Ghost in the Ship・2
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★★★ 「それで? その幽霊はどんな恐ろしい顔だったのかしら。台場くん」 有紀蛍が微笑んだ。一夜明けての艦橋内である。ぼちぼちと人が起きてきて、けれどまだ艦橋には僕と彼女の2人きりだけだ。僕より少し年上で16歳の美少女は、まだ幼さの残るやわらかな声で「ね?」ともう一度繰り返す。 「超現実主義者の副長と貴方が見たというのなら、多分本当にいたのだわ。 台場くん、どうだった?」 肩にかかる金色の髪。薄茶色の大きな瞳。伏せがちな長い睫毛が何とも言えず蠱惑的だ。凝っと見上げているのが照れ臭くて、僕は艦長席の肘掛けに尻を据えながら僅かに顔を伏せる。 「……うるさいなぁ。それより本当に内緒にしていてくれるのかい? 僕が 廊下にひっくり返っていたことは」 あぁ無惨。僕は敢えなく気絶したのだ。よりにもよって彼女に、仄かに憧れさえ抱いている蛍に「どうしたの?」と揺り起こされたときには本気で死のうかと思うほど恥ずかしかった。 「勿論、内緒ね。でも、台場くんは正直者ね。寝てたって言えば信じたのに」 ふわり、とコントロールパネルに手をつく彼女。彼女のような幽霊なら、僕は気絶さえ惜しんで見入ったに違いない。美しい着物姿の幽霊が夜な夜な廊下を舞う様はきっと幻想的だろう。 「嘘なんかつかないよ。たとえそれが自分の名誉にかかることでもさ。この 世で一番恥ずべきことは、自分を信じてくれる人に嘘をつくことだ。そう 思わないかい」 彼女の正面に立ったまま、僕は視線をそらさずに言ってみる。──そう、 たとえ女々しい男と言われようとも、仲間に嘘をついてまで見栄を張るなんて。 「そうね。その考え方は立派だわ。台場くん、男ね」 蛍が笑う。彼女は本当に屈託なく笑うのだ。僕は少し憮然として腕を組む。 「──ま、言われるまでもなく生まれたときから僕は男なんだけどね。 幽霊を見たっていうのも信じてくれる?」 「信じているから尋いているんじゃない。貴方が気絶するほどですもの。 相当に恐ろしい顔だったのね。その幽霊」 怖いわ、と蛍は身を竦ませた。何となく芝居がかって見えるが、僕だけに恥ずかしい思いをさせまいとしてくれている努力はわかる。僕は大人しく「うん」と頷いた。 「恐ろしい、というか──気味が悪かったんだよ。あまりにも時代錯誤で、 あまりにも異様なお面をしていたから」 「お面?」 「うーん、いや、お面っていうと語弊があるかなぁ。正確には能面だよ。 知ってるかい? 能面」 能というニホンの伝統芸能も絶えて久しい。蛍は少し考えて「知ってるわ」と 瞳をくるりとさせた。 「確か──昔々のニホンで行われていた伝統芸能に使われたお面のことね。 詳しくはわからないけど、ライブラリで見たことがあるわ」 「うん。それなら話は早いかな。僕が見た幽霊の顔はね、蛍さん」 ──真紅に塗られた小面だったよ。 思い出してもぞっとするあの無表情。淡い光に浮かび上がる唯一の赤は、 まるで血塗られているようだった。薄く微笑んでいるのか、それともやはり 無表情だったのか。角度を変えるたびに様々変化するあの面は、僕が見たときには笑っていた。 「これを告白することは、とっても恥ずかしいことだけど……やっぱり 怖かったよ。物凄く」 幻覚として見るにはあまりにもあり得ないあの姿。とてもじゃないが僕の無意識下に“あんなモノ”が存在していたとは思えない。そもそも、あの無表情を能面だと思い出したのは、僕が意識を取り戻してからなのだ。 「──…真紅に塗られた小面の──男の幽霊? 何だか、不思議な姿なのね」 副長は白拍子だと言っていたけれど、と蛍がつけ加える。──それは、多分。 「副長はあれでも旧ヨーロッパ人だからね。そう定義付けてもやむを得ない と思う。でも、あれは白拍子じゃなかったよ。何より、僕の聞いた声は 間違いなく男だったもの」 「副長が間違えて思い込んでしまったということね。でも、そのシラビョー シって一体何なのかしら。どうしてあの聡明な副長が誤った認識を?」 「ん、それはね」 おぼろげな知識を頼りに、僕は蛍に説明をした。そもそも白拍子というのは雅楽の拍子の名前で笏拍子のみで奏でられる音だけで歌うものをそう呼ぶのだ。 そしてもう一つ、その演目を演じる遊女も白拍子と呼ぶ。彼女達は白い水干姿に烏帽子をかぶり、太刀を差して舞ったという──。 「じゃあ副長はその幽霊が白装束で刀を持っていたから白拍子だと思った というのね」 「推測だけどね。最も、僕が見た幽霊と副長が見たのとは違う幽霊だったか もしれないから、確かなことは言えないけど」 「この難攻不落のアルカディア号に、そう何人も幽霊はいないと思うわ。 だから多分、台場くんの言っていることで当たりなのね」 蛍が細い腕を組む。 「……でも、例えばマゾーンの作戦だったらどうかしら。現にあの人達は 何度もこの艦に干渉してきてるわ」 「いや、多分それはないよ」 僕はあっさりと否定してみせる。無論、蛍が言ったようなことは僕も考えたのだ。けれど、あの侵略者達には“そんなこと”をする理由がない。 「そもそも数千年前に廃れてしまった『着物姿の幽霊』を投影する意味がな い。アルカディア号に混乱を招こうという作戦ならば、もっと分り易くて 簡単な方法がいくらでもあるはずだもの。例えば──物凄く下世話だと思 うけど──マゾーンがビキニでも着た姿でも映せば良い。マゾーンは全て 地球型美女の姿をしているんだから、男所帯の艦には効果覿面。魔地機関 長なんか十中八九作戦にハマる。あの人究極の馬鹿だからね」 「そうね。機関長がハマるかどうかはともかくとして、確かにそうだと思う わ。それで台場くん、このことはキャプテンに報告するの?」 「うーん。僕もそれで迷ってて。ひょっとしたら僕の気の迷いかもしれない し。でも、あの冷静な副長まで気が迷うとは思えないし」 「私、疑ってないわ。キャプテンだって疑わないわよ」 「知ってる。キャプテンはとても真っ直ぐな人だからね。──勿論、君も」 君も、というところに力を入れる。ちら、と彼女を盗み見ると蛍はとても嬉しそうに微笑んでいた。とくん、と胸が切なく鳴る。やはり彼女は──キレイだ。 「あ──どのみち心配はいらないさ。僕が必ず幽霊の正体を突き止めてみせ るし、幽霊は夜にしか出ないみたいだから、君はなるべく夜に廊下に出な いよう気をつければ良いし。でも、もし夜に用事があったら、僕にコール してくれれば……」 僕が──守るし。戦闘指揮官の彼女にこんな台詞を言うのは、或いは自惚れかもしれない。僕は言葉を、ぐ、と呑み込んだ。僕が彼女より強くなれば堂々と言える台詞だ。もう少し取っておいたって腐らない。 「えぇ、何かあったら台場くんに頼るわ。なるべく早く真相を解明してね。 私も出来るだけの応援はするわ」 コーヒー淹れてくるね、と蛍がふわりと歩き出す。華奢な彼女は足音がしない。 何度も繰り返すようだが──彼女のような幽霊なら是非見たい。 退室した彼女の背中を見送って、僕は、ふぅ、と一息ついた。 「幽霊……か」 ──昨夜の幽霊は何と言っていただろう。低くてもよく透る男の声。“彼”は、 随分と理知的なことを言っていた。そう、 ──幽霊なんて、存在しないよ。 と。幽霊のくせに己の存在を否定したのだ。万が一どこかの敵の作戦だとしても、幽霊的なモノにこんな発言をさせたのでは本末転倒だ。僕は天井を仰いだまま眉根を寄せる。 「マゾーンじゃ、ないなぁ」 僕は天井の巨大スクリーンを仰ぎ見る。やはり──意味がない。マゾーンが僕達に白い着物の幽霊を見せる理由がない。動機がない。 「……じゃあ、誰が?」 いや、何が? か。人為的にしろ、そうでないにしろこの世に意味のない行為などない。歴史でも、人の心でも何かしら“動く”という行為には意味があるのだ。薄暗い艦橋で一人、僕は思案の海に漂う。 ふわ、と視界を白いものがよぎった。 「……!!」 僕は慌てて立ち上がる。──昨夜の幽霊だ。直感的にそう思う。 「誰だ!? 何が目的でこんなこと──!!」 お前、なかなか良いセンスをしているな。副長でさえ、これほどの短期間にはその結論には行き着かないだろう。 ぴり、と全身に疼痛が走る。頭の中に透る声。そして背後に、気配。僕は意を決して振り返る。二度も気絶してたまるものか。 勇ましいな。アイツの若い頃を思い出すよ。もっとも、アレは馬鹿さゆえに恐れを知らないところがあったがね。 「アイツ? キャプテン・ハーロックのことか?」 白装束に、真紅の小面。子供のような体格の“それ”は、艦長席に堂々と肘をついて座っている。幻でも、見間違えでもない。淡く発光しながら座っているのだ。 ──そう、アイツ。このアルカディア号の主。今でも地球人をブタ呼ばわりするクセが抜けてない。 「……アンタ、一体何者だ?」 わからないか? まだ。 す、と近付いてくる真紅の小面。僕は思わずホルスターに入った銃に手を伸ばしかける。が、相手は幽霊だ。弾が当たるわけないので睨みつけるに留まった。 く、く、く、と幽霊が笑う。 良い目つきだ。その眼差しでも真実を見抜くことは難しいかな。 「真実…だと?」 僕は一歩引いて“それ”の様子を改めて観察した。今では珍しい着物と袴。 足袋まできちんと履いているところを見るとこの幽霊……ニホン人か。 「アンタ、ニホン人か?」 念のため尋いてみる。幽霊は楽しそうに「あぁ」と頷いた。 その調子さ。張り切って俺の正体を暴いてみなよ。有紀蛍に良いトコ見せたいんだろう? 「なっ……貴様、一体何を知っている?!」 思わず声が高くなる。ふわ、と彼は飛び上がり、俺の頭上に広がった。 ──この艦で起きたこと、全て。 ゆうらりと落ちてくる。俺の頭から爪先までを通り抜け、それは黒い床に溶けた。この艦で起きたこと、全て。反芻して、僕は弾かれたように走り出す。朝から晩まで。“彼”はこの艦内全てを見知っているのだ。 「きゃ……どうしたの? 台場くん」 艦橋から廊下へと出る扉を開くと、蛍がコーヒーカップの乗ったお盆を持って立っていた。「ごめん!」と僕は先に詫びて、アルミ製のお盆から白いカップを一つ取り、熱いコーヒーを一気に飲み干す。カップを戻して再び駆け足。 「モカだね。おいしかった。僕、コーヒーではモカが一番好きだよ。蛍さん!」 数歩走って振り向くと、彼女は呆然として僕を見ている。呆然としている顔も、やっぱり美人だ。それでも僕は急いで走る。──わかったのだ、幽霊の正体が。 動機も何もわからないが、“彼”が何者であるのか、それだけは悟った。 艦内マップは乗艦した最初に頭に叩き込んである。“そこ”には艦長を初め、ごく少数の人間しか入れないことも。入るためにはI.D.が必要であるということも。誰もが自由に歩き回れるこの艦で唯一、閉ざされた空間。キャプテン・ハーロックが何よりも厳重に守る場所。 けれど、今なら僕は入れる筈だ!! 「大中枢コンピュータぁ!!」 半ば叫んで、僕は大きく堅固な扉の前に立つ。案の定、I.D.を提示しないうちから扉が開いた。僕は、胸を高鳴らせながら一歩踏み込む。 さら……。 鼻先を、淡いピンク色の花弁が掠めた。桜吹雪のホログラフィー。暗く、広い室内全体に、虚像の花弁が降り注ぐ。その中心。壁全体が何らかの操作パネルとして機能し、様々に点滅するその中心に一際大きく、一際鮮やかに点滅を繰り返す大中枢コンピュータ。 そして、正面には踊る白拍子。扇の代わりに細身の直刀を抜き払い、桜吹雪の中を優美に、優雅に舞っている。否、白拍子ではないのだ。これは──。 ──鉄の女神に、捧げる舞いさ。神楽と呼んでも良いのかな。古来より、鋼鉄には女神が住まうもの。よって、鉄を扱う者はすべからく男であり神官だったという。これは、代々我が家に伝えられたその衣装と舞──…。 音はない。それでも充分すぎるほどの華麗さに、僕は足を止め思考を止めて暫し見入った。彼が腕を振り上げるたびに膨らむ袂。点滅するデジタルの中でも古風な刀は蒼白く存在感を放っている。真紅の小面は──鋼鉄の女神を表しているのか。神官と言いつつも、その舞いはどこか女性らしい繊細さがある。最後に紗の被衣をふわりと広げ、彼の身体は衣のなかに溶けた。 「………は……」 僕はもう言葉もない。と、同時にこれほどの舞いを目撃しながら台所で水飲んで寝た副長のクールさ(シュールさか?)にも言葉を失う。 お気に召したかい。台場博士の息子さん。 我に返ると、桜吹雪は消えていた。コンピュータルームは神聖さを失い、ただの機械だらけの空間に戻っている。それでも、幽霊だけが消えていない違和感に、僕は肩の力を抜いた。 「貴方も……さっきの桜吹雪と同じ、ホログラフィーですね。このアルカディ ア号の“心”。キャプテン・ハーロックの偉大な親友」 まぁね。ただ昨日も言ったがね、俺は幽霊なんかじゃない。膨大な精神パターンを記録したデータと、身体的特徴のデータを組み合わせて造り出された、ただの虚像さ。実際、そこに魂があるのかどうかさえ判らない。 僕の腰ほどの位置、何もないところで足を組んで、彼は小面の顔を傾ける。僅かな陰影が困ったような表情を造り出した。これはこれで、慣れれば何でもないものだ。 「でも、貴方はこの大中枢コンピュータの“心”なんでしょう? キャプテ ンもミーメも、この艦を古くから知る人はみんな、アルカディア号には心 があると、そう言います」 だから、それはこの艦を造った男の膨大な記憶データがコンピュータに記憶されているからに他ならない。事実、心というものは脳の微細管で起こる量子振動だという説もある。心が電気信号で構築されるモノだとしたら、それはコンピュータでも十二分に再生可能だ。だから、俺は俺の存在が、 単に優れたA.I.なのか、それともこの艦の製造者“大山敏郎”なのか、その区別をつけることが出来ない。魂は多分──無いんだ。だから、幽霊を死後も現世に留まる魂の姿と定義するのなら、俺は“それ”とは違うもの。 「成程、それならさしずめ貴方の存在は“影”ということになりますね」 どこまでもオリジナルに類似しながら、決定的に異なるモノ。科学的に作られた色と意思を持つ虚像だ。僕は納得して顎を擦る。「その通り」と彼は己の面を一撫でした。 ──1カ月か……もう少し前か。長らくコンピュータの中でデータとして存在していた俺を生まれたてのプログラムが急に形造り始めた。ずっと前から緻密に極秘に組まれ続けていたプログラムだ。手足、胴体、髪や服装。瞬く間に朦朧としていた“俺”が出来上がった。けれど、肝心の何かが足りない。俺は俺であることを識っているが、この姿と魂を持っていた人間が、既にこの三次元空間のどこにも存在しないことも知っている。墓もある。その下には朽ちていく肉体があることも。それでは、ここに在る0と1で造られた俺は何なのだろう。死者は還らないという死生観を持って、“俺”は何のために三次元空間に現われたのか。夜の時間をさまよいながら、いつもそんなことを考えていた。 「それは人類究極の命題ですよ。人は生まれ落ちて、どこへ行くのか。知る 人はいません。人の中に、本当に魂があるのかということも。ただ、漠然 と他の生命体との優劣をつけるために、人は魂の存在を信じるのだと思い ますが」 優れたA.I.と人の間に差はないと? 「……わかりません。けれど虚構の物語や実際の論文の中にも、それを論議 するものが多くあります。曰く、人は機械よりも優れた心を持っているの だと。曰く、心さえもプログラミングが可能だと。そう、記録と記憶に差 異など無いのだと」 1世紀ほど前になら、人とA.Iを決定的に分ける理論があった。曰く、人の脳には数値化出来ないほどの情報処理能力と応用力がある。必要な因果関係と不必要な因果関係の取捨選択は、どれほど優れたA.Iにも不可能だと。 「今の時代では既に黴の生えた理論です。機械化人が増加の一途を辿る 昨今、機械化人の人工脳の優位性は宇宙中が認めていると言っても良い筈 です」 その裏では、多くのバグが認められているがな。人の“心”を失うと。 温かな思いやりや、生き物に対する見方が変わるとさえ。事実、そんな風に 変貌する人間を“俺”は随分見てきたよ。 「──迷いが、あるのですね?」 そうだ。だから、“顔”を造らずにおいた。同じ姿、同じ声をしていながら、その中身が冷酷なまでに変容していたら、アイツは悲しみながら俺を消去しなくてはならないだろうから。 俯く。あの小面は別段恐怖を演出するためにあったのでないようだ。機械化人の残虐性を目の当たりにしてきた天才技師が、迷いのために被った虚像の証。僕は、そっとホログラフィーの肩に触れた。透ける。僅かに像が乱れ、僕の腕に静電気で鳥肌が立つ。 「それで、僕に?」 ──俺を、試してはもらえないだろうか。俺は冷たい機械の塊か、それとも 誰かの“ゴースト”たるに相応しいのか。何の先入観もないお前さんにだからこそ、頼めることなんだよ。 震える声。半透明の手が僕の手に触れる。それは、少し温かいように思えたけれど。 「……わかりました」 僕は、厳粛な面持ちで頷いていた。 |
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●うちの台場くんは有紀さんに恋し気味。ここでまっとうなのは彼だけかもしれません(笑)。あと、ここで出てくるこ難しい理論はうろ覚え9割なので「そうなんですか?」とか聞かないであげてください。次でようやく艦長出ます。 |
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