桜骨・5







それは、半世紀前に起きた悲運な恋。

移民後、数百年の歴史を持つこの桜花の星は、美しい花が咲く気候そのもの
に、穏やかで、優しい星だったという。

人々の心も花のごとく。風に揺れ、花を寄せ合い香を漂わせるような生活。
古めかしく、文明の盛りも届かなかったが、人々は足りないものを互いに補
い、何一つ欠けることのない。


だが、それは、異邦人達の手であっさりと乱された。名しか知らない母星か
ら来たという移民船団。母星で戦争が起きたと言う彼らは、物資輸送の大義
の下に、咎無き住人達から沢山のものを奪い去った。


水や食料。家畜に男手。仕方がない、許してくれと言われても、数百年を平
和に過ごした者達にとっては到底理解しえぬ悪辣非道な略奪行為。


争いが起きた。人の心は千々に乱れ、優しさも穏やかさも花のように散った。



けれど、その中にも互いを理解しようと歩み寄る者達がいた。



桜花の星で生まれた女。疲弊した故郷から使命を背負ってきた男。



争いの中で二人は出会い、同じ心の優しさを見出した。互いの仲間に知られ
ぬよう、逢瀬は密やかに、けれど絶えず。


やがて、二人の間には離れがたい絆が生まれ、女はその証のように子を孕ん
だ。共に生きようと誓う二人。それでも、周囲と遠い星の戦禍は広がるばか
り。

ついに、男は戻らなくてはならなくなった。桜花の星から奪い去った物資を
最低限載せて、戦うために母なる星へ。


軍人なのだと出立の晩、男は女に打ち明けた。




他の作業に従事する者なら、ここに留まることも可能だろう。
けれど、私はいかなくてはならない。
戦うために。それが私の本分なのだ。
無力な人々を守らなくてはならない。

非道な侵略者から守らなくてはならないのだ。
そのために、君達の星を滅茶苦茶にした。


間違っている。私達の罪は私達の母星を蹂躙する者達と同じ罪だ。

許して欲しいとは言わない。仕方がないとも言いたくない。


けれどどうか。いつかここに戻ることを許してくれ。
君と、君の中で育まれているその子の元に。


私は戻ってくる。
そして、そのときはこの星が元通り、美しい星になるよう力を尽くすよ。




女は笑って頷いた。泣きたくて、寂しかったが微笑んだ。彼がいくと言うと
きに、悲しい顔で見送ることだけはしたくない。だから、笑って彼の手を取っ
た。




行って下さい。
どうか、後顧の憂いなく。

私はいつまでもお待ちしています。
愛しいあなた、大切なあなた。


生きて戻って下さいね。
どんな姿になったって、生きて戻って下さいますね。


待っています。ずっとずっと。

お約束します。


私の夫は、あなただけ。




男は去り、女は待った。残った異邦の者達が、一層欲深く荒んでも待った。
周囲の争いが激しくなっても待ち続けた。

やがて法の目が届かぬからと、女の住む村に火を点けて、全てを奪い尽くそ
うと企んだ者達が遅い来るまで。


地下室にこもり、略奪者が去るのを待った。激しい外の物音や、人々の悲鳴
にも耳を塞ぎ、ただひたすらに待ち続けた。


祈る言葉は──一つだけ。



帰ってきて、あなた。きっと、生きて戻ってきて。



狂った力は時を待たず女の元にも訪れた。無頼の輩に女は無残に踏み躙られ
た。

暴力の牙で子は流れ、汚れた体を引きずって、女は戦火の中走り出た。
あてどもない。救ってくれるあの手がない。

優しかった笑顔がない。愛しかったあの人がいない。




帰ってきて、あなた。帰ってきて、あなた。




薄紅の花が燃えている。紅蓮に巻かれ、それは真紅の花火に変わる。




帰ってきて、あなた。帰ってきて、あなた。




女に残されたのはもうそれだけだ。傷ついた体は徐々に冷えて。されど温め
てくれるあの胸がない。




帰ってきて、あなた。きっと、何もかも良くして下さるわね──。




真紅の花の咲くところ。女はついに息絶えた。混乱と呪いと悲しみと。
何より最愛の人への気持ちを抱いて。




帰ってきて、あなた。もう、他の何も必要ありません──。




後には滅びと、死者さえ眠らせぬ永遠の呪いと愛情と。











★★★

語り終えた魔女の眼から、一切の光が消え失せた。三次元スクリーンから目
を離したエメラルダスに、敏郎が声を固くして呼びかける。


「人づてに聞いた話ではなかったか? エメラルダス」


随分詳しい。魔地も思う。人から聞いた話だと言っていたのに、彼女はまる
で見てきたかのように語った。悲しい恋と、恐ろしい話。背筋も凍るような
残酷さを、彼女は目の当たりにしたように、リアルに。


「……人から話を聞いたのです」


恋人とすら目を合わせず、エメラルダスは唇を噛み締める。



「私は、間に合いませんでした」



誰一人、救えなかった。夫を待つ哀れな女性一人さえ。薄い唇から血が滲む。
魔地達にとっては半世紀でも、彼女にとっては瞬きほどの過去だ。


「そうか……。それで、お前はどうしたのだ」


敏郎も目を逸らす。日除け帽を目深にかぶり、予測される真紅の魔女の言葉
を待つ。


「統制するべき者達が去っただけで、遵法と己が良心という頚木から自身を
 解き放った愚かな連中……。あの星の優しい人々は、みんな彼らに奪われ
 ました。泣く声さえ聞こえない……。だから、私は残った者達を一掃しま
 した。命の尊さなど、彼らには到底当てはまらない。クィーンの同意を得
 て、燃えていたあの村を…穏やかだった小さな村を、私がクィーンと抉り
 取った。今は恐らく、両端の切り立った崖のようになっているでしょうね」


「花も咲かぬ、か?」


「咲かないでしょう。あの星が変わってしまったというのなら、それは私の
 罪でもあるのでしょうね」


魔女の所業です。エメラルダスが視線を上げる。修羅の時を生きている女の
目は、紛れもなく無法の戦士のそれに戻っていた。


「けれど…どうしても許せなかった。夫の名を呼びながら亡くなった女性
 ……私は、彼女の名前さえ知らない。ただ待っていた人を…優しい目を
 していた人を…あんな風に傷つける者など、温かな血の通った者の仕業
 ではありません。敏郎、あなたがどう言おうとも、私は同じことをした
 でしょうね」


「あぁ、ハーロックでもそうするだろうさ。お前達が本気で葬ると言った
 ものを止める術など俺にはない」


「あの星は彼女が呪った星。彼女の夫が戻るべき星。その他の者などいらな
 いのです。安易に立ち入った者が安らかに眠ることなど許されない…争い
 を運んだ者達…争いに加わった者達……そして、罪もなく踏み躙られた者
 達…誰もが、今のあの星では無用の存在」


「成程な。無用の者達は無用の者の手で、か。当の本人は待っておるわけか。
 愛しい夫が戻るのをな。だが、半世紀経っても戻らぬということは」


「彼女の夫は──カール・ハイゼ地球連邦宇宙機動軍少将は…大戦中に亡く
 なりました。せめて、奥方さまの死を知らせて差し上げたかったのですが」


「間に合わなんだか」


「はい、そして今も…私は間に合いませんでした」


エメラルダスが俯く。「お前のせいではない」と敏郎は優しく恋人の傍に寄
り添った。


「争いも、悲運な恋の結末も、お前の招いたことではないのだ。泣くな、エ
 メラルダス」


「はい……」


それでも、魔女の頬を一筋の涙が伝い落ちていく。「泣くな」ともう一度繰
り返し、敏郎は切り替えるように腕を組んだ。


「しかし…あのしゃれこうべが食人星の最初の犠牲者という読みばかりは
 外れたが……彼女の未練と妄執が根源にあることに代わりはない。零が掘
 り出してしまうとはなぁ。お前の言ったとおり、何やら因縁深きものを感
 じるではないか。零のあの執着ぶり、よもや取り憑かれておるわけではあ
 りますまいな」


「取り憑かれてるって」


魔地は息を呑む。アンデッドに憑依現象など、この科学文明の時代にあって
良いのか。非現実的じゃないかと肩をすくめてみる。


「非現実とはなんだ」


敏郎が眼鏡の縁を持ち上げた。


「憑依現象などという前時代的な物言いをするから現実感を失うのだ。よく
 考えてみよ。人の体を動かしているのはエネルギーだ。生体から作り出さ
 れる電気エネルギー。思考さえ電気信号が生み出すのだ。ウォーリアス・
 澪の実例もあろう。別名オーラとも呼ばれる人体を包むエネルギー。多寡
 によっては無機物に対し物理的作用をもたらすことも可能なのだ。戦艦一
 隻灰燼に帰す能力も、考えようによっては非現実的であろうに」


「アレは特殊な例だろ。それに、セミ・オリハルコンの補助だってあるし」


「精神感応金属か? ふん、アレはエネルギーを引き出す門に過ぎん。周囲
 のエネルギーを集める作用もあるがな、消費されるものの大半は澪自身の
 生命エネルギーよ。大体魔地、お前の『ブレイン・ハック』とて、お前の
 脳から放射される電気信号によって他者の視認識能力に干渉する──
 つまりは目を欺く仕組み。非現実というならお前もファンタジーや怪談話
 の主人公であるな」


「……確かに」


否定出来ない。文明レベルの低いあの星で、個人のオーラ保有量を計測する
機器など到底存在しなかったろうし、たとえあったとしても必要のないもの
だ。一介の村娘が、余人の及ばぬほどのエネルギーを持ちえていたとしても、
それは日々の生活には全く関係ないのだから。


「ってことは、やっぱりあの屍体共は彼女の力で操られてんだな。電気エネ
 ルギーの伝達による反射反応か。死んだカエルの足に電気流して動かすの
 と同じ理屈だな。そう思うと切ねぇなぁ」


「アンデッド共の腐敗を遅らせておるのも、その力だろう。消耗しておるの
 だ。ゆえに彼女自身の亡骸は他の誰よりも早く腐敗し、白骨化したと考え
 るのが道理であろうな。俺は先程全ての骨が残っておるかもと言ったが、
 ひょっとしたらあの頭蓋骨以外は全て先んじて土に還ったやもしれぬ」


「なるほど。で、あの艦長さんは取り憑かれた、と。状況似てるモンなぁ。
 あの人、確か先の大戦で奥さんと子供を」


「うむ。亡くしておるのだ。死者の念と己が中にあるの悔恨の念と……混同
 してぶっ壊れたりしておらねば良いのだが」


敏郎がやけに真剣にこぼした。魔地は「そんなこと」と大仰に手を振る。


「ぶっ壊れるって…はは。そんな混線した通信機みたいなこと。まぁ、あの
 艦長さん時々ヤバい顔してっからな。今頃ユーレイ憑きになってハーロッ
 ク襲ってたりしてな。アイツ一応ドイツ人だし、「待ってたわ、あなた〜
 ん」なんて。ないって、なぁ皆! 馬鹿馬鹿しいぜ。あははは」


場を和ませようと笑ってみる。だが、予想に反して続き笑い出す者は一人も
いなかった。艦橋に深刻な沈黙が立ち込める。ごくり、と魔地は唾を飲んだ。


「な、なんだよ。笑えよ。あるわけないじゃんかンな馬鹿なこと。科学万能
 のこの時代にだな。い、いや、よしんばあってもだな。あの艦長さん高級
 将校だろ? 精神耐久検査とかさぁ、自律訓練法とかさぁ…意思強くな
 きゃ、司令官クラスには……なぁ、ヤッタラン!」


「………」


ヤッタランさえ、真剣に口元を押さえてしまっている。明後日の方向を見な
がら、「心配ですね」と呟くエメラルダス。


「ちょっと待ってくれよレディ、そんな馬鹿なこと──それじゃあ本当に
 ホラー話に」


「祈るしか…あるまい」


敏郎が静かに三次元スクリーンを仰ぎ見る。魔地は瞬きして挙げっぱなしの
手を下ろした。


「あのさぁ……」


……何だよオイ、そんなにグラついてんのかよあの艦長さん。みんな不安に
思ってるの? 実のところ不安なのが彼に対する評価なの? そんな人に
守られちゃってるの地球の平和。



魔地は、少しだけ零と地球に同情した。




















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