桜骨・1





★★★

満開に咲いた桜並木の下にいる──。


臙脂の毛氈を敷き、無造作に置かれた日本酒の瓶から杯へ、銘々手酌で酒を
飲む。

周囲の桜は淡く盛りに。老骨のような枝を覆いつくさんばかりに咲き誇る。
それはあたかも老女が化粧し、時を越えて盛りの瞬間に立ち戻ったかのよう
に。


不思議なものだ。ハーロックは思う。


冬の頃には枯れ木に見えたものが、季節の巡りを経て何度でも鮮やかに花を
つける。人の生ではこうはいかない。人の命は花に嵐に喩えられるが、盛り
のときは一度だけだ。一度だけ、銘々に咲き、人によってはその盛りにさえ
気付かずに散っていくものなのに。

季節の移り変わりなど、人の身には関係ないのだ。だからこそ、人はわかり
易い花を愛でるのか。

愛でて、己が身を重ねるのか。時に希望を、時に哀愁を、時に回顧の気持ち
を持って。


自分は今、どのような時にあるのだろう。ハーロックはふと考える。人の身
に経過する時が、花のようにはいかないことなど百も承知だ。自分は若い。
だが、若いからといって今が盛りとは限らない。

蕾のうちに摘み取られる者もいる。あまりにも早く咲き、あまりにも早く散
る者もいる。かと思えばもうとうに散った身かと思えば思わぬところで開花
する者もいる。

人が花のように咲き、散ることのないことなどハーロックは十二分に知って
いる。特にこの、桜のようには。

可憐さと猛々しさ、雄大さと繊細さを同時に魅せる花のようには。到底自分
はなれそうにもない。相反する二つのものが、自分の身に同居することなど
あり得ない。

ハーロックはそう思っている。それこそが、若さゆえの驕りなのだと聡明な
友は眉を顰めるだろうけれど。


たとえば地球だ。ハーロックは頭上の花を仰ぐ。詳しい名称はわからぬが、
この種は地球が原産らしい。ハーロックの知る桜とは少々趣を異とする、複
数の花弁を持った花。もったりとして重たく頭を垂れている。色も鮮やかだ。
確か、ヤエザクラと言うのだったか。

花は美しいと思う。けれど、元は地球にあったものだと言われると、ハーロッ
クの中でその美しさは色褪せてしまう。美しくないと口性のないことを言う
つもりはない。ただ、色褪せてしまう。それだけだ。


ハーロックはあの星を、地球を全く好まない。


父と母を奪った星だ。それだけではない。幼い友と、優しい少女と。帰るべ
き場所も全部奪われた。地球に生まれた者なら誰でも持ちうるべき定住権も
剥奪された。放逐されたも同然だ。

否、放逐などされていないのだ。ハーロックは自分の意志で宇宙に出てきた
のだから。

自分の意志であの星を捨てたのだ。捨てられたのでは決してない。その証拠
に、今戻ってきてくれと言われてもハーロックは戻らないだろう。あの星の
土を踏む。想像するだけで郷愁の念よりも嫌悪感が先に立つ。

出迎えてくれる場所も、待っていてくれる人も、肩を並べて懐かしむ人も奪
われた。何もないのなら、いかに生まれた場所といえども初見の異郷と変わ
りない。


それだけのことだ。杯に満ちた酒をほろ苦く飲み干した。花なんて嫌いだ。
半ば八つ当たりのようにそう思う。


花なんて──嫌いだ。儚いじゃないか。父も母も、友も少女も、みんなみん
な散ってしまった。誰も彼も綺麗だった。自分の理想に殉じて逝った。これ
で良かったのだとみんな言うだろう。訊いたことはないが、多分言う。

死んでしまったのだ。未来も知らずに。だから、思い出の中の彼らはこれで
良かったと口を揃えて言う。そうでなくてはあまりにも辛い。


足掻けよ──。ハーロックはぎゅっと杯を握り締めた。これで良いなんて言
葉聞きたくないのだ。もっと見苦しく、無様に。潔く散るから美しいなんて
誰が言ったのだ。

足掻いて欲しかった。死者を思うときに痛みが伴うのはそのためだろう。
皆美しく散り過ぎる。


花のように。だからこそ、人は花を見るときにこんなにも胸苦しく
切なく──。



「おいおいハーロック、しけたツラしてんじゃねぇよ。歌うか? 歌!!」


「カラオケなど無粋だど魔地よ。それに振動が木の根にダメージを与える。
 もっと静やかに呑めんのであるか」


「ワイは飯が喰えればどうでもエエねん。花なくてもエエねん」


「カラオケだよカラオケ!! 辛気臭く呑むなんざぁ葬式の場で充分だ! 
 なぁハーロック!」


「魔地、それはハーロックではない。木だ。幹である」


「ワイはもっと唐揚げが食べたい。なぁジュニア」


「……すまない。私はハーロックではないのだが」


「歌えっつってんだろうが! 何ボサーっと突っ立ってやがんだこの野郎。
 格好付けか? 火龍の艦長さんがいるからかこの」


「魔地、酔っ払いながら植物に話しかけるでない」


「トチローはん。ワイは唐揚げが喰いたいねんて」


「敏郎はあっちだ。あっち。私は違う」



「──…放っておけよ二人共。そいつら狂ってんだ。酔い狂ってる」



切なくならない人種もいるか。ハーロックは杯を置いて溜息をついた。既に
用意した酒瓶の半分以上が空いている。おまけに皆で秘蔵の酒を出し合った
のだ。焼酎、ワイン、ブランデー、馬鹿みたいにチャンポンして呑んだくれ
たのだ。そろそろ理性を失ってもしようがない。


「……花より団子とはこのことよ。全く、風情もナニもあったもんではない」


敏郎が寄りかかってきたヤッタランを押し退ける。魔地は樹木相手に何やら
真剣にくだを巻き始めた。もはや収拾のつけようもない。


「すまんな、零。せっかくの休暇を」


さりげなく、敏郎が客人の膝に擦り寄った。小さな賢者に項垂れられて、僅
かな休暇を馬鹿の饗宴に費やしてしまった連邦軍人は困ったように首を傾げる。


「詫びられてしまってはこちらも困る。元より君達の宴だ。私はただの…
 闖入者なのだから」


「珍妙なのはこいつらである。零は良いのだ。よくぞこちらの招きに応じて
 くれた」


「君の招待を断るなんて。君は地球においては厚遇されるべき叡智の使徒。
 私の立場からして、君をないがしろにすることはあり得ないよ」


そう言って、ちらりとこちらを見上げてくる。立場ね。ハーロックは皮肉め
いた笑みを口元に浮かべた。


「宴に珍客はつきものさ。楽しく酒が飲めるなら敵味方の境界もない。騒ぐ
 も淑やかにするのもお好きにすれば良いさ。今ここでは海賊も軍人も下ら
 ない肩書きの一つに過ぎないね」


辺境の無人星。これほど見事な桜が咲くというのに、宇宙ネットの観光案内
にすら載っていない。かつては呼び名もあったようだが、それすら廃れて久
しい星だ。

航海の最中、偶然見つけた桜花の星。地球の──それも見たことも無い故郷
に咲くというこの花を敏郎はいたく気に入り、ヴァーチャルではない花見が
出来ると意気込んだ。

資料を漁り、適当に道具を揃えて艦の手隙の者達を呼び集め。それでは足り
ぬとばかりに四分の一、自分と同郷の血を持つ零を呼び出した。


「おぉ、丁度零も休みではないか」と喝采を叫びながら。


幾重にも防衛され、保護されているはずの地球最後の生身の将官のプライ
ベートを何故敏郎が把握しているのか。一体どこから零のシフト状況が漏れ
ているのか。ハーロックは恐ろしくて訊いていない。


「ドクトルも連れてこれば良かったではないか」


胡坐をかく零の膝頭に顎を乗せた恐ろしき友は、丸い瞳をきらきらさせて小
動物の装いを見せている。

彼のコンプレックスの元にもなる小さな体や禽獣じみた容貌が、零に対して
だけは有効に働くのだと学習したのだ。そして、可愛い子ぶりっこする敏郎
に零は滅法甘い。

今も困ったような顔に少々の喜色を交えて「そうだなぁ」と敏郎の頭を撫で
ている。


「一応声はかけたんだが…彼は彼で、休日には忙しいものだから」


「58地区の養護施設の往診であったか? さすがは医療惑星メディカルの
 使徒」


「そうなんだよ。彼は地球の復興にとても力を尽くしてくれている。私も…
 何か力になれれば良いのだが」


「なに、気にすることはありますまい。零は零で、地球のために出来ること
 が幾らでもあるではないか」


「君にも──助力を請いたいのだが」


「無論。何もあの星に留まらぬでも出来ることはある。俺はその全てを担う
 つもりでいるのだど」


「地球のために?」


「言うまでもない」


微笑みを交わして、かちん、と杯を鳴らし合わせる。と


「地球ねぇ」


ハーロックは憮然として手近の酒瓶を引き寄せた。


何故こうも、あの星ばかりがもてはやされる。

零も敏郎も地球人だ。言ってしまえば自分もヤッタランも魔地だってそうだ。
だからと言って、あの星だけが地球人の住処ではないだろうに。

宇宙コロニーの建設。移民船団の船出。もはや、地球に留まるばかりが人の
生き方ではなくなって久しいこの時代に。

いつまでもあの星にしがみついているなんて時代錯誤だ。

そう言うと、零は僅かに悲しそうに、敏郎は見透かしたような目でハーロッ
クを見つめる。


「ハーロック、君の地球に対する気持ちはわからないでもないが」


「ハーロックよ、お前はどうしてそう天邪鬼なのだ。零、気にせぬで良い。
 こいつは単に捻くれておるだけなのだ。自分が地球の在り方を許せば、
 過去に亡くなった者達の気持ちがないがしろになると思い込んでおるだ
 けなのだど」


「亡くなった──人」


零の瞳から光が消えた。軍服を脱ぎ、火龍を降りた彼は時折こんな顔をする。

元より多くはない表情のレパートリーが増えるわけではない。けれど、今は
無表情に見えるその顔に、朧な悲しみの陰影が宿る。

整っているせいだ。ハーロックは思う。傷一つ、非対称なところなど一箇所
もない零の顔は、表情を作り出すことが不得手なのだ。

泣くことも笑うことも苦手なのだろう。知らない者には、それが多少のこと
には動じぬ強い心の持ち主に見えるだけのことだ。よくよく覗き込んでみれ
ば、その瞳だけが揺れて、震えて不完全な零の心を映し出しているのに気付
くはず。

唇よりも雄弁な眼差し。多分、今の零が考えているのはハーロックが喪った
であろう人達のことではない。


「──綺麗な、花だ」


ハーロックが何も言わぬのを察し、零はついと視線を上に向ける。


「こんなにも…綺麗に咲いていると、少し怖い気もするな」


「何の怖いことがあるのだ。零、これは地球にも咲く花であろう?」


敏郎も釣られて上を見る。綿のように揺れる花。散るには少し早いようだ。
風はあれども一枚の花弁も降ってこない。


「地球にも…咲くのは知ってる。でも、実際に咲いているのは」


「見たことがないのであるか? ふぅむ、58地区には無い?」


「いや、あるんだろうけれどな」


苦笑する。咲かないのだろうよ、とハーロックは無邪気な友に内心語る。地
球は未だ傷ついた星なのだ。復興の兆しが見えてきたのは人間だけ。大戦中
に乱れた生態系が戻るには、一世紀ほど時を経ることになるだろう。

地球連邦軍を降伏せしめたという機械化帝国の総攻撃。地球本土の約半分を
壊滅に追いやった戦火の激しさは、地上の土砂を大気圏外にまで巻き上げ、
太陽の恩恵を遮断した。

凍えているのだ。遥か昔、たった一つの隕石で滅びた恐竜達の時代のように。

人が死なぬのは科学の恩恵と、地獄の門のように開いた機械化への道がある
からで、あの星では今でも灰混じりの雨が降るという。

直に地球を知らぬ敏郎には、その意味がわからないのだろう。否、理屈とし
て知っていても、理解しきれぬ部分があると言うべきか。

あの星に憧憬を抱く友の中には、未だ春には桜が咲き、人々が笑いながら酒
を差し向かう、そんな光景が色鮮やかに存在しているのだ。

だから零も言葉を濁すのだろう。タイタン生まれの小さな敏郎。砂漠と乾い
た太陽の下で育った彼の夢を砕くには忍びないと。


「寒いんだよ、あそこは」


ハーロックは短く答えてやる。零には到底答えられまい。敏郎はレンズの向
こうの小さな目をぱちくりとさせて、「そうか、寒いのか」と俯いた。


「それでは咲かんなぁ。この花は、温暖な気候を好む種なのだ」


「そう。だから私がこうして桜を見られるということは奇跡に近いんだよ」


みんなにも見せてやりたいな。遠い目をして零が呟く。みんな、とは誰のこ
となのだろう。火龍の皆か、地球の皆か。それとも。


「見せてやれたら──喜ぶだろうな」



──空の棺に埋葬された、零の家族か。



「持っていけば良いじゃないか」


ハーロックは杯を唇に運びながら言ってみる。零は地球一大きな温室を所有
しているのだ。零の父、ウォーリアス・澪が買い取った楽園。通称『キュー』
と呼ばれる巨大庭園には、確か温順な気候にしか適さぬ昆虫類が数多く保護
されているのだという。

それなら桜の木の一つ二つ。移植すれば良いのだ。簡単なことをさも難しい
ように扱うことをハーロックは好まない。


「あそこは…父の」


零が困った顔をする。父の場所であって零の場所ではない。そういうことが
言いたいのだろうか。死んだ人間が文句など言うまいに。ハーロックは表情
を変えぬまま、杯を干す。しかも相手は地球最後の守護戦闘神と名高い、
ウォーリアス・澪。敗北を知らぬ男。けれど、零の父なのだ。たとえ鬼籍になく
とも父が息子のささやかな願いに眉を顰めることなどないだろうに。

否、亡くなってしまったからこそか。確かに、死んだ人間は文句を言わぬが、
何かを肯定することもない。

宙ぶらりなのが嫌なのだろう。『キュー』は澪が澪自身の夢のために造り上
げた楽園と聞く。

父の楽園に、自分の手が入ることが厭なのか。ウォーリアス・零。敗軍の将。
地球に荒廃と侵略者からの支配しか与えられなかった、自分が。


「好きにすれば良いさ」


ハーロックはなるべく素っ気なく振る舞った。下手な同情や共感の言葉など、
零は少しも望んでいないのだから。


「あぁ、そうするよ」


零は杯を傾けて目を細めた。瞳が見えなくなれば彼が何を考えているのかわ
からなくなる。微笑んでいるのか、泣いているのか。彫刻のように端整な横
顔は、大理石の質感を伴って感情までも滑らかにするばかりだ。

敏郎が、ちらりと咎めるような視線を送ってきた。興がそがれる。そう言い
たいのだろう。だったら零など呼ばなきゃ良いのだ。ハーロックは唇を尖ら
せてそっぽを向いた。

零が守ろうとして喪われた光景の一つがここに在る。見比べてしまえばどう
したって辛気臭くなるだろう。特にこんな、幽玄虚ろな世界の中では。


「零よ。木は持ち帰れぬが『花』なら良いど」


ぱん、と敏郎が手を打ち鳴らした。零がはっとしたように顔を上げる。


「花──? 手折っても良いと?」


「ふむ、枝ごと欲しいのか? それは難しいのである。俺が育てた花ならば、
 お前に一枝くれてやるのは一向にかまわぬが……ここは」


「わかってる。ここは持ち主定まらぬからといって宇宙図にない新星という
 わけではない。私達がこうして花を好きに愛でるのと同じく、ここに降り
 た他の者にもその権利は等しくある。花を見に来て──枝が折られている
 のを見つけたら、どれほど寂しい気持ちになるだろう」


戯言だ。忘れてくれと杯の端を唇に含む。嫋やかなその仕草に、敏郎は暫く
魅入って頬を染め、「違うのだ」と慌てて帽子のつばを傾けながら手を振っ
た。


「そういうことではなく──零よ、花の化石というものを知っておるか?」


「花の…化石?」


杯を膝に置いて敏郎を見つめる。零の瞳から憂いが消え、好奇心が浮かんだ
のを見て、敏郎は嬉しそうに頷いた。


「ここの桜は特種でな。無論原種は地球にあるのだが…この星の土壌が特殊
 らしい。きちんと調べたわけではないので、詳しい説明は省かざるを得ぬ
 が…古い文献など漁ってみるとな、どうにもこの星で咲き、散った花の幾ら
 かは腐敗して土に戻らず置換化石として残るらしいのだ」


「チカン化石?」


「うむ。簡単に言うとな、地中にて分解された有機物の残した空洞に、同じ
 く地中にあった鉱物の液状のもの──鉱液というのだがな、それが流れ込
 んで凝固し、出来た化石ことを指すのだ。地球もあるであろう。ほれ、
 オパール化したアンモナイトの化石とかな。あぁいうものだ」


「花弁が…石に」


零がゆっくりと背後の木を見やる。相変わらず魔地が根元に正座してぶつぶ
つと繰言を述べていたのだが、そんな無様な光景は全く視界に入っていない
ようだ。「ロマンティックだな」と声が綻ぶ。


「是非──見てみたいものだが」


「そうであろう、そうであろう。文献によればそれは美しい石だというど。
 零、少し掘ってみてはどうだ? この木は樹齢も数世紀経ているようだし
 …花の化石が出てくることもあるやもしれぬ。それを土産にと少しばか
 り持ち帰ることは、罪でも何でもあるまいよ」


「確かに…土の中にあるものだ。自分の手で……一片なら」


そっと杯を毛氈に置いて。零が腰を上げた。「これを」とすかさず敏郎がマ
ントの下からスコップを取り出す。「根を傷つけぬようにするのだど」と差
し出され、零は「あぁ」と頷いた。


「気をつけるよ。機関長殿、少々向こうに退いて頂きたいのだが」


「あぁ? うーん、艦長さんアンタもか。ハーロックとデュエットしたいん
 だろ? 歌上手いからなぁ! ハーロックは。なのにこの愛想のなさよ」


「機関長殿、再三申し上げるがこれは樹木であってハーロックではないぞ」


「ん? そうか? じゃああっちか!! やいてめぇハーロック!!」


腕まくりをして隣の木に向かう魔地を無言で見送り、零は背中を丸めて桜の
木の根元を突き回し始めた。土のやわらかそうなところを掘ってみるのだろ
う。絶妙な哀愁漂う零の背中を肴に酒を飲みながら、ハーロックは敏郎に軽
く肘鉄を当てた。


「……花の化石って、お前」


アンモナイトのように厚みがあるものなら、分解されたあとの空洞に鉱液の
一つも流れ込もうが。

否、それ以前に化石が作られる土壌には条件があるのだ。主に化石が発見さ
れるのは堆積岩と呼ばれる火山灰や泥や砂が海中や湖中にて堆積したもの
が凝固し岩石化したものの中である。ようするに石の中なのだ。

こんな樹齢数百年を経てそうな木が悠然と根を張るようなやわらかな土に
化石の出来ようはずもない。

しかも、スコップで掘り返せる程度の深さになど。


「──作ったな?」


零には聞こえぬ程度に声を潜める。さくさくという軽快な音。零は一生懸命
土をほじくり返している。


「苦労したのだど、これは」


ハーロックの膝によじ登り、敏郎がふんと小鼻を膨らませた。


「お前が零を迎えに行ってからな、図鑑を片手にローズクォーツを削る作業
 を三時間は続けておったのだ。おかげで会心の出来よ。誰がどうみても花
 弁が鉱石化したようにしか見えますまいに」


「いや、そういうことではなく」


騙しているのだ。よくないよ、とハーロックが囁けば、悪意のないサプライ
ズではないか、と敏郎は拗ねたように唇を突き出した。


「こちらの都合で呼びつけたのだ。手土産の一つも持たせてやりたいではな
 いか。しかし零は真面目だからな。海賊からの贈答品など受け取りますま
 い。だから、少しだけオブラートに包んだのだ。零だって俺の粋を理解し
 てくれておるに決まっておるではないか」


騙されてくれておるのだ。敏郎は目を細め、ちまちまと掘り起こした土を脇に
除ける作業に熱中する零を愛しげに見つめる。


「見よ。あの真摯な態度といったらない。可愛いではないか。男は度胸も
 必要だが、あのように愛嬌もなくてはな」


「トチロー」


ハーロックは溜息をついて膝の上の親友を見下ろす。


「お前は零に対する認識が甘いよ」


鼻歌を歌いながら熱心に発掘作業にいそしむ零。時折、身を屈めて掘った穴
を覗き込んでいる。

確かに零は真面目なのだ。真摯だし、一生懸命だし熱心だ。

だが、その上には必ず『馬鹿』がつく。

根っこが浮き上がるまで掘り起こして、化石はまだかと鼻の頭に土がつくほ
ど穴を覗き込む。そうして、頭を上げる際に掘り起こした根っこで後頭部を
強打して呻き声をあげる。

コントのような一連の動作が計算ではなく零の『地』であることを敏郎は認
識するべきなのだ。

敏郎の言うとおり、粋のわからぬ男ではなかろう。だが、彼は同時に敵の言
うことさえ鵜呑みにしてしまう危うさをも秘めている。

たとえば、零を連れ出す折にハーロックが約定した「策謀はない」という言
葉でも。叡智の使徒たる敏郎の口から出た、花の化石などという荒唐無稽な
存在の話さえ。

疑うことなく唯々諾々と信じ込んでいる、のだ。多分。


自己が崩壊しているというか──頭弱いんだろうなぁ、やっぱり。


そんなザマだからハンター将軍ごとき小物相手に虜囚の憂き目を見ること
になるのだ。

後頭部を擦りつつ、発掘再開する宿敵の背中に、ハーロックは以前起きた事
件を思い出して眼差しが胡乱になった。


「憶測だけどさ、アイツ、多分化石が出来る土壌条件とか知らないぞ。」


「なんと…いやいや、それはありますまい。今日び化石が出来る仕組みくら
 い、小学生でも」



「……艦隊戦のいろはは知ってても、トリさんとペンギンの区別がつかん。
 そういう男なんだよ、零は」



「──……」


敏郎があんぐりと口を開けた。数度、所在なさげに零とハーロックを見比べ
る。


「……まことであるか」


「まことであるよ。傭兵のおっちゃんに聞いた話だが──ペンギンのドキュ
 メンタリー番組観ながら「サルマタケ星で見たのと違う」って真剣に言っ
 てたらしいぞ? 黒くてクチバシがあるから一緒だと思ったみたいな。
 いや、おっちゃんも冗談だと思って笑ってみたらしいんだけどさ、無垢
 な瞳で見つめ返されて困ったって」


「……なんという……」


零は、一心不乱に土を掘っている。時折こちらを振り向いては、「君達の分
も出たら」、「ひょっとして、地球にも探せば条件の揃った木が」などと嬉し
そうに額の汗を拭う。


「なぁ、敏郎。地球にももしかしたらあるかもしれないな。そうしたら、
 地球でも花の化石が見られるようになるかも」


「え? あ、あぁ。うむ──…?」


敏郎は固まった笑みを口元に貼り付け、語尾を濁して目をそらした。


「む、難しいかもしれぬがな」


「そうか…でも、探してみようかな。花は咲かなくても、化石なら」


「………」


夢をみるような零の眼差し。敏郎の額から、だらだらと汗が流れ落ちた。


「ひょっとして、俺は」


とんでもないことをしてしまったのだろうか──。かたかたと小刻みに震え
だす。まぁ、罪はないけどね、とハーロックは苦笑した。


「化石が出てきてからネタ明かしすれば良いじゃないか」


「零をがっかりさせてしまうではないか。がっかりさせてしまうではない
 か!!」


「休日、あちこちの公園の桜の木の根元を掘り返す27歳男やもめにしちゃ
 うよりはマシだろ。ついに壊れたって近所の人に嘆かれる」


「しかし…あんなに楽しみにしておるのに……あぁあ、どうしよう……」


珍しく本気で狼狽している。さっきの零と同じ心境か。花の化石。何ともロ
マンティックなそれが地球でも見られるかもしれない。花の咲かぬあの星の
皆に、たとえ過去の栄華でも見せてやれるかもしれない。

そんな希望に胸を膨らませる彼の顔を、一瞬で切なくさせてしまうかもしれ
ないのだ。忍びなかろう。そうは思う。


「しかし結構深く掘ってるよな」


既に30センチ以上掘り起こしている。ハーロックは眉根を寄せた。この名
もない星を見つけてから約半日。ハーロックは零を迎えに行き、敏郎は粗雑
ながらも星の調査をし、花見の道具と場所を確保し、零にやるための花の化
石を捏造し──。

──そんなに地中深くまで埋めるような時間はなかったはずだ。手渡した道
具が砂場用のちゃちなスコップ一つだけというところからも、それは容易に
想像がつく。


「うむ…おかしいであるな。こう…さくさくと掘ればすぐ出るくらいの深さ
 に埋めたはずなのだが」


敏郎が気を取り直してズレた眼鏡の縁を上げた。


「木を間違えてるんじゃないよな」


「間違いはないのだ。ちゃんと目印もつけておいたのだし、ヤッタランにも、
 目印のある木に毛氈を敷くよう言いつけたし」


「目印って何」


「お前のスカーフをこう…枝に」


「……丁度今魔地が話しかけてる木の枝みたいに?」


ハーロックは視線をずらす。零に追いやられた酔いどれ機関長は、何やら憤
慨しながら目線近くの枝に巻かれた布切れを引っ張っていた。


「うむ、丁度あの高さくらいにな。今魔地が引っ張っておるような布を──
 あれ?」



隣の、木だ。



「……ヤッタランっ……!! くぉの」


「い、いや待て待てトチロー。拳握るな。好機だ、好機」


「そ、そうであるな。もういっそ出ない方が零のためにも」


「そうともさ。先にドクトルにネタ明かししといて……適当に諌めてもらえ
 れば」


良し!! ここまでのやり取り、一切視線を交わすことなく互いの唇の動きを
読むだけで成立させた比翼の海賊は、双方、膝を叩いて立ち上がった。


「ぜ、零! あんまりほじくり返すなよ」


「……何を言っているんだ? 君は。化石なのだから深く掘らなくては」


案外につまらないことだけ知っている。深く土を掘るのにそんなスコップ一
つで足りるのはお前くらいのモンだろうよ。舌打ちしたハーロックをフォ
ローするように、敏郎が慌てて手を振った。


「い、いや零よ。その木は…いやいや、桜というのはな、繊細なのだ。
 あまり深く掘っては」


「大丈夫だよ敏郎。根は傷つけないように気をつけてる」


「そういうことではなくてな──うむ」


むむむ、と腕を組んで困り果てている。掘ることを勧めてしまった手前、あ
まり強くは言えないのだろう。敏郎に出来ないことをするのが自分の役目。
ハーロックは暫し顎を擦って思案した。


「……零、こんなことを言うのはあまりに忌まわしいのだが」


取り敢えず、一つだけ浮かんだ。



「桜の木の下にはな、実は死体が埋まっているんだ」



「──死体?」


ぴた、と零の手が止まった。「死体とはどういうことだ?」と表情がたちま
ちに険しくなる。


「あぁ、あくまで伝説なんだけどな。こう、あまりに見事に咲く桜の木の下
 には、不運のままに死んでいった人々の亡骸があるという話があるんだ。
 だから、その人達の魂の平穏のためにも、あまり綺麗な桜の下を掘っては
 いけないという決まりが」


「そんな伝説が……?」


零の目が、敏郎に移る。あくまでハーロックの言うことばかりは鵜呑みにし
ないということか。小物海賊の言うことは丸呑みのくせに。ハーロックは何
故か不快になる。


「へ? あ、あぁ。そうなのだ。俺も迂闊であった。お前に花の化石を見つ
 けさせてやりたいばかりにな」


敏郎が眉間に皺を寄せる。「そうか」と零は少しだけ寂しそうに俯いた。


「そういうことなら──仕方ないな。確かに、死者が眠ると言われる場所を
 掘り返すのは不敬なことだ。残念だが…きちんと埋め直して」


「あぁ。すまぬなぁ零。この埋め合わせは必ず」


「君が悪いんじゃないよ、敏郎」


困ったように微笑んで。零は再び自分の掘った穴に向き直る。


「……待てよ」


「ん? どうしたのだ、零」


「何か──白いものが見える。化石かも」


「ふへ? いや、そんなはずが」


「トチロー、馬鹿!」


ハーロックは慌てて敏郎の脇を小突く。そんなに否定しては嘘がばれるじゃ
ないか。


「零、えーっと、化石はもう良いじゃないか。そうだ、俺のとっておきの酒
 飲ませてやるよ。それがもう美味くてさぁ」


「いや、待ってくれハーロック。これが化石なら」


さくさくと手で掘り始めてしまう。あぁあ、と海賊達は悲壮な顔を見合わせ
た。


「トチロー、念の為訊くけどさ、隣の木以外には」


「そんなに凝る時間があったと思うのか? 無いと言ったら無いのである」


「でも零は」



「あった」



「はァ?!」


驚愕して、大声を重ねて。二人は取り繕うように互いの口を塞いだ。零が土
の中から何かを取り出すのを見て、敏郎が恐る恐るハーロックの口から手を
離す。ハーロックはこくりと喉を上下させた。


「あったって…一体何が」


花の化石は──隣の木に。


「だから、君達の言ったとおり」


零がくるりと振り返る。土に汚れたその手には、やはり土に汚れた──しゃ
れこうべ一つ。


「トチロー…お前……」


凝ってるじゃないか。引き攣った笑いを浮かべて、ハーロックは親友の顔を
伺い見る。



「だから、そんな暇なかったと言うに」


滅多に乱れぬ叡智の使徒は、本当に珍しく蒼白になっていた。ちょっと、と
ハーロックは一歩退く。


「まさか本当に出るなんてな。ハーロック、お前という男は──ッ」


零の顔が見る間に軍人のそれへと変貌した。しゃれこうべ片手に詰め寄って
くる連邦軍将官は怖い。かなり──怖い。



「ち、違う! 違うぞそれは──ッ!!!!」



後退しながら絶叫したハーロックのそれに応えるように。


ずるりと星全体が蠕動した。




















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