Under・the・sea




★★★


タイタンを出て、一ヶ月が経った。俺達は相変わらず親父の艦デスシャドウ号に乗っていて、宇宙を遊覧している。


「うぇえぇぇええぇ」


洗面器に小さな頭を突っ込んで、トチローが呻く。つい十分前、この艦は宇宙の嵐、電流層を1時間かけて突破した。

グレート・ハーロックこと親父とその仲間達は言うに及ばず、幼い頃から戦闘機乗りとしての訓練を受けたハーロック・世こと俺と、俺のあとをずっとついてきたヤッタランにとっては、この程度の揺れは何でもない。

1時間、不規則な揺れと電磁波の影響による軽い頭痛が続いても、全く通常の生活が出来る。


「おぅぅぅぅうぇええぇぇえぇぇ」


──しかし、トチローは。
タイタンの砂漠で生活し、上昇気流の乱れとも、電流層の激しさとも付き合ったことのない小さな親友は、慣れない揺れと頭痛にすっかりと参ってしまったようだ。殆ど半泣きで布団に伏せっている。


「くへっ」


出るモノはすっかり出てしまったようだ。今朝食べたハムとチーズを挟んだベーグルも、さっき飲んだ紅茶もジャムもマフィンも出てしまった。酔い止めの薬も半分溶けて洗面器に落ちた。


「……トチロー、可哀相に」


俺に言えることったらそれしかない。俺は、ずっとトチローの背中を撫でさすり、ゲロの始末をしてやっている。げろげろ、とトチローが再び洗面器を胃液で汚した。


「気持ち悪ぃよぉうぅううぅうぅぅ」


トチローが真っ白な顔で涙ぐむ。俺は「よしよし」と彼の薄栗色の髪を撫でてやった。


「何とかしてやりたいけど、船酔いだけはどうしようもないしなぁ。薬も
 吐いちゃうなんて」


「お前なぁ……人ごとみてぇにぃぃいぃぃいぃ。げろぉおぉぉお」


「うわ、不憫」


洗面器を取り替えてやる。洗い立てのタオルを差し出してやると、トチローは、すまん、と受け取り、口元を拭った。


「せやけど、こないに酔う体質でこれから航海やっていけるんかいな」


ヤッタランが水差しとコップを持って入ってくる。「多分平気だよ」と俺は
返した。


「トチローは運動神経も良いし、順応性も高いから慣れれば平気だと思うけ 
 ど。今は、慣れてない上に一ヶ月の戦艦生活、しかも電流層の嵐なんかに
 巻き込まれたからこの惨状」


「うげぇぇぇぇぇえぇぇえぇ」


新しい洗面器には、もう胃液も零れない。すん、と鼻をすすってトチローが
布団にくるまった。


「……辛ぇ。もう死ぬ……」


「トチロー、可哀相。代われるモンなら代わってやりたい」


ぐったりとしたトチローの額に、俺は、ちゅっ、と唇を押し付ける。少し
酸っぱい匂いがしたけれど、トチローの匂いと思えば許容範囲だ。


「こらこらジュニア、無抵抗のトチローはんに変なことしたらアカンやろ。
 トチローはん、グレート・ハーロックが見舞いに来たい言うてたけど、
 どうします?」


「グレート・ハーロック!!?」


がば、とトチローが上体を起こす。ごん、と俺の顎にトチローの額が
当たった。


「痛っ……! トチロー、急に起きないでくれよ」


「グレート・ハーロックが来るって……来るって言ったのか?! ヤッタラ 
 ン!!」


無視だ。顎を押さえて呻く俺の頭を押し退け、トチローがヤッタランの胸ぐらを掴む。「ゲロ臭ッ」とヤッタランが顔を背けた。


「トチローはん臭いわ。そ、そうやで、電流層抜けてからの針路をワイの
 親父と決めてから、ジュース持って様子見に行くって、グレート・ハー
 ロックが」


「だ──駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!! 絶対駄目。グレート・ハーロックが
 こんな部屋に来るなんて駄目だ。絶対絶対ぜーったい駄目!!!」


「トチロー…こんな部屋って」


現在地。デスシャドウ号内、元大山十四郎さんの部屋である。十畳ほどの和室。
布団と俺達の座っているスペースを除いたら、あとは全て書籍やMOディスクで埋め尽くされている。──まぁ、キレイとはお世辞にも言えないが。


「ここ、トチローの親父さんの部屋だろ」


「グレート・ハーロックの入って来て良い部屋じゃねぇよ。ノミはいるし、
 シラミはいるし。しかも今はゲロ臭いだろ。最悪だよ。華麗で美しくて
 清楚で気高いあの御方の来るところじゃねぇよぉおおおぉおおげぇぇぇ」


「よしよしトチロー。泣きながら吐くな。そして人の親父を清楚で華麗とか
 言うな。気持ち悪い」


もうすぐ40に手の届く親父である。何故かは知らないが、トチローは俺の親父を尊敬して止まないらしい。親父と目が合うだけで、ぽ、と頬を真っ赤に染める。もじもじする。目がうるうるする。──大好きなのだ。そう思うと何だか腹の辺りが苛々する。


「それに、うちの親父はそんなに良いモンじゃないぞ。緊急時はともかく
 普段はぼーっとしてるし。抜けてるし」


「……そこが良いんじゃねぇか。可愛くて」


「可愛い?」


「俺──…綺麗なヒトとかモノ好きなんだよな……」


うっとりとトチローが呟く。俺は無言でトチローの喉に指を突っ込んだ。
「おげっ」とトチローが涙ぐむ。


「て、てめぇ……一体何を」


「いや、もう少し吐けば普通のトチローに戻るかなって」


「もう吐けんわい!!」


空の洗面器を振り回してトチローが喚く。新聞紙がはらはらと畳に落ちた。


「朝飯もおやつも吐いちまって、胃の中空っぽなのに三半規管がぐるぐる
 すンだど! その上指なんか突っ込まれたら死んじまうわ!!」


「トチロー、脱水症状になりかけてるんだから無理しちゃ駄目だよ」


俺はふらつくトチローを抱き締めた。離せ離せ、とトチローが力無く抵抗する。今ので力を使い果たしたようだ。俺の腕の中でぐったりとしてしまう。俺はトチローの額にもう一度キスをして、布団の中に戻した。「きゅう」とトチローがタヌキのような声を上げる。俺は、出来るだけ優しくトチローの頭を撫でた。


「で、ヤッタラン。親父いつ来ンの?」


「あぁ、そらもうすぐ来るやろが。針路決める言うかて、そもそも目的あれ
 へんのやから適当に棒倒しでもして決めとるやろ。うちの親父も適当やし
 なぁ」


「そうだな、オールド・ヤッタラン副長も適当だよなぁ」


「──……適当適当言うな。お前らは隣の山●くんに出てくる女教師か」


げんなりとトチローが呟く。隣の●田くんとは一体何者なんだろうか。何より、トチローに女教師の知り合いがいるとは。俺が問おうとしたその時。


「トチローくん、気分はどうだ?」


しゅ、と自動扉を3分の1ほど開けて、噂の親父ことグレート・ハーロックが遠慮がちに顔を出した。

エナメル質の鳶色の髪、長い睫毛に覆われた大きな瞳。高い鼻梁と形の整った唇。純白のコスチュームに身を包んだその姿は、息子の俺から見ても文句なしの美中年だ。隻眼で、左頬に大きな傷があるのが惜しいほど。俺も大きくなったら、こんな顔になるのだろうか。


「グ……グレート・ハーロック………!!」


トチローが、ぽ、と両頬を染めた。慌てた様子で布団を被る。「わたくしは
入っても良いのだろうか」と、親父が小さく首を傾げた。


「もしも、君の迷惑でなければ」


「い──いけません、いけない。入っては」


もじもじ、と布団の中で悶えている。俺は、ぽんぽん、と布団を叩き、「入れよ親父」と親父を差し招いた。


「トチロー、もう吐くモン無いみたい。ジュースとか飲めば気分良くなるん
 じゃないかな」


「そうか、丁度良かった。昔、大山も船酔いしてな、その時に冷えたジュー
 スを喜んでいたのを思い出して持ってきたのだ」


これを、と親父が清涼飲料水の入った水差しを出してくる。「いいんです」と、
トチローが布団の中から小さな声で言った。


「ハーロック、ハーロック。いいから、あの人を部屋に入れないでくれ」


小さな手が俺の指を掴む。俺の胸が、きゅん、と甘く鳴いた。こうなると、何でも言うことを聞いてあげたくなってしまう。俺は親父を招く手を「しっしっ」と返した。


「親父、トチロー、ジュースはいらないって」


「──…そうか? では何が必要だろう」


「取り敢えず親父はいらないってさ」


「──……そうか」


親父が、一瞬大きく目を見開いた。ぎゃあ、とトチローが低く叫ぶ。


「ち──違う違う違う。ただ、この部屋がゲロ臭いから。臭いだろ?
 お前だって」


「俺、もう鼻が慣れちゃったよ」


トチローに向かって、俺はにっこりと笑ってみせた。ワイは臭い、とヤッタランが主張する。俺は、笑顔のままでヤッタランを小突いた。


「親父、トチローはゲロ臭いから恥ずかしいんだってさ」


「馬鹿馬鹿。ハーロックの馬鹿」


トチローの手が、ぽかすか、と俺の掌を叩く。「何してる?」と親父が
身を乗り出した。


「まだ具合が悪いようなら、ドクターを寄越すが」


「い──いりません! グレート・ハーロックのお手を煩わすようなことは」


「わたくしに遠慮することはない。トチローくん、君はわたくしを父君の
 ように想ってくれて構わないのだよ」


「そんな……勿体ない──です」


小さなトチローがますます小さく体を丸める。トチローは本当に親父が好きなのだ。みっともないところを見られたくないのだ。

──人の親父相手に何とミーハーな。俺は鼻息荒く立ち上がる。


「もう! 良いから親父出て行けよ。トチローは俺の親友なの。俺が
 ちゃんと面倒みて看病してるんだから、親父は乱入しないで良し!!」


「し、しかし。この艦の針路のせいでトチローくんは船酔いをしたわけだし、
 この艦の責任者はわたくしなのだから、彼の容態についてはわたくしに
 全ての責が」


「親父の責任は俺の責任! 俺が責任をもってトチローを介抱するから、
 親父は親父の艦のことだけ考えなよ」


しかし、と何事かを言いかける親父を、俺はさっさとドアの外に押し出す。
「あぁ、グレート・ハーロック……」と、トチローが切なげに布団から顔を覗かせた。


「俺が船酔いなんて軟弱なことになってなきゃ、是非入って頂きたかった
 のに……いや、むしろ入れたかった……!」


惜しそうに、親父が出て行った扉を眺めている。「こらこら」と、俺はトチローの顔を両手で挟んだ。


「トチローよ、あれは父だ。俺の父。地球には妻がいて、今年で40歳だ」


「美しい人だよなぁ──…」


「トチローさんよ。俺、すっごい父親似だって言われてるから、あと10年
 待ちなさい。俺もあれくらいは美しくなるから」


「お前とあの方じゃ種の起源が違げぇ…──」


「──…おぉう」


何という暴言か。父子間で種の起源が違うなどと。俺は腹いせにトチローの
顔を挟み倒し、ヤッタランを招いた。


「ね、ヤッタラン。親父に言って『海賊島』の鍵一つ借りてきてくれ」


「なんや? 降りるんか?」


 ヤッタランが中腰を上げる。「降りる?」と、トチローが目を丸くした。


「この辺りに人が降りられるような星があったか? 電流層も広範囲に
 渡って点在してるし」


「まぁね、確かにバラ星雲辺りには人が普通に降りられるような星は
 無いけどな」


トチローを優しく膝の上に抱き上げる。俺よりもずっと小さなトチロー。
「秘密基地だよ」と、そっと耳元に囁いてやる。「基地?」と、トチローが俺の肩に顎を乗せた。


「そんなモノがあるのか」


「あるのさ。お前の親父さんが造った人工島。この『デスシャドウ』号の
 数キロあとをついてくる小惑星のようにカムフラージュされた人工惑星
 が。トチローの親父さんが造ったヤツだよ」


「うちの馬鹿な親父がか? そりゃあさぞかし馬鹿なシロモンだろうな」


トチローが嫌な顔をする。何も実の父を馬鹿呼ばわりしなくてもいいのに、と思う。けれど、俺も親父のことを「ぼーっとしている」などと評したのだからお互いさまか。身内を褒めるというのは案外に照れ臭くて難しいのだ。


「どうする? 降りたくないか?」


「ふぅむ。だが、人工惑星の着想は俺も持ってるしな……」


ヤッタランの持ってきた水差しに手を伸ばし、トチローが唸る。同じ技術屋としての葛藤があるのだろう。14番目の“エルダ”である十四郎さんを尊敬しつつ、その二番煎じになるようなことはしたくないというプライド。トチローは誇り高い男なのである。


「俺達の艦を造るとき、補修ドッグも兼ねた隠れ家があると便利だよ。
 トチローが造ればきっと十四郎さん以上に機能性があるものを造れるさ」


「ふん。まぁ、親父の造ったモノならこの俺が参考にする価値もあろうさ」


グラスから冷えた水を一口。トチローがまだ蒼白い貌をして頷く。


「そうこなくっちゃ! ヤッタラン、うんと良いヤツの鍵借りてきて
 くれよ!」


俺は、ぱちん、と指を鳴らした。















●2500番のキリリク小説です。ずばりお題は、

1,海賊島の海でトチロ溺れる
2,バッグの中に収まるトチロ
3,酒酔いトチロと介抱するハーロック

の三択。しかし、既に酒酔いが船酔いにすり変わっていました。──…マジボケ(滝汗)。続き物ですが、リクエストして下さったhagiさまのみお持ち帰り可ですvv



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