※注意! 相当頭悪い内容となっております。馬鹿騒ぎが苦手な方は
 スルーの方向で。










天河星河・1






七夕──。五節句の内一つで7月7日に行なわれる行事を指す。
この日、年に一度出逢うという牽牛・織姫星に婦女子が技術の上達を祈願す
るもので、起源は中国の祭祀に由来する──。



★★★

サルマタケ星を覆う天体スクリーンに映る夜空に、目に鮮やか過ぎるほどの
ミルキィウェイがたなびいている。

乳白色の星の河。細かな星々に彩られ、水素原子の欠片すら存在しない真空
の宇宙を横切る大河。

その河に遮られ、年に一度だけの逢瀬を許された恋人達に、人々は何を願う
のか。知るのはただ、清流のせせらぎにも似た葉擦れの音を立てる笹の葉の
みだ。

揺れる短冊から友の願いを読み取ろうとして、星明かりだけでは墨で流暢に
書かれた彼の字を解読することは困難だということを知る。

ハーロックは「良いね」と傍らの敏郎に視線を戻した。


「ニホンのお祭りって何でもだけどさ、静かだな。クラッカーを鳴らしたり、
 大声で歌ったり踊ったりしない。こういうの、風流っていうのかな」


「ふん…まぁ、歌ったり踊ったりもするだろうがな。そういった賑々しいの
 は児童の催しである。成人した者同士なら──静やかに酒でも酌み交わす
 のが相応しい楽しみ方というものであろうな」


敏郎が口元に僅かな笑みを含んで杯の端に口付けた。二人きりの四畳半。
明かりを点けず、窓を開け放して人工の空に映る星を眺めている。

夏とはいえ、まだ夜風は涼しい。敏郎の薄栗色の髪が笹の香りを含んでなび
いた。ハーロックは胡坐をかいていた足を伸ばして木目の不揃いな天井を仰
いだ。


「そりゃトチローはそうかもな。でも、俺はみんなでワイワイ騒ぐのも悪く
 ないって思うけどなぁ」


「お前なら当然そう思うであろうな。だが──久しぶりに艦を降りたのだか
 ら、俺はもう少し静かにしていたいど」


「ん。わかってる。ヤッタラン達が買い出しから戻るのにはまだ時間あるし
 ね。ゆっくり二人きりでいよう」


ハーロックはそのままずるずると畳に肘をついて寝転んだ。白地に青の波模
様が入った浴衣を着た敏郎は夜の背景にしっくりと馴染んで、まるで一幅の
絵を見るように美しい。容姿の問題ではない。静寂と天にこぼれるような天
の川。そして、敏郎自身が放つ魂の輝きが美しいのだ。

照りつける太陽と、完全漆黒の宇宙の闇ではない薄暗がりだからこそ、敏郎
の持つ幽い、けれども蛍の放つ燐光のように確かな彼の魂が際立って見える。

いつもは分厚いレンズに覆われて見えない、色素の薄い瞳の中の光までもが
明瞭に。草原を吹く風のような飄然さと厳格な書庫に流れる叡智特有の冷た
さを含んだ彼の目は綺麗だ。ハーロックは眦を下げて親友の横顔を眺めた。
敏郎が杯を置く。


「……なんだ? 鼻の下伸ばしてだらしのない」


「いや? トチローは好い男だなぁって」


「それは嫌味か? 好い男というのなら、お前の方が数段整っておるではな
 いか。雑魚寝してても絵になる男など…俺はお前の他に知らんがな」


「あれ、俺も絵になってる? 丁度俺もトチローが絵になるなぁって思って
 たところだよ」


「鳥獣戯画か?」


「チョージューギガ? 知らないよ。ただ、トチローの目は綺麗だなって」


「綺麗なのはお前の目であろう。瞳が大きいから、星の光をよく吸い込む」


「吸い込んだってつまんない色だよ。茶色だし」


「正確には鳶色であろう。それに──鳶色一色ではないど。知っておった
 か? お前の目は、光の加減で淡く緑がかって見えるのだ。グレート・ハー
 ロックからの遺伝だな」


「ふぅん、じゃあ、トチローは知ってたか? お前の目は…色が薄いから
 暗がりだと光って見える」


「知らんよそんなこと。俺は暗がりで鏡を見ないのでな」


「俺だって知らないよ。そうかぁ、顔だけだと思ってたけど、目もちょっと
 だけオヤジ似なんだな」


「知らなかったであろう?」


「トチローだって、知らなかったくせに」


互いに互いしか知らぬ秘密を暴露して、笑う。ハーロックは身体を起こして
空になっていた自分の杯を取り上げた。敏郎がすかさず氷の入った盥に浸
かっていたガラス製の徳利を持ち上げる。親友の手自ら注がれた冷酒を飲み
干して、ハーロックは「ところで」と声を潜めた。


「……トチロー、気付いてるか?」


「……無論。このサルマタケ星は誰が造ったと思っておるのだ。この星に
 置いておるどの観測機器よりも、俺の感覚の方が鋭敏である」


「じゃあ、もう少し端に寄った方が良いな」


「あぁ。お前ももう少し間を開けよ」


二人で呼吸を合わせて──「せーの」で同時に壁際に逃げた。途端、どすん
ばたんという大きな音と天井の羽目板、そして少々の埃を巻き上げて無粋な
『侵入者』が二人の間に落ちてきた。やや目測を誤ったようだ。ハーロック
の頭にごちんと何やら硬質のモノが入ったズダ袋が当たる。


「痛っ…何だコレ?! 袋?!!」


「──〜ッ……。相変わらずなんて不可解な建築構造だ。私はちゃんと表戸
 から入ったのに」


畳の上を遠慮なく踏み締める地球連邦軍特有のデザインをした重力ブーツ。
ふわりと夜気を翻す原色のロングコート。濃紺の空間になお燦然と揺れる炎
色の髪。星明かりに浮かぶのは困惑を浮かべながらも目鼻立ちの黄金比を崩
さない地球人男性至高の美貌。


地球連邦独立艦隊『火龍』司令──ウォーリアス・零。


別名、空気読めないこと山の如し、自分本位なこと風の如し自由人。本人は
決して認めないだろうが、撤回してやるもんか。ハーロックは涙目になりな
がら決意する。


「零よ」 敏郎が半笑いになりながら立ち上がる。


「一体どうしたというのだ。来るというならあらかじめ言っておいてくれれ
 ばこのアパートに取り付けてある『仮想迷宮装置』の電源を切って待って
 おったものを」


「すまない敏郎。非礼があったのは認めるよ。だが、私にも考えがあったの
 だ。その、突然に訪れて驚かせてみようとな」


「なんと愛くるしいサプライズだ。ハーロックも俺も大吃驚である」


「……愛くるしいか? どちらかというと狭苦しいぞ」


何せ四畳半に大の男三人(一人は小さいが)である。静かで涼しかった室内
が、瞬く間に人が発する湿気混じりの熱気に包まれた。「扇風機を取って来
よう」と敏郎が楽しげに退室した。残されたハーロックは仕方なく腰を上げ
て、零のために座布団を敷いてやる。


「……お前、何しに来た」


「なんだ、いたのかハーロック。作務衣というのだったかな。この暗がりに
 紺色の服なんか着ているから全くもって気付かなかった。壁に溶け込んで
 忍者気取りとは──酔狂な海賊の考えることは常人には理解しがたい難
 解さだな」


「………闖入者に座布団敷いてやってる寛大さには目もくれない、か。ふふ、
 久しぶりに殺意というヤツを思い出したぞ、零よ」


「思い出さなくては宿敵たる私に殺意も抱けないか。とんだ鈍ら刀だな。
 ところでハーロック、コートを脱ぎたいのだが」


「ハンガーは押し入れの中! つうか、脱ぐならコートより先に靴を脱げ!!」


座布団を振り回すハーロックなど眼中にも入れず、零は勝手知ったる我が家
の風情で押し入れを開け、コートを不器用にハンガーにかけた。哀れにも型
崩れした軍用コートは斜めになって落ちかけている。

これではハンガーにかけた意味がない。ハーロックが頭を掻きつつ直して
やっていると、今度は何やら背後をうろうろと歩き回り始めた。見慣れない
ものがあるので好奇心が騒ぐらしい。折り畳まれた煎餅布団一式をソファー
だと思ったのか、座って見事に崩したりしている。再度「靴!!」と足を踏み
鳴らして威嚇すると、ようやく自らの土足に気付いて玄関に向かった。「暗
いから転ぶなよ」と注意してやった矢先に上がり框から踵を踏み外して派手
に尻を打っている。「あぁ」とか「わぁ」とか、騒々しいことこの上ない。

風流な大人の祭事から、賑々しい児童の催しにシフトチェンジだ。やはり不
器用に背中を丸めてブーツを脱ぐ零の背中を睨めつけながら、ハーロックは
深い諦観の溜息をついた。








★★★


「花見に誘ってもらったから」


戻ってきた敏郎に杯を勧められ、零は仄かに頬を染めて俯いた。今更可愛い
子ぶったって無駄なんだよタコ、とハーロックはあくまで心の中だけで毒づ
く。


「だから…私は、その。君達にタナバタの祭りを提供しようと」


去年は酷い目に遭った、とハーロックに非難がましい視線を送る。酷い目に
遭ったのはこっちの方だ。ハーロックも負けじと眦を険しくした。


「何が酷い目に遭っただ。被害なら俺の方が断然上だろ。大体、適当なコト
 言いやがって。何が『七つのタ』だ。大嘘だったじゃないか!」


「私はよく知らないと念を押しただろうが! 大体、私の父の言うことなん
 か九分九厘嘘なんだ。『頼りがいのあるナイスガイ』勝負をしようなんて
 調子づいて! 結局、デスシャドウに行って敏郎に報告した途端吊るし上
 げくったじゃないか!!」


「お前はまだ良いよ! 普通に吊るされただけなんだから。俺なんか逆さ吊
 りだったんだぞ。暫く頭の中で天地が逆転したままだったわ!!」


「まぁまぁ止さぬか二人共。そんな去年の…しかも日記で限定公開だったハ
 ナシを持ち出しても誰も記憶になど留めておらぬわ」


敏郎が鼻先をつけて睨み合う二人の間に入った。零が不思議そうに瞬きをす
る。


「──日記? 限定? どこの次元の話をしてるんだ? 敏郎」


「吊るした本人がいけしゃあしゃあと。今度はお前を吊るそうか? トチ
 ロー」


「頼りがいのあるナイスガイとやらを吊るせと言ったから吊るしてやった
 のだろうが。二人共甲乙つけ難い馬鹿…いや、ナイスガイである」


「敏郎、ありがとう」


零がはにかんで微笑んだ。今のはアリガトウですか? コノヤロウの間違い
じゃなくて? ハーロックは目眩を堪えて眉間を押さえる。


「──…まぁ、過ぎ去ったことはもう良いさ。零の思考回路がウィルスに
 侵されて手遅れなのも今更だ。俺は動じない。動じないぞ」


「何をブツブツ言っておる」


「ハーロック、私はウィルス感染などしていないぞ。その証拠に先だって
 行なわれた健康診断でも『ノーチェック』のトリプルAクラスだった。
 過酷な宇宙環境での任務を遂行するにあたって、健康状態は最も重要な
 項目の一つだからな。これを外しては宇宙機動軍将校としての資格が」


「お前は頭を診てもらえ。そして退役しろ。さっさと」


「ふん、対決の前に退役を促すとは──私に怖れをなしているのだな」


「あぁ恐ろしいよ。ある意味本気で恐ろしいぞ、そのポジティブシンキング」


「零よ、ハーロックはお前の優しい本質を案じておるのだ。荒事に向かぬ
 無垢な心根をな。ハーロックは口は悪いが好い男なのだ。零にも是非その
 良さをわかって欲しいものだが」


「あぁ、敏郎。君はなんて親友想いなんだ。君にそこまで言われては、
 私も彼に親愛の情を抱けるよう努力する他にないな」


「………」


話が全く噛み合わない。零はともかく敏郎とはついさっきまで視線を交わす
だけで心が通じ合っていたというのに。

溜息をつくハーロックをよそに、敏郎は夜空を見つめる零の横顔を楽しそう
に眺めている。敏郎は零の顔がお気に入りなのだ。今も、「相変わらず美し
いなぁ」と上機嫌で彼の杯に酒を注いでやっている。


さっきまで、俺の目を綺麗だって褒めてくれてたのに。


零が来た途端この有様だ。敏郎と零が同席することをハーロックは全く好ま
ない。内心不貞腐れつつも冷静に「それで?」と軽く膝で零の太腿を蹴り上
げる。


「俺達に七夕の祭りを提供してくれるんだろ。どう趣向を凝らしたんだよ。
 まさか、去年みたいに『七つのタ』とか言い出すんじゃないだろうな」


「馬鹿な。私は二度も同じ過ちを繰り返すほど愚かじゃないぞ。今年はきち
 んと勉強したのだ。見ろ、準備だって万端だぞ。君達の行き当たりばった
 りな花見とはワケが違う」


ふふん、と胸を張って手元のズダ袋を引き寄せる。その行き当たりばったり
の花見に順応しきれずベソかいて丸くなってた根暗のくせに、えらく大きく
出たものだ。ハーロックは適当な返事をしつつ、零が袋から次々とアイテム
を取り出すのを横目で眺めた。


「まずは笹だ。これがなくては七夕とは言えない。竹じゃないぞ。ちゃんと
 海原に選別してもらったのだ」


じゃん。小振りではあるが確かに笹だ。敏郎が「よしよし」と相槌を打つ。


「そして──短冊。七夕ではこれに願い事を書くのだろう? デスシャドウ
 全員分を用意してきた。フェルトペンもある」


じゃじゃん。短冊の束と輪ゴムで纏められたフェルトペン。なるほど、さっ
き俺の頭を直撃したのはフェルトペンの束か。ハーロックは妙なところで納
得した。


「更に飾りだ。これもきちんと調べたぞ。石倉に聞いてみたのだ。彼も頭を
 捻っていたが──どうやらこれで良いらしい」


じゃじゃじゃん。折り紙で作られた鯉と思しきサカナが三匹。どれも形が不
細工なのは零のお手製だからだろう。ディフォルメされたものは可愛いとい
うのが世間の定評だが、零の作った大中小の鯉はどれも瞳が虚ろである。不
細工ながらも形は可愛いのに目だけがリアルに死んだサカナの目だ。何とも
空恐ろしい。


「………コイノボリ?」


ここにきて、初めて敏郎の顔に疑問符が浮んだ。


「そして我々が身につける装飾品だ。私はこういった細工が苦手だからドク
 トルに折ってもらった。さすがは医師。手先が器用だな」


じゃじゃじゃじゃん。次いで現れたのは新聞紙で折られた紙のカブト。確か
に、折り目に寸分の迷いもない。まるで機械が作ったようだ──って、ドク
トルは機械化人か。あはははは。ハーロックは密かに乾いた笑いをこぼす。


「そして、お菓子だ。クリスマスのジンジャークッキー然り、ハロウィンの
 キャンディーやチョコレート然り。やはりこうした祭亊には特別なお菓子
 がないとな。調べたところによると、このように笹の葉で包まれた和菓子
 を食すのが一般的らしい。マリーナは器用だ。私も作ってみたのだが…
 どうにも外見がな」


じゃじゃじゃじゃじゃん。ごろり、と笹の葉に包まれた細長い菓子が現れる。
一つだけ中身が葉からはみ出て、あたかも『カビに侵食されたカエル』の如
きグロテスクな様を晒しているものがあるが、恐らくこれが零の作ったもの
だろう。どうせ俺が喰う羽目になるのだ。ハーロックは潔く肚を決める。


「……これは……」


端午の節句だ。敏郎がぽつりと呟いた。5月5日。子供の日である。


「最後に、雷によるとコレが最も重要な儀礼らしいが──…このお菓子、
 『チマキ』というらしいがな、これを食すときには厳格なルールが多々
 あるようなのだ。まず、『チマキ』は切り分けたりなどしてはいけない。
 まるごと一本のまま食べるのだ」


「ほぅ」


敏郎が口元に手を当てる。何かとてつもなく言い難いことを堪えている。そ
んな表情だ。


「そして、その際には恵方と呼ばれるその年最も縁起の良い方向を向いて食
 べる。その間一言も言葉を発してはならないというのだ」


「ふぅん」


一生懸命説明する零を見つめながら、敏郎は石ころでも飲み込んだかのよう
に不自由な顔をしている。


節分だ。敏郎が言わずともハーロックは悟った。2月3日の行事である。


「だが……その恵方というのがわからなかったのだ。何しろ古い文献頼りだ
 からな、どう調べたら良いのか見当もつかない。……西でも向いて食べよ
 うか」


心底済まなさそうな顔をする零。敏郎は心底気の毒そうな顔をしている。西
とはまた縁起の悪い。お前一人で西方浄土でも拝んで来い。ハーロックはグ
ロテスクな『チマキ』の匂いを確認しながら悪態をついた。


「そして最後に。この『チマキ』を食べ終わるまでに、その場にいる全員で
 背丈を測りっこする。これでこの行事は完成らしい」


あぁ、チマキ食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈って言うもんな。それ
も端午の節句だけど。敏郎とハーロックは顔を見合わせる。笑えば良いのか、
端から端までツッコミ倒せば良いのかわからないのだ。冗談ならそれでも良
いのだが。


「どうだ! 私が本気になれば古来の祭事一つ再現するのはワケないこと
 だ。連邦軍部の情報網と我が火龍クルー達の連携は素晴らしいものだろ
 う」


どうやら冗談ではないらしい。自慢されてしまった。しかも、零の表情の誇
らしげなこと。未だかつて見たことがないほどである。


「あーあー…えっと、な」


敏郎が気まずそうに頬を掻いた。救いを求める眼差しを向けられて、ハー
ロックは目を逸らす。二人の微妙な空気が伝わったのだろう、零の表情がた
ちまち曇った。


「あ……何か…足りなかった、か?」


「うん? 足りないというか」


余計なモノが多すぎる。言い淀む敏郎を不安げに見つめ、零が瞳を大きく揺
らした。


「私…何か間違っていたか……?」


悲しげにハーロックと敏郎を交互に見つめる。間違うも間違わんも。困り果
てた二人と、睫毛の先まで憂いを含ませて押し黙る零。重苦しい空気が場に
立ち込めた。


「そ、そんなことはないど、零よ!」


口火を切ったのは敏郎だった。立ち上がり、満面の笑顔を浮かべて零の手を
握る。


「あまりにも完璧だったので、お、驚いておったのだ。58地区出身のお前
 がよくぞここまで──…ニホン人といえどもタイタンで生まれ育った俺
 には到底不可能な偉業…そう、お前が再現してくれた七夕には地球人の
 心がこもっておる!!」


「そ、そうか?」


ぱっと零の顔に喜色が灯る。頬を紅潮させ、嬉しそうに紙のカブトを抱き締
めて「それでは」と厳かに敏郎の頭にかぶせにかかった。「待て」と敏郎が
柄にもなく慌てる。


「その前にだな──えぇっと、その。しょ、小便がしたい! さっきまで酒
 を呑んでおったからな。もう限界である。なぁハーロック!」


「え、俺も?」


ハーロックはびくりと肩を震わせて自身を指した。「お前の体内のアルコー
ル分解時間などお見通しである」と人差し指を振り立てて近付いてくる敏郎。
ぎゅっと太腿にしがみ付かれて、ハーロックは仕方なく立ち上がった。


「えっと…お、お見通されてたかトチロー! あははは参ったなぁ。イイ男
 はトイレに行かないっていうのが定石なのになぁ!!」


「何を言うのだー。ナニを言うのだ〜。お前も俺も同じ人間。トイレに行か
 ねば膀胱炎で死ぬのである。そうである〜」


「そうだよなぁ。格好つけてないでささっと行くか! 零、悪いが一分待っ
 てくれ!」


「一分……君は排尿行為まで一分で済ませる男なのか……?」


零が目を丸くする。「そうとも!」とハーロックは半ば自棄になって敏郎を
抱き上げた。


「俺のマグナムには放水バルブが付いてるのだ。なぁトチロー」


「いかにもその通りである。戦士たるもの隙の出来る時間を長くは持たん。
 なぁに、たかが小便。あっという間に終わらせて来ようではないか。零、
 済まぬが」


「あぁ、待ってる」


きょとんとしたままの零を置き去りにして、二人は空々しい高笑いをしつつ
部屋を出た。室内にこもった熱気とは裏腹に、しんと乾いて涼しい風が廊下
を吹き抜けている。


「……トチローの嘘つき」


廊下の突き当たり。『便所』と書かれたドアの前で、ハーロックは低く最愛
の友人を恫喝した。


「嘘などと……。ではお前は末期の癌患者に「あなたは癌ですよ」と何の
 てらいもなく言えるのか。余命僅かな白血病美女に、「お前もうすぐ死ぬ
 んじゃね?」などと残酷な言葉をぶつけられるのか。ある意味そういう事
 態であったのだど」


敏郎が拗ねたように頬を膨らませる。「それは難しいけどさ」とハーロック
は親友を優しく下ろした。


「でもそんなに切羽詰った状況だったか? 一言「違う」って言ってやれば
 良いだけの話じゃないか。間違いは正してやらなくちゃ。零だって、後々
 恥をかかずに済む」


「──どこで恥をかくというのだ。58地区は旧大英帝国。ニホンの行事
 などこの先行なう予定もありますまい。では火龍か? 零の要請に従って
 七夕の資料を集めたのは他でもない火龍のニホン人メンバーよ。皆でアレ
 が正しい七夕の作法と思っておるのだ。これより先問題が起こるとは思え
 ぬな」


「……ニホン人なのにねぇ。なんであんなにごた混ぜになったかなぁ。火龍
 の奴ら。まさかみんなで楽しく零を騙してるとか、そういうのないよなぁ」


「それはなかろう。何せ七夕など、とっくに地球では滅んだ習慣であろう
 に。若い副長殿や副長補佐、砲術長殿は言うに及ばず、機関長殿ほどの
 年齢でも完璧に再現することなど不可能だ。そう、八世紀ほど前の古い
 文献を紐解けるならともかくな。いくら選良された独立艦隊の将校とて、
 古文解読は専門外であろう。おそらく、皆、自分の拙い記憶頼りに七夕
 の再現を試みたのだ。そして、そうして再現されたものに真偽を下せる
 者は少なくとも零の手駒にはない」


「民俗学者か…トチローくらいのモンだね」


「専門家に訊こうと思うと零の立場からして面倒な手続きが必要だろうし
 な。七夕を再現する目的を書類にまとめて提出せよ、などと銀河総督府
 に言われてみよ。海賊に花見の礼をするためだなどとは利き腕骨折したっ
 て書けますまいに」


「それは……ある。でも、どうせなら恵まれない子に七夕を、みたいな理由
 つけても良かったんじゃ」


「零はボケておるが己が身の程を知らぬ愚か者ではない。メディカルの使徒
 たるドクトルならともかく……機械化人に負けた軍人がのこのこと戦災
 孤児達の前に顔など出せぬことは先刻承知よ」


深く眉間に皺を刻んで溜息をつく。まるで難解な数式を目の前に出された学
者のようだ。しかし、彼の苦悩の内容は『素で面白くボケ倒した知人をどう
処するか』なのだ。さっさと本当のことを言ってしまえば良い。「他の行事
と混同しておるど」その一言で済む話だ。

相手が、零でなければ。


「どうしたものかねハーロック。俺は零をがっかりさせることなど出来そう
 もないが。お前はどうだ? 常々面と向かって悪態吐き合っておるのだ。
 今更口喧嘩の戦歴が一つ二つ増えたって」


「あー、そうやって自分の嫌なこと人に押し付けないように。俺だって嫌だ
 よ。あんなに胸張っちゃってさ。自慢げな顔されてどうやって間違いを指
 摘するんだよ。がっかりするぞ。多分泣くぞ。自らの馬鹿さ加減に絶望し
 て窓から飛び降りて死ぬかもしれない」


「零が二階から飛び降りたくらいで死ぬものか。だが……完璧だと言って
 やったときの華やかな笑顔を見てしまうとなぁ。地球や火龍では絶対に
 出来ない顔だと思うと不憫でなぁ……。些細な誤謬などどうでも良いよう
 に思えてしまうのである」


「アイツの誤解が些細かどうかは置いといて、あらゆる意味でアイツが不憫
 な子なのは確かだな」


ハーロックは顎を擦って頷いた。置かれた状況が不憫だ。部下に恵まれてな
い感が漂うのも悲壮だ。とっ散らかっている頭の中味も可哀想だ。

上手く笑えないのも気の毒だし、大声を出して泣けないのも傍目から見てい
て切ない。

ついでに言うなら軍服のときとそうでないときのギャップがありすぎて保
護欲をそそるし、ペンギンとトリの区別がつかないのも憐れみを誘う。


「そういえばこの前、仔ギツネなんたらとかいう映画観に行ったとき、キツ
 ネをネコと勘違いしてたのも辛かったなぁ。嬉しそうに「あれは君がサ
 ルマタケで飼ってた動物と一緒だな」とか言って小鼻膨らませちゃって。
 あのときは背筋が凍ったが」


「……いつの間に零と映画なんぞ観に行ったのだ。俺もお前と何度か映画館
 に行ったが、お前そういうお涙頂戴系は始まって十分で寝るではないか」


敏郎の声に固いものが混じる。ハーロックは慌てて言い繕った。


「トチローだって寝るじゃないか。推理系だといちいち演出の穴見つけて
 ほくそ笑んでるしさ。アクションだとお互い盛り上がらない」


「映画より我々の方がよほどアクションこなしておるからな」


「CG使われると白けるよな」


「あの程度、俺やお前の身体能力なら造作もないことだからな」


「っていうか、暗いところって眠たいよな」


「うむ。普段二時間以上会話もなく座っておることなどないからな」


「うん。四畳半で寝っ転がってるぶんには平気だけど、映画館の椅子って
 尻痛くなるよな」


「大作だと下手に席も立てんしな。ところでお前、尻痛くなるような大作
 映画をいつ観たのだ。零とか? 零と楽しくデートであるのか」


「痛い、痛いよトチロー。足踏んでるよな。っていうか太腿つねるのやめて
 くれ。別に内緒にしてたワケじゃ」


「俺はお前と零との親密な関係は『One week Lovers』で断たれたものだと
 思っておったがな。さては貴様──」


「し、してない! してません!! ただ…アイツ休日のたびに寂しそうでさ、
 ついつい放っておけなくなると言いますか……(敬語)。って、トチロー
 だって零のシフト完全に掌握してるだろ。花見のときだってさ、俺、敢え
 て言わなかったけど」


「ふん。あれは亡きウォーリアス・澪に代わって零の身辺を知っておく必要
 があるからである。機械化人の上官に不当な労働を強いられてはいまいか、
 ちゃんとお友達は出来ておるのか──俺のオヤジと澪は竹馬の友だった
 のだ。零のことを影ながら見守るのは俺の役目と言っても過言ではありま
 すまいに」


「嘘つけ、ミーハー心の賜物のくせに! オヤジ同士が仲良しだったから、
 息子の代でもって言うんならさ、俺だって、亡きオヤジに代わって零の面
 倒をみてやる義務が発生するじゃないか!!」


「い、痛い。痛いど馬鹿。頬をつねって引っ張るのはやめるのだ」


「しかも、お前だって尻が痛くなるような大作映画、いつ観たんだよ。俺知
 らないぞ。エメラルダスか? エメラルダスと楽しくデートか」


「べ、別段内緒にしておったワケではないど。大体お前、俺がエメラルダス
 と出かけるとき大抵デスシャドウにおらんではないか。さては俺の不在を
 狙って」


「ぎゃ! 踵で踏むのやめろって!! 別に狙ってるわけじゃなくてさ。そん
 なこと言ったらトチローだって同じだろ。俺のいないの見計らって」


「あたたたたた。お前こそ、頬つねくり上げるのやめるがいい!! そろそろ
 一分経ってしまうではないか。もっと実のある打ち合わせをせねば今後
 の対策が」



「……何を、してるんだ?」



ジャスト一分。零が怖ず怖ずと廊下に顔を出してきた。既に紙カブトをか
ぶってしまっている。全く実のない剣呑な言い合いをしていた二人は、その
可愛らしくも見てはいけない禁忌の姿に同時に溜息をついて互いを苛める手を離した。


「あぁ、何でもないよ零」


「そうとも。排尿後、手を洗うか洗わないかで論議しておっただけである」


「……言うまでもなく洗った方が良いと思うが」


「だよな。ほらトチロー、やっぱり洗わなくちゃ駄目だって」


「俺か?!! ま、まぁそうであるな。不衛生であるしな。あぁ、二人共俺が戻
 るのを待たぬで良いど。気兼ねせず、楽しく始めておいてくれ」


ばたん。手を洗うという名目の元、体よく個室に逃れた比翼の友。無情に
も内側から鍵を閉めた音までした。まさか研究室まで逃げ込んだんじゃないよな。
ハーロックは後を追って一緒に逃げ出したい気分を押さえ込みつつ、不安げ
な零に向き直った。


「トチロー、洗ってくるってさ。アイツ結構完璧主義的なところあるからさ、
 暫く帰ってこないかも」


あぁ、薄情な友の仕打ちに反して、何と慈悲深い俺なのか。多分、誰も褒め
てくれないのでハーロックは自分に対して万来の拍手を送っておく。


「そうなのか? では、二人で始めておこうか。せっかくお菓子も作ったし、
 鮮度が落ちると和菓子は美味しくなくなるらしいから」


「あ、あぁそうだな。生菓子だしな」


「では早速」


零がほんのりと頬を染めながら紙カブトを差し出してくる。ハーロックは全
ての人々の罪を贖うため、茨の冠をかぶり、十字架を背負ったという殉教者
の気分で、恭しく彼の手元に頭を差し出した。




















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