花と湯・2
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★★★ 惑星『ゲロー』。2500年代に開発された地球の第134移民星。 主な資源──成分に硫黄・炭酸などを含む温泉他、『ゲロー』以外では採取不可能な動植物類。 宿場は数多く、未だスペースガイドにも載らぬ宿が多数。 2000年代中期に海中へと没した国『日本』の温泉街を模して造られた慕情的な 街並みは、太陽系以外からの観光客をも引きつけて止まないという。 「──成程、ハーロック」 ぱたん、とトチローがモバイルを閉じた。スペースガイドの人工音声が途切れる。 造り物の女の声。ハーロックは「うん」と、トチローを見下ろす。 温泉街から少し離れた山の中に、温泉宿『春蛍屋』はあった。茅葺きの屋根に檜造り。簡素な和風宿である。Drゼロと、魔地とヤッタランで降りた。岩風呂で冷や酒を楽しむ彼らを置いて、ハーロック達は板敷きの床を素足で部屋へと向かっていた。 薄暗い廊下。ハーロック達の他に客はいない。途中、紺の着物を着た仲居とすれ違ったが、彼女達穏やかな笑みを浮かべて軽く会釈するだけだ。海賊だからといって騒ぎ出す者も、トチローの矮躯を笑う者もいない。だから、ハーロックは上機嫌だった。 廊下を歩くぺたぺたという湿った音が、妙に新鮮に耳に届く。 「秘湯の情報とはここから得たものか?」 「うん……俺が一番に見つけたんだ。予約も一番。それが何か?」 「ん──まぁ、良いさ。確かに風呂は良かったど。薬草風呂というのは中々 だったな」 モバイルをハーロックの腕に押し付け、売店で買ったイチゴ牛乳を飲むトチロー。『春蛍屋』と宿の名が入った浴衣姿。濡れた髪からはドクダミの香り。 ──油臭いよりは良いや、とハーロックは彼の頬に伝う雫を拭ってやる。 「まだ濡れてる。ちゃんと頭拭かないと、トチロー」 膝を折ると、裾が割れる。ハーロックもまた、トチローとお揃いの浴衣を着ている。宿で貸してくれるのだ。しかし、浴衣というのは不便なものだとハーロックは思う。薄い布一枚で出来た服。機能性はあまりない。かといって華美なわけでもない。バスローブに似ているが、タオル地で出来ているわけでも、絹で出来ているわけでもない。 モメンというのだ、とトチローが教えてくれた。昔は地球でも採れた繊維植物で、この『ゲロー』でも育つらしい。スペースガイドによると、モメンの生産も『ゲロー』の特色らしい。 「このイチゴ牛乳は美味い。コーヒー牛乳も買ってくれ」 トチローが空の牛乳瓶を差し出してくる。「駄目だ」とハーロックは首を振った。 「2本も飲んだら身体が冷える。俺達の部屋にも小さい露天風呂があるからさ、 また入り直して……それから」 「それからコーヒー牛乳を買ってくれるのか」 「ん、買ってやるよ。温かくして飲もうな」 全く、本業以外はまるで幼い子供のようだ。瓶の底に溜まった最後の一滴に舌を伸ばす叡智の使徒。 ──大切で、大切で。かけがえのない親友。薄栗色の髪を指先で玩びながら、 ハーロックはそっと微笑する。 本当に──大切な。 「俺達の部屋は離れなのだな」 渡り廊下を通って、庭園に出る。石と人工の川と。所々に、小さな灯り。石で 出来たランプ台の中で蝋燭が揺れている。トーローというのだ、とトチローが 言った。 「あんなモノまで再現してあるとは──凝っているな」 「気に入ったか? 良い慰労で嬉しいだろ」 「うむ、トリさんも一緒に入れればもっと良かったな」 心底残念そうな溜息。宿も温泉も動物は禁止だ。仕方ないさ、とハーロックは 遠くの灯籠を眺める。 「動物はお風呂が好きじゃないからな。特にトリさんはお前によく似て お風呂が嫌い。他のお客さんに迷惑かけちゃうからなぁ」 「他のお客などいないじゃないか。それなら、トリさんも一緒で良い」 「トチロー、聞き分けなさい。お前って頭は良いのになぁ」 ぺたぺたぺたぺた。並んで歩く小さな裸足。黒く冷たい板敷きの廊下。 春先だというのに、洗い髪に冷たい夜気。ハーロックはトチローを抱き上げた。 自分よりも二回りも小さな親友。何となく熱の伝導率が彼の方が良いような気がしたのだ。案の定、トチローの身体はすっかりと湯冷めしていた。 「こら、何をするのだハーロック」 「だってトチロー湯冷めしてンだもん。髪も肌も冷たくてさぁ。やっぱ浴衣って いうのは良くないな。着物はもっと布地が厚い方が良いよ。それと、柄も豪華 な方が良い。断然良い」 「お前、最近マニアックな方向に傾いてないか?」 「ん〜、トチロー肌までドクダミ臭いなぁ。俺達の部屋の湯は良い匂いだぜ。 桜湯の間だ。桜の匂いだ。またちゃんと20分くらいつかろうな。そしたら ドクダミ臭くなくなるな」 鎖骨にまで匂いが染みている。トチローの襟元に顔を埋め、ハーロックは思い切り息を吸い込んだ。 「んふふふ、トチローの肌って実はきめ細やか」 「こら馬鹿、よさんか! む、胸に口をくっつけるな気色悪ぃ!!」 背中を拳で叩かれる。戯れの一時。決して男色の仲ではないのだ。 ──人目は無いと思うが念の為。 ふと視線をそらして向かいの渡り廊下を見る。どやどやと揃いの浴衣を着て行く団体客。飛び入りだろうか。ハーロックはトチローの胸から顔を離す。 「何だ?」とトチローがハーロックの腕から飛び降りて襟元を正した。 「団体客だな。なぁ、ハーロック。俺は目が悪いから見えないど。誰か知った 顔はいるか? ヤッタランと魔地に知らせなくても平気か?」 「平気だろ、多分。この広い宇宙で何の取っ掛かりもなく知った顔同士が 会うなんてこと大海に落ちた砂粒探すようなモンだ」 ハーロックは指で輪を作って向かいを見る。数名の機械化人と、地球人。 男性ばかりの中に、女性が一人。逆ハーレムか? と一瞬思う。征服人と被征服人たる機械化人と地球人が、親しげに言葉を交わしているのも珍しい。 「──しかし艦長があんなにも風呂好きとはなぁ」 「えぇ、我々もお供した甲斐があったというものです。まさか鼻歌を歌う 艦長が見られるとは思っていませんでしたから」 「あんたら機械化人は風呂に入れんばいねぇ。不幸ばい」 「副長はお一人で入浴ですが、お寂しいのでは?」 「いいえ。でも、最近のお風呂というのは色々と種類があるようですね。 海水風呂というものもあるなんて」 「しかし艦長遅いなぁ」 「浴衣の着方に戸惑っておられたからな。副長補佐、手伝ってやれば良かった のでは?」 「いや、だって何か一生懸命だったから」 機械化人の一人にからかわれ、顎をさする中性的な男。亜麻色の髪、長い睫毛の美青年。──忘れもしない、あの顔は。 「────……火龍のインケンマツゲ」 と、その一行。地球連邦独立艦隊『火龍』クルー達。ハーロックは絶句した。 「どうした」とトチローが裾を引っ張る。 「何だ、どうしたのだハーロ」 「しっ、黙りなさい。トチロー、早く部屋に行こう。すぐ行こう」 トチローの口を塞ぎ、忍び足。何が何だかわからないトチローは、親友の理不尽さにばたばたと藻掻く。 「わっ、こらトチロー駄目だって──」 「ハーロック! きちんと説明をせんか説明を!! お前という奴は、いつでも 口より先に手の出る阿呆──…」 「──あ」 インケンマツゲがこちらに気付く。しまった、とハーロックは顔をそむけた。 宇宙で、戦艦に乗ってならばどれだけでも相手をしてやる。けれど、今はトチロー や魔地の慰労会で。しかも温泉で浴衣姿なのだ。 「何なのだハーロック」 「貴様! ハーロック!!」 トチローの声と、インケンマツゲの怒声が重なる。それでトチローも気付いた ようだ。「火龍の連中か」と、首を回す。 「何とも偶然だな。まさか打ち合わせもなしに相まみえるとは」 「呑気だなぁ、我が親友殿は」 向こうでは、インケンマツゲが何事かを喚いている。「捕まえてやる」だの 「そこへ直れ」だの。銀河共通語と英語らしき言語と、もう一つ。 「──…ニホンゴで喚いたってこいつにはわからんよ。『火龍』の副長補佐」 トチローがインケンマツゲをちろりと見やる。10メートル以上離れていても、 静かな彼の声は良く響く。低くても、空間に透る声なのだ。 「あ──大山、敏郎……か」 インケンマツゲが僅かに怯んだ。へヴィーメルダーのガンフロンティアで出会い、 別れてから、このインケンマツゲはトチローのことが苦手なようだった。 そりゃそうだ、とハーロックは思う。あの男は罪もない(そりゃあ賞金首では あるが)トチローをいたぶった挙げ句に、ハーロックをおびき寄せる餌にした のだ。痛む良心があるのだろう。 「ここはのどかな温泉街だぜ? それでもやろうってのか独立艦隊殿」 あの時、トチローは笑って許したが、実は腹が立っていた。否、今だって立っている。トチローが「許してやれ」と言わなければ、とっくのとうに墓の下に 送ってやったのに。ハーロックは、ぎゅ、とトチローを抱き寄せて、口の端に 笑みを浮かべる。 「生憎、今はプライベートだぜ。前みたいに俺を捕まえようってなら──容赦は なしだ」 ──素手での殴り合いだって、こんな男には負けない。 「やるのは構わんがなハーロック」 こつん、とトチローの頭が腰に当たった。 「ここにあの補佐ボーヤがいるってことは──ハーロック」 「……やっぱいるかな。御大が」 「すまん、皆。帯紐の結び方が──どうにも」 御大、現わる。コーヒー牛乳の瓶を片手にぺたぺたと大浴場の方向から走って くるのは、地球連邦独立艦隊『火龍』艦長、ウォーリアス・零。 「いやはや、難しいものだな。やはりお前の手を借りれば良かったよ。 石倉」 濡れた髪。まだ、ほかほかと湯気が立っている。上気した頬。『春蛍屋』と銘の 入った浴衣を着ている。 「艦長、それどころでは!」とインケンマツゲが零に駆け寄った。耳打ちされ、零が、ば、とこちらを振り向く。 「ハーロック! 貴様、何故こんなところに!!」 「──何故って、温泉宿で風呂に入る以外することがあるっていうのかなぁ。 相変わらず真面目だよ、零は」 「しかし、魔地やヤッタランには気付かなかったのかね。まだ風呂にいる だろうに」 こちらに向かって何事かを喚く零を尻目に、トチローが呟く。「気付かなかった んだよ」とハーロックは苦笑した。真面目な割に直情型の零のことだ。自分以外の人間など、全く視界に入っていまい。 「ここで会ったが百年目だ! 素直に降伏しろこの──」 欄干を越え、こちらに来ようとしている。副長の女や、インケンマツゲが必死に 彼を引き留めた。 「だ、駄目ですよ艦長! こんなところから飛び降りちゃ。結構高さがあるん ですよ?!」 「そうです艦長! 御身の為ですよ!!」 「そうだぞ零! 大体、手すり越えたらパンツ見えるぞ。良いのか、パンツ 丸見えでも」 一応、忠告してやる。途端に零の顔が朱に染まった。 「な──!! パ──などと貴様。何という品のない。まぁ良い! すぐそっちに 行ってやるからな。待っていろ!!」 真っ赤になって、右手を振り回す。「待ちたくないよ」と、ハーロックは呟いた。 「待てと言われて待つ馬鹿いない。これが宇宙の大真理だろ、フツー」 「まぁ良いじゃないかハーロック。待てと言われて待たないのは所詮肝もナニも 小さな男のことさ。お前も宇宙に名を轟かせる気なら、余裕を持って待って やると良い」 「でもトチロー」 「しかしなぁハーロック」 これだけは憶えとけ、とトチローが片手に抱えたモバイルをつつく。 「こいつで配信されているデータは誰もが随時目にしているということだ。 つまりだな、一度でも電波に乗っちまった秘湯っていうのは」 「もはや、秘湯ではないっすか──…」 成程納得。どたどたと廊下を走ってくる零を眺めながら、ハーロックは深い溜息をついた。 |
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