Titan Rendezvous・7



★★★


中天に、土星が輝く──。

じりじりと体内の水分が気化していく音が聞こえる。
金色の砂地に漆黒の影が張り付き、その上に落ちた汗が、
じゅ、と瞬く間に蒸発した。

膠着状態にもつれ込んで、早3時間が経過しようとしていた。


「………」


ハーロックは汗で濡れた前髪を首を振って払い除けた。
後頭部が暑い。帽子を持って来るんだった、と今更ながらに後悔する。


「もう、降参する?」


一方、敏郎は刀を片手に悠々とこちらを眺めている。どこから見ても隙だらけなのに、何度向かってもかわされる。ハーロックはぶんぶんと頭を振った。


「降参──しないッ!」


言葉を発するたびに喉がひりついた。ぶん、と大振りに重力サーベルを振って
みたが、敏郎はなんなくかわしてしまう。はぁ、と大仰な溜息が彼の口から
洩らされた。


「意地を張るの良いことだと思うけど、降参するのが身のためだよ
 “ファルケ・キント”。あんた、暑いの慣れてないだろ。土星射病に
 なっても救急車はここまで来ない。俺も今度こそあんたの面倒は見ない。
 わかる?」


「──…ッ…倒れ、ない……!」


とは言うものの、このまま動かなければ今にも倒れてしまいそうだった。
「ねぇ」と気の毒そうに敏郎が言う。


「最強を目指すのは良いけど、今のあんたはこの程度ってこと、
 よくわかっただろ。諦めて帰れよ。喧嘩すれば分かり合えるなんて
 理屈、少なくとも実力が拮抗しててのハナシだよ。一生懸命なら
 良いってモンじゃない。強さを得るにはそれなりの器ってものが
 必要な──」


「じゃかましいわい!」



 ひゅっ──…ごん。



敏郎の言葉を、ヤッタランが投げたコスモガンが遮った。鈍い音をたてて、
それは敏郎の後頭部に直撃する。ふらふら、と二三歩よろめいて敏郎が
膝をついた。出入り口から顔を出すヤッタランに、くる、と振り向いて
声を張り上げる。


「──ってぇな! てめ、このブタ型!!」


「ポンポコタヌキみたいな顔した奴に言われとうないわ! なんやねん、
 さっきから言いたい放題言いおって! ジュニアはなぁ、ホンマは
 銃や戦闘機の扱いの方が得意やねんで!! サーベルかて強いけど……
 そっちの方がずば抜けとんねん、エラそうなこと言うんやったらなぁ、
 ジュニアと銃で勝負してからにしぃや!」


ぶうぶうと喚いて、ヤッタランは敏郎に向かってアカンベーをした。
途端、敏郎が小さな目を丸くする。


「へぇ、あんた、サーベルより銃の方が得意教科だったのかい」


興味が湧いたのか、敏郎がハーロックに向き直る。
ハーロックは取り敢えず頷いて呟いた。


「──…負け惜しみじゃ、ないけど」


「ふぅん、ガンマンに向かって剣で勝負じゃ、あんた、負けた気にならない
 はずだよな。良いよ。銃を拾えよ。俺が負けたら何でもしてやる。
 戦艦だって、造ってやるよ?」


に、と挑発するよな笑みを向けられる。ヤッタランが銃を拾い上げ、「やったな」とハーロックに手渡す。


「チャンスやでジュニア。これで一発決めたればジュニアの長年の夢が叶う
 やんか。戦艦やで、“エルダ”の手がける宇宙戦艦!」


「──…んー……」


ハーロックはコスモガンを手に取った。慣れた重さ、愛用の銃。
いじられた様子もない。エネルギーは充填してある。


「なにも細工はしてないぜ。合図はどうする?」


敏郎もガンベルトから銃を抜き出す。──見たことのないデザインのコスモガンだ。手製だろうか。口径の大きな、銃身の長い銃。


──あれじゃ、駄目だ。


ハーロックは、銃を投げ捨てた。


「やらない。銃でなんか勝負しない。俺は、相手に不利な
 条件で勝っても嬉しくないし、それで本物の誠意が勝ち取れるとも
 思わないよ」


「──へぇ?」


敏郎が、ひゅう、と口笛を鳴らした。「なんでやねん!」とヤッタランが
ハーロックに詰め寄る。


「ジュニア、相手に不利ってなんでわかんねや。こいつ、自信満々やねんで。
 あんな立派なオリジナルの銃も持ってるし。ジュニアが強いのもわかるけど、
 やってもみんでそないなこと」


「──やってみなくてもわかるよヤッタラン。あの小さな手に大きな銃。
 あれじゃあ照準合わせるのだって難しい」


「ジュニア……」


「これ、預かっててヤッタラン。俺は、銃じゃなくっても勝ってやるから。
 あいつに、心から納得してもらって、誠心誠意戦艦を造ってもらう。
 そうじゃなきゃ、ここで暑いの我慢してサーベル振ってる意味がない」


ぐ、とサーベルを握り直す。汗で、ぬる、と柄が滑った。


「ふぅん、中々の観察眼だな。このコスモドラグーンを見せれば、
 大概の奴はビビって引くんだけど」


敏郎が自らの銃を抜いて呟く。──なんという危険な賭け。ハーロックが
引かずに銃での勝負を挑んでいたら、彼は……一体。


「死んじゃう気だっただろ。その銃で撃ち合うなんて君には無理だ。
 それとも、俺が手加減するかもと計算して?」


「別に。死ぬ気はなかったよ。腕の一本くらいは覚悟してたけど。
 あんたが一発撃った隙に、至近距離での勝負をしようと思っただけ」


「危険な賭けだ」


「賭けだとも。命くらい張らなきゃ、自由であることは守れない」


実に淡々と敏郎は言う。まるで今日の天気でも告げるかのように。


「自由であること?」


「自分の身を守ることと同じ。権力にも、力にも俺は屈しない」


「力は嫌いか?」


「嫌いだね。ついでに──それを求める連中も!」


敏郎が銃を捨て、日本刀を構え直す。ハーロックは、きり、と
唇を噛んだ。
 

 きぃぃぃぃぃんッ!


重力サーベルと鉄の刃が交差する。火花が散った。


「──ッ! 別に、俺は力だけが欲しいわけじゃ……」


「宇宙最強を目指すと言ったな。宇宙一強い男になりたいと。
 相手に不利な条件で戦わないと言ったのは立派だぜ。
 悪くない姿勢だよ。でも、それは──」


きりきりと刃同士が音を立てる。強化セラミック製の剣身に、ひびが。


「──最善ってワケじゃないなぁ! そんな騎士道で感激するほど
 甘くないぜ俺は!!」


刃が離れる。切っ先が目元を掠る。ハーロックは目を細め、敏郎から距離を
取った。


「甘いとか、そんなんじゃない。貫きたいだけだ、俺は──!」


「ご立派な騎士道をか?! 力で周囲を黙らせて、支配したいんだろう。
 自分の都合の良いように!」


「そんなやり方、俺は嫌いだ!!」


力を込めて、サーベルを振る。一瞬、敏郎が目を見開いた──気がした。
空を切る、重力の刃。かわされて、敏郎の刀が眼前に迫ってくる。


──避けきれない! ハーロックが息を止めた瞬間、刃が引いた。
ほんの一瞬。それで、敏郎が本気で刀を振っていなかったことが知れる。

手加減、されていたのだ。ハーロックの腕など、とっくに見切られていた。


「くそッ」


ハーロックの思考が、真っ白になる。気付いたときには、踏み込んでいた。
銀色に光る刃に向かって。頬骨に当たる、衝撃。


鋭利な刃は、ハーロックの左頬に深く走った。一筋。あまりにも見事に。
「しまった」と、敏郎の唇が動くのを、ハーロックは確かに見た。


視界が、真紅に染まる。一瞬の冷たさと、増大する熱。顔面に火がついた
ようだった。照りつける土星の光。後頭部と、左の頬が熱い。あぁ、帽子を
持ってこれば良かった。このままじゃ──倒れる。


「ッ──ざけ、やがって……!」


ざり、ときつく両足を踏みしめる。このままじゃ倒れると理性が囁く。いいや倒れないと感情が叫ぶ。ハーロックは、ゆっくりと敏郎に向かって歩を詰めた。


「お──れは、誰かを、傷つけるための力が、欲しいんじゃ、ないッ──!」


過去の記憶が点滅する。目の前が──くらくらと揺れた。



あかくそまったこうていのつち。


もううごかないあたたかいいきもの。


あたまのなくなったともだち。


こわれたままのきかいにんげんと、


ころしてしまったひきょうなおとな。



こわいのは──なぁに?



「俺が──最強を目指すのは!」



こわいのは──だぁれ?



「俺が欲しい強さは!」



つよくならなくちゃ。

つよくならなくちゃ。

つよくならなくちゃ。

つよくならなくちゃ




「誰かを、安易には傷つけない力だ。誰かを安易に傷つけさせない力だ!」



もう──だれもこんなふうにはこわしたくないよ!!



あの時の自分が叫ぶ。10歳の自分だ。己を律する力の足りなかった自分。
友達も、小さな獣の命も守れなかった自分。いかに卑怯な輩といえども、命乞いをする相手にとどめを刺したこと。戻らないのだ絶対に。


「俺は、その力を以て宇宙最強を目指す! 俺は俺の旗の下に!! 誰にも、
 自分を曲げないで進む!」


誰よりも強く気高く胸を張って自由に生きることを目指せば。


「俺の……求める宝のために」


──手に、入るだろうか? 生涯を懸けて求めるものが。


視界が、ぐにょりと歪んだ。本当にもう駄目だと理性が──13歳の自分が囁く。
倒れちゃ駄目だと感情が──10歳の自分が叫ぶ。


つよくならなくちゃ。

つよくならなくちゃ。




つよく──ならなくちゃ!!



全身から急速に汗が引いていく。それなのに顔面だけが妙に生温い。
ハーロックはのろのろと右手を挙げて顔を拭った。粘つく感触。鉄の匂い。


「いて──…」



──なんだよこれ……あぁ、血だよ。これは血だ。誰の? 俺の?


……なら、良かった。



「おれは……ぜったいに、まけないん──だ」



世界がぐるりと一回転。土星の輪が、キレイだった。



「ジュニア!」


「あ──おい! ブタ型。トリさん起こせ!!」



その二つの声を最後に、ハーロックの意識は暗転した。















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