慕。



☆☆☆


「なんだ、本当に来たのか」


──その男は、俺という人間の来訪にひどく驚いたようだった。レンズの分厚い眼鏡の奧の小さな目が、不思議そうに瞬かれる。


「なんだとはご挨拶だな。別段、今日地球連邦独立艦隊『火龍』の艦長として
 来たワケじゃないぜ。ちゃんと有給を取って、友人として来たんだ。酒も
 持ってな」


そう言って俺は彼の目線まで酒瓶を下げた。肩先で揺れる薄栗色の髪、彼が縫い縮めて着ている青磁色の夜着は、どう見たって女物だ。一瞬呆気に取られた俺の顔と酒瓶を、宇宙有数の天才の目が行き来する。


「……吟醸か。良い酒だな。そうか、友人として来たなら入れ。ハーロックも
 喜ぶ」


夕暮れ時のサルマタケ星。
キノコの形をした星は、宇宙に散らばるキノコで造り出された人工星だ。
直径数十キロの小さな星にたった一件だけ存在する2階建ての『大アパート荘』。
昭和初期の建造物を模した古びた建物だが、一歩入れば、それが“エルダ”の作品と知れる。


──以前に一度、迷ったことがある。俺は、三和土で一瞬躊躇った。


「どうした、ウォーリアス・零殿? 無敵艦隊として名高い『火龍』の艦長
 サマともあろう人間が。何も仕掛けはないぜ。友人としてきた奴に害は
 加えない」


森羅万象。全ての原理を解き明かす17番目の“エルダ”こと大山敏郎が、にこ、と無機質な笑顔でドアを開く。俺の最大にして最強の敵、無敵戦艦『デスシャドウ』を手足のように繰るのはハーロックだが──やはり敏郎の方が数段役者は上か。俺は同じく笑顔で返し、ブーツを脱ぐ。


「ハーロックはいないのか?」


問えば、「ちょっと出てる」と素っ気ない返事が戻ってきた。
俺は、ぴくりと眉尻を上げる。


「まさか海賊行為ではあるまいな」


「さぁ、俺はお留守番だからな。今あいつがどこにいるかなんてこと、
 知らんよ」


敏郎が小さく肩をすくめた。──怪しい。俺はますます表情を険しくし、低く
恫喝する。


「──…庇い立てすると為にならんぞ」


「なーにか。ウォーリアス・零、アンタは俺達を逮捕しに来たのかい?
 いつの間にか地球人は友人に対する礼節まで無くしたようだ。友人として
 来たのなら、それ相応の態度と言動があるはず。礼知らずな人間と、この
 俺に誹られたいのかね?」


からかうような口調とは裏腹に、小さな瞳に籠もる殺気。蒼白い──燐光のような殺気。俺は、ふ、と力を抜いた。


「──…失礼した。招かれざる客の非礼を許してくれ」


丁寧に詫びる。「うん」と敏郎が頷いた。実にあっさりとしたものだ。背筋さえ凍らせるような殺気がたちまちのうちに四散する。「入ってくれ」と敏郎の手が袖口を掴んできた。


「ちょうど夕飯の支度をしていたところなのだ。沢山作ったから喰いごたえが
 ある。じきにハーロックも戻ってくる。俺の飯は宇宙でも有数の美味さだが、 
 大勢で喰うとさらに美味い。実に美味い」


無邪気な口調で俺の手を引き、見覚えのある四畳半へと導いてくれる。俺は
苦笑しながら彼の後について畳の縁を踏んだ。ひび割れた漆喰の壁、カーテンの無い大きな窓。

そして──一組の布団が敷いてある。

何もかも見覚えている四畳半の部屋。穏やかな空気と一面を染める夕焼けの色。何の変哲もない煎餅布団の存在だけが、妙に異質な匂いをさせて。


「あぁ、すまん。すぐに片付ける。ちゃぶ台を出す」


敏郎が鼻歌混じりに布団を畳む。「昼寝でもしていたのか?」と問うと、
「まぁ、そんなモンだ」と曖昧な返事が返ってくる。俺は、そっと眉を
顰めた。
──違う。前に訪れた時とは明らかに、けれど静やかに何かが変化している。


「……トリとネコはどうした」


温かい肉と優しい心を持った小さな獣達。


「トリさんとミー君はハーロックについていったよ。2匹とも冒険が好きなん
 だ」


敏郎が淡々として答える。敷き布団を畳み、掛け布団を畳み、枕を乗せて部屋の隅へ追いやる。


「そういえば、何故和装でいる? それも女物の着物など」


「ハーロックの趣味だよ。あいつ、何度言っても女物ばかり持ってきやがる。
 男の着物は地味で嫌だと。もう諦めた。着られるのなら何でも良いのさ」


「──…木綿だな」


「天然のね。貴重だよ」


「夜着か」


「──…」


「伏せっていたんだな。病か」


「……黙秘権を行使するぜ。これ以上突っ込むなら帰りな。これ以上話して
 いると煮物が焦げついちまうんでな」


ふい、と敏郎は俺に背を向けた。成程、確かに台所からは美味そうな夕餉の匂いが漂ってきている。


「食事を作っていても平気なのか。お前ほどの男が伏せっているのだ。病も
 相応に悪いのでは」


「カンケーないのさ、アンタには。これ以上詮索するなら帰れって言ってる
 だろ。帰るのか──それとも」


「わかったよ。せっかく貴重な有給を使って来たんだ。君の具合が良いのなら、
 是非夕食を御馳走になろう」


俺は襖に立てかけられていたちゃぶ台を組み立てて座った。「OK」と敏郎が
口元に笑みを浮かべる。


「良いとも。酒も燗してやるし。今ここは冬の終わりの気候でな。昼間は
 暖かいが夜は肌寒い。客人ならば座っていろ。飯はあと1時間くらいで
 出来る」


湯気立つ湯飲みを目の前に置かれ、俺は黙って番茶をすすった。



☆☆☆


地球時間・午後7時──。

サルマタケ星の人工太陽が東の空に沈んでいく。今、アルミサッシの窓から見ている光景の全てが造りものだ。今、台所で煮物の味をみている男の手による創造物だ。

惑星一つ、個人で造り上げる男が、俺の追う男の友。


「うーん。美味い。やはり大根は冬に限るな」


17番目の“エルダ”。今はおたまを片手にぶり大根の味見をしているが、その
頭脳は、地球にいるロケット工学者達を遥かに上回るのだ。


「ハーロックは──遅いのか?」


出された茶と菓子(みたらしと餡と磯辺の串団子だった)もあらかた食い尽くし、俺はすっかりと手持ちぶさたになった。串をかじったり、湯飲み縁に立ててみたりと色々一人遊びも考案したが、やはり酒もないのでは退屈だ。敏郎が「遅くはないよ」と、台所から背を向けたまま答えてくる。


「ハーロックなら、医療惑星『メディカル』に薬を取りに行っただけさ。
 いらんと言ったのだが、どうしてもと喚くからな。風邪薬を頼んだ」


「風邪なのか?」


「風邪さ。若干の熱と……倦怠と。少し目眩がしただけさ。ドクターは何でも
 ないと言ったのに、あいつは大騒ぎだ」


呆れたよ、と敏郎が鍋に炊いた白米の調子を見る。煮物、和え物、汁物、主菜に肴──休む間もなく効率的に夕餉の支度をしていく。きっと、彼はこの人工星も戦艦すらも、このように造り上げていったに違いない。それを思うと、こうして
普通に会話していることさえそら恐ろしくなってくる。

間近で見なくてはわからない、機械のような精密さで動く生身の人間。


「病み上がりなのにそんなに動いて大丈夫なのか?」


「そんなに、とは? ただの風邪だ。それも引き初めの」


踏み台を使って台所に立つ姿。記憶にある彼よりも、それは幾分か精彩を欠いているようにも見える。


「…──昔、“エルダ”だけがかかるという病について父親から聞いたことが
 ある。お伽話のような話だ。冗談をこよなく愛した俺の瘋癲親父の言う
 ことだ。てっきりホラだと思って聞き流していたが──…」


「……ホラだよ。この広い宇宙で特定される20人だけが侵される病気なんて
 本当にあると思うのか?」


「地球人では、かつて14番目の“エルダ”だった男の症例があったと。
 俺の父、ウォーリアス・澪中佐の学友──」


「──大山十四郎。俺の父だ」


敏郎が、おたまを味噌汁の鍋に戻す。


「どうした? 昔話なんて無意味な話題だ。口寂しいというのなら、新作の
 洋菓子などはいかがだろう。ハーロックにせがまれて作ったモノだが」


「いや、茶菓子はもう結構。大変美味い団子だったが、別に足りなくて
 ごねているわけではないのでな。俺は真面目に尋ねているのだ。本当に、
 風邪だったのか?」


「微細なことさ。このようにもう飯も作れる」


「その病──自覚症状無き病と覚え聞く。倦怠と、目眩。一度伏せれば、
 死を待つばかりという話だが」


「余計なことだ。詮索するなら帰ってもらうと言ったはずだぜ」


それは、静かな最諜通告。俺は「すまん」と頭を掻いた。けれど、電灯の下で
見る彼の顔はやはり白い。先程までは夕日の赤が彼の頬を照らしてくれていたのだが、その効果も消え果てた今、敏郎の顔からは血の気が失せきっている。


「悪かったな。もう聞かん。だが、その調子ではハーロックも本当のことは
 知らないのだな」


「知っていたところでどうにもならん。どうにも出来ないことは知らないでも
 良いんだ」


「──…まぁ、そうだ」


遠回しの肯定だ。俺はもう一度その場に座り直した。


「知っていたところでどうにもならん、か。そうだな、確かにそうなの
 かもしれん」


──だが。


「ハーロックには、さぞかし辛いことだろうな。親友のことだ。半身を引き
 千切られる想いになるだろう。俺にも経験のあったことだが」


俺は呟く。香の物を一口サイズに切っていた敏郎の手が、ぴた、と止まった。


「なぁ、零よ」


「なんだ」


「俺の身体のことだが」


「あぁ」


「ハーロックには、黙っていてくれ」


「それは」


「約束を。ウォーリアス・零」


「しかし──…」


「約束を」


「……承知した」


俺が首肯すると、敏郎は再び香の物を切り始める。包丁がまな板を打つリズム。
目を閉じれば、今は亡き妻の姿が思い浮かぶ。
彼女も料理が好きだった。彼女の作る料理の味を、今もはっきりと憶えている。キッチンに立つ後ろ姿が愛しくて。彼女は優しくて。儚くて。
たとえ束の間の婚姻生活だったとしても、糸を紡ぐように絶え間なく愛した。


「君の調理する音を聞いていると、何やら懐かしい気分になってくるな」


「先の戦争で亡くなられた奥方のことを言っているのか? 『火龍』の副長殿
 に似ているという、噂の」


「ふ。彼女とは──そうだな、最初は……顔が似ていると思ったが。性格は
 あまり似ておらんよ。あれは儚い女だったからな。水よりも儚い、冬の最後
 に降る雪の、最初の一片のような」
 

「へぇ、死んだ人間の存在は、雪にも似ているそうだ。ハーロックの親父さん
 の言葉だそうだが、あんた無骨な顔して案外ロマンチストだな」


ぶふ、と敏郎が笑う。「失敬な」と、俺はちゃぶ台を拳で叩いた。


「これでも学生時代、詩文作成の成績は良かったのだ。戦争などなければ、
 地球には俺という大詩作家が生まれていたのかもしれんというほどに
 な──」


「ぷっ……言うな! 言われれば言われるほどリアルに想像してしまう」


「おのれ嘲るか。ならば証拠に今ここで即興の一つでも」


「やめれやめれ。軍人なら詩吟でもやっておれば良いのだ。でも詩吟!
 零が詩吟!! ひーはははは。はッ……げほっ」


踏み台から降り、敏郎がむせるまで笑いこける。俺は護身用に持ってきた重力サーベルを抜いて四畳半に立ち上がった。


「良いだろう! ならば聞くが良い!! 俺とて独立艦隊の艦長なのだ。詩吟の
 一つも嗜まぬ男と誹られたのでは末代までの恥! べんせ〜い、しゅく〜
 しゅ〜く、ぎんがぁをぉわたぁぁるぅ」


「銀河だったか? 銀河だったのか?? それでも良し!!」


手を叩いて敏郎が喜びだした。蒼白に近かった顔色に、幾分か赤みが差してくる。良し、と俺は狭い室内でサーベルを振った。


「あかぁつきにぃぃちぃる〜」




「………ねぇ、何やってんだ?」




不意に、冷めた声を耳が捉える。俺は口をつぐんで声のした方向に首を回した。
三和土に立ち尽くす長身の男。青い気密服。鳶色の髪。端正な顔に一筋走る刀傷。

左手には、薬袋と土産と思しき袋をぶら下げている。


「おぉ、帰ったのかハーロック。折角面白いところだったのに、お前が帰って
 きてしまってはつまらないではないか。あと十分ほど帰ってくるな」


親友の帰還だというのに、敏郎の言葉には容赦がない。けれど、慣れているのか
聞いていないのか。敏郎の親友にして俺の好敵手──ハーロックは乱暴にブーツを脱ぎ、真っ直ぐ俺に向かって歩いてくる。
炎の殺気を宿した鳶色の瞳が、き、と俺を双眼に捉えた。


「何でここにいるんだって聞いてるんだよ、零! ここは俺とトチローの
 憩いの場なんだよ。サーベルなんか振り回して。さては貴様、卑怯にも
 病床のトチローを襲おうと!!」


怒りで顔を真っ赤にし、ハーロックがサーベルを抜く。狭い四畳半に大の男が三人(一人はサイズがやや小さいが)。しかも長身の二人がサーベルを抜いて立っているのだ。たちまちに部屋の密度が濃くなった。


「表に出ろ! 零!! 今日の無礼は許さんぞ!!!」


サーベルの切っ先で窓を指すハーロック。──どうでも良いが、二階とはいえ窓から飛び降りろと言うのか。全く短絡的な脳細胞の持ち主だ。


「お、おいこらハーロック。違うのだ。零は」


「止めるなトチロー! いつかはつける決着だ!!」


袖を引く敏郎を背後に庇い、おぉ、と咆吼してハーロックが飛びかかってくる。まだ少年に近い年齢とはいえ、身長180センチをゆうに超える男に突進してこられては、組み合うよりも逃げる方が早い。


「良いだろう! 貴様の望むとおり表に出てやるぞ!!」


俺は、両手で顔を庇い、勢い良く手すりごと窓を蹴破った──。













●続き物ss(決して中編とは言わん)第1弾。ゼロさん視点のお話です。初登場なのにモノローグ担当……主人公扱いだねゼロやん! あと2話続きます。



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