死と乙女・7





+++


撃ってきた──!!?


回避を叫ぶ。間に合わないと機関長が返す。


「総員対ショック防御!!」


命じてみるが、果たしてこの艦があのエネルギー量に耐えられるか。身を硬くして、
それでも視線だけは前方から外さずに。

弾道は僅かに左にそれた。衝撃で、艦橋全体が揺れる。


「……外れた?」


歳若い副長補佐の安堵。彼の顔を見るのは苦手だ。彼は──父の参謀の息子。中性
的な面立ちが、苦手だったあの人を思い起こさせる。

いつでも父の隣にいて。父の幼い頃の面差しをしたこの顔を、いつも哀れむような
目で見ていたあの。


「いや、わざと外したんじゃ」


機関長が応える。「そんな…」と副長補佐が立ち上がった。


「それじゃあ、今のは目視で撃ったというんですか!!」


「かなりタフな奴らが乗った艦じゃのう。どうします艦長」



「……良い腕だ!」


そう言う他にない。この距離から、目視で狙ってきた。降伏勧告を迫る軍艦を前に
して挑戦的なこの態度。己が艦とクルー達に自信があるとしか思えない。気力に満
ちているのだ。そして、無法な。

副長の席に着くロボットが、襲撃されている艦の情報を告げた。銀河総督府の輸送
船。冥王星へ向かう途中の機械化人の艦。「放っておきましょう」と航海長が言う。
艦橋の空気が、ふとそれに追従する。もう、何一つくれてやるものかと決めたのに。


「敵艦より入電です。ライン繋ぎます」と散漫になった空気も私の迷いも読めぬま
 まに(彼らを哀れと思うのはこんなときだ)、機械化人の通信長が敵艦へのラインを
 繋いだ。





★★★


「…ちょっと、びっくりさせ過ぎたかな」


主砲の弾道は確実にそれた。けれど、数分待っても何の反応もない。俺は傍らの親
友を見下ろしてみる。


「当たり前だ。馬鹿モノ。お前は礼儀というものをまるで知らん。軍属の艦に予告
 なしの発砲など…淑女の手を許しも得ぬまま取るのと同じ。ダンスのパートナーと
 しては選ばれますまいに」


敏郎が苦い顔をした。「そうか」と俺は俯く。──そういえばあの時、無理に手を
取って嫌がられたっけ。


「良いね。ニュースで顔見たときには別人になっちゃったかと思ったけど、そうい
 うところは変わってないみたいだ。うん、安心した」


「変な安心のしかただな。それ。お前の思い出の君は男だろ? 逞しくなってる方
 が安心じゃねぇのかよ」


で、どうすんの? と魔地が漫画を片手に腕を組む。わかってないね、と俺は思う。


あの子は確かに泣いていたのだ。白い墓碑を前にして。ペンダントを渡しても、ま
だ。

救ってあげたいと心から思った。まだ俺の隣には誰もいないと思っていて、その寂
しさから芽生えたほんの騎士魂でも。

俺はあの頃のまま、ここに立ってる。今は沢山の仲間を得て、強い艦を得て。あの
日、約束したように最強の男に近付いてる。

彼にもそうあって欲しいのだ。墓碑の前に佇むことはやめても。まだ祈るような心
をして俺を待っていてくれると信じたい。

幼かった俺に新しい気高い感情をくれた零。


あの日の『約束』を、果たしに来たよ。この手はまだ間に合うかな。



「我儘な奴だからな」と敏郎が呟く。だから、いつからテレパシストになったんだ
 よ、お前。俺は苦笑して「じゃあデモンストレーションはおしまい」と顔を上げた。


「これ以上邪魔されても困るからね。引いてもらおう。重傷ぽかったのも治ったみ
 たいだし、怪我させるの悪いからね」


「襲撃されている艦を見捨てて退却しろと? 仮にもウォーリアス・澪の息子。果
 たしてお前の慈悲が通じるかどうか」


「やってみなくちゃわからないさ。それにこれ、機械化人の艦だし」


ライン繋いで、と通信長に声をかける。


「『カゲロウ』に告ぐ。速やかにロックを解いてこの空間から離れろ。同じ地球人を
 傷つけるつもりはない」


機械化人は別だけどね。そんな意味を持たせてやる。一年経っているというけれど、
地球の敗北は俺にとっては一週間前の出来事だ。けれど、遠くで敗北を知った俺よ
りも、彼の方がきっと沢山の痛みを感じているはず。軍属の下らなさに気付くと良
い。倒すべき敵は同じはずなのだから。



“──所属不明の艦に告ぐ。既に機械化人と地球連邦政府は講和条約を締結してい
 る。よって、機械化人の艦を襲撃する者は地球連邦に対する攻撃とみなす。速やか
 に攻撃態勢を解いて降伏せよ”



強い声が、戻ってくる。好い声だ。決意を秘めてる。──だが。


「固い…な」


敏郎が顎を擦った。「固いねぇ」と魔地が応える。


「奴さんお前の意図にも気付いてるぜ。だから敢えて「機械化人と地球連邦政府の
 間には」と言いやがった。ちょっとやそっとじゃ変える気はねぇってこった。どう
 すんだハーロック。情の介在する余地もねぇ。二年分の糞並みだぜ、お前の『姫君』
 は」


「アリジゴクから離れろと言うのに。ふん、ダンスを申し込むのに礼節をわきまえ
 ぬからだ。しくったなハーロック」


「全くだ。これだから温室育ちは扱いにくいね」


「降伏してみるかね? ときに譲るのが紳士というものだ」


「Nine,譲るとか負けるとか、そういう言葉はお前にしか使わないよトチロー」


これは零にだって言わないのだ。

誰かを守ってあげたいと。誰かを亡くした悲しみにはその気持ちを持つ以外に救い
はないと教えてくれた零。だけど敏郎。敏郎に出会って、俺は小さな彼を心から守
りたいと思った。俺の持つ力の全てで、彼を苛む者を淘汰してやりたいと。

けれど、俺が淘汰しようとする者にまで等しく情を注ぐ敏郎。
地球だってそうだ。俺にとってはもう何も大切なものなどない硝子の星。地球に生
まれ育たなかった敏郎は、それでもあの星を愛してる。

心も、力も、生き方も、彼の方がずっと俺の遠く上に立っている。悔しさも嫉妬も
なく、見上げていて気持ちが良いと思う男は大山敏郎ただ一人。

追いつきたくて、近くなりたくて。だけど、心のどこかでこの距離が縮まらなけれ
ば良いのにと思ってる。なんだって一番になりたい俺が、敏郎の背中だけはいつま
でも眺めていたいと思うのだ。


全宇宙で唯一、俺の気持ちを変えられる──俺の叡智の女神。



「……お前にしか、負けないよトチロー」


もう一度呟いてやると敏郎が僅かに顔を上げた。つぶらな瞳。不思議そうに瞬いて
いる。わかるかな、わかんないだろうなぁと俺は苦笑して、膝を折り、敏郎を抱き
上げた。


「そういえば朝のキスがまだだったね」


「むぅ、やめるのだ。欧米人の習慣というものは俺には」


「キャプテンは俺だよ。俺の習慣に合わせなさい」


頬にかかる髪を掻き上げて。ちゅ、と音高くキスをする。案の定、敏郎は「うげ」と嫌な顔をした。
そんな顔も大好きなので、俺は目一杯小さな親友を抱き締める。


「安心して良いからねトチロー。零のために駆けつけたって、俺の気持ちはいつも
 トチローのものだから!!」


「き、訊いておらん。訊いておらんど馬鹿。そもそも俺達が地球に戻ったのは──」


「機械化人どもからあの星を解放するため。わかってるってば。トチローも『デス
 シャドウ』も零も『火龍』も地球の平和も俺に任せなさい。なんだって上手くいく
 ようにするからさ」


ちゅ、と勢いに任せて二度目のキス。悲鳴を上げるかと思ったが、敏郎は帽子のつばを傾けるだけ。


「……自信家だな、お前は。機械化帝国はそれなりにやる相手だど」


「わかってる。でも勝つよ」


「………未熟者のくせに」


「でも勝つんだ。俺にはトチローがついてるしね」


覗き込むと、敏郎は真っ赤になっていた。俺の言葉が嬉しかったのだ。俺はそっと
彼の頬に自分の頬をすり寄せて、「大丈夫」と囁く。


「なにも心配はいらないよトチロー。トチローが地球を守りたいなら、全部お前の
 思い通りに」


騎士の心で、誓う。「うむ」と敏郎が頷いた。もう一回くらいキス出来るかも。俺が、
優しく敏郎の頬を撫でたその時。



「あーッ!! ジュニア、あのオンボロ艦突っ込んできよったで!!」



ヤッタランが珍しく身を乗り出した。「ひゅう、カミカゼか」と魔地が嘯く。


「凄いじゃん。トッコウっていうんだろ。あぁいうの」


「違うって。チキンレースだろ。面白い、受けて立とう!!」


「受けて立つのか。ダンスを申し込むのではなかったか?」


敏郎が俺を見上げてくる。「勿論」と俺は腕の中の敏郎を肩に抱えた。


「ダンスは後でも申し込めるさ。男同士だもの。それに…元はこちらが売った喧嘩。
 買うというのならのし袋付けて進呈しちゃう。だが──向こうはこちらより一世紀
 半遅れた旧型艦、相応に相手してやろうじゃないか。ヤッタラン、エンジン出力
 25%・やや微速・敵の主砲だけを狙っていくぞ!!」


「Ja,ジュニア。回避の方向は任せたで!」


「任せなさい。右か…左か…読み切ってみせるよ!! メインスクリーンに『カゲロウ』
 映せ!!」


スクリーンに映し出される『カゲロウ』。なるほど、確かにデザインも旧式だ。俺は
目を細めた。右か──左か。


「いかん! あの艦、エンジンがいかれておるど!!」


敏郎が叫んで飛び降りる。まさか、と問い直そうとした目の前で艦が停止した。い
けない。このままこっちを止めても追突は避けられない!!


「ジュニア!!」


緊迫するヤッタランの声。回避しろ。どっちだ!!

目視出来るほど近付いてくる。瞬間、『カゲロウ』のサブエンジンが動いた。


「右だ! 面舵いっぱい!! 主砲準備──!」


「まだ撃つ気かい!!」


魔地が呆然としているのが視界の端に映る。操舵輪を目一杯右に回すと艦が傾いだ。
踏み止まってスクリーンを仰ぐ。どうせなら零、見えるくらいに傾けてやろう。俺
の掲げる旗印。あの時、お前に渡したのと寸分違わぬ俺の誇りと信念を。

骨になっても戦うと決めた、俺の髑髏のエンブレムを。





+++

すれ違いざまにスクリーンに大写しになったのは、宇宙の暗闇に白く浮かび上がる
禍々しい敵艦エンブレム。

髑髏の紋章。髑髏。艦の腹に大きく彫りこまれたそれは、遠き日の記憶にリンクし
て。


「──…ッ!!」



──呼んで。君が泣きたいとき、途方に暮れたとき、
もう一人じゃどうしようもなくなったとき…助けて欲しいとき。俺はすぐに大人になって、
宇宙最強の男になるよ。だから、君の声に応えられる。何があっても、すぐに行くから。 



甦る、未成熟な声。鳶色の髪、薔薇色の頬。綺麗な顔だったのにまるで狼の目をし
てた。

嘘つき。呼んだのに。「そうする」って言ったのに。騎士のようにお伽話の王子のよ
うに誓ったくせに。


どうして…今頃。



「……違う……」


違う。すぐさま否定する。髑髏の紋章など珍しくない。あれは海賊の印なのだ。宇
宙に横行する無法者なら誰だって掲げる蛮族の証だ。



でも、あの日から13年。少年が男になるには充分な時間が。



敵艦の主砲が、動いた。出遅れたと思った瞬間、艦全体を揺るがす衝撃。目の前を
覆い尽くす閃光。こちら側の主砲が撃破された。敵艦が後方に回る。慌てて体勢を
立て直すよう命じ、二番砲塔での再攻撃準備を整えさせる。敵は──待ってはくれ
ないのだから。

だが、想像していた第二撃はなく敵艦から通信が入る。



“『カゲロウ』に告ぐ。貴艦はロックオンされた。もはや逃げ道はない。
 ──その艦でよく戦った。今回は見逃す!!”



居丈高な声音。何も恐くはないとでもいうように。
地球連邦も、銀河総督府も、チキンレースも戦いも、破壊も略奪も。
この身を縛るものなど何一つないのだとでもいうように。


「…なんだと……」


呟いた瞬間、敵艦の砲塔が完全に機関部の停止した輸送船に向けられた。戦意のな
い艦までも、赴くままに破壊しようというのか。阻止出来るかと訊いてみるが、艦
の角度が悪すぎる。ライン繋げと声高に命じて、スクリーンを仰いだ。


「所属不明艦に告ぐ!!」


脳裏をよぎるのは──一年前の、あの。



「やめろ!! やめるんだ──ッ!!!」







もう…ゆるして………。








目の前で、炸裂する光。あまりにも呆気なく、守るべきものが砕かれた。スクリー
ンに残るのは残骸。生存者など望むべくもない。焦燥と悔しさに、拳をコントロー
ルパネルに打ち付ける。なんてことを。あの艦はもう動けなかったのに。

なんてことを。何故、そうまでしなくてはならないんだ!!


もう動けない艦を、もう戦う余力のない艦を、あんな風に破壊出来るなんて。それ
では何も変わらないのに。

よぎるのは一年前の光景。最終防衛ラインを突破されて戦う術すらない星を、無残
にも焼き払った機械化人戦団。変わらない。どんな大義を掲げたって、あの艦も機
械化人も変わらない。

禍々しい髑髏の旗を掲げて。誰かを踏み躙るのがそんなに楽しいか。


許せない。サブエンジンで艦の向きを変えて追撃せよと指令を出す。機関が全てい
かれているとの返答。動けないのは──こちらも同じか。一年のリハビリで機能を
取り戻したこの手と足。何の役にも立たなかった。

「敵艦、逃走!」との声が上がる。待って、と頭上で俯瞰していた『わたし』が戻
る。


待って。まって。どうしていってしまうんだ。君なんだろう? あのときの『約束』、
まだ憶えてるのに。


違う。そんなはずない。狼の目をしてた。何もかも呑み込んで離さない、獣の瞳を
して誓った少年。



何があっても、すぐに行くから。



違う。彼じゃない。あれはただの想い出に過ぎないのだから。髑髏の印。海賊の紋
章。宇宙の無法者なら誰だって。



けれど、年月は確実に、少年が男になるには充分なほど経っていて。




……嘘つき……。



艦の姿は、破壊した艦の電磁波の霧に紛れて消えた。わたしはもう一度コントロー
ルパネルを叩く。更に強い、力を込めて。




















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