Under・the・sea
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☆☆☆ ──本当に、一瞬の出来事だった。 人工の海を眺めながら3人でサンドイッチでもつまもうと、俺がトチローや ヤッタランに背を向けた瞬間。 「うあッ!!?」 「ひゃあ!!」 短く、けれども心底意表をつかれたような二人の悲鳴。俺は慌てて振り返る。 人工の海、制御されている潮の満ち引き。 起きるはずのない高波が、二人の姿を沖の方へと流していた。 「トチロー! ヤッタラン!!」 「ハーロック、逃げろ!! これは敵襲だ!」 「そやでジュニア、何やわからんけど狙いはジュニアかグレート・ハー ロックや! 早よ逃げてな!!」 ほぼ同時に、3人共が叫ぶ。逃げろ、と言われて友達を見捨てる馬鹿はいない。 俺は駆け戻り、重力サーベルを引き抜いた。 「おのれ!! 武器の無い者から狙うとは卑怯! この6565に侵入してくる 技量を持つのなら、正々堂々と勝負してはどうだ!!」 叫ぶ。声は、惑星内の壁に反響して谺になる。そうしている間にも、ヤッタランは波にもまれ、トチローは水を飲んで沈んでいく。砂漠育ちのトチロー。やはり泳げないのだ。俺はサーベルを握ったまま、波打ち際に足を踏み入れる。 その瞬間、どざぁぁぁぁ、という轟音と共に巨大な水柱が2本、俺の目の前に 立ち塞がった。 「な──ッ!!」 「ハーロック、逃げろ。こいつら人間じゃない!」 沖に見え隠れするトチローの頭。たった100メートル程の距離なのだ。俺は決心して水柱の間に走る。目の奥を貫く海水の飛沫。ブーツに水が絡まって上手く走れない。それでも。 「トチロー!! ヤッタラン!!」 水勢に弾かれて、俺は砂浜に尻餅をつく。もう一度、と立ち上がったその時、頭上から声が響いた。 『グレート・ハーロックの息子だな!』 滝が激しく流れ落ちる音にも似た低い声。水柱から聞こえてくるのだ。どざぁぁぁ、と一本の水柱が俺の目の前から消え、沖で浮き沈みするトチローとヤッタランを捕まえる。 『再度問う! お前はグレート・ハーロックの息子か!?』 「──…そうだ! 貴様こそ、親父の首にかかった賞金を狙う賞金稼ぎ だろう。俺がグレート・ハーロックの息子、ハーロック・世だ! 人質にするなら俺にしろ!! その二人は離せ!!」 ──嫌な記憶がフィードバックする。10歳の記憶。こんな風に、俺は叫んで。 けれど、次の瞬間目の前を染めたのは熱くて、赤い──あかい。 「にげろ、ハーロック! にげ──…!!」 そう叫んでくれた親友の、ち、が。 脳のかけらが、め、に。 「……あ……き、貴様の要求は──何だ」 途端に、両腕が痺れた。痺れて、サーベルを持っていられなくなる。10歳の 俺は短慮で、この世に卑怯な人間などいないと思っていた。心底、人の命を奪うことに痛みを覚えない人間などいないと思っていた。 目の前に立つ水柱。中から聞こえる声は──人間のものではない。 ──機械化人だ。すぐに判る。3年前に聞いた声と同じ。何の感情も無い、 人工声帯が吐き出す“音”。 『こちらの要求は一つ』 従わなければ──何の呵責も持つことなく、丸腰のトチローとヤッタランを 殺すのだ。3年前に、俺の親友と小さく優しい獣を殺したように。 『グレート・ハーロックの首、もしくは、その首にかかった賞金と同額の 身代金だ。10億宇宙金貨が、こいつら2人の命の値段。高いなどと言う なよ? ハーロックの息子』 「身代金──…賞金稼ぎじゃないのか……?」 ──大金だ。けれど、それが2人の命の値段だと言う。そうでなくては、親父の首。目的は、金か。 『父親と交渉しろ。ハーロックの息子。30分だけ待ってやろう。それより1秒 でも過ぎれば、この2人の心臓を停止させる』 ごぽっ……。 一瞬、水柱の上に押し上げられていた2人の姿が水中に消える。従わなければ ──溺死させるつもりなのだ。それとも、水圧で2人を海底に押し付けて潰す つもりだろうか。銃を抜こうにも、指先が震える。 「げほっ……ハーロック、行け!!」 再び水柱に押し上げられながらトチローが俺を追い払う。──いけない。 行けるはずがない。卑怯な方法で2人を捕らえ、その命を金銭に換えようと いう輩に背を向けるなどと。まして、親友を見捨てて行くなんて。 「トチロー!! だけど──!!」 「馬鹿野郎! 手ぇ震えてるじゃねぇか馬鹿。役に立たねぇんだよ! さっさと行って俺の刀──」 薄栗色の頭が、沈む。トチローの言う通りだ。震えて、体温の下がった俺の指先。 役に立たない。確かに──、 ──今の、俺では。 「……くっ……! 待ってろ、2人共!!」 血が滲むほど唇を噛み締めて。俺は一目散に小型戦闘機を目指した。 ★★★ 「──成程」 ジュニアが話し終わって一息ついたタイミングで、グレート・ハーロックが ようやく相槌を打つ。 「水を意志のままに操れるとは。やはり、メタノイドだな。それも 相当な実力者だ。狙いは──わたくしの命か」 「でも親父、10億持って来いって──あの水柱の機械化人は」 「わたくしを狙っているのは、正確にはメタノイド。機械化人ではないよ。 ファルケ・キント」 優しく息子の頭を撫でる。「だけど」と、ジュニアが父を見上げた。 「俺には判るんだ。あの声──何の感情も無いあの声。あれは機械化人の 声だよ。3年前と同じ──」 「それにしても副長、いつの間にわたくしの首にかかった賞金の金額が 跳ね上がったのだろう。2億くらいまでは憶えているのだが」 がく、とハーロック・ジュニアが肩を落とす。無垢な眼差しで見つめられ、オールド・ヤッタランは「せやな」と、ぽりぽり頬を掻いた。 「いちいち確かめんのも面倒になっとったし、ワイも知らんかったわ。10億に なっとったんやなぁ」 オールド・ヤッタランも知らなかったのだ。グレート・ハーロックの言葉通り、 確かに2億に跳ね上がったまでは憶えている。 「そもそも今の貧乏地球連邦に、10億なんて大金は出せないやろ。ちうか、 10億もあるんやったら、今頃こっちに最新設備持った大艦隊が押し寄せ とるで」 「そうだよなぁ。10億を軍備に回せば、デスシャドウに相当する戦艦の開発 も夢じゃないかもな」 「あーッ!! もう! のんびりのんびり話するなよ。この昼行灯海賊団!!」 だんだん、とジュニアが乱暴に床を踏み鳴らす。「ふむ」と、グレート・ハーロックが顎をこすった。 「ともなれば──わたくしに10億の賞金をかけたのは地球政府ではないことに なるな。何より、メタノイドがファルケ・キントではなくトチローくんと ヤッタラン・ジュニアを捕らえたということは」 「いいから親父、10億貸してくれってば!! 出世払いで絶対返すから!」 「10億などという大金は、持ち合わせていないよファルケ・キント」 いともあっさりとグレート・ハーロックは言い放つ。ジュニアの顔が、一瞬惚けた。が、見る見るうちに血の気が引いていく。 「も──持ち合わせてないって、それじゃあトチローとヤッタランは?!」 「なに、簡単なことだ。わたくしの首を差し出せば良いのだろう?」 心配することはないよ、と、穏やかに息子に微笑みかけて、グレート・ハーロックは歩き出す。 「なぁ、キャプテン。ワイらはどうすればええねん。一緒に行こか?」 本当は、彼の言いそうなことなど予想がつくけれど。オールド・ヤッタランは一応グレート・ハーロックの背中に声をかけた。「それには及ばないよ」と、予想通りの答えが返ってくる。 「副長以下、クルー達はそのまま艦に残ってくれ。わたくしは今からこの子と 6565に降りる。あぁそうだ、レーダー長。急いでトチローくんの部屋から 刀を取ってきてくれないか。彼は誇り高い大山の嫡子、きっと必要になる だろう」 「親父! 聞いてるのか俺の話を!! 俺の油断のせいで2人が捕まったんだから、 その責任は俺が命に代えても取るんだ。親父には関係ないんだ!!」 ぎゅう、とジュニアが全身でグレート・ハーロックの腰にしがみつく。ぎし、と扉に手をかけたグレート・ハーロックの動きが止まった。 「ファルケ・キント、離しなさい。わたくしもそう若くはないのだから、 そんなに体重をかけられたら持病の椎間板ヘルニアが」 「嘘つけ親父。椎間板ヘルニアだったなんて聞いたことない。だけど、 親父が若くないのは本当だ。宇宙じゃ39歳なんてジーさんだ」 「もうすぐ15分経ってしまうぞ。今すぐに離しなさい。お前も男なら わかるはず。男には──どうしても引けないことがあるのだ」 「だから、親父は関係ないったら! 俺が何とかするよ。手の震えだって 治まったし、さっきはふいをつかれたから──もう勝てるよ。何とか 2人を助けてみせるから。親父は」 「──…心配ないよ。優しいわたくしのファルケ・キント」 ファルケ・キント──鷹の雛。我の強いハーロック・ジュニアがそう呼ぶことを 許すのは、この父親と小さな親友にだけだ。腕を解かれ、ジュニアの瞳に涙が溜まる。13歳の跡取り。まだ心身共に未成熟で、本当は甘えたい盛りなのだ。 「大丈夫やで」と、オールド・ヤッタランはジュニアに、ぱちん、とウインクしてやる。 「昼行灯でも、椎間板ヘルニアでも、キャプテンは太陽系最強の戦士なんや。 そう簡単に負けるかいな」 「そういうことだ、ファルケ・キント。もっとお前の父を信じなさい」 急ごう、と手を引かれ、それでも納得しない様子でジュニアはグレート・ハーロックと駆けだしていく。 「──何気に喜んでませんでしたか? キャプテン」 「まぁ、父親っちうモンは、いつでも息子にはええ顔したいんとちゃうか? つーか、早よトチローはんの部屋から刀持って来いっちゅーねん」 げし、とオールド・ヤッタランはレーダー長の尻に蹴りをいれた。 ★★★ 「来ーへんなぁ……。ここからデスシャドウと往復するのなんか、10分 かからへんと思うねんけどなぁ……」 水柱に巻き上げられながら、ヤッタランは呟く。激しい海水の逆巻く音にも、 振動にも慣れてしまった。特に痛めつけられるわけでもないので退屈である。 かといって、痛めつけられたいわけでもないが。 会話をしても何も言われないので、取り敢えずヤッタランは隣で真剣な表情をしているトチローに話しかけていた。 「せやけど、さっきのジュニア、全然らしくなかったなぁ。いくら敵が得体の しれへん水竜巻かて、いつものジュニアならこっち飛び込んでくるはずや のに」 「──…そう言ってやるなよ、ヤッタラン」 トチローが呟く。視線はハーロックの行った先に固定したまま。 「怖いモンは、しようがないのさ」 「何や、ビビリかいな」 「あぁ、ビビリさ。怖いだろうな。男が最大に恐れるのは、己の未熟さで 他人を傷つけることだからな」 淡々と紡ぐ。ヤッタランはトチローの横顔を見つめた。何の感情も認められない。 今こうして正体不明の敵に捕らわれている時でさえ。 「なんやねん、ジュニアは──敵が怖かったのとちゃうちうことか?」 「敵よりも恐ろしいのは未成熟な身体に有り余る程の戦闘資質。理性を 留められない未完成な心」 人の心は──この『ウミ』のようなものだ、とトチローは続ける。 「『ウミ』は、浅い場所なら光が通り、沢山の生き物を育む。それは明るくて 賑やかな場所だ。けれど、ずっと深く潜っていくと、やがて光さえ届かない 『シンカイ』という世界に行き着く。そこは、永遠に白い砂地の続く、死の 世界にも似ていると、親父の残した書物にはあった」 「深海──やな。確かに、ずっと深いところになると、プランクトンみたいに 細かい生き物しかおらへんようになるって理科の授業で聞いたことあるわ」 「そうだ。人の心もそれに似ている。記憶と言い換えても良い。大抵の人間は 表面はいつも明るくて賑やかな南の『ウミ』だな。喜怒哀楽と──楽しい 記憶。悪いことは、全部深いところに追いやるんだ。それは、醜く歪んで いて、グロテスクだ。シンカイ魚のように。そして、もっと深い場所には、 どんな人間にでも死の世界に近い暗闇がある。いつもは、絶対に見えない 場所だ」 「ジュニアにも?」 「無論。お前にも、俺にもあるのかもしれん。だがな、ヤッタラン。さっき お前が言ったように、どんなに深く潜っても、『ウミ』の底にはプランク トンのように細かい生き物が住んでいる。記憶も同じだ。どんなに深く 押し込めて、死の世界の景色に同化させてしまったとしても、記憶という モノは消えないんだよ。辛かったことなら、辛かった分だけ。砕いて無く してしまったつもりでも、プランクトンのように細かく、それはある」 深層意識というのだ、とトチローが人差し指を立てた。 「ジュニアの──心に? 一体それは」 思い当たる。3年前の出来事だ。ハーロックの目の前で、無惨にも奪い去られた命が2つ。 「まさか……ダブってしもたんか。ワイらと、3年前の状況と」 「恐らくな。これはどうしようもないことだ。何せ、ハーロック本人は プランクトン並に砕いて見えなくしてしまったと思い込んでいる記憶。 さっきのあいつは大量のプランクトンがエラに詰まって呼吸出来なく なった魚と同じさ。目に見えないモンに喉詰められて、サーベルを取れる わけがない。怖くならねぇわけがない。そうだろ」 青ざめて、震えていたハーロック。サーベルを砂浜に落し、彼はそのまま 駆けていった。──自覚の無いまま、怖かったのか。誰かの命を盾に取られることが。自分の行動で、誰かの命を危険に晒すことが。 「──せやけど、そんなんじゃこの宇宙は渡れへん。トチローはん、何とか 出来へんのか」 「それは俺より相応しい人がすることさ。とにかく、今俺達が注意すべき ことは──…」 す、とトチローの顔が白くなる。 「……これ以上揺れに身を任せて酔わないことだ……」 「………また吐くんかい」 もう吐くモンないはずやろ。ヤッタランは溜息混じりにトチローの背中を撫でてやった。 |
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