Under・the・sea





6565が見えてくる──。



★★★


「……なぁ、親父」


ハーロックは小型機の副座から身を乗り出して、操縦桿を握るグレート・ハーロックの横顔を覗いた。


「どうしたのだ? ファルケ・キント。酔ったのか?」


「トチローじゃあるまいし。そうじゃなくって、それ」


ハーロックは父の右手首を指差した。少し袖の捲れた右腕。男のものにしては
細い手首に、見慣れないアクセサリがきっちりとはまっている。

細工のごつい──銀色の腕輪。光り物を嫌って結婚指輪さえしていない父が、
まさかそんなにもご大層なものを身に着けているとは。


「母さんにバラそうかなぁ。結婚指輪だってしてないくせにさぁ。どこの
 可愛いヒトから貰ったんだよ。そんなデカイ腕輪」


「──…可愛い。確かに……可愛いかった……かな?」


うーん、とグレート・ハーロックが曖昧に首を傾げる。誤魔化すんじゃないよ、とハーロックは父の頭を叩いた。


「知らないぞー、浮気者。母さん結構恐いんだからな。次に帰ったとき、
 家に入れてもらえないかも」


「それは困るな。白状しよう。息子よ、是非とも弁護してくれ」


苦笑して。腕輪のはまった手首をハーロックの目線にまで持ってくる。小型機の照明に浮かび上がる、腕輪を取り囲むように彫られた9人の騎馬姿の乙女達。
古代北欧神話に出てくる死者を導く精霊──気高き戦乙女ワルキューレの姿だろうか。よく見れば、一人一人顔や鎧のデザインが異なっている。凝った作り
だなぁ、とハーロックは素直に感嘆した。


「こんなに凄い細工物は、宇宙広しといえどそんなに作れる人はいないね。
 あ、何か文字が彫ってある──なになに?」


父の腕を掴んで、顔を近付ける。──旗だ。長女ブリュンヒルデと思しき戦乙女の持つ旗に、古いドイツ語で何事かが記されている。




TからFへ──汝が妻の名を称えよ。

エルダからジークフリードへ。




「──…何だぁ? 暗号文?」


「Tというのは大山のことだよ、ファルケ・キント。TOSHIROU・OHYAMA。
 そして、わたくしの名はフリューゲル。頭文字はF。これは彼からわたくし
 への贈り物だ」


す、と右腕が離れる。今はもう亡い親友の形見。ごめん、とハーロックは俯いた。


「俺──親父に悪いこと言った?」


「いいや、ファルケ・キント。気にしなくても良い。記憶というのは時々誰か 
 に言われて思い出さなければ風化してしまうから。もう、わたくしの心を
 意識せずに彼のことを口に出してくれる人間は殆どいないからな」


「ちぇ、それって褒めてない」


ハーロックは唇を尖らせた。ははは、と珍しく声を上げて父が笑う。暫く、穏やかな空気が機内に満ちた。


「──なぁ、親父?」


「うん?」


数十秒後、ハーロックは、こちん、と前のシートに頭をぶつけた。多分、
まだこれは訊くべきときではない事柄なのだ。けれど、聞いてしまったからには尋ねなくてはならないこと。


「──…メタノイドって、何だ?」


「……そうだな。お前が尋ねたくなるのも無理はない」


溜息を、一つ。ぎゅ、と操縦桿を握り直してグレート・ハーロックが重々しく
口を開く。


「メタノイドというのは、無機生命体のことだ。鋼鉄の筋肉とヘリウム3の
 心臓を持つ高等生命体。長きに渡ってわたくし達と渡り合った最強の相手」


「親父達の──敵?」


「そう、この宇宙を闇で覆い尽くそうという意志の走狗共。いずれ、お前達も
 出会うだろう」


目を細め、どこか酷薄な表情で呟く。見たこともない父の表情。それ以上は訊けなくて、ハーロックは副座に腰を下ろした。


「トチロー達、無事かな。まだ30分経ってないよね」


「あぁ。海賊島の中でも最高の防御態勢を誇る6565に侵入してきたのだ。
 恐らく敵はメタノイドの中でも戦士クラスの者だろう。メタノイドは敵なが
 ら誇り高い種族。その戦士クラスならば己の言を曲げることはないはず」


だから平気だろう、とグレート・ハーロックが頷く。だからこそ、30分過ぎればトチローとヤッタランの命の保証はないのだ。ハーロックは、ぎゅ、とトチローの刀『燦天我夢幻』を握った。


「メタノイドの……戦士クラス」


強いの? と問うと、「無論」と返ってくる。


「わたくしも大山も何度も苦戦を強いられたよ。少なくとも、今のお前では
 到底勝ち目はないだろうね」


「──そんなこと、ない」


ハーロックは唇を噛み締めた。何の説得力もない。親友と幼馴染みを人質に取られ、手も足も出なかった自分。指先の震えは治まったが、まだ身体全体が冷たい痺れに包まれている。


「ファルケ・キント、焦ることはない」


ふと、グレート・ハーロックの口調が和らいだ。見れば、太陽系最強の戦士が父の顔をして笑っている。


「急がずとも、お前はまだ未熟なのだから、ゆっくりと強くなれば良い。その
 手の震えもいずれは完治するだろう」


「手──俺、どうなっちゃったんだろう。今まではこんなこと無かったんだよ。
 地球で賞金首を捕まえて小遣いを稼いでたときだって、タイタンで一戦
 交えたときだって──こんなこと」


「誰でも、己の心の奥底までは覗き込めぬ。3年前にお前の目の前で起きた
 こと、温かな心を持つ人ならばそう簡単には忘れられないものだろう?」


「忘れて──ないよ。忘れるわけ、ないけど」


目の前が鮮血と脳漿に染まった日。あの日──一番の親友と大好きだった獣が
死んで。
気付いてしまったのだ。自分がどれだけ敵に対して残酷になれるかを。

真に怯えるべき相手は、機械化人でも卑怯者でもない。命に対して何の呵責も持たない者でもない。


──自分自身だ。まだ小さな身体と心にそぐわぬ力だ。まだ父のようにはなれない未成熟な器だ。


「………」


ぶる、とハーロックは自らを抱き締めた。「そろそろ降りようか」と、グレート・ハーロックが穏やかに嘯く。


「ハッチは開きっぱなしか。ファルケ・キント、自動的に閉まる隔壁がある
 から良いものの──普通だったら今頃中はパニックだよ。お前はわたくしを
 昼行灯などとのたもうたが、お前はお前でおっちょこちょいだな。やはり
 血は争えない」


「悪かったね。おっちょこちょいで。だけど、あの状態じゃあとてもじゃない
 けど冷静になれない」


「そこを冷静にならなくては。お前もいずれ大戦艦を率いる宇宙海賊になる
 のだろう」


グレート・ハーロックの操縦で、小型戦闘機は滑らかにドッグに着艦する。


「さぁ、降りて海へ行こうか。トチロー君もヤッタラン・ジュニアも待ちか
 ねているよ」


先に降り立った父が笑顔で手を差し伸べてくる。少年のような無垢な微笑み。
まるで敵地に赴く戦士の顔ではない。喩えるなら、そう──遠足に行く保父の
表情である。


「──…トチロー達よりさぁ、敵の方が待ってると思うよ。俺」


それに。


「いつまでも機から一人で降りられないような子供じゃないっての」


ひらり。グレート・ハーロックの手を取らず、ハーロックは副座から身を翻した。



★★★


「──…もうすぐ30分やな」


「うえっ」


「ジュニア、上手くグレート・ハーロックに説明出来たかな。あン人、
 パニックになると自分でも他人にもワケわからんくなるからなぁ」


「おえぇ」


「グレート・ハーロックもヌケとるし、ワイら──このまま海水のプランク
 トンになるんかなぁ」


「げほぉぉおぉぉおぉ」


「おーい、吐くな吐くな」


ヤッタランは溜息混じりにトチローの背中を撫でてやる。正体不明の水柱に
捕らえられて早30分が経過しようとしている。敵はハーロックが行ったあと、
全く反応を示さない。トチローが胃液を吐いてても不干渉である。
──プロのやり口やな。ヤッタランは思う。

例えばこれがただのチンピラならば、トチローは胃液を吐いた時点で半殺しの
目に遭わされている。自制心が無く、相対する者への怯えがあるからこそ、己よりも立場の弱い者──すなわち捕らえている者へと向かう残虐性。それがないのは、完全なる敵地に於いてさえ、彼が冷静そのものであるという何よりの証だ。

落ち着いた心であるということは、恐れも抱いてないということだ。太陽系最強の戦艦『デスシャドウ』と戦士グレート・ハーロックを敵に回して、冷静沈着であるこの相手。身代金が目的であるにしろ、グレート・ハーロックの命であるにしろ、生半可な存在ではない。


「せやのに、ジュニアは深層意識だか何だかで使いモンにならへん言うし。
 なぁトチローはん。“エルダ”なんやろ。得意の叡智で何とかしてや」


「………メタノイドの弱点は──…心臓だ」


蒼白になって、トチローは息も荒く呟く。ざわ、とヤッタラン達を取り巻く
水が揺れる。「メタノイド?」とヤッタランは声を潜める。


「メタノイドって──? 聞いたことあれへん名前やな」


「宇宙史の暗部には常に存在した名前。この宇宙を永遠の沈黙と闇で
 閉ざそうとする意志に仕える者達。“彼女”に産み出された無機生命体」


ざわざわ。水が──揺れる。苛立ちと焦燥が波に触れる手に伝わる。ヤッタランは慌てて手を引っ込めた。ぐ、と吐き気を飲み込んで、トチローが続ける。


「こいつらの真の目的は、多分身代金なんかじゃない」


「──こいつら?」


「そうだ。こいつらの目的は恐らく──」



『残念だが、30分経過した。ハーロック一族も、ここまでの男達だったよう
 だな』



どぷんっ──! トチローが水柱の中に呑み込まれる。沈んでいくトチローの手首を掴もうとしたヤッタランは十数メートル下の海面に放り出される。


「あ──」


──落・ち・る。


いくら泳ぎが得意でも、こんな高さから落ちれば骨折はなくとも捻挫は免れない。プラモデルを作る手だけはと、ヤッタランは目をつぶり手首を庇う。
──が、


「ヤッタラン!!」


海面と、頭の間に滑り込んでくる長い腕。海の青よりも鮮やかな青色の気密服が、視界をいっぱいにした。


「──…ジュニア!!」


海中で、抱き留められる。塩水が目に鼻に入ってきてむせる。けれど、すぐに
引き上げられて、次に目に入ったのは今にも泣き出しそうな幼馴染みの笑顔。


「……良かったぁ。ギリギリだったから、間に合わないかと思ったよ」


頭の先までびしょ濡れになって。大きな鳶色の瞳には安堵の波が揺れている。
整った顔を、くしゃ、と歪めて、ハーロックが「良かった」と再びヤッタランを抱き締めた。


「もう誰も──俺のせいでいなくなっちゃうのは嫌だったから。親父に頼む
 のは本当に気が引けたけど、ヤッタランやトチローが助かるなら、男の
 プライドなんて屁みたいなモンだね」


「せやけど、トチローはんがまだ」


「うん。わかってる」


きゅ、と眼差しを鋭くするハーロック。その先には、トチローが呑み込まれた水柱がある。


「大丈夫。トチローはそんなにヤワじゃないよ。ヤッタランが助かって
 くれれば、きっと自分で何とか出来る。あいつは俺の親友だもの。相手に隙
 さえ出来ればきっと──」


自分で、脱出出来るはず。半ば自分に言い聞かせるようにして、頷く。砂浜の方へと泳ぎ出すハーロックに続きながら、ヤッタランの頭に一つの疑問が浮かんだ。

トチローを呑み込んだまま動かない水柱。グレート・ハーロックの息子であるハーロックにも、救出されたヤッタランにも一切関心を示さない。推測する限り、全く無駄のない冷静沈着なこの敵が動かない。


「……ちうことは……」


眼鏡のレンズを磨き、ヤッタランは水柱を仰ぐ。


「奴らの狙いは──まさか」


そう考えれば、敵の行動全てに説明がつく。メタノイドという敵の狙い。
それは──莫大な身代金でも、太陽系最強の戦士の首でもなく。


──叡智の使徒“エルダ”たる──。



トチローの、命。





★★★


『少々、遅かったな』


無感情な声に優越が混じる。トチローを呑み込んで、父・グレート・ハーロックと相対して、敵──メタノイドというのだったか──は明らかに喜んでいる。

ヤッタランを砂浜に引き上げ、ハーロックは濡れて頬に張り付く前髪を掻き
上げた。


「なに、お前達の時計が狂っていたのだろう。わたくし達は時間を遵守して
 いるよ。これでも気高き騎士の家系なのでね」


余裕綽々と父が言う。丹精で清楚な顔に、いつもは見ない薄い笑みが浮かんでいる。──父も楽しんでいるのだ。ハーロックは、こくり、と喉を鳴らす。



『何と言ってももう遅い。人質の命は貰うことにするぞグレート・ハーロック。
 それとも、10億用意出来たとでも?』



「たかだか30分で10億などという大金が用意出来る筈もない。純粋な我が子
 は騙せても、このグレート・ハーロックを欺くのは難しいことだ。金だの、
 わたくしの命だの、そのような屁理屈をつけてまで、まだ幼く未熟な子供を
 殺めたいのかね? メタノイドの戦士、センチュリオンも地に落ちたな」



『何とでも言うが良い。知っての通り、我々の目的は貴様の血族の抹殺と、
 “エルダ”を消滅させること我らが宗主の目的達成には、貴様らの存在が
 どうしても邪魔なのだ』



グレート・ハーロックが出てきた途端、雄弁になるメタノイドの戦士。
やはり、自分など相手にもされていないのだ。あの──無機生命体には。
『センチュリオン』というのは称号だろうか。ただの水柱に見えるのに。
ハーロックの頭に、色々なことは閃いては消えていく。


「トチロー君を返して頂こう。わたくしの首と引き替えというのなら、
 それでも良いさ。現役を過ぎた老いぼれ戦士の一人くらい片付けるのは
 貴様のような卑怯者にでも容易かろう?」


右手首に鈍く輝く銀色の腕輪。グレート・ハーロックは慈しむように腕輪を撫でながら、センチュリオンに向かってからかうように目を細める。



『卑怯者だと?!』



ざわざわと海面が揺れる。メタノイドという生き物は、どうやら水と同化出来るらしい。あの水柱、この海が敵なのだ。ハーロックは、こそ、と立ち上がる。

──グレート・ハーロック、父は自らを囮にしてハーロックに好機を見いださせようとしているのだ。



『メタノイドの戦士、センチュリオンたるこの私を卑怯だと?!! おのれ、
 嘲るかグレート・ハーロック。ならば貴様の望みどおりにしてやろう
 衰えたその首かっ斬ってくれる!!』



 しゅるるるるるるる──ッ!!



水の刃が、砂浜に無防備で立つ父に向かう。ハーロックは低い体勢で砂を蹴った。


「親父!!」


腰に飛びついて、押し倒す。細身でブーツの父は、息子のタックルで呆気なく
横倒しになった。水の刃は目標を失って地面を掘り起こす。白い砂がきらきらと人工太陽の光を反射した。

ファルケ・キント──、とグレート・ハーロックが、きょとん、とする。


「ファルケ・キント、何をするのだ。まさか、わたくしの思惑も理解
 出来ぬほどお馬鹿さんなのか? 君は」


「何だよ! 今死んじゃう気だったろ。親父が首をやったって、あいつは
 トチローを返さないぞ。無駄死にじゃんかよ、それじゃあ」


「何を言うのだ。わたくしはちゃんと戦う気で──」


「お馬鹿さんは親父の方だ! トチローが捕まってるのに銃が使えるか? 
 サーベルも無いのにどうする気だったんだよ!!」


「あ」


ぽん、と手を叩く39歳(妻子持ちで太陽系最強の海賊団の長)。そういえば、と息子を見返す父の眼差しはどこまでも透明である。「あぁ?」と、ハーロックの喉から奇妙な裏声が洩れた。


「あ、って……あ、って……まさかデスシャドウで俺が引っこ抜いたの
 忘れてたのかよ。親父」


「あぁ、そうだねぇ。思い起こしてみればそんなこともあったか。命の恩人
 だな、ファルケ・キント」


「アナタはホントにお馬鹿さぁーん!!」


すぺーん、とハーロックは父の頭を景気よく叩き倒した。無抵抗の父は儚くも
砂浜に倒れ伏す。


「い、痛いぞ。ファルケ・キント」


「イタイのは俺の胸じゃ!! この馬鹿親父! もー! こんなのにトチローが
 憧れてるかと思うともう!! 俺の方が100倍良い男じゃんかよトチローの
 馬鹿! ド近眼!! 幸せの青い鳥はいつも一番傍にいるって相場が決まって
 るっつーの、もう! もう!! もーっ!!!」


「これこれ、牛じゃないんだからもーもー言うのは止しなさい。それにしても
 最近の子供は早熟だな。もうそのような言葉を」



『死ね! ハーロックの血族め!!』



 しゅるるるるるっ。


てんやわんやの親子にとどめを刺すようなメタノイドの攻撃。ハーロックは父の手を引き、ヤッタランを抱えて砂浜中を走り回る。


「ヤッタラン! 俺達がヤツの気を引くから、デスシャドウに戻って親父の
 サーベルと何か適当に武器弾薬持って来いよ。こうなったら戦争だ。やって
 やる!!」


「あのなぁ、ジュニア。ここは人工惑星内。そないに乱暴なことしたら内部
 からぶっ壊れるやろ。冷静になりや」


いつでもどこでも冷静な一つ年下の幼馴染み。ヤッタランの言葉を受けて、
グレート・ハーロックも「そうだな」と同調する。


「それに──…弾薬を使った戦闘になると、奴らに捕らえられているトチロー
 君の命が危ない。そもそも奴らの狙いはトチロー君の命なのだ。砲弾の盾に
 するくらい、奴らには何でもないぞ」


「あぁそうかい。それじゃあ──!!」


ざざっ、とハーロックは立ち止まる。ガンベルトには機内で無理矢理括り付けた『燦天我夢幻』。トチローの刀。自分の手が震えて役に立たなくても、トチロー
なら、きっと戦える。



「──俺が、何とかしてトチローに刀を渡すしかないなぁ」



父と幼馴染みを背後に。ハーロックは、に、と口元をつり上げた。

















●もう少し続きます……(汗)。ちなみにOHYAMAの発音は「OH! 山!」みたいなカンジで。ちょっと緊迫感が失せますね。←ますね、じゃねぇ。



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