花と湯・3




★★★


「久しぶりだな、ハーロックよ」


「……そうね」


胸を張る零を前に、気のない返事。けれど、「待て」と言われて律儀に待っていたのだから大したものだと石倉は思う。相変わらず背後に敏郎を庇い、石倉や零の前に立つハーロック。長身に纏った浴衣が妙に浮いている。


「よもや貴様が温泉の風情を解するとはな。少し意外という気もするぞ」


石倉達を背後に庇い、零が顎を擦った。彼の左手にはちゃっかり売店のコーヒー牛乳の瓶が握られている。

これが零の風情というモノか。風呂の後にはコーヒー牛乳。石倉は頭の中に
そっとメモした。「コーヒー牛乳か」と大山敏郎が彼の左手に擦り寄って来る。


「零はコーヒー牛乳を飲むのか? 良いな、一口くれ」


「──大山敏郎……」


小さな手に袖を引かれ、零が苦笑する。僅かに身を屈めて、敏郎と視線を
合わせた。しかし、零ではなく牛乳瓶ばかりを見つめる幼子のような目。
薄栗色の髪からは、薬草風呂の匂いがした。どうやら彼はシャンプーやリンスといったモノを使用しないようだ。頭から湯につかっている。


「こ、こらトチロー! 零に近付くんじゃない。こいつらは地球独立艦隊、
 俺達は海賊!! 敵なんだよ、このオジさんは」


ハーロックが、敏郎を急いで回収していく。宇宙最強の海賊も、この親友には
手を焼くようだ。一方、オジさん、と呼ばわれ、零の片眉が、ぴくん、と痙攣
した。石倉は慌てて零の腕を掴む。


「か、艦長。ここは一般人ばかりの湯宿です。どうか事を荒立てずに……それに、
 艦長はまだ充分にお若い──」


──何せ花の27歳だ。言おうとして、躊躇う。四捨五入すれば30だ。果たして人生50年のこのご時世に、27歳がオジさんでないなどという言葉が説得力を
持つのだろうか。考える石倉の頭に零の拳が勢いをもって落ちる。がつん、と
いう音。目の中に飛び散る火花。


「考えるんじゃない。馬鹿者!」


「痛てててて……失礼しました、Sir」


パワーだけなら充分に20代前半だ。すっかり不機嫌になってしまった零を
石倉は一歩下がって涙目で見つめる。──せっかく、彼に休養をとってもらおうと思ったのに。

そんな石倉の思惑などどこを吹く風か。この上なく上機嫌で、零が目を細めた。


「ふん、お前は親友殿にコーヒー牛乳の一本も振る舞ってやれないのか。
 冷遇されているな、トチロー」


「違う! お前ら貧乏公務員と一緒にするなよ。トチローにはイチゴ牛乳を
 飲ませてやった!! コーヒー牛乳は一本115円。イチゴ牛乳は一本120円。
 文句あっかこの野郎!」


「だがコーヒー牛乳も飲みたいぞ、ハーロック」


横から敏郎がハーロックの腕を引っ張る。「トチロー」と宇宙最強を自称する男がこの上なく困った表情になった。


「だから、俺達の部屋に戻ってから飲もうって言ったじゃないか。うん、って
 言ったろ? お前」


「うむ……言った」


「これでわかったろ、零。俺は全然トチローを冷遇してないって」


小さな親友を腕に収め、ハーロックが唇を突き出す。それでも、トチローの目は零の左手に注がれたままだ。「差し上げては?」と副長が囁く。


「何だか、小さい子を苛めているみたいですよ、艦長」


「う──うむ。それは先程から俺も感じていたのだ」


自らの手に握った牛乳瓶と、敏郎を交互に見つめ、零は小さく溜息をついた。


「……トチロー、良かったらこれを飲むと良い。浴場の売店からずっと持った
 ままだったからな。少し温くなってるかもしれんが」


「くれるのか?!」


ぱっと敏郎の表情に花が咲いた。ハーロックの腕を振り解き、一目散に零の下に
駆け寄る。零は、浴衣の裾が乱れないよう、注意深くしゃがみ込んで小さな手に牛乳瓶を差し出した。


「もう既に一本飲んでいるのだろう? 腹を冷やさないようにな」


「うむ、お前は良い奴だな、零」


敏郎が満足そうに微笑む。すかさずハーロックが敏郎の首根っこを捕まえ、
じりじりと距離を取った。


「……やる気か? 零」


「ふん、やると言うのなら容赦はしないが」


肉弾戦でも十二分に相手を再起不能に出来る二人が睨み合う。廊下に、心眼でしか見えない火花が散った。「あぁ」と副長が顔を覆う。アクセルーダも人知れず
溜息をついている。──このままでは。

石倉は「艦長!」と、声を張り上げた。


「か、艦長、やるのならやるで一度部屋に戻った方が。いえ、一度宇宙に出た方
 が。そうでなければ艦長とこいつの破壊力で一般市民に被害が」



「──やめておけ、ハーロック」



コーヒー牛乳の瓶を温めるように両手で抱いて。敏郎が低く囁く。夜気に波紋する、温度の無い声。びく、とハーロックの表情が一変した。石倉の掌の中で、
零の二の腕が震える。何者にも臆することのないあの零の腕が。


「と、トチロー。でも、俺は別にやりたくないんですけど。零が無理矢理」


「俺とて…──何もここで争おうなどとは言っておらん!」


たちまちに二人の闘気が消滅した。ハーロックは構えを解き、零は石倉の腕を振り解いて袂の中で腕を組んだ。春の宵。遠くには、湯煙。ほぅ、と安堵の息が全体から洩れる。


「そうそう、ここは風情溢れる温泉慕情だ。ここで争おうなどとは無粋の極み」


いししししっ、とトチローが肩をすくめる。殺気も──怒気も無い。あるのは
ただ、底無しの無邪気さだけ。


──…の、ように見えるが。


石倉は目を細めて彼を観察する。120センチに満たない小さな身体。頭脳と科学技巧は超一流と憶え聞くが、戦闘能力に関しては差程でもなかったと思う。

ガンフロンティアで彼と出会った時のことだけを参考に考えるのなら、多少サーベル(しかも重力サーベルですらない旧式な)の腕が達つ。その程度のモノだ。銃など、極度の近視で標準を定めることすら出来ない。砂で眼鏡が曇っては敵味方の区別さえつけられない。そんな男の言葉に、零が怯んだ。


──艦長は、明らかに彼の方を危険と判断している……?


宇宙にその名を轟かせる若き海賊よりも。


「艦長……湯冷めしますよ……?」


石倉は零の袖を怖ず怖ずと引いた。相変わらず零は眦をきつくしたまま、ハー
ロック達を見据えている。


「お前達の本音を聞かせてもらおう。本当に湯治以外の目的などないのだな」


「──ないよ!! 俺はトチローや仲間の疲れを温泉で癒してやりたいと思った
 だけだ。しかも、こんな辺鄙な植民惑星に海賊の欲求を満たすような宝なんか
 ない。疑うなら調べてみれば良いさ」


「まぁ、宝というなら、独自の生態系を持つこの星の動植物は、生物学者にして
 みれば宝の山だがな、ハーロック」


どのみち、海賊が仕事をするようなところじゃない──敏郎はそう言って背中を向けた。


「風呂に入り直そうぜトチロー。湯冷めしちゃったよ、俺」


ハーロックはすぐさま彼の傍につく。去り際に「手ぇ出して来るなよ」と念を押して。「ふん」と、零は彼らに背を向ける。


「ハーロック追討が我々の任務だが……今は例外だ。そうだな? 石倉」


「え──えぇ、例外です」


──だから、艦長も休養を。


「だが、この星を出れば話は別だ。今度こそ、奴らを追討せねばならん。早急に
 作戦を練らねば。誰か、『火龍』に戻って俺専用のモバイルを持ってきてくれ」


「はい」と、アクセルーダが敬礼をして走り出す。マリーナは、溜息混じりに肩にかけていたタオルを下ろした。


「……艦長。では、この後予定されていた『激烈マクラ投げ合戦』と『白熱温泉
 卓球』は中止ということでよろしいのですね」


「うむ、残念だがやむを得まい。我々は一観光人である前に軍人なのだ。皆にも
 理解するように伝えてくれ」


「……了解致しました」


もはや観光気分など吹き飛んだ。マリーナが去り、他の者達もすっかり消沈して各々の部屋に戻っていく。人気の無くなった渡り廊下に、石倉と零二人だけが
残った。


「──すまないな、石倉。せっかく皆の休息のために骨を折ってくれたという
 のに」


背を向けたまま、零が呟く。本当だ、と石倉は唇を噛み締めた。この一週間、何のために皆で頭を付き合わせたというのか。食堂のオイル臭いコーヒーに耐え、細かい宇宙図と睨めっこし、スペース・ネットの案内ボイスに耳を傾けたのも、全て零のためだ。零に休養し、安らいで欲しかったその一念だ。


──それなのに!!


「──艦長の責任ではありません。『デスシャドウ』の連中がホイホイと観光地に
 顔を出すことが間違っているんです」


お尋ね者たる自覚がまるでない。苦々しく石倉は吐き捨てた。零は日々を真剣に、様々なしがらみと闘いながら過ごしているのに、ハーロックは日々を楽しく、
自由に不真面目に生きている。同じ一艦の長であるというのにこの違い。
あの男が零と同じ惑星内で同じ空気を吸っているということさえ許せない。


「艦長、やはり一泊はなさった方が。その方が皆にもいらぬ不安や不審感を
 与えずに済みます」


「いや、ハーロック達が何泊するつもりなのかはわからんが、ここは一刻も早く
 出た方が良い。嫌な話だが『デスシャドウ』の超性能に、『火龍』は一世紀近く
 も技術において差をつけられている。無論、向こうには無登録の“エルダ”が
 ついているのだからやむを得ぬことだが……少しでも先に出られる方が」


「無登録の“エルダ”、ですか」


“エルダ”。それは宇宙にたった20人の叡智の使徒。北欧神話の女神エルダの
名を冠する至高の存在。石倉は、きょとん、とした。


「そんな希少な存在があの艦に?」


「何だ、お前知らなかったのか。大山敏郎はただのエンジニアではないぞ。
 彼こそは17番目の“エルダ”。あの小さな見てくれに騙されてはいかん。 
 あの『デスシャドウ』の設計は殆ど彼の手によるものだ。ハーロックの愛銃
 『コスモドラグーン』も、重力サーベルも彼が手がけている。素晴らしい性能
 だぞ。あれは」


零が目を丸くし、次の瞬間には羨ましげな顔になる。敵の持ち物にも素直に賞賛の意を表する零は、やはり器の大きな男だ。けれど、何も自分の前で他の奴を褒めなくってもいいじゃないか。石倉は少し悔しくなった。


「素晴らしいのは……認めますが」


臭いですよ、と言うと、何をくだらん、と、一蹴される。宇宙にたった20人だけ存在する叡智。だから零は敏郎に一目おいていたのか、と石倉は渋々納得した。──あの男は特別な存在だったのだ。


「艦長は、“エルダ”の能力を懸念しておられるのですね。だから、先程も」


「うむ。まぁ、引いたのはそれだけが理由ではないがな」


行こう、と零が歩き出す。石倉は数歩遅れて彼に続く。「彼は」と、ふと零が
夜空を仰いだ。


「彼の前に立つと──何かしら本能的な恐怖を覚える。彼の前では、我々は
 ただの獣だということを思い出す。ハーロックは敵に回せても、あの男を
 敵に回すことは出来ない。あれはそういう種類のモノだ」


そもそものスタンスが違う、と零は言う。そんなものかな、と石倉は思う。


「俺にはマヌケな海賊にしか見えませんでしたよ。近眼だし、ガンフロンティア
 ではステーキがどうのこうのって……瘋癲としか思えません」


さっきだって、コーヒー牛乳しか見ていなかった。「若いな」と、零が微笑する。


「お前が恐れを知らないのは、お前のその若さゆえだ。その内に判るように
 なるさ。経験を積み、視野を広げれば──いずれな」


「……艦長。やはり少しはオッサンだという自覚がおありなのですね」


「やはりオッサンだと思っていたか、こいつ!!」


すかさず飛んでくる右ストレート。自分は余計なことを言い過ぎる。石倉は
タンコブをさすりながら反省した。


「申し訳ありません、Sir。ついあられもない本音がぽろりと」


「余計な口なら閉じておけ!! もう良い! 俺は部屋に戻ってハーロック追討の
 ための作戦を練る!! お前はハーロック達の様子でも偵察して来い! 妙な
 動きがあったら手は出さずに報告しろ!!」


「いっ……イエッサー!!」


びっと背筋を伸ばして敬礼。石倉は一目散にハーロック達が消えた廊下を走った。
















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