想夢



こんな夢をみる──。



☆☆☆


彼女と、最後に別れた日の夢だ。

春の早朝。

霞がかった表に出た俺を、彼女と生まれたばかりの嬰児が見送った。


いってらっしゃいませ、あなた。おかえりを、おまちしています──。


それは、いつもの言葉。いつもの微笑。今にも泣き出しそうな、あるかなしかの微笑み。


いってくるよ、と俺は言う。他に、何か言うべきことがあるような気がしたが、
それは口にする前に頭の中で掻き消える。


そんなことばかりだ。たとえば、朝に食べたベーコンエッグが美味しかったとか、そういう一言でも良かったのだろう。俺は、彼女の笑顔をあまり見ない。


長い会話も、優しい時間も、まして愛の言葉など、一度も交わしたことがない。


戦争の続く、この時代のせいではないのだ。全ては、俺の配慮不足である。


俺は、それを知っている。知っていてなお、どうすれば良いのかわからない。
せめて、「きっと勝って帰るよ」とでも言えば良いのだろうか。可能性の少ない
話だ。そんな不確実な言葉は、易々と口にするべきではない。


迎えの車に乗りかけて、俺はふと、彼女を見返る。軍から妻帯者に与えられる2階建ての宿舎。ドアの前に立つ彼女。


この戦いが終わったら(たとえ負けてしまったとしても)、彼女に何か与えてやろう。俺は思う。櫛の一つ、服の一枚、与えてやれぬほど貧しい生活をしていたわけではないのだ。

時間をかけていけば良いのだと、俺は自分に言い聞かせる。彼女以外に妻たる
女性はいないのだから、一生かけて愛するのだと思う。


胸には懐中時計を模したレーダーを抱いて。それだけが、地球を離れて宇宙に出ても、彼女の所在を知る術だ。一週間前、生まれた子供にやったペンダント型の発信器。地球に戦渦が広がると共に流通したものだ。離ればなれになっても、捜せるようにと、親子や恋人達がお互いに持つのだ。

出産祝いにしては、あまりにも無骨であったと思う。発信器を受け取って、「ありがとうございます」と、彼女は儚く微笑んでいた。
嬉しいとも、こんな無骨な物は嫌だとも言わずに、ただ。

思えば、俺は、嫡男を与えてくれた妻に、労りの言葉さえかけてやらなかったのだ。心無い夫の態度に、彼女はただ微笑むのが精一杯だったのだろうか。


不器用な夫婦であったと、夢の中でさえ思う。多くを語らぬ彼女のせいではない。全ては頑迷な俺の性質が、家庭というものに馴染まぬのだ。



地球に紅蓮の炎が落ちる。俺の指揮する小さな戦艦を擦り抜けて、地球に幾つもの光線が降る。



やめてくれ、やめてくれ。俺には何も出来ないのか。



あらん限りの声で叫んでも、俺の手は短く、あまりにも無力で。


戦火は、何もかも抉り取っていってしまった。大地も、家も、俺の心も。



ごっそりと抜け落ちた黒土のように、俺の目の前に闇が広がる──。



──そういうところで、目が覚める。


目が覚めれば、不憫でならない。

このような男に嫁ぎ、名ばかりの妻のように扱われて死んだ彼女が。


長い年月をかけてなど、不確実で、楽観的でさえあった俺の不実さを。



☆☆☆



「思い──知るのさ」


そう言って俺は言葉を切った。地球連邦独立艦隊『火龍』の艦長室。向かい合わせに設置された応接ソファに、俺はゆっくりと身を沈める。


「疲れておられるのでしょう。やはり人事の勧告通りに休みを取らなくては」


我々機械化人とは違うのだから、と、マスターDrドクトル・マシンナーが頷く。惑星一つ全てが医療機関であるという惑星国家『メディカル』出身である機械化人のこの医師は、人の肉体と精神の両方をケア出来るのだそうだ。そう聞いたからこそ、長く俺の中に住む悪夢を打ち明けたのだが、この程度のことなら年若い副長補佐でも言えることである。俺はいささか落胆して立ち上がった。


「まぁ、確かに人事から有給を取れとは言われているがな、それは俺だけでは
 なく、この『火龍』全体のクルー達に言えることだ。生身であるとか、機
 械化人であるとか、そういうことは関係無くな」


「私の答えが不満でしたか。成程、病む人は近道を好むと言った私の師の
 言葉は本当のようだ」


俺を見上げて、ドクトルが、に、と笑う。「病む人?」と俺は眉を顰めた。


「病んでなどいないさ。健康診断の結果がAクラス以上でなければ戦艦には
 乗れないのだからな。心身の健康は地球の医師団が保証してくれている」


「しかし、貴方は私の助けを求められた。医師として私に言えることは一つ。
 貴方には休養が必要でしょうな、艦長よ」


「凡庸な結論だなドクトル。別に救いを求めたわけではない。君がカウンセ
 リングも出来ると他のクルー達が言うのでな、試してみようと思っただけさ。
 しかし、君の師は伝説の“エルダ”であったと聞くが……師の専門は外科
 医療かね」


「いいえ、私の師は“治す”こと全てに精通しておられましたよ。彼の手に
 かかれば、どのような星系の住人でも、どのような病でも完治したものです。
 Drジャック・クロウヴァは、そのために自らの体を機械化までされた偉大な
 叡智の使徒。私も彼の信念に倣ったのです。奇跡の腕と患者に対する絶対的
 慈悲を持つ4番目の“エルダ”」


珍しくドクトルの言葉に熱がこもる。俺は帽子のつばを僅かに傾け、「それは失礼」と詫びた。


「君の師を侮ったことは詫びよう。しかし、先程の君の言葉、たとえば君の
 師もそのように仰有るのだろうか。毎夜現われる悪夢を、疲れている、の
 一言で済ませるような」


「仰有るでしょうね。死者の声は、生きているものが自分の中から聴き取る
 しかない。死者の夢をみるクライアントには、それしか術がないのだと、
 それがDrジャック・クロウヴァの口癖」


「そう容易くいくものか。二度とは取り戻せないものなのだぞ」


不幸な婚姻と、不憫な妻。俺にもう少し配慮があれば、彼女はあのような笑みを浮かべずとも済んだのだ。


「それに、死者の声をどうやって自分の中から聴き取るというのだ。
 せいぜい、自分の都合の良いように記憶を改竄することしか出来まい。
 そうでなければ救われない自分などいらないな。俺が欲しいのは真実の」


──彼女の、声。
本当に苦しいのは、夢の中でさえ彼女が多くを語らぬことだ。
もどかしいのは、ただ現実の繰り返しを夢にみることだ。
許せないのは、夢の中でさえ彼女の元に走ってやれない俺自身だ。


「まぁ、取り敢えずは貯まっている有給の消化でしょうな」


俺の言葉を最後まで聞かず、ドクトルは立ち上がって顎を擦る。



「のんべんだらりと過ごすことですよ。法律に触れない程度に好き勝手する
 ことです。たとえば親しい友人と酒を飲むとか、喧嘩をするとか。良くも
 悪くも本音でいられる場所でね。それが嫌なら──私が特別に睡眠薬でも
 調合して差し上げますが」


「いらん。君の薬は効き過ぎるというのがクルー達の定評だ。夢もみない
 くらい深く眠って、緊急時に頭が鈍るようなことがあれば大変だ。俺の
 指示ミスはクルーの命にかかってくるのだぞ」


「そのクルー達のことは、暫し副長にお任せを。副長補佐と航海長を
 見習ったら どうです? 彼らは二人で有給使って旅行に行くそうですよ。
 貴方も仲間に入れてもらったら」
 

「ふん、艦長の俺がいたのでは、石倉もアクセルーダもくつろげまい。だが、
 まぁ、そうまで言うのなら──暫く副長に任せて休養でも取ってみるか」


別段、ドクトルの忠言に納得したわけではない。俺は、近道がしたかったのだ。
本当のことが知りたかった。もはや語る術を持たぬ妻の、真実の心が今に
なって知りたかったのだ。

──人はそれを、病と呼ぶのだろうか。ふと、思い立って可笑しくなる。
多分、今の俺の口元には軋むような笑みがあることだろう。


あの日から、上手く笑えない。


“エルダ”。叡智の女神の寵愛を受ける20人。彼らはどのように俺の話を
聞くだろう。解き明かすことにその身を捧げた者達から見れば、俺の夢など
取るに足らぬものなのかもしれない。

いっそ、嘲笑でもされれば俺の気も晴れるかもしれぬ。 


「ドクトルよ、出来るようなら君の師に連絡を取ってくれないか。直属の
 上官は近道が相当に好きなようだと言ってくれ。伝説の“エルダ”殿の
 お手を借りたいと」


「えぇ、構いませんとも。医師の言うことを聞かぬ頑迷で愚直な男が参り
 ますとお伝えしましょう。あの方もきっと退屈しておられるでしょうから
 貴方が行ってくれればDrジャック・クロウヴァはお喜びになりますよ。
 久しく、手こずるという経験の無かった方ですから」


ドクトルが微笑む。俺は「やれやれ、それは羨ましいことだな」と頭を掻いた。















●『慕。』に繋がる零やんss。しかも続く。ちなみに「こんな夢〜」の一文は、夏目漱石『夢十夜』からのパクリ(身も蓋もなし)。読んだことのある夏目さんの話で、これの1章だけが好きvv



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