Under・the・sea




☆☆☆


──…青い……──蒼い。



無重力の世界に、ゆっくりと沈んでいく。


俺は──ゆっくりと目を開ける。水の中に引きずり込まれた瞬間は、闇。
喉頭から肺に、満ちていく圧力。呼吸が出来ない。仮想の宇宙空間だ。


ただ異なるのは──目を開ければ光が入ることだ。揺れる光。



青い──…蒼い。



「人に海が必要なのは、人が母なる海から構成されているからだ。そして、
 我らが故郷の70%が海。人は全て、自らの星の構成分子をその身に含む」



父の言葉だ。最期までタイタンに海を望んだ父。その願いを叶えてやることは
出来なかったけれど。



蒼い──水。青い──星。



 
──…参ったな……。


頭を掻く。幼い頃から父から受けた様々な訓練。呼吸法もその一つだ。息を止め、限りなく死に近い状態に自分をおくことなど苦ではない。


──まぁ、あんまり長くやってると限りなく、じゃなくて確実に死ぬんだけどさ。


のんびりと考える。メタノイドの中でも気高い戦士センチュリオン。
全宇宙を闇に帰す意志の走狗達。彼らの敵は叡智の使徒。情無き女神の寵愛を
受ける20人。


──どんな芽でも摘み取る気か──。本気だな。


彼らはその性質の気高さゆえに、幼き叡智の芽を直接摘み取りには来なかった
のだ。たとえどれだけ稚拙なものだったとしても、13歳の子供を殺すのには大義名分がいる。


──面倒な連中だ。


沈みながら、顎を擦る。人類には浮力が備わっているというが、どうやら自分には当てはまらないらしい。どんどん沈んでいく。


──わざわざグレート・ハーロックの首と相応の身代金を所望して。そうまで
しても俺の命が欲しいかよ。


沈む。無機生命体のくせにあざといマネをする。そう思う。


──だが、策を弄してもこの程度か。底の浅い。


目的のために己を卑怯者にすることさえ出来ぬのか。
己の正義のための殺戮。その行為によって卑怯者と誹られることを恐れるのならば、その心根が既に卑劣である。


──…走狗め。


小賢しい存在。薙ぎ払っても足りない。海底に、到着。砂地を蹴って上昇する。耳を掠める泡の音。光を目指す。



青い──蒼い水。青い光。



手を伸ばす。燦天我夢幻。俺の刀。喚べば応える。その刀身に打ち込まれた
父なる神の金属が、叡智の使徒の声に震える。


手を伸ばす。燦天我夢幻。俺の分身。


──来い!!




☆☆☆


「くっ……! これじゃあ全然近付けない!!」


休む間もなく襲いくる水の刃。父、グレート・ハーロックはヤッタランを
抱え、ハーロックはトチローに刀を渡そうと懸命に水柱を目指す。


「ファルケ・キント。刀を渡すのなら急がねば。いくらトチロー君とて、
 それほどに息は保つまい」


「うっさいよ親父! 人事なのに人事みたいにさぁ」


「何を言うのだ。トチロー君は我が親友大山の忘れ形見。彼の安全については
 わたくしにも責任の一端は」


「無い無い! トチローが狙われてたんなら親父に責任なんかありません!!」


ひゅ。叫ぶハーロックの前髪を刃が掠める。ハーロックは慌てて頭を下げた。
逃げる最中、ヤッタランから聞かされたメタノイドの真の狙い。



最年少の“エルダ”。トチローの命。



「どうして──…」


呟く。歯を食いしばる。どれだけ賢くてもトチローは13歳なのだ。発育も遅くて、声変わりさえしていない。


──身体だって、俺より一回りも小さくて。

 
「どうして! こんなことしてまでトチローの命が欲しいんだよ!! 
 俺達、まだ何も行動に起してない。それなのに、こんな回りくどいこと
 してまでどうして──どうしてお前らの宗主はトチローの命が欲しい
 んだ!」


鞘に収まったままの燦天我夢幻を振り回して水を切る。『簡単なこと』と、耳元で低い声が囁いた。



『“エルダ”の存在が、我らが宗主の意志の妨げになるからだ』



「──妨げ……?」


妨げになる。水とさえ同化出来る無機生命体メタノイド。そして、そのメタノイドを統括する謎の宗主。メタノイドよりも高次な存在が、たった13歳の“エルダ”さえ殺めようとする。ハーロックは刃を避け、ひらりと浅瀬へ着地する。


「何故だ──? 何故、そうまでするほど“エルダ”はお前らの脅威なのか? 
 “エルダ”って、一体」


──ただ、頭脳明晰な者に与えられる称号ではなかったのか?



『何も知らずに“エルダ”と旅をするつもりだったのか。どのみち、それが
 叶うことはもうないが。グレート・ハーロックの息子よ。あまりに無欲で、
 あまりにも愚かだな』



「愚かって言うな! それに、トチローはまだ生きてる!!」


跳ぶ。声がしたのは水柱の中央だ。水と同化しているとはいえ、声がするということは、少なくとも頭に近い部分があるということ。前方を見据え、ハーロックは一直線に水柱の中央を目指す。



『真っ直ぐ突っ込んでくるとはな! せめて勇敢と褒めてやろう。死ね!!』



眼前に迫る──水。引かない。負けない。絶対に、臆さない。


──親友を救うために。そして、宇宙最強を夢見続けるために。


この手が、震え続けていてはいけないのだ。ハーロックは思う。人の心は、この海のようなもの。
どれだけ深くても、どれだけ暗くても、絶対に覗き込まなくてはならない時がある。

どれだけ──恐くても。



「俺には! 男には、絶対に負けちゃなんないことがあるんだぁぁぁ──ッ!!」




 きぃぃぃぃぃぃぃぃぃん……!




「──?」


大気が震えた。ハーロックの鼻先にまで迫っていた水の刃が瞬く間に飛沫に変わる。見れば、燦天我夢幻が、握った柄と鞘の隙間が、がちがちと凄まじく打ち合っていた。


「何だこれ──? 刀が……鳴いてる?」



『──くっ。オリハルコンの共鳴振動か……!!』



「おりはるこんの、きょーめーしんどーぉ?」


水柱が水勢を失う。ハーロックは目標を失って落下していく。眼下の波さえが落ち着き無く白波を立てている。怯えているのだ。メタノイドの戦士・センチュリオンが──恐れ、戦いている。


「……何だ? そんなにも恐ろしいことなのか?」



……おりはるこんの、きょーめーしんどーが。



「きょーめーしんどーって、何だ……?」


落下しながら、ハーロックは腕を組んで模索する。


「……きょーめー? きょーめーしんどー?? 救命運動? 京命っていう地名
 なら知ってるけど……地名が振動? 地震か──?」


「──…クっ……」


「地震じゃないよなぁ。ここ人工惑星だし。第一、おりはるこんって何なんだ?
 ヒット曲の順位はオリコンだし、石ノ森章●郎先生の漫画はロボコンだ。
 コンテスト──? オリハルの? オリハルって何だよ」


「ハーロッ……」


「オリハル……オリハルのコンテスト……? 違う気がするなぁ」


「ロック……刀……」


「あぁそうか! 大根だ! 春先大根の仲間だ。織春根!!」



「刀寄こせちゅうとんじゃぁ!! この空中ウルトラ3回転馬鹿──ッ!!!」



思考するハーロックのシナプス運動を、水柱から出た小さな拳が停止、破壊する。

ごん、と頭を殴られて、ハーロックは初めて水柱の向こうで浮き沈みする親友の姿を認めた。


「トチロー! トチロー、やっぱり生きてた!!」


落下しつつも、ハーロックは水柱に手を突っ込んでトチローの手首を取って
引き寄せる。喚いて水を飲んだのか、げほげほ、とトチローがむせた。


「良かった。俺は信じてたよ!!」


「げはっ……いいがらっ……刀……」


「刀? あぁ、ちゃんと持ってきたぞ、燦天我夢幻!」




「──…持ってくるように言ったのは、わたくしなのだが」




遠くで聞こえるささやかな父の主張。ハーロックは意識的に耳を塞いでトチロー
を抱き締め、刀を抱かせる。


「さ、こいつはトチローの命を狙ってきたんだから、二人で思う存分
 借りを返そう。トチローが一緒なら、俺は何も恐くない!」


「ふん、上等だ。ハーロック、奴らの弱点は心臓だ。一瞬で吹き飛ばせ!!」


「任せろ! せーぇのッ!!」


空中で一回転。脚で蹴り上げるようにトチローを己の頭上に跳ばす。寝間着姿のトチローが、ふわりと人工の青空を舞った。ざぶん、とハーロックは
頭から水中に沈む。すかさずホルダーからコスモドラグーンを抜き出して、
ハーロックは再び水上に頭を出した。


「トチロー! 準備OK!!」


「大山流抜刀術!!」


二人が叫んだのは──ほぼ同時。



『おのれぇぇぇぇ! センチュリオンが敗北など!! “エルダ”め! グレート・
 ハーロックの息子めぇぇぇぇッ!!』  



どざぁぁぁぁぁと再び勢いを増す水柱。海が揺れる。人工太陽の光が遮られ、
周囲が瞬く間に薄暗くなる。



「嘶け燦天我夢幻!!  “水月”!!」



『死ぃねぇぇぇぇぇぇッ!!!!』



斬。銀色に輝く刀身が、水柱を両断する。
落ちてくる飛沫の間、どす黒く脈打つ拳ほどの心臓をハーロックは捉えた。



「吼えろ! コスモドラグーン!!」



引き金を引いて。銃口から伸びていく一条の光。迷いもなく、メタノイドの心臓を原子に還す。



 きゅぅぅぅぅぅぅん……どん!!



貫くような閃光が周囲に乱反射する。爆風に煽られて大波が何度もハーロック
を呑み込む。


「──…くっ……」


光が消えて、波が落ち着く。ばらばらっ、と、ハーロックの頭に大粒の水滴が落ちてきた。


「ハーロック!」


同時に、トチローが落ちてくる。砂漠育ちの親友を、ハーロックは両手を
広げて抱き留めた。


「トチロー!!」


「ハーロック、まだだ!」


「うん、わかってる」



トチローの視線の先。恐らくは、父も気付いているはず。ハーロックは、き、と波打ち際を見据える。


「ジュニア! トチローはん! やったなぁ!!」


グレート・ハーロックの腕を振り解き、ヤッタランが涙目になって駆けてくる。
「いけない!」と珍しくグレート・ハーロックが声を荒げた。「いかん」と、トチローが身を捻る。


「ヤッタラン・ジュニア──敵はまだ」


「ヤッタラン! 敵は二人いる!!」


「──…へ?」


波打ち際へと踏み入れかけたヤッタランの足が止まる。ざざざ、と突然波が
翻った。一瞬にして、波はコールタールのように黒い人型に変わる。



『その通りだ。我らが気高きセンチュリオンに敗北は許されない。この星
 もろともに吹っ飛ぶがいい!!』


ば、とメタノイドが左胸を押さえる。「ハーロック!」とトチローが腕の中で
もがいた。


「プラズマ・ディスラプションだ!! ハーロック、瞬間移動しろ!!」


「任せろ──! って、無理無理。何言ってンだよ。お前」


「あいつが自爆するって言ってるんだよ! さっきの爆発の比じゃねぇぞ。
 いいか、あいつらメタノイドの心臓はヘリウム3、常温核融合炉と同じ
 働きを──あぁ! 理屈は良いから、飛べ!!」


「飛べねっつうの!!」



『暗黒女王の意志の下、塵に還るがいい──!!』



メタノイドの身体が赤く発光し始める。「もう駄目か──」とトチローが肩を
竦め、ハーロックは彼の小さな身体を全身で庇う。



『死ね────…!!』



「謳え、我が剣『ブリュンヒルデ』」



 とんっ──……



次の瞬間、訪れたのは静寂。爆発する気配はない。
ハーロックは、恐る恐る全身の力を抜いて父とヤッタランのいる砂浜を見た。

腰が抜けたのか、その場にへたり込んでいるヤッタラン。立ち尽くしているメタノイド。
そして──メタノイドの懐深くへ侵入している、父・グレート・ハーロック。


「お──親父?」


武器は何も持っていなかった筈なのに。けれど、ハーロックの眼に確かに映る、
メタノイドの心臓を正確に貫いている白い刃。見る見るうちに、メタノイドの
身体が凍結していく。



『あ……暗器か……おのれ、グレート・ハーロック……』



「わたくしは確かに老いた。けれど、太陽系最強の看板を下ろしたつもりは
 ないよ。たかが有機生命体と、いつまで人間を侮れば気が済むのかね」



『ひ、卑怯者……め』



ぱきぱき、と凍結したメタノイドが砕けていく。「卑怯?」とグレート・ハー
ロックが微笑した。優雅な所作で剣を引き抜く。右手首。Dr大山の形見の腕輪から、白い蜃気楼のような刃が立ちのぼっている。

ばら、とメタノイドの上半身が砕けて落ちた。


「わたくしは──大切な者達を護るためになら、卑怯者と誹られても構わない。
 つまらぬ名誉のために策を弄し、大義名分を掲げてまで幼き子を殺めよう
 するお前達とは違うのだ。お前達のような──」



『お──のれ』



「真なる卑怯者達とはな」



 ぱきぃぃぃぃぃん



無機生命体メタノイド。その戦士センチュリオンが、全て砕けて波にさらわれる。
ばさ、と風に純白のマントがたなびいた。


「……親父、すげぇ……」


ハーロックは目を丸くした。「美しい……」とトチローがうっとり呟く。


「美しい……あのお姿こそ、夢にまでみた英雄の姿」


「……トチロー、あれは父だ。俺の父。今年で40のくせにフェミニンな中年だ。
 好きなフォルムは丸くて小さくて可愛くてだ」


「何て清純な──…!!」


「トチローさん? もしもし?」



「ファルケ・キント!」



刃をしまい、フェミニンな英雄が無邪気にウインクした。ハーロック達に
向かって、得意げに胸を張る。



「だから、さっき言ったろう。父は戦う気だったのだ、とね」

















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