花と湯




★★★


「うふうふうふふふふ〜ん」


宇宙歴某年某月某日──。
戦艦デスシャドウ内で、ハーロックは上機嫌だった。


「ふふふふうふふふ〜ん」


思わず鼻歌も鼻ずさむ。旅行用トランクに丁寧にプレスしたトランクスを
しまう。


「うふふふふ」


笑みも零れる。歯ブラシセットと昨日密輸船から奪ったばかりの桜川模様の着物。
真珠色に輝く絹地に、満開に咲く桜と川が染め抜かれている。もう千年以上も博物館に眠っていたようなアンティークだ。


──こんだけ白くメンテナンスすればトチローの肌に似合うよなぁ。


女物だとまた叱られるだろうか。否、優しい彼ならきっと困った顔をしながら
受け取ってくれる。そして、ハーロックにだけ着て見せてくれるのだ。その秘めたる時間を思うと、とても嬉しく、胸がときめく。


「やっぱり髪はアップだよなぁ。帯はどうしよう。春用の色をそろえないと 
 なぁ。良い店がないか、またメーテルに聞いてみよう」


すっかり着物を見る目が肥えた。和系色にも少しは詳しくなった。やはり大切な人に贈り物をするというのは心身に潤いを与えてくれるものだ。


「……何にやにやしてンだよ。気色悪ぃ奴」


呆れたような声をして。足音もなく、ノックもせずに艦長室に入ってくる親友。「トチロー」とハーロックは駆け寄って、小さな身体を優しく抱き締めた。エンジンオイルと汗の匂い。
17番目の“エルダ”大山敏郎は、今日も時間波エンジンと睨めっこだったのだ。
ハーロックは、にこ、と穏やかで無垢な笑顔を見せる。


「トチロー、今日も入れて何日お風呂入ってなぁい?」


「あぁ? 2週間だよ。文句あっか」


「そうだよなぁ。この2週間、トチローと魔地は頑張ったよ。難しいエンジンの
 改良をさ。もうすぐ俺達のアルカディア号が出来るもんなぁ。トチローも張り
 切るよなぁ。俺だってわくわくしてる」


──でも、臭い。


しかしハーロックは優しく、優しく囁いてやるのだ。エンジンオイルまみれの髪を一房すくうと、白い手袋に黒い筋が染みつく。トチロー自身の顔も黒い。目元だけを拭ってやると、タヌキ顔がますますタヌキになる。ハーロックはにっこりと更に会心の笑みを浮かべた。


「トチロー、お風呂入りたくないか?」


「……入らない!! ライオンはフロに入るか、ワニは歯を磨くか、これが
 俺の信条だ!」


「どうしてもスか」


「どうしても──だ!」


言い切られる。そっぽを向かれ、「そうかぁ」とハーロックはトチローの両肩を掴んだ。


「じゃあしようがないなぁ。ヤッタラン! これより作戦BHに入る!!」


「ラジャーやで! キャプテン!!」


ば、とベッドの下からヤッタランが特殊繊維を寄り合わせた縄を持って飛び
出した。コンマ0.002秒間。ハーロックはヤッタランの投げた縄を受け取る。


「畜生! 何か企んでやがるな!!」


トチローが刀を抜くより早く、ハーロックの捕縛術が唸る。熊でも捕らえられる
5メートルの縄だ。小さなトチローは瞬く間にみの虫に。どさっ、と毛足の長い絨毯に、120センチのみの虫が横倒しになった。


「離せ解け!! ハーロックてめぇ何する気だ!!」


「よしよし、トチロー」


喚き散らす親友の頭を、ハーロックは優しく撫でた。眼差しにも慈愛を込める。
大切な──かけがえのない親友。乱暴なことなどするはずがない。


「何も悪いことしないよ。ヤッタランと俺と、この2週間考えたんだ。魔地と
 トチローを慰労する方法」


「慰労だぁ?」


トチローの片眉が、ぴく、と上がった。ぐるぐる巻きにされているのだ。しかも、小脇に抱えられている。この状態で慰労と言われても、容易には信じられまい。
「慰労なんだよ」とハーロックはトチローを抱えたまま歩き出した。大きなトランクを抱えてヤッタランもついてくる。


「どこ行くつもりなんだよ。そんなデカいトランク持って」


「だ・か・ら、慰労だってば。慰労だよ慰労。労働する人を慰める催し物だよ」


通りすがりの航海士に「ステルス迷彩を使用して目的地の成層圏を哨戒飛行」と命じてスペースウルフの格納庫へ。


「こらてめぇ! ハーロック!! キャプテンが艦を降りるなんて狂気の沙汰だ。
 お前はこの俺が造った艦を一体何だと心得てやがる!!」


「勿論、デスシャドウは俺の宝だよ。未だ見ないアルカディアだってさ。でも、
 俺はトチローだって大事だよ。魔地も大事。人は大事って、トチローはいつも
 そう言うじゃないか」


「……まぁな」


トチローが目を伏せた。防護ヘルメットをかぶって、乗り込む。真っ黒に汚れたトチローの頭にもかぶせてやる。


「ワイも行けるでぇ。魔地はDrゼロと一緒や」


ややあって、ヤッタランも乗り込んできた。彼がヘルメットをかぶったのを
目の端で確認し、ハーロックは操縦桿を握る。


「お、おいハーロック! どこに行く気なんだよ!?」


トチローが膝の上によじ登ってくる。操縦桿を握る傍ら、ハーロックはそっと
ヘルメットの強化ガラス面を撫でてやった。そうして、一度ウィンクする。


「ここから30光年くらい離れた惑星『ゲロー』。特に資源も無い星なんだけど、
 良い温泉が出たっていう情報が入ったんだよ。しかも秘湯だ。秘密の湯。桜も
 あるっていうし──夜桜見ながら露天風呂しよう。美味しい酒も用意して
 もらってるからさ」


「惑星『ゲロー』か……本当に秘湯なんだろうな」


拗ねたような顔をしながら、まんざらでもないようだ。トチローの頬が僅かに
期待と興奮で弛んだのをハーロックはばっちり確認していた。


「よーし、針路真直ぐ惑星『ゲロー』へ! 秘湯に向かってヨーソロー!!」


元気良く一声。開いていくハッチの隙間を擦り抜けて、スペース・ウルフは
星々の海へと飛び出した。


 

★★★


「──…艦長。まこっっとに申し上げにくいのですが」


地球連邦独立艦隊『火龍』──艦長室。もう一週間ほど眠らぬまま、この艦の総メンテナンスに関わっていた人物に向かい、石倉静夫は、こほん、と控えめに咳払いする。


「んぅ、何だろうか。石倉副長補佐」


涎でも出ていたか、と、慌てて自らの口元をごしごしと拭う『火龍』艦長、ウォーリアス・零。目を開けたまま寝てたのか、と石倉は変に感心する。強く、勇壮で正義感に満ち溢れる男。石倉がこの世で最も敬愛する人。

通常状態の彼ならば、部下相手にこんなにもマヌケかつ無防備な姿を見せはしない。


「……涎、ではないです。艦長……」


ギリシャ神話のヘラクレスを思わせる精悍な横顔。今は眠気に惚けてはいるが、
低く、穏やかに耳朶を撫でゆくバリトン。


「何だ、涎じゃないのか。実はうたた寝をしていたのだ。すまんな石倉、
 そこいら辺にコーヒーポットがあるだろう。ブラックで頼む」


「いいえ、艦長は疲れておいでです。ブラックよりも微糖の方が」


ふらふらと彷徨う彼の指先。きゅぅぅん、と石倉の胸が甘く痛む。ポットから彼専用のマグカップにコーヒーを注ぐ。インスタントで、さほど値の張らないコーヒー。

艦長でありながら、名門の出でありながら気取らず、他のクルー達と同じ物を嗜好する。そうあることを当然と思う零こそ、誰よりも真の指導者に相応しい。

石倉はシュガーチップ一粒だけカップに落し、「どうぞ」と笑顔で零の前に置いてやる。


「ブラックで良いと言ったのに」


眦に薄く涙を浮かべ。零が頬を膨らませる。──眠気のせいか、20年ほど精神年齢が退行しているようだ。「駄目ですよ」と、石倉はさり気なく零の髪に触れた。


「我々は6時間交代制で業務を行っているというのに、艦長はいつまで経っても
 お休みになる形跡が見られません。このままではいつかのように無理矢理眠ら
 せる他に手がないとドクトルが」


「──…う゛。あれは卑怯だ。卑怯拳だ。そうは思わなかったか? 石倉」


気まずそうに、零が見上げてくる。にこ、と石倉は微笑んだ。それはもう鮮やかに。


「その質問にはお答えしかねますSir。それに、艦長が始終うろうろしていては
 作業がし辛いと機関部から苦情が数件」


「ぐっ……! お、俺は俺なりに少しでもこの艦の仕組みなどを理解しようと」


「存在してるだけで威圧的なんですよ、貴方」


──そもそも艦長が機関部に出入りすること自体が変なのだ。仕組みなど理解出来ずとも、艦の長は艦を手足のように繰れれば問題無いのである。艦長ならば艦長らしく、堂々と席についていれば良いのに。

しょんぼりとする零を見下ろし、「それと」と石倉はようやく本題に着手する。


「これは──副長からの極めて個人的な伝言なのですが」


「副長がか? 何だろう。直接じゃないなんて珍しいな」


何事かを意識したのか。零がマグカップを、ぎゅ、と握って頬を染める。


「……────」


愛らしい、と思う反面、この艦、女が少ねぇからなぁ、という複雑な心境。
こほん、と小さく咳払いをして、石倉は居住まいを正す。


「では、副長マリーナ・沖嬢から承った伝言を正確にお伝え致します。
 艦長、一体いつからお風呂に入っておられないのでしょう。誠に言いにくい
 のですが──大変に臭います。と」


「………にお」


一言一句違えずに伝えた。伝言を頼んだ時の彼女の表情まで再現してやろうかとも思ったが、それは自分や零の精神衛生の為に控えておく。


「そ、そう…か……? 臭う……か?」


疑問符を飛ばしながら。零が、すんすん、と自らの袖口に鼻を近付ける。
「大変申し上げにくいのですが」と石倉は彼から3歩分の距離を取った。


「汗の臭いにエンジンオイル臭やら何やらが加重されて、生身の人間的には相当
 キッツいかと存じ上げます。数値的なことならばアクセルーダの方が得意
 ですが」


「い、いやいい!! 数値化されると落ち込みそうだ。しかし、『火龍』は戦艦
 なのだ。本来は女性の介入を許さぬ男所帯なのだから多少臭うのは仕方ある
 まい。副長とてそれくらいは覚悟の上──」


「その覚悟の上をイッたかと。まぁ、艦長は外見的にもこの艦1、2を争われる
 方ですし──…ぶっちゃけ、美形にはあんまり不潔かつ美形らしかぬ行動を
 とって欲しくないと考えるのは女性として当然の感情かと」


正直な話、石倉だって嫌なのだ。幼い頃から憧れ、傾倒し、追い続けた人物の
臭い姿など、夢にだって見たことがない。ここは厳しく言わねば、と、石倉は
「それに」と声を固くする。


「無礼とは存じますが、俺個人としても、くっさい艦長は嫌ですね。重い責任を
 負う者は、それ相応の装いをしている義務も同時に負うもの。コーヒーの種類
 にこだわらないまでは良い傾向かと思いますが、体臭まで他のクルーと同一で
 は。特に、女性である副長に対するセクシャルハラスメントにもなりかねるか
 と」


「せっ……セクシャルハラスメントか。それは……何というか…女性への礼に
 欠けているな」


シャワーを浴びる、と立ち上がる零。お待ち下さい、と石倉は彼を押し留めた。


「そこで、我々の一存で恐縮なのですが」


「一存? そう言えばお前達、最近俺抜きに食堂で密談を」 


「えぇまぁ、密談といっても大した規模ではないのでご心配なく──艦長!!」


前振りもなく踵を合わせ、規律正しく敬礼する。零が、つられて背筋を伸ばした。


「な──何なのだ? 一体」


「艦長! 我々クルー一同、惑星『ゲロー』における艦長の一時休養を
 具申致します!!」


高らかに宣言する。そう、これは具申などではない。宣言なのだ。地球連邦独立艦隊『火龍』の主ウォーリアス・零。恐らくは、今の地球で最後の地球人艦長。

容姿端麗、成績優秀な艦長が。



──…某海賊船のエンジニアみたいに不衛生じゃ格好つかないじゃないか……!!



「……うむ、お前達の申し出ももっともだ。いや、しかし、我々は一刻も早く
 ハーロックに追いつかねばならんという使命が」


だが、零は煮え切らない。4分の1は日本人であるという彼、たっぷりとした湯に全身浸かるという発想に抵抗はないはずなのだが。


「なに、奴らの艦は我々の艦以上に生身の人間が多いですし。ひょっとしたら
 『ゲロー』でばったり、ということも」


石倉は誘惑する。今の頃なら花見酒──ほろ酔い気分で温泉卓球など如何が?


「うぅん、そうかもしれんな──確かに、現段階では手がかりもないことだし、
 『ゲロー』が拓けた観光惑星であるのなら、それなりに情報収集も」


零もまんざらではないようだ。気持ちは既に露天風呂に傾いている。


「そうですとも。艦長、ご決断を」


にっこり笑顔で敬礼し、零の言葉を待ちながら。


艦長の浴衣姿かぁ……とまだ見ぬ零の艶姿に、石倉は不健全かつ邪にときめいていた。












●キリ番3000始動です。お題はズバリ、

1.石倉vsハーロック
2.トチローに土下座する石倉

ということで。思う存分ラブってコメようと思います。リクエストして下さったキヨさまのみ、御持ち帰り可です。



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