花と湯・4




★★★


 かぽーん。


『春蛍屋』のメイン・バス。20世紀前半の銭湯を模した浴場だ。
全面タイル張りの広い空間。天井が高い。一際大きな浴槽の背後には
かつてのニホン一の標高を誇る、Mt.フジが描かれている。

空色の──山。ニホンという国には、かつて空色の山が存在したのだ。


「ニホンちうんは、不思議な島やったんやなぁ」


「不思議でも何でもねぇだろ。あんなのはただの大気の具合だ。もしくは嘘八百
 だ」


山が青いわけねぇじゃん、と、湯縁に顎を乗せながら、魔地がのたまう。情緒を解するのがニホン人の特徴だと聞き覚えていたのに、この男には風情がない、とヤッタランは思う。


「魔地はドライやなぁ。トチローはんかて多少の風情は解するで」


「風情はわからんが、俺は好きだぜ、風呂。くっさいまんまで一週間以上平気な
 アイツと同じにせんでくれ」


魔地が「うえぇ」と舌を出す。今は珍しい黒い髪。漆黒の瞳。僅かに黄色がかった肌は、今は上気して朱に染まっている。敏郎でさえ髪は薄栗色で瞳は茶色だというのに。この魔地という男は生粋の旧アジア人たる特徴を100%兼ね備えている。

新参者の機関長──魔地・アングレット。名前にはカタカナが混じるのになぁ、と、ヤッタランは彼を改めて観察しながら引き続き思う。彼を仲間と呼ぶまでに
かけた数カ月を思う。けれど──それはここで語る物語ではない。


「その魔地かて、一緒くたになってエンジンルームに籠もっとったやないか。
 違うなんて言えんわい」


「馬鹿。だからこそこうして長風呂してンだろうが。大体、ハーロックも敏郎も
 早く上がり過ぎだろ。風呂っていうのはもっとじっくりつかるモンだぜ」


「トチローはん風呂嫌いやしなぁ。ジュニアもそんなに好きやないねんで」


「ふぅん、じゃあ何で温泉街なんか選んだんだよ。ハーロックの趣向に合わせる
 なら、もっとこう派手な……テーマパークとかよ。あのほれ、著作権のやばい
 ネズミがマスコットの」


「夢と冒険のランドかいな。まぁ、確かに最初はそういう話も出とったで。 
 せやけど、テーマパークは慰労らしくないかなって、ジュニアがなぁ」


「敏郎のためか?」


「トチローはんのためやな」


ふぅ、と魔地が息をつく。ヤッタランは曇った眼鏡を湯に浸した。定期的にこうしなければ、視界が湯気で真っ白に霞むのだ。


「最近、トチローはん何だか体調がようないみたいやし──休養言うからには、
 ゆっくり出来た方がええからってなぁ。全く、睡眠時間削ってまで作業に打ち
 込むんはニホン人の習性かいな。魔地も付き合うて寝てへんのやろ。大変やな、
 臭いわ眠いわで」


「臭いのは確かに地獄見たけどな、寝るのは忘れたんだよ。敏郎の造り出して
 いくモンを見てれば、大抵の“マイスター”なら時間が止まるぜ。俺はエンジ
 ンとウェポンシステム専門だが、今造ってる時間波エンジンは凄いぜ。根本は
 かの有名なクィーンエメラルダス号のエンジンだが、敏郎特有のアレンジが
 加えられてるからな。流れゆく時間エネルギーを逆流することによってワープ
 速度も格段に上がるし、エネルギー消費率も」


「……アカン、のぼせるわ」


ヤッタランは水風呂に移動しようと立ち上がる。ニホン人というのは皆こうか。
新エンジンの性能について恍惚と語り出す魔地を横目で見つめ、溜息を一つつく。


「そろそろ上がらんか? 魔地。いつまでもDrゼロ一人を部屋で飲ましとる
 ワケにはいかんやろ」


「まぁなぁ。しかし医者のくせに風呂嫌いでアル中なんざぁ、不安だよなぁ。
 下手に湯当たりも起こせないぜ」


濡れた髪を一纏めにし、魔地も立ち上がる。と、その時、乱暴に出入り口の引き戸を開閉し、ハーロックが肩を怒らせて浴場に入ってきた。タオル片手に、けれど顔は湯につかる前から真っ赤である。「ありゃ」と、魔地が身を乗り出した。


「どうしたキャプテン? さては敏郎にフラれたか」


「フラれるも何も──零達がいるんだよ! 地球連邦独立艦隊が!!」


怒りと混乱がない交ぜになった一声が、風呂場全体に反響する。ただでさえ空いている浴場がわんわんと震えた。ヤッタランは動じずぽりぽりと頭を掻く。


「『火龍』かいな。あっちゃー面倒やなぁ」


「面倒?! 面倒なんてもんじゃないぞ。零の奴、トチローにコーヒー牛乳与えて
 懐柔しやがった。トチローもトチローだ!! 風呂に入り直そうかって言ったら、
 コーヒー牛乳飲んでから行く、だって! 俺より牛乳が大事なのか!? 俺よ
 り??!」


「………」


──怒りの矛先がよくわからない。しかし、とにかくハーロックが怒り狂っているのはわかるが。ヤッタランは「まぁまぁ」と、彼を湯船に引きずり込んだ。


「ま、風呂でも入って話そうな? 取り敢えずやな、ここに『火龍』が来とるん
 やな? そら間違いないな?」


「ないよ! アイツらここに来なかったのか? 気付かなかったのか?」


「ここの風呂広いからな、仮にいたってわかんねぇだろ。ヤッタランは目が悪い
 し、俺は新参者だから『火龍』のメンバーの顔を知らねぇ」


冷静な、魔地の言葉。「ん…そうか」と、ハーロックが肩まで湯につかる。持っていたタオルは丁寧に畳んで頭の上に乗せた。


「そういや、そうだよな。ごめん、コーヒー牛乳に思考力を奪われてたよ」


「まぁ、風呂上がりのコーヒー牛乳は人を駄目にするからな」


「ホンマやでジュニア。コーヒー牛乳のことはもう忘れぇ」


見事、魔地。ヤッタランは彼に目配せしてハーロックに向き直る。


「んで? ここでやるんかい。戦闘するならするで、こっちにも準備っちうモン
 が」


「いや、ここではやらないぞ。トチローが嫌がるからな。向こうも引いたし。
 でも、宇宙に出たらやるかもな。多分──向こうはやる気だよ」


出入り口に視線をやりながら、ハーロックが小声になる。せやな、とヤッタランは顎を擦った。


「と、なるとや。先に大気圏外に出た方が有利やな。残念やけど、慰労は返上
 ってことで」


「おいおい、俺と敏郎の慰労じゃねぇのかよ。当人達を置いてそんな勝手な」


魔地が両腕を組んでぶすくれる。我慢しろよ、とハーロックが眉を顰めた。


「俺だって好きでこんな決断するんじゃねぇもん。キャプテンには、クルーの
 安全を守る義務があるんだってさ。理解してくれないかな」


「仲間っていうのは、クルーとは違うだろ。別にお前に安全を守って欲しくて
 あの艦に乗ってるわけじゃない」


低く、それでもはっきりと言い切る魔地。ハーロックは頭に乗せていたタオルを腰に巻いて立ち上がった。


「そういう主張は格好良くて好きだけど、今は駄目。艦長命令。はい、上がって
 上がって」


「キャプテン横暴! 俺は誰の命令も聞きたくないって、仲間になるとき言った
 じゃないか!! そもそも俺はもう誰の──」



「おぉい、キャプテン! 大変だぁ〜!!」



長くなりそうな魔地の言葉を、タイミング良く遮って。Drゼロが白衣姿のまま、
がらっぴしゃっと入って来た。アルコール中毒気味の彼にしては珍しく、酩酊はしていないようだ。本気の目をして広い浴場に視線を巡らせている。


「おーい、キャプテン! おーい!!」


「こっちこっち! ドクター、眼鏡買おうよ、いい加減にさぁ」


「何を言う、ワシはまだモウロクしとらんよってに。全く、お前らときたら
 すぐワシを年寄り扱いする……」


ハーロックに呼ばれ、ぶつくさと文句を垂れながら向かってくる禿頭の老人。
彼こそが『デスシャドウ』唯一のドクターである。──彼がどんな経緯でこの艦に乗ることになったのか、それは魔地の物語と同様、また別の世界での話。


「眼鏡が年寄りの証なら、この世の近眼や遠視・乱視には何の救いもないね」


魔地がからかう。こらこら、とヤッタランは魔地の脇腹をつついた。


「ドクターからかうと後が怖いで。それで? ドクター、一体何があったねん。
 『火龍』が来とることなら、みんなもう知っとるで」


「うん。俺とトチローがしっかり目撃したぞ。それとも、風呂に入りに来た?
 それなら服を脱いだ方が」


ハーロックが、ひょい、とDrゼロの白衣を摘む。「それどころじゃないわい」と、彼はその手を振り解いた。


「男子たる者、長風呂せず! これがワシの信条だ。そうでなくてだな、キャプ
 テン、トチローが──」


「なぬ?! トチロー! トチローがどうかしたのか!!?」


湯船から飛び上がって仁王立ちになる。ハーロックは敏郎のことになると
我を忘れるのだ。「トチローがどうした」と詰め寄る彼の剣幕にずいずいと押され、
Drゼロの小さな身体はあっという間に出入り口に戻された。


「ドクター!! ちゃんと報告してくれ、トチローがどうか」


「ジュニア、ジュニア落ち着きぃな」


脱衣所の端までドクターを追い詰めるハーロック。そんな彼の背中を、ヤッタランは、ぱしぱしと叩いた。


「ドクターが怯えとるで。ホンマ、もうちょい冷静になる術、身に着けんとなぁ。
 キャプテンって呼ぶにはまだまだ未熟や」


「悪かったなぁ、未熟で。冷静だよ、俺は。──ドクター、報告したまえ」


こほん、と咳払いを一つして。声をワントーン下げてハーロックが胸を張る。
「大丈夫か? ホントに」と、Drゼロが怖ず怖ずと彼を見上げた。


「ついさっき──トチローが倒れたと若い将校らしき青年がな、ワシの部屋
 まで走ってきおった。お前さんらの部屋にいって見てみれば、確かにトチロー
 が布団に横たわっとるし……青年の素性を聞けば「俺は『火龍』のクルーです」 
 などと言いおる。罠ではないと思うが、一応、お前さんに報告をな」


「『火龍』のクルー……? あの、それって軟弱そうな美青年の」


ハーロックが数度瞬きを繰り返す。「うむ」とDrゼロが頷いた。


「軟弱そう……とは思わなんだが、こう、亜麻色の髪のな。そいつが言うには
 トチローが廊下の下で弱っているところを」


「連れてきたと?」


「うむ、連れてきたのだそうだ。抱っこして」


抱っこして。明らかに危険なキーワードだ。ハーロックの表情から余裕の笑みが消える。ヤッタランは、一歩下がる。



「あンのぉぉぉお『火龍』のインケンマツゲ!!!」



沸点。沸騰。大爆発。ハーロックが絶叫した。びしびしぱりん、と脱衣所の壁一面に設置してある鏡が割れる。ばたん、と前世紀のデザインで復刻された体重計がヤッタランのすぐ後ろまで倒れてきた。


「うっわ凄いな。人間兵器」


ぴゅう、と魔地が口笛を吹きつつ上がってくる。さすがに、『デスシャドウ』の機関長に選ばれた男。度胸は満点だ。


「で? 誰だよ、『火龍』のインケンマツゲって。何かそいつと因縁があるのか
 ハーロック」


「インネン?! アイツはインケンなんだよ!! インネンじゃない!!」


「いや、俺が言いたいのはそういうことでなく」


「インネンっていうかインケンっていうかインゲンっていうか──豆だ!
 あんな奴、豆粒ぽっちだ今度は墓場に送ってやるぞインゲン!!」


浴衣も纏わず身体も拭かずDrゼロさえ押し退けて、一路自室へ向かって走り出す
ハーロック。どたどたどたどたという足音が、尾を引いて消えた。

──後に残されたのは、吃驚しすぎて真っ白になったDrゼロと、滅茶苦茶に
なった脱衣所と、ぽかーんとしている魔地・アングレット。そして、


「──…まぁ、いつものこっちゃ」


と、無我の境地に到ったヤッタラン。


「……何なんだよ、あいつ……ワケわかんねぇぞ。良いのかよ」


魔地がぽかーんとなったまま呟いた。確かに、新参者の彼には少々キツい洗礼
だったかも知れない。


「まぁ、そのうち慣れるねんで」


ヤッタランは出来るだけ優しく体重計を元の位置に直してよりかかった。


「うちのキャプテンは親友至上主義やねん。これさえ理解しとけば他に知っとか
 なあかんことはないで──多分」
















●バレンタインから約2ヵ月、ようやく魔地さん再登場。ちなみに“アングレット”という名前(名字?)は勝手につけました。名にも性にもとれるよね、魔地。

●お題、全然クリアーしてない事実にお気付きでしょうか……? まだ続きます。



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