桜骨・4





★★★


「そう、『まごうことなき桜花の星』で起きたのは──悲劇」


エメラルダスは瞳を僅かに潤ませた。魔地も敏郎もヤッタランも、艦橋にい
る誰もが、艦までもが彼女の言葉を刻むかのように沈黙している。


「元は宇宙開拓史始まった当初に移民船団が降り立った無人の星…人々は
 美しい星の姿に胸打たれ…明日を夢見て希望を持って懸命に生きていた。
 食料が足りなければ皆で分け合い、道具が足りなければ笑って補い合い、
 それでも足りないものは──星が与えてくれた。地球に比べて足りないも
 のなら、沢山。けれど、心は満ちて欠けることのない温かさと豊かさに
 満ちていました。私は一度だけ降りたことがありますが…あそこは、銃剣
 を下げた海賊の長くいるべき場所ではない。そう、クィーンとも意見が
 合った……。私達はどこか寂しく、どこか幸せな気持ちで星を後にした
 ものです。珍しい、星でした」


懐かしむように、慈しむように三次元スクリーンに映った星を仰ぎ見る。


「けれど、次世代に来た移民船団の人々の心は……荒んでいた。心よりも
 何よりも、物質的に満たされることを性急に望んだ。彼らを責めることは
 私には出来ない。どんなに醜いと思っても…出来ない」


「星間大戦か」


俯いた恋人に、敏郎が問う。エメラルダスは長い睫毛を伏せて頷いた。


「地球は機械化人による最初の襲撃を受けていました。それは勿論、のちに
 現れるトチロー、貴方の父君、そしてグレート・ハーロック…ウォーリア
 ス・澪という戦士達の力によって撃退されるべき運命にあった愚か者達。
 けれど、その時はまだ…彼らは若く幼い……子。剣のような眼差しをして、
 心に熱き炎を持っていても、まだ…未熟。蹂躙される母星から、一歩も
 出ることの叶わない」


私には誰を責めることも出来ない。胸を引き毟るように一度気密服に爪を立
て、エメラルダスは続ける。


「『まごうことなき桜花の星』でも争いは起きました。追い詰められ、故郷
 の凄惨な光景を目にしてきた者達に、花の美しさは響かなかった。いいえ、
 彼らはそれどころではなかった。物資豊かな星があれば、一刻も早くその
 星から持てるだけの物資を持って地球に。彼らにもまた、大義がありまし
 た。仕方ない──それが、口癖のように呟かれ……。いいえ、仕方なくは
 ないのです。仕方なくなど…誰かから何かを奪い去るときにそんな言い訳
 の通用しないことなど誰だって知っている。けれど、その時の彼らには、
 そう呟くしかなかった……。力にものを言わせての連日の強奪。抵抗と戦
 い。奪う方も、奪われる方も疲弊した。そんな時です、恋が…生まれた」


「恋」


敏郎の呟き。エメラルダスは「はい」と恋人に儚く微笑む。


「恋…です。互いの緊張が限界に達していた中で、一組の男女が恋に落ちま
 した。女は桜の星で生まれ育った優しい女…男は…使命のために痛む胸を
 押さえて平和な星に降りた…いずれ、地球に戻って戦う定めの…男」


それは、淡く悲しい──恋。魔女は一層に儚く、泣き出しそうな笑顔になっ
た。




★★★


「おーい、零。だから言わんこっちゃない」


ハーロックの声が僅かに反響する。零は痛む体を何とか起こした。
ぱらぱらと降ってくる砂利。周囲は暗く、踏み砕いた箇所から漏れ入ってく
る光だけが光源になっている。

厚く埃の積もった床。手触りの粗い絨毯。一撫でして立ち上がる。


「ここは…地下室……?」


何故こんなところに。零の思考を中断させるかのように、ハーロックが「上
がって来い」と穴から顔を覗かせる。


「本当に手間のかかる奴だな。お前。急がないとまた亡者に追いかけ回され
 るぞ。ほら、手ぇ貸してやるからさ」


「待ってくれ。しゃれこうべが」


咄嗟に庇って落ちたのに。両手のどこにも、見回してみてもしゃれこうべの
姿がない。まさか落ちたときに割れてしまったか。零は慌てて埃をかき分け
た。もうもうと舞い上がったそれを吸い込む。喉や鼻が痛んでむせた。
ハーロックが呆れたように溜息をつく。


「しゃれこうべ、しゃれこうべって…お前、傍から見てると取り憑かれてる
 みたいだぜ? それとも本当に取り憑かれてるのか? アブない奴だなぁ」


「私は正気だ。それより…何か明かりになるものを。ここは部屋だぞ? 
 君は不思議に思わないのか。何故こんなところに地下室など」


「元は民家でもあったんだろ。落ちたお前にはわかんないかもしれないけど、
 ここいら周辺、家の跡みたいになってるぜ。よく見てみれば──暖炉の残
 骸みたいなモノも。集落だったんじゃないかな。探せばもっと同じような
 ところが見つかるかもしれないな」


ハーロックの姿が一時消える。みしみしと頭上で歩き回る音。確かに、地面
に掘られただけの地下室ならば、こんな広範囲に板を張る必要はない。


「だが、集落と言うのなら何故こんなところに。崖下なのだぞ? あまり
 居住区に向いていないと思うが」


「元々崖だったとは限らないさ」


みしり。ハーロックの歩が止まる。軽く爪先を鳴らす音。考えているのだろ
う。外のことは彼に任せて、零は手探りでしゃれこうべを探す。

目が慣れてこれば、光源は穴だけではなく、床板の隙間からも入ってきてい
るのだということに気付く。漆喰の壁。腐って崩れた椅子らしきもの。樽が
数個。一度視界を巡らせて、しゃれこうべを包んでいた自分のハンカチを見
つける。無事だったか。零は安堵してしゃれこうべを拾い上げた。そして、
気付く。

目の前にぽつんと置かれているレターテーブル。ランプのようなものが置い
てある。壊さぬよう慎重に、丁寧に埃を払ってみると、それは旧時代のアル
コールタンクランプだった。再びハーロックが穴に向かう音を聞き、零はラ
ンプを掲げて呼びかけてみる。


「ハーロック、アルコールと火は持ってないか?」


「……お前、ナニ悠長なこと言ってるんだ? アルコールと火?」


「ランプを見つけた。レターテーブルも。何か、この星に関しての資料に
 なるものがあるかもしれない」


「調べるのはトチローに任せとけって言ったろ。今の俺達に必要なのは
 な、このアンデッドの支配する星からどうやって逃れるかということで
 ──いや、待て」


「ハーロック? どうした」


まさかもう亡者達が。零はランプを床に置き、しゃれこうべを取り上げる。


「囲まれたのか? 危険な状態に──」


「──音が、消えた」


「音?」


慌てて耳を澄ましてみる。ハーロックの動く音と、谷間を吹き荒ぶ風の音。
亡者達の笑い声、蠢く物音が。ハーロックが一度確かめるように零の頭上を
一周した。


「消えてる。どういうことだ? さっきまであんなにもうるさかったのに」


「──ここに、辿り着いたからではないだろうか」


しゃこれうべを撫でて、ふと思いついたことを言ってみる。ハーロックが一
度穴から顔を出し、続いて音もなく降りてきた。


「成程。普段なら馬鹿なことだと言って終わりだが……死者が向かってくる
 なんて荒唐無稽なことが起きてるんだ。そういうのも、アリかもな」


使えよ、とスキットルとライターが投げて寄越される。煙草を吸うのか、と
問うてみれば「火種はいるだろ」と素っ気なく返された。


「火は点くと思うぜ? スピリタスだ。アルコール度数90。さっき飲ませ
 てやるって言ったのに」


「飲めるか。そんな危険なモノ。アルコールカーだって走りそうだ」


レターテーブルにランプを置き、注意深く火を点ける。強いアルコール臭と、
灯るオレンジ色の光。ぼんやりと部屋の全景が浮かび上がった。


「あまり…裕福ではなかったようだな」


近代的な道具のない、簡素な部屋。「自然を破壊しないように気を配ったん
だろうさ」とハーロックがさっさと絨毯に座り込む。この凄まじい埃が気に
ならないのだろうか。零は密かに眉を顰めて、テーブルの周りを探った。本
棚に並んでいる本を一冊一冊抜き出して表題を確かめ(大半が、料理のレシ
ピや、食物の保存法などの本だった)、引き出しを開けてみる。粗末な木製
のアクセサリー、インクにペン。隅の黄ばんだ白紙が少々。

どれもアンティークショップに置いてそうな品ばかりだったが、保存状態が
劣悪だった。開いた本のページがごっそりと床に落ちたのを見て、零は溜息
をつく。


「……あまり、書物を置いておくのには相応しくないな。酷い劣化状態だ。
 霧のせいだろう。インクも滲んでしまって…見る影もない」


「わざわざ本買って、専用の保存庫に収納するなんて学者みたいななマネ、
 お前の家くらいしかしてないさ。どこもかしこも同じだなんて、思うん
 じゃないよ」


ハーロックは崩れた椅子の残骸を集め、目を細めて破損箇所を観察している。
零は「わかってるさ」と息を吐いて続く引き出しに手をかけた。


「……ん」


「どうした、零」


「鍵がかかってる。他は開いているのに、ここだけ」


「ほぅ、へそくりかな。それとも禁断の裏帳簿」


「発想が俗すぎるな、君は。ちょっと周りを見てくれないか。どこかに鍵が
 あるかも」


「どれどれ、ちょっとおどきなさい。こんな古き良き時代の錠前なんかね」


ハーロックが襟の裏から針金を取り出す。ライターといい、針金といい、全
く用意の良い男だと零がぼんやりと引き出しに向かって何事か作業する彼
の背中を眺めているうちに、がちゃりと錠の開く音がした。


「ほら、開いた。俺の手にかかれば簡単なものさ。どうだ、零」


「泥棒」


少し引いて、唇を尖らせてやる。「盗んでないのにその態度!」とハーロッ
クが口元を引き攣らせた。


「開かないって言うから開けてやったんだぜ? 凄いな、とか、器用だな、
 とか他に言いようないのか? お前」


「君の場合器用さも凄さも犯罪絡みじゃないか。私に感心して欲しければ
 まず、非合法の行為を改めるんだな」


「おぉ、何たる生意気。何たる恩知らず! その非合法の塊に何度助けられ
 たと思ってるんだこのボンボン軍人め。大体、ハンター将軍に捕まったと
 きだってなぁ、俺やエメラルダスがいなきゃどうなってたか」


「助けてくれと頼んだ憶えは一度もないな。それに、あの時は私が君を助け
 てやったのだ。その礼はどうした」


「お前にお礼なんて口が裂けても言いたくありません」


「私も同意だ。開けてみよう。下がってくれ。」


「くっ…何なんだこの敗北感。そしてこのないがしろ感。俺って役に立って
 るよな。立ってるのにこの扱いは一体」


背後をうろつくハーロックを無視して、零はゆっくりと引き出しを開ける。
出てきたのは油紙に丁寧に包まれた一冊の本だった。取り上げ、油紙を取り
除くと本はまるで昨日しまわれたかのような鮮やかさでランプの灯に表題
を浮かび上がらせる。

『Diary』。明らかに手書きと思われる筆記体。旧英語だ。中身もかと開いて
みれば、綴られているのは銀河共通語だった。ただし、やはり文体は50年
前のもののようだ。やや言い回しが古臭い。

やわらかな筆跡。女性の手によるものだろうか。零は、テーブルに置いたしゃ
れこうべに視線を送る。


「ハーロック、これを見てくれ。きっと彼女が」


「……下がれと言ったり、来いと言ったり。お前は一体何様ですか。あぁそ
 うだった。泣く子も黙る連邦軍人様だったな。官憲横暴だね。海賊はそう
 いうのには従いません。一切」


ハーロックが拗ねたように背を向けた。よく見ると頬が膨らんでいる。ない
がしろにされたので拗ねているのだ。彼だって、平気で零をないがしろにす
るくせに。零は溜息をついた。数度咳払いをしたあと、幾分か、穏やかな声
を出して彼の正面に回ってみる。


「何が横暴だ。見てくれと言ってる。日記だ。これで少しはあのしゃれこう
 べのことが」


「俺は別に知りたくないね。砕けば良いって考えは変わらない」


「他に解決の道があるかもしれないのにか? 君は私を助けにきてくれた
 だろう? 見捨てて、頃合いを計ってから刀だけ回収に来たって良かった
 のに、私を追いかけてきてくれた。敵である私にそこまで寛大になれる
 君が、何故このしゃれこうべに冷たく当たるんだ。それも、異常なまでに」


「……余計なこと知って、手が鈍るのはゴメンだな。俺は、お前に出来ない
 ことをしなきゃならん。お前が残酷と言おうと、非合法だと罵ろうと、
 お前のやり方が通用しないときだってある。」


「……」


自覚は、ある。零の生き方は矛盾だらけだ。真っ当さを貫こうとするあまり、
その歪みが他者への負担になる。誰かを代わりに汚さなければ到底立ち行か
ない生なのだ。自覚している。知っている。

零の歪みの大部分を、この男が担っているのだということを。零が彼を肯定
出来ないように、彼もまた零を肯定することは出来ないのだ。


光と影と。鏡の向こう側の自分自身のように。どれだけ距離を近しくても同
じにものには決してなれない。


「君の言いたいことは…わかる。だが」


「わかってないな。わかってないよ。俺から見ればお前が異常だ。いつもは
 遵法者たるお前がどうしてその髑髏にばかり甘く当たる? そいつは人
 食いの星を作り出した張本人だ。本当はわかっているくせに、どうして事
 実から目を背ける? 俺にはお見通しだぞ零。お前、共感してるだろ。星
 を変えた張本人。沢山の人を巻き込んだ。同じだと思ってるんだろ。違う
 とは言わせん。同情するのは構わんさ。理解しようと努力するのも勝手だ。
 だが共感するのは頂けないな。あの髑髏とお前は違う。同じじゃない。
 こんなもの、いくら読んだってお前は自分を許せやしない。本当はわかっ
 てるくせに、零!」


「ハーロック、何を──??!」


乱暴に本を奪われる。床に投げ出されたそれを拾おうとして、ハーロックの
腕に止められた。「無駄だ」と抱き寄せられ、「離せ」と藻掻く。ようやく彼
の手を振り解き、零は音高くハーロックの頬を打った。


「横暴なのは君だ! 一体どんな権利があってこんなことをする?! わ
 かって欲しいと思った私が馬鹿だった。君には何も、何もわからない!!」


零のことも、あの哀れな髑髏のことも。日記、痛んでしまってはいないだろ
うか。本を拾い上げる。開いた頁についた埃を払い除け、折れた箇所を直し
て、零は刮目した。


日記の一文。ほんの数行。




帰ってきて、あなた。きっと、生きて戻ってきて、


何もかも、良くして下さると信じています──。





震える文字、乱れた筆記。急いで書いたのだろう。油紙に包み、引き出しに
鍵をかけて。


あの桜の下で、息絶えたのだ。泣く者もなく。死者に捧げられる、白い花も
なく。

あの薄紅色の、怖いほど美しい木の下で。




帰ってきて、あなた。帰ってきてあなた。帰ってきて。帰ってきて。帰って
きて、帰ってきて、帰ってきて帰ってきて帰ってきて帰ってきて──




頭の中でリフレインするそれが、速さを増して他の思考を消し飛ばす。




かえってきて、あなた。




聞き慣れた声が。耳によく慣れた女の声がわんと響いた。零は反射的に懐中
時計の入ったズボンのポケットを押さえる。君だったのか。全身が急速に冷
えていく。


君だったのか。君が私を呼んだのか。いいや、違う。彼女じゃない。彼女で
あるはずがない。彼女は地球で。あの昏い、底なしの虚の中で。



「あ──」



視界が、眩む。日記を抱いたまま倒れかけた零の体を、ハーロックが背後か
ら支えた。何があったと問いかける遠い声。「彼女が」と零はハーロックの
スカーフを引いた。眉を顰める彼に構わず、そのままずるずると座り込む。


「彼女が。か…の、じょが。あの人が、私に。あれは、彼女の。彼女が、
 私を、私が、わたし、が、し、なせた……」


「零、お前何言って──」


ハーロックが慌てた様子で本を取り上げた。零が開いていた頁に目を走らせ、
僅かに顔色を失くす。「零」と両肩を掴まれるより早く、零はハーロックの
胸倉を掴んだ。


「私が殺した!! 間に合わなかった。私のせいだ。私の──私が!!」


「違う! 混同するな。ここは地球じゃないし、あの髑髏はお前の奥さん
 じゃない!! ちゃんと見ろ! 読むんだろ。ちゃんと読めよ。偶然の一致
 だ。零、ここ見ろ。ほら、名前だって違う」


「嫌だ」


「零」


「嫌だ…もうわかった。私のせいだ。私の罪だ。彼女が呼んだんだ。きっと
 そうだ。ハーロック、私がここで朽ちれば良いんだ。そうすれば、この星
 はきっと元通りに」


「なるか馬鹿! 名前違うって言ってるだろ。あぁ馬鹿。頭抱えてべそべそ
 したいなら勝手にしろよ。俺が読んでやる。良いか、この日記を書いたの
 はルネ、ルネ・コレット。ここに住んでたみたいだな。彼女の『夫』だと
 書かれているのは、カール・ハイゼという男だ。ん、移民…じゃないな、
 地球から来たのか……でも、フランス系とドイツ系だな。ほら見ろ、お前
 と全然違う」


「……」


零は耳を塞いで首を振った。悲しいことだ。寂しいことだ。そこに書かれて
いるのは、辛いことばかりに違いない。


「私のせいだ」


短く断言する。彼女はずっと待ってたろうに。幼い子を抱いて、不安に怯え
ながら夫の帰りを。


「嫌な方向に強情だな、お前」


ハーロックの嘆息。机上のランプを持ち、日記を片手に零の傍らに胡坐をか
く。


「良いか、ちゃんと聞いてろよ。ゆっくり読んでやるからさ」


彼の膝に置いた日記が見えるように頭を抱かれる。聞いてしまったら。そこ
に書いてあることを知ってしまったら。


私はきっと、前より自分を許せなくなる。



零は、ゆっくりと目を閉じた。




















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