうか──来年もこの人と。



俺の隣には浴衣姿のグレート・ハーロック。幼い頃から憧れて止まなかった
英雄が、オヤジの寝物語からするりと抜け出してここにいる。



この人と……こんな風に。




「トーチローッ!!」


堤防の上から響く親友の声に、俺の願いは掻き消された。空を見れば、一面
の紺色と薄い煙。辺りに立ち込める火薬の匂い。


「なぁ、さっきのスゴいハナビだったな! どーんってなってばりばりーっ
 て!! でも焼きそばもたこ焼きも美味かったぞ。俺が射的で景品取ったの
 見てたかトチロー!」


ハーロックが一気に土手を駆け下りてくる。青い気密服が赤い提灯の光を受けて紫色に染まっている。ハーロックは、グレート・ハーロックのようには笑わない。顔一杯で明るく、眩しく。


「なんで一緒に来なかったんだよ。さてはオヤジが引き留めたな! ほら
 トチロー。お前の分も焼きそばあるし、ソースせんべいも、イカ焼きだって」


「う──うるさぁい!!」


俺はぎゅうぎゅうと抱きついてくる親友の顎に、アッパーカットをきめた。
ソース臭いのも勘に触るが、何より俺は願掛けの最中だったのに。


「お…お前がデカい声出すから、俺の心よりの願い事がぁ──ッ」


「願い事? 何? 世界平和か?」


乙女趣味、と吹き出され、今度は思い切りみぞおちを殴る。ぐぇ、低く呻いて
ハーロックはその場に蹲った。


「な……何だよトチロー。怒ってンのかよ」


「怒るわ馬鹿! ことごとく俺の邪魔しやがって。もういい、俺は艦に戻る!」


「えー! そりゃないぞトチロー。だってまだ紐クジも引いてないし、
 ヨーヨー釣りも、焼きトウモロコシも」


「ヤッタランと喰え!!」


「ヤッタランは型抜きと格闘中なんだよ。昇り竜で合格点もらったら
 一万宇宙札なんだってさ。その金でプラモ買うって──もう本気に
 なっちゃって」


「知るか。じゃあ一人で遊べば良いだろこのビー玉脳!!」


「トチロー、綿飴奢ってやるからさぁ」


鼻息荒く堤防を上る俺を、情けなく追うハーロック。その後ろには、
穏やかに微笑むグレート・ハーロック。

あの人は、何を願ったのだろう。そんな風に、ふと思う。


「トチロー、あと飴細工も食べさせたげるし、ヨーヨーもあげるし」


「あーもう! 情けないツラするんじゃねぇ!!」



「気を付けて遊んで来るんだよ。ファルケ・キント、トチローくん」



優しく、やわらかな仕草で片手を挙げて見送ってくれる。花火はもう終わったのに、あの人はまだここにいるつもりなのだろうか。


「オヤジは? どうすンだよ。戻るのか?」


しっかりと俺を捕まえて、父を呼ばうハーロック。息子に声をかけられても
彼はただ微笑むばかりで。



──あぁ、きっとこの人は。




「──…行こうぜ、ハーロック」




美しい火が散ったその後に、偲ぶ夏の日があるのだと、俺は親友の手を握り返した。


















●夏っぽい話です。いや、今年の夏は熱かった……。友人さんらとキャンプにも行ったし、ネタかぶってないと良いなぁ……姫の方と。しかも「二十歳を過ぎてもカブト虫採りに熱中する男」は超身内ネタだし。いや、もう名前は出て来ているんですが。スミマセン、更新遅くて。



アクセス解析 SEO/SEO対策