Under・the・sea



えぴろーぐ。



★★★


「ニーベルングと言う」


濡れた服をたき火で乾かす。砂浜に座り、サンドイッチを広げる。パンツ一枚になった子供達を見回し、のんびりと卵サンドを飲み込んで、グレート・ハーロックが自らの右手首を示した。


「ワーグナーの歌曲、北欧の伝承にある世界の全てを司る力の指輪。凝り性の
 大山にしては珍しく伝承に添わぬ作りとなっているが、これは、ひとえに
 九つの能力を持つ変幻自在武器としての機能性と──」


「機能性と?」


トチローがツナサンドを手に取って身を乗り出す。


「──…男が男に指輪を贈るのはキモい、という大山の持論」


「……我が父ながら、珍しく正論だと思います」


「えー? そうかなぁ。指輪でも良いよ。トチロー、俺にもさ」


ハーロックがハムサンドで頬を膨らませながらトチローに寄りかかる。
 

「指輪で良いよ、トチロー」


「あれはお前には扱えない。でも、ニーベルングと同じ理論をコスモドラグー
 ン にも応用している。同じ理論と言っても全部真似したわけでは勿論ない
 が……お前にはそっちの方が似合ってるよ」


トチローがあやすようにハーロックの頭を撫でる。「同じ理論?」と、ハー
ロックがトチローの濡れ髪を梳く。


「親父のニーベ何とかと俺のコスモドラグーンが一緒なのか? コスモ
 ドラグーンも剣になる?」


「ならねーよ。ただ、使う者の精神力を原動力にして作動する理論は同じだ。
 一般にエクトプラズムと呼ばれる人間の生命エネルギーを固形化したものを
 超圧縮プラズマ加工して武器にする。グレート・ハーロックの場合はその
 強靱にして繊細な精神力と魂を美しくも貴い9人の女戦士ワルキューレに
 なぞらえた変幻自在武器に。注意力散漫で集中力の続かない短期集中型の
 お前の精神エネルギーは銃弾に」


「おい」


ハーロックのジト目をよそに、トチローは、こくん、とポットに入った紅茶を
飲んで続ける。


「大切なのはそれぞれの個性と資質だ。人の身体を覆うように存在する、属に
 オーラと呼ばれる精神波はその個体によって特徴がある。例えば声紋や指紋
 のようにな。この精神波というものは人間の脳から発する微弱な電気エネル
 ギーが」


「おいこら」


「地球に存在する磁力のように脳天から爪先までをカバーする。これは人間の
 生命そのものであり、陽のエネルギーであるために何より負であり隠の存在
 でもあるメタノイドには特に有効だ。面白いのはハーロックとグレート・ハー
 ロックとの精神波長の差だ。ハーロックのエネルギーが敵の体内に侵入した
 のち、フレアのような小爆発を起こすのに対し、グレート・ハーロックの
 エネルギーは敵の体内に侵入したのち、急激な科学反応を起こし、無限零度
 で相手の身体を浸食、破壊するという──」


「トチロー! ついていけないよ!! って言うか、親父だってぼけーっと
 しちゃってるし、理屈はいいから、サンドイッチ食べよ? な?」


今度はハーロックがあやすようにトチローを抱き締める。頭と頬を撫でられて、
トチローが、きゅう、とハーロックを見上げた。


「ん……。理屈はもういいのか? お前のコスモドラグーンはニーベルング
 のようにはならんぞ。解ったのか?」


「わかったわかった。俺と親父は違うから駄目なんだろ。わかったよ」


溜息を一つついて、ハーロックが微笑する。つられたのか、トチローも「にし」と笑った。


「そうか。解ったのなら良いんだ。しかし、メタノイドが俺の命を狙っている
 となると、アルカディア号の建造を急がねばならんな。これ以上、グレート・
 ハーロックに迷惑はかけられない」


「ん──そうだよな。でもトチロー、安心しろよ。お前には俺がついてる!
 ヤッタランも、トリさんもついてる!! メタノイドには指一本だって触れ
 させないよ。絶対だ」


「……なぜ父の名がないのだろう……」


控えめなグレート・ハーロックの主張。「父は椎間板ヘルニアなんだろ」と、ハーロックはトチローを抱き締めた。
 

「なー、トチロー。うちの親父は椎間板ヘルニアなんだぞ。脱腸だぞ。
 俺のこと好き?」


「意味わかんねぇよ。グレート・ハーロックほどに美しい人が椎間板ヘルニア
 なわけねーだろ。脱腸はてめぇだよ。ハムサンド取れよ。ハム」


パンツ一枚のトチローが、ハーロックの腕の中からサンドイッチを指名する。
尊大な態度だが、見る者が見れば彼が相当に疲労していることがわかる。一日中ゲロを吐いた挙げ句の人質扱いだったのだ。くったりとハーロックの胸に頭を預け、ハーロックの手からハムサンドを食べる。


「美味しいか? 紅茶も飲めよ」


そんな親友を見下ろすハーロックの眼差しは限りなく優しい。トチローの頭を
タオルで拭い、コップに紅茶を注いで与えてやっている。最早眠そうなトチローは、「ぷぅん」とタヌキのような声をあげてハーロックの二の腕に頭を擦り付けた。


──…甘え仔タヌキ。


黙って傍観していたヤッタランの脳裏に、ふとそんな言葉がよぎる。


「………もうぅ寝る……」


甘え仔タヌキが、うとうとと呟いた。「よしよし」とハーロックが膝を
崩す。


「寝なさい寝なさい。トチローは今日大活躍だったよ。ゲロも吐いたし、
 溺れたし。水柱は一刀両断にしたし。大変だったな」


「うぅぅん……」


もぞもぞと丸くなり、ほどなくして寝息をたて始めるトチロー。
グレート・ハーロックが「これを」と、マントを差し出した。


「いくらここが亜熱帯ほどの気温とはいえ、やはり眠るなら何か
 羽織らなくてはな」


「ん。サンキュ、親父」


受け取り、膝の中のトチローにかけてやる。「あのさ」と、ハーロックが躊躇いがちに父を見上げた。


「……さっきのメタノイドって、やっぱりトチローの命を狙って来るのかな。
 今日は、トチローが13歳だっていう理由で直接狙いには来なかったけど、
 その内、直接狙いに来るのかな」


「うむ、残念だがその可能性は否定出来ない。何せ、今現在存在している
 “エルダ”の中で、最も奴らの宗主に近付いているのが大山だったからな。
 その息子であるトチロー君は、奴らにとって真っ先に殺めるべき有機生命体
 なのだろう。覚悟をしなくてはならないよ、ファルケ・キント」


真剣に、けれど穏やかにグレート・ハーロックは息子を見つめる。「そうだね」とハーロックが俯いた。


「でも、さっきはあんなこと言ったけど──正直、怖いよ。トチローとヤッタ
 ランが捕まった時、俺、全然身体が動かなかった。手が痺れて……全身が
 冷たくなって。またあんなことがあったらどうしよう。今日は親父がいた
 けど、この先、また戦いになった時に都合良く親父がいてくれるとは限ら
 ない。また誰かが人質に取られたら、その時に俺……」


みんなをちゃんと守れるかなぁ。大きな瞳に、涙が浮かぶ。幼い頃から勇敢で、喧嘩も負け知らずな幼馴染み。
そのハーロックが怖いと言った。トチローの言うとおり、3年前の出来事は、
ハーロックの心の海底深く沈み込んだだけで、全く消えてはいなかったのだ。

己の未熟さが誰かを傷つける恐怖。ハーロックの喉を詰めるプランクトン。
「大丈夫やで」とヤッタランは思わず腰を浮かせた。


「ジュニアは大丈夫や。ちゃんとワイもトチローはんも助けてくれたし。
 メタノイドの戦士かて倒せたやんか。何も怖いことあれへんねんで。
 明日のジュニアは今日のジュニアよりも強いねん。今日は駄目でも、
 この先のジュニアはもっともっと強いねんで」


「──…ヤッタラン……」


ハーロックが、ぐす、と父のマントの端で涙を拭う。ついでに鼻水も拭いた。
太陽系最強の戦士のマントで鼻を拭く男。きっと、ハーロックは父以上の男に
なるに違いない。ヤッタランは安堵して苺ショートサンドに手を伸ばした。


「ま、手の震えも治まっとるんやろ。ジュニアの言葉を借りるんならや、
 ジュニアにはワイもおるし、トチローはんもついとる。ちぃとフェミニン
 やけど、太陽系最強のグレート・ハーロックもついとる。何も怖いこと
 あらへんよ」


「そうだとも」


グレート・ハーロックが息子の頭を撫でる。


「トチロー君が幼いように、お前もまた13歳の子供であることを忘れては
 いけないよ。己の未熟さ、未完成さを知れば、自ずと強くなれるものだ。
 男は──本当に守りたいもののためになら、卑怯者と呼ばれることも、
 己の心の闇奥深くを覗き込むことも怖くないものなのだよ」


「──…うん。ありがとう、二人共」


眠るトチローを撫でてやりながら、何度もハーロックは頷く。父と幼馴染みに
力づけられ、感極まる少年──良いシーンやな、とヤッタランは思う。トチローが言っていた“相応しい人”と言うのは、叡智の使徒ではなく少年を古くから
知る者達のことだったのだ。智よりも愛。良い言葉や、とヤッタランは胸の中で拳を握る。


「でも、ファルケ・キント」


そんなヤッタランの心持ちを、グレート・ハーロックの済まなさそうな声が
遮った。


「……正直、トチロー君の未熟さとお前の未熟さには遠く隔ててなお余りある
 レベルの差が見受けられるな。何と言うのか……相当お馬鹿さんというか」


「お──お馬鹿だとぉ!?」


感涙一変。顔を真っ赤にしてハーロックが立ち上がる。どさ、とトチローが
砂に埋もれた。


「己の息子に向かってお馬鹿とは何だよお馬鹿とは! 大体、お馬鹿と言った
 ら親父だってお馬鹿じゃないか。さっきの戦いの時だって、ちゃんと武器
 持ってたくせにさ、忘れてたんだろ。どーせ!!」


「何を言うのだ」


意外そうに目を見開いて、グレート・ハーロックも立ち上がる。


「あれは敵を欺くための小芝居だ。敵を欺くにはまず味方からと言うだろう。
 そもそも、大山がただの腕輪を男に寄越すものか。ちゃんと間近で見せて
 やったというのに、武器かアクセサリかの区別もつかないとは」


「十四郎さんの作品だぞ。つくかそんなの!! ていうか味方欺くなよ! 出来る
 ことなら敵も欺くなっつーの!! 卑怯だよ卑怯。親父の卑怯戦法!!」


「馬鹿者。わたくしが九つの姿を持つこの『ニーベルング』を使うことは
 太陽系全土に広まっているのだぞ。近親者のお前が知らないのはおかしい
 だろう。だからお前はお馬鹿さんなのだ」


「さっきのメタノイドだって知らなかったじゃんか! なぁヤッタラン、
 ヤッタランだって知らなかったよな?」


いきなり、振られる。ヤッタランは紅茶をすすり、一拍おいて「知っとった
わい」と応えた。


「ちうか、ジュニアが知らんかったちうのを今知ったわ。ホンマ、優秀な父を
 持つと子供は大変やな。妙な闘争心湧き起こして、父という存在について
 深く詮索するの嫌がるンやもんな」


結局、レベルは遠く隔たっていても、トチローとハーロックは似た者同士だ。
父の後を追いながら、その二番煎じになるのを厭うその性質。


「あぁ、でもあの文章の意味はわからへんかったわ。ほらあの、TからFへ
 ──汝が妻の名を称えよ。エルダからジークフリードへ。っちう」


頭文字はわかるねんけど。ヤッタランがそう言うと、「あぁ、アレか……」
と、砂の中からトチローが這いだしてくる。


「アレはアレだ。親父の好きなつまんねー洒落だ。ワーグナーだよ」


「ワーグナー?」


「ニーベルングの指輪。ブリュンヒルデはジークフリードの妻だっつーハナシ。
 どうせ馬鹿な親父が作ったモンだ。キーワードと声紋が一致しねぇと武器と
 して使えないんだろ。面倒な腕輪だよ」


「あぁ」


理解した。ヤッタランは、ぽん、と手を叩く。


「大山はよくふざけてわたくしのことジークフリードに喩えたのだよ」


グレート・ハーロックが懐かしげに目を細めた。


「しかし、最初に使った時には気付かなくてなぁ。『ニーベルング』を武器と
 して発動させるキーワード“ブリュンヒルデ”を当時新婚ほやほやだった
 妻の名前だと勘違いして──…出し遅れてな。その時に出来たのがこの傷だ」


そう言って、微笑みながら左頬に走る傷を指す。かちん、とその場の空気が無限零度に凍り付いた。


「親父の方がお馬鹿決定!!」


きっかり25秒後。すぺーん! と、ハーロックがジャンプして父の頭を張り
倒す。「何をするのだ」と父は息子の額を指先で弾いた。


「確かにその時は自分でも間抜けだと思ったが──わたくしは少なくとも
 大山が発明したものについて説明する言葉にはついていけたぞ。お前の
 ように途中で中断したりはしなかった」


「何だよ! 親父だってわかんないって顔してたくせに!!」


再びてんやわんやになる親子。ヤッタランは溜息をついて黙々とサンドイッチを口に運ぶ。──正味な話、どっちもどっちだと思うのだが。


「──…ん?」


ふと、視線を砂浜に落とすと、ハーロックの足下、グレート・ハーロックのマントにくるまりながら、何やらトチローがしまりのない顔になっている。


「どうしたねん、トチローはん」


尋ねると、「んふふふふ」と不気味に笑い、「いや、この布グレート・ハー
ロックのマントだよなぁと思って」と頬を染める。


「──…あぁ」


悟った。尊敬の念というか、これは。




──萌え萌えしてんのかい。




冷静怜悧な叡智の使徒の萌えポイント発覚。──結構嫌なところに
達している。そんな気がする。


「……良い天気やなぁ」


叶うのなら、自分の心という海の下で今日という日を粉々に砕いてプランク
トンにしてマッコウクジラの餌にしたい──!!



ヤッタランは、遠く人工海の果てを眺めた。

 








END













●hagiさま、キリ番2500リクエストありがとうございました! トチローが鞄に収まらなくってスミマセン!! どうにか収めてみようとはしたのですが……(汗)
これに懲りず、まだまだキリ番狙ってやって下さいませ。ハートチなリクも大歓迎ですよー(でも裏っぽいネタは恥ずかしいので御勘弁で☆)。



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