Titan Rendezvous・8
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★★★ ──…俺の、驕りのせいだ。 敏郎は窓枠に腰かけて夜空を眺める。千々に散らばる星々の中で、 ただ一つの青い光を見つける。 太陽系第三惑星・地球。 父と母の生まれ故郷。敏郎は、あの青い光の大地を知らない。 けれど、美しい星だったということは知っている。父が青春を過ごし、 母と出会った星であるということも知っている。 幸せな記憶は全て、あの星とつながっている。父はいつもそう言って笑った。 何だか、瞬く間に死なれた気がする。この五年、悲しむ暇もなかった気がする。 “エルダ”。叡智の女神の寵愛を受ける20人。17番目の自分。 「悪くなったのは、視力だけじゃなかったな」 視線を落とした先には古びたベッド。横たわる自分と同い年の少年。 彼の顔半分には、包帯が幾重にも巻かれている。 ──整った、綺麗な顔だったのに。 あの程度の処置では傷が残るだろう。敏郎は己の未熟さと共に唇を噛み締めた。 “エルダ”になって、悪くなったのは視力だけじゃない。人の心を量る自らの 心も汚れて歪んだ。歪めば──剣にもそれが出る。己の歪みが、真っ直ぐなものを傷つけた。そのことが、悔しい。 「お──れは、誰かを、傷つけるための力が、欲しいんじゃ、ないッ──!」 目の前にまで迫った来た少年の姿。顔面から血を流し、それでも彼は 引かずに敏郎の前まで進んできた。 誰かを傷つけるための力は欲さずと言い、 誰かを傷つけさせないための力が欲しいと言い、 己が旗の下に、誰にも自分を曲げないで進むと叫んだ。 純粋だな、と敏郎は思う。それは、本当に混じりけのない透明なものだ。 未成熟な理想だ。しかし、だからこそ、この少年が掲げた理想は美しかった。 鮮血の赤と、燃えるような眼差しと。引いた刃に追い縋り、何ものにも曲げられたくないと示した少年。傷付くことを恐れなかった少年。 もし、それが叶うのなら。彼が、もう少し成熟してなお、透明な理想を 失わなかったら。 敏郎は、音を立てないように窓枠から降りた。珍しく温度の低い風が吹き 込んでくる。敏郎はベッドの縁に手をかけて少年の顔を覗き込んだ。 気絶しているのか、眠っているのか。固く瞼を閉じたまま、少年はもう十時間以上目覚めない。赤く染まったその右頬に、敏郎はそっと触れた。 ──熱い。 傷口からくる熱のせいだ。熱が出ているのならば、あとは化膿に 気を付けていれば問題ないだろう。敏郎がひとまず安堵の息をついたその時。 「なんや、まだおったんかいな」 ブタ型の少年──ヤッタランと名乗ったか──が洗面器片手に戻ってきた。 「ジュニアのことなら、別にそんなに心配いらへんで。ジュニア、自分から 突っ込んで行ったんやし。体力は人の三倍くらいあるし。死なんやろ。 この程度じゃ」 「俺を責めないのか。ここで寝てるのはお前の友人だろ?」 敏郎は首を傾げた。少年が顔面に傷を負って気絶し、彼を街へ運ぶ までの間、このヤッタランという少年は一言も敏郎を責めなかった。 意趣返しをしようという気配もない。ただ、道中応急処置をする敏郎の 手つきを凝っと眺めていただけだ。 「うーん、せやけど、アンタの処置は完璧やったで。医者も たまげとったやんけ。縫合は雑やけど、血塗れの顔面、神経全く 傷つけんで縫えるなんて奇跡やって」 「しかしこのままだと顔に大きな傷が残る。無論、今の医療技術なら整形も 可能だろうが」 お世辞にも美少年とは言えない敏郎とは対照的に、彼はギリシャ神話に出てくる 美少年ガー二メデスにも喩えられそうだ。閉ざされている瞼から伸びる睫毛は、ぴんと天井に向かってカールしているし、鼻筋も通っている。浅い呼吸を繰り返す唇は、年端もいかない少女の如く、淡い桜色に色づいていた。 「こんなに美少年だと、裁判起こされたときの賠償金が凄そうだ」 「アホかいな。可愛い箱入り娘ならともかく、家出同然に飛び出して来た 息子が怪我したからて裁判起こすような親がおるか? 男の顔に傷がついた かて、ジュニアの親父さんも母上さんも怒ったりせぇへん」 ヤッタランが、じゅうっ、と持参したタオルを絞る。洗面器は氷水で満たされていた。 「でも、お前はどうなんだよ。友人をこんな目に合わされて、なんか…… 怒ったりしないのか?」 「怒ってもどうにもならんやろ。アンタやったら怒るかい? この結果は、 ジュニアが自分で選んだことの結果や。アンタは、ジュニアと戦って手加減 した。ジュニアは、それに気付いて腹立てた。腹立てて、刀に向かって 突っ込んだ。安心せぇや。こいつのアホは宇宙一。遅かれ早かれ怪我しとった やろ。こいつは」 ぺしっ、と容赦なくヤッタランは少年の額を叩く。うぅん、と少年が低く呻いた。 「お、おい! 良いのか? こんなことして」 「ええよ。死なんわい」 絞ったタオルを少年の額に乗せ、ヤッタランは椅子に、どすん、と腰かける。 敏郎は「そんなモンかよ」と溜息をついた。 「友達っていうのは、案外ドライな関係なんだな。地球の13歳って、みんな そう?」 「なんや、アンタ友達おらんのかいな」 ジュニアと一緒やな、とヤッタランが呟く。「どういうことだ?」と敏郎は ヤッタランの顔を覗き込んだ。 「友達いないって、だって、お前とこいつは」 「幼馴染みやで。家が近所で、親同士が知り合いやったねん。友達っちうか、 腐れ縁の義兄弟みたいなモンや。友達っちうんは、もっとこう……違うんや ないかとワイは思うとる」 「違う──かな」 敏郎は再び窓枠に腰かけた。頬を撫でる涼やかな風。砂漠にいると、中々このような風に吹かれることは出来ない。 「友達がいないわけじゃないよ。トリさんが──いるし」 今日も、怪我をした少年のためにこの宿まで伝言のメモを持って飛んでくれた トリさん。卵から孵し、大切に育てた幼馴染みのトリなのだ。 敏郎がそのように言うと、ヤッタランは「トリさんは友達やろか」と小首を 傾げた。 「ワイは、これからどれだけ時間が経っても、ジュニアの友達にはなれへんねん。 ジュニアにとっても、ワイは友達と違うやろ。背中に庇って守らなアカンのは 友達やない。そう、思うねんけど」 「背中に庇う?」 敏郎の疑問符に、「そうやねん」とヤッタランが頷いた。 「ジュニアは、何かとワイを気遣う。ワイは自分の意思でジュニアの 背中を追いかけとる。ジュニアの掲げる旗の下に、ワイは一番に 集いたいと思っとる。そやけど、ジュニアにとってワイは大事な仲間 やねん。友達っちうニュアンスとはちと違う。そやろ?」 「──…まぁね」 子豚のように愛嬌のある顔で、案外に小難しいことを言う。敏郎は肩をすくめた。 「でも、こいつの性格で友達がいないなんて、そんなこと」 少年は、敏郎が出会った人間の誰よりも純粋で、真っ直ぐで。 ──透明な理想を持っている。 「なんや? ちょっとはジュニアを認めようっちう気になったんかい?」 ヤッタランが、ちろ、と敏郎を見上げてきた。 「ん……」 ──認める、というよりは、正直、好意さえ持てるような。 敏郎は外の大通りに視線を落とした。 「……俺は、正直、こいつに興味があるよ。剣を交えてみて わかった。確かに、こいつの言う通りだ。こいつは、ただ 力だけを求めているんじゃないような……。そんな、印象を 受けた」 「お──れは、誰かを、傷つけるための力が、欲しいんじゃ、ないッ──!」 何か、酷く──切なるような。懸命な響き。真摯な叫び。 あの言葉が真実なら。彼の理想が、彼の成熟をも超えたところにあるのなら。 「……もし、俺の力が必要なら、顔の傷程度の責任は取ってやっても 良いぜ」 暗い大通り。街灯の殆どはタイタンにいるならず者に破壊されて しまった。それでも、ぽつぽつと民家や店には明かりがある。 こんな光景を見るのが敏郎は好きだった。砂漠にトリさんと共に過ごす 生活も嫌いではないが、こんな明かりに囲まれて暮らすのも悪くないと 思う。 ──きっと父も。敏郎は窓硝子に手をかけた。 宇宙病にかかって、余命十年と判断した父、大山十四郎。 彼はこのタイタンの開発と、敏郎を育て上げることに余生を費やした。 そして、五年前に逝ってしまった。予定よりも、二年早く。 「ホンマか? ジュニア、目ぇ覚めたら喜ぶでぇ」 敏郎の言葉を受けて、ヤッタランが無邪気に手を叩く。 「何せ、ジュニアの奴、やたらとアンタが気に入ったみたいやったし。 あの自走二輪も手放しで褒めとったし。まぁ、“エルダ”っちう存在への 関心もあったねんと思うけど。なんせジュニアの親父さんは有名な船乗りで ──」 「そうか。それなら──」 無人の大通りに、ふ、と影がよぎる。 ──あれは、犬猫の大きさじゃない。 敏郎は眼鏡のレンズを服の端で磨いて、身を乗り出した。 そして、確認する。──あれは。あの影達は。 「あ──いつらは……」 ずきり、と包帯を巻きっぱなしにしていた左腕が痛む。頬が、脇腹が、 肋骨が──。 「あいつら? 誰かいるんかい?」 ヤッタランがちょこちょこと寄ってきた。反射的に敏郎はヤッタランを押し退けて窓を閉める。 「──明かりを消せ。今すぐ」 ──気付かれたか? 否、まだ大丈夫。 「なんやねん、急に。ひょっとしてアンタ、今誰かに狙われとんのかい?」 カーテンを閉めた敏郎に、ヤッタランがのんびりと問うてくる。 「ここの主人に聞いたで。アンタ、結構大変みたいやんか。最年少の “エルダ”。しかも政府に保護も求めてへん。自由には高い代価やなぁ」 「あのジジイ、余計なこと言いやがるよ、全く」 敏郎は溜息をついた。とにかく、これ以上ここにいることは得策ではない。 俯いて、ぽつりと零す。 「わかってンなら……悪いけど。巻き込むわけにはいかねぇから、さっきの話」 「うん。こっちも悪いわ。ジュニアの意識が戻らへん以上、ワイもアンタを 助けたれへんしなぁ。まぁ、アンタは腕が立つみたいやから、そんなに 心配はいらんと思うけど」 実にあっさりと、彼は言う。少し俺に似てるな、と、敏郎は可笑しくなった。 「あぁ。心配はいらねぇよ。こういう状況には慣れてるし。適当に まいて帰るさ。明日の夜、また様子見に来るよ。秘伝の痛み止めでも 持って来てやる」 「あぁ、そらありがたいわ。ジュニアの奴、保険証も持たんで出てきて もうたし」 「ふ、ホントに馬鹿な。そいつ」 「んー。まぁ、その通りやわ」 ふっ、とヤッタランがランプの明かりを吹き消した。それを合図に、敏郎は ドアへ向かった。かつて父の手伝いをしていたこの宿の主人。彼なら裏口から 敏郎を出してくれるだろう。 「じゃあな。そいつの意識が戻ったら、さっさと帰れって伝えといて くれ。縁が無かったんだよ。俺達には」 「んー。ホンマやなぁ」 ヤッタランが、後頭部で腕を組んだ。あっさりと肯定されて、敏郎はちょっぴり悲しくなる。「ホンマやったわ」とヤッタランが深く頷いて笑った。 「ホンマに、ジュニアの言った通りやで。機械は、それを造った人の 心も映す。何や、別にジュニアが落ち込む必要は無かったなぁ」 「? なんだよ。なんのこと?」 敏郎が眉を顰めて問うと、「別に」とヤッタランは嘯いた。 「なんでもないわ。ほな、上手く帰ってな」 「──…言われるまでもないけどよ」 一体何だというのだ。敏郎は、内心で首を捻りつつ帰途についた。 明日、もし叶うなら、本当に痛み止めでも持ってきてやろうと考えながら。 |
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