桜骨・6







あなたが行ってしまったあと、彼らの暴力は日増しに激しくなっています。
今も、この部屋の外では悲鳴やものの壊れる音が。

恐ろしくて様子を見に行くことすら出来ない臆病さをどうかお許し下さい。


あなた、早く帰ってきて下さいね。戦争はそろそろ終わったのでしょうか。


いいえ、いいえ、。あの星は、ここより酷い。あなたはそう仰っていました
もの。そう簡単には終わらないのでしょう。


けれど、ここも酷いのです。人の焼ける臭いがここまで伝わってくるのです。
ここより酷いことなんて、私には考えも及びません。


優しいあなた、きっと、向こうでも傷ましい母星の様子に心を痛めておいで
でしょう。


慰めて差し上げたい。ミルクとパンを温めて、私はいつでもあなたを出迎え
る準備を整えてお待ちしています。

帰ってきて、あなた。きっと、生きて戻ってきて、
何もかも、良くして下さると信じています。



あぁ、最後のドアが破られてしまう。恐ろしい。怖い。どうなるのでしょう。

私はどうなっても、せめてこの子は。


まだ生まれていないこの子だけは。どうにかあなたに抱いて頂きたいのです。



あなた、あなた。いつお戻りに?



いや、怖い。なんて笑い声。
何故あの人達は笑いながらこんなにも酷いことを。



恐ろしいのです。私はこの子を、我が身を守れるでしょうか。



恐ろしさに震えています。遠くで戦うあなた。どうか勇気を。



勇気と、力を。



あぁ、ついに破られます。あなた、どうか私に力を。



私を、いいえ、わたしたちをたすけて







★★★

日記はそこで途切れていた。頁のあちこちに染み付いた血の指紋。恐らく、
略奪者達が去ったあとも彼女は生きていたのだろう。そして、この日記を油
紙に包み、しまい込んだ。それからあの木の下へ行ったのだ。

彼女の身にどんな災厄が降りかかったのか、想像することさえ冒涜だ。ハー
ロックは舌打ちをして日記を閉じる。



「……私の、せいだ」


零は先程から同じことを呟いている。私のせいだ、間に合わなかったと膝に
顔を埋めて呻いている。ハーロックが違うと言っても、お前のせいじゃない
と慰めても、零の口から発せられる言葉はそればかりだ

ハーロックは息をついて、日記を傍らに置くと両足を投げ出した。


「あぁもう! 辛気臭いなぁ。だから嫌だったんだよ。こんなの読むの」


気の毒な話だ。そして、胸がむかつくほど醜悪な話だ。読むんじゃなかった。
ハーロックは眉間を押さえる。地球人を、あの星の判断を嫌悪する材料がま
た増えた。


「私のせいだ」


零が震える。震える手でズボンから懐中時計型レーダーを引っ張り出し、蓋
は開けぬまま、怯えたように口付ける。


「私のせいだ。星を変えた。人々を悲しみに追い込んだ。彼女も…家族も
 守れなかった。私には何も……何も」


「お前はカールさんか。そういう台詞はだな、あの髑髏の夫の人が」


否、違うのか。ハーロックはこつこつと指先で床を叩く。その言葉は零のも
のだ。零にも当てはまる。否定しようにも嘘はつけない。

星を焦土に変えてしまった。人々は敗戦の知らせと侵略に絶望した。
そして、零の妻子は小さく慎ましやかだった借家ごと抉られて消えた。


許されないと零が呟く。そうかもしれないとハーロックも思う。けれど今、
傍らで零が震えているのだ。ハーロックより少し大きな肩と体を縮こまらせて
たった一人きりで取り残された、あの髑髏の女のように慄いている。

破れた服。血で先端が固まってしまった珊瑚色の髪。埃まみれ、土まみれだ。


スカーフで拭ってやろうとしたが、拒絶された。「放っておいてくれ」と背
を向けられる。肩に一筋走る刀傷。敏郎の刃は鋭いのだ。


「零、その傷」


応えがないとわかっていても、ついついかけてしまう。

敏郎が通常放つ剣技の正確さなら、あんな浅い傷塞がってしまうだろう。だ
が、髑髏に向けた高速の斬撃の最中に入って来た零に、敏郎は明らかに動揺
していた。剣先が鈍れば、傷も乱れる。その証拠に、白いシャツには未だじ
わじわと鮮血が滲んできていた。


「それだけでも手当てしないと。トチローが剣先鈍らせるなんてあり得ない
 けど、アイツはお前が好きなんだよ。だから吃驚して、振り下ろしきれな
 かったんだ。本当は、その方がダメージは少ないって頭ではわかってたん
 だろうけどさ」


「………」


ぴくりともしない。鉱石のような零。本当に石になってしまったかのようだ。
揺れやすく、傷つきやすい零。けれど、本当に彼が悲しく、辛く、憤ってい
るときは絶対にその顔を人には見せない。宿敵と見定めた男の癖など、ハー
ロックにはお見通しだ。


「手当てしないと、零。みんな心配してる。お前が優しいから、あの髑髏に
 執着させとけばこんなことになるってわかってたから、トチローもエメラ
 ルダスも心配してる」


「………」


「帰ろう? 零。帰ろうな。ここを出ればまたアンデッドに襲われるかも
 しれないけど…俺が何とかするから。お前が戦いたくないならそれで良い
 さ。お前の分まで俺が敵を淘汰してやる。お前は無事に…まぁ、ちょっと
 ボロっちくなったけどさ、無事に地球に帰るんだ。火龍の皆だって、お前
 が戻らなきゃどうして良いのかわかんなくなるぞ」


「……放っておいてくれ」


「放っておけるか馬鹿。ほら、もう少し体傾けろよ。服、ちょっと破るぞ。
 それから消毒を」


「必要ない。行ってくれ。私がここにいれば、きっとアンデッドも襲ってこ
 ない。『彼女』が待っていたのはこの『私』だ」


無機的に言葉を並べる。もう、ハーロックに話しかけているつもりもないの
だろう。シャツを引いても抵抗さえしない。何をする気力も無いのだ。あん
なに残酷な話を知って。妻子が同じ目に遭ったのかもしれないと傷ついて。

妻にした人が、最期に呟いたであろう言葉を重ねて。


根こそぎ力を失ったのだ。彼を支えていたであろうものが、根元から折れて
しまったのだ。彼の説く正義も憎しみのない世界も、きっとその上に築かれ
ていたのに。


愛だろうか。ハーロックの胸がずきんとする。愛していたし、愛しているの
だ。ハーロックの胸にも支柱となって信念の火を燃やす気持ちと同じものだ。

死者への愛。父と母と。幼い友と優しかった少女。誰一人、例外なく愛して
いたし、愛している。

ハーロックはその上に、無法と憎しみの力を築いた。皆美しく散り過ぎる。
これで良かったと記憶の中で笑う彼らのために、ハーロックは自身の敵と母
なる星を憎むのだ。

足掻いてやる。自分の目的を果たすまでは、石を投げられても、排斥されて
も、どんな辱めを受けたって生き抜いてやる。

彼らの命を、平和を、奪い去った全てを許さない。それがハーロックなりの
追悼の意だ。戦ってやる。彼らが悪と呼んだものと。そして、最愛の親友が
悪と呼ぶものと。彼らと親友の潔白さのためなら、自分は血に染まり、怨嗟
の声に引かれて地獄に落ちても構わない。


でも零は。死者への愛の上に許す世界を築いたのだ。ハーロックとは真逆の
力を懸命に積み上げた。自身を説き伏せ、周囲を諭し、容易なことではなかっ
たろうに。

馬鹿がつくほど真摯に、懸命に少しずつ。誰に笑われても、退けられても
負けずに。自分の中で崩れても、周囲の感情に崩されてもまた掻き集め、積
み上げて修復する。

許すということ。違っていても、手を取り合うということ。零だけに出来る、
それは天地創造にも似ている。未知の世界を一つ、0から造り上げること。



神様のすることだよ──零。でも、お前は人だから。



壊れて力を失うこともあるだろう。ハーロックは恐る恐る零のシャツに手を
かけて、傷口に触れぬよう注意深く引き裂いた。大理石のような質感の肌に
刻まれた刀傷は、作って貼り付けたように不自然だった。「待ってな」と立
ち上がり、レターテーブルに置かれたスキットルの中身が残っているのを確
認し、ハーロックは胸元からハンカチを取り出して、残りのウォッカ全てを
染み込ませた。


「ちょっと痛いぞ。泣くなよ」


「──ッ……アッ……!」


酒の染み込んだハンカチで傷を拭ってやる。零の喉から掠れた声が上がった。
逃れるように背中が反る。ハーロックは、零の二の腕を掴んで引き寄せ、傷
から乾いた血と汚れが消えるまで消毒を続けた。


「うっ……く……」


「こういう原始的なの、慣れてないか。ドクトルも呼べば良かったな。アイ
 ツならきっと、もう少し上手に処置出来るんだろうけど」


脂汗の滲んだこめかみを撫でて、傷を縛れるように軽く突き放す。新たに与
えられた痛みのせいか、零が潤んだ瞳を少しだけこちらに向けてきた。


「……ドクは…忙しくて来られないと」


「ようやく他のこと喋ったな。お前が戻らないとドクトルだって心配する。
 お前がここに残ったって聞いたら、俺にメス向けてでも連れて来させるね。
 お前がこんなところでくたばってるの見たらどう思うかな。自分の動力炉
 握り潰して殉死するかもな」


「そんなこと…ドクには、沢山の人々を救う使命が」


「そんなの、お前にだってある! お前にだって、地球で苦しんでる人達を
 救う使命があるだろ。放棄するのかよ。ウォーリアス・澪が眠るオベリス
 クも、蘭に囲まれた温室にある奥さんと子供のお墓も、全部放棄か。言っ
 ておくがな、俺はそこまでフォローしてやらないぞ。戦うのは俺が必要
 だからするんだ。墓参りは必要じゃない。俺の親父や友達の墓だってご無
 沙汰なんだ。他人の墓なんて知らないぞ」


ここぞとばかりに畳みかける。「それは」と零が大きく瞳を揺らめかせてハー
ロックに向き直った。


「それはッ……だが、あのしゃれこうべは。彼女は、ずっと待ってたのに」


「お前だってずっと待ってる。どんな姿になったって、澪や、お前の家族が
 戻ってくるの待ってる。澪もお前の家族も、帰りたいって思ってるさ。
 どんなに悔いがなくたって──悔いだらけでもお前の傍が良いって思っ
 てるさ。お前が沢山泣いてるのを知ってる。お前が一人ぼっちになったの
 を知ってる。お前が寂しいのは嫌だと思ってるさ。本当のことなんてわか
 らない。だけど、死んでいった人の気持ちなんて、今ここにいない奴の
 気持ちなんて」


想像するしかないじゃないか。その言葉に、零が大きく目を見開く。


「だけど……彼女はきっと私に救いを求めて」


「死に際に救いを求めない奴の方が珍しいさ。特にお前に救いを求めて死ん
 でった奴なら五万といるだろうよ。恨みつらみも買うだろうさ。でも、
 お前の奥さんは…彼女だけは……お前に救いを求めたって、お前が間に合
 わなかったって、恨んだりしてないんだ。きっと」


「わからない。そんなことは──わからない」


零が力なく首を振る。


「わかるさ。だって──」


ハーロックは彼を抱き寄せた。自分に当てはめてみればすぐにわかる。例え
ば敏郎が遠くにいて、ハーロックが離れた場所で死に直面するようなことが
あっても、ハーロックは敏郎を恨みはしないだろう。息耐えるまで彼の名を
呼んで。あの小さな手が求めて宙を掻く手を握ってくれなくても。

恨んだりするものか。優しい敏郎。きっと間に合わなかったと泣いてくれる。
いつまでもいつまでも、泣いてくれるだろう。悔やみ、思い出すたびに、小
さな瞳から沢山の涙をこぼすのだ。

それは何と心苦しく、何と嬉しいことだろう。敏郎はきっと忘れない。それ
だけで、穏やかに死んでいける。


志半ばでも、敏郎がきっと。だから、大丈夫なのだ。憂いも未練も、何もな
いのだ。


花のように、散っていけるだろう。足掻いて足掻いて、それでも、花のよう
に。



「──だって、お前の最愛の人じゃないか」



敏郎が自分を花にする。あぁそうだ。ハーロックは悟った。零をきつく抱き
締めて、天啓のように理解する。


父も母も、幼い友も優しい少女も。皆潔く散っていった。花のように。


ハーロックが忘れないと。泣いてくれる、継いでくれると信じて逝ったのだ。
憂いもなく、未練もなく、これで良かったと記憶の中で微笑んでいる。


薄紅の小さな花を咲かせる、満開の桜のように。



「わたし……」


零が、震えた。柘榴石の色と質感に似た瞳が雨の降る水面のように揺れる。
溢れてこぼれるのを待たず、零がハーロックの肩口に顔を埋めてきた。
ぎゅっと背中に爪を立てられる。気密服越しにも、彼の力は痛みを伴なって
食い込んできたが、ハーロックは厭わず優しく抱き返してやった。


零が泣いてる。けれど、彼は涙を流さないのだ。決して。

そのことも、ハーロックは知っている。だから、そっと囁いてやる。


「泣くなよ、零」


「──泣いてない」


幾らか憮然とした、けれど確りとした答えが返ってきたことに安堵する。


「全く、手間かけさせるよ。お前」


彼の耳元に頬ずりして、ハーロックは微苦笑した。







★★★


「……星が、変わってしまうことなんてあるのかな」


30分後、零が吐息のように囁いた。この無骨で不器用な男は、涙を流さず
泣いたあと、ハーロックの誘うままに彼の膝に頭を乗せて休息していた。

敏郎から、連絡があった。エメラルダスが知っていたのだそうだ。この星の、
悲しい物語。彼女が最期を看取った女性が、死に際にこの星に呪いをかけた。




帰ってきて、あなた。もう、他の何も必要ありません──。




報告を聞いても、もう零は動揺しなかった。胸にはハンカチに包まれた髑髏
を優しく抱いている。


「ん?」


珊瑚の髪を梳きながら、ハーロックは空から視線を落とし、零を優しく見下
ろした。薄曇りの空が少しずつ晴れてきている。零は気付いているだろうか。


「星が」


零が甘えるように見上げてくる。「聞こえてたよ」とハーロックは笑った。


「お前自分で言ってたじゃないか。星を変えたって。なら、変わるんだろう
 さ」


「そうではなくて」


胸の髑髏を抱く手に少しだけ力がこもる。


「元は温かで、無害だった星が…たった一人の意志で食人星に変貌する。
 そんなことがあり得るのかと」


「あり得るだろうさ。星が人を変えることもあるじゃないか。今の地球人は
 …俺が知ってた頃の地球人じゃなくなったよ。親父も言ってた。腑抜けに
 なったって。昔は、自分の信念のためなら死をも厭わない男達が沢山い
 たって。でも変わった。平和が長く続きすぎたのか…それとも、大戦の
 過酷な状況が人を臆病にするのか……今の地球人はみんな腰抜けだ。自分
 の星を守るために戦おうともしない。みんな自分だけ大事なんだ。俺はあ
 の星に住む連中の、そういうところが許せないよ」


「星が…歴史が人を変えると?」


「そうさ。逆のことも言える。時代が変わる。環境が変わる。法律が変わる。
 人が変わる。そして──星が変わる。トチローの受け売りだけどね。星だっ
 て生きてる。生きてるもので、変わらないものなんてない」


「ジェームズ・ラヴロックの『ガイア理論』か。だが、あれはあくまでも
 生きているのは星表層のみであって、コアに近い部分に命はないという
 結論ではなかったか? 君や敏郎言い分は随分文学的にも思えるが」


「人だって、どこに命があるのかなんてわからないさ。意思なら脳だ。でも、
 脳が動かなくなったって心臓が動いてることもある。機械の力を借りるけ
 どな。星は生きてる。人も。でも、その心や命の重要な部分が本当はどこ
 にあるのかなんて誰にもわからない」


「君は大層な哲学者だな」


零が笑った。少しだけ、困ったような表情になる。紛れもなく微笑んでいる
のに、彼はどうして物憂げに見えるのだろう。笑えばきっと、花のように美
しく誇るのに。


「どうすれば、救えるかな」


零が呟く。「さぁね」とハーロックは嘯いた。零ならとうに気付いているの
だろう。それを口にするのは、自分の役目ではないはずだ。


「──墓を作ろう。そして、祈りの言葉と…白い花束を」


「お前の好きにすれば良いさ」


多分、それが正解なのだ。零がゆっくりと立ち上がる。


「この辺を掘ろう。敏郎から借りたスコップもあるし、簡素だが十字架を
 組むのに良い木材もある。花は──ないが」


「あとで取ってこれば良いさ。外に出るのがまだ危険なら、俺、紙で作れる
 けど」


ハーロックも立ち上がる。レターテーブルの引き出しに収められていた数枚
の紙を使って、小さな牡丹もどきを三つ作った。彼女と、生まれてこれなかっ
た赤ちゃんと、恐らくは──妻子を想いながら遠くの母星で散った男の分だ。


「器用だな」


墓を完成させた零が、感心したように土を払って花を受け取る。


「また、犯罪絡みか?」


「いいや、とても──素敵だ」


零が、笑う。どこか憂い気な微笑み。けれど、これが彼の精一杯だと知って
いる。だから、今は何も言わない。


「祈ってやれよ零。気の毒な人達のために。そういうのは、海賊には向いて
 ない」


背を向けると、零も何も言わずに不器用に組まれた十字架の前に座り込んだ。
彼にもまた、わかっているのだ。だから今は何も言わない。


天に召します偉大な父に、沢山の魂が天国の門に向かうことを告げて、零が、
小さな声で祈り始めた。




いま──もどったよ。


痛かったね、辛かったね、怖かったね。


君達がどんなに恐ろしかったのか、私には想像すら出来ないよ。



痛かったね、辛かったね、怖かったね。


すまない。すまない。私はきっと裁きを受けるよ。


だから、君達と同じ場所では眠れないかもしれないよ。



でも祈ってる。君達の魂の安息を、何か大きなものと私の心に託して刻むよ。



だから、君達はどうか安らかに。



AMEN。そして──






「──ただいま」



涙の出るような、懺悔と祈りだよ零。ハーロックは天を仰ぐ。空が少しずつ
晴れてきている。零は気付いているだろうか。


不意に、一片の花弁が地下室の中に舞い降りた。化石ではない。腐臭もしな
いやわらかな花の一枚だ。


『まごうことなき桜花の星』か。ハーロックは、雲間から覗く太陽の光に
少しだけ目を細めた。




















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