死と乙女・6





雨が、小降りになってきた。
粉塵の雲が少しずつ晴れて、時折切れ間に薄黄色の空が見える。

空気は──冷たい。灰色の風が吹いては、新しく支給された制服を揺らす。

瓦礫と廃墟になって久しい街。もう、街とも呼べないのかもしれない。
あれほど高く天にも届くほど存在していたビルディングや、人々の慎ましやかな幸
福を育んでいた住居達の亡骸。見通せば360°に視界が開けて、まるで世界に果てが
無いようだ。

なんて、恐ろしい光景。さらさらと流れる雨が止んで、水銀色の水溜りを踏んだ。


目の前には、空洞。


何もかも連れていかれてしまった。根こそぎ、たった一つのものさえ残さずに。

制服を新しくしても砕けた手足が戻っても。自由を得ても今では入手すら難しい花
を花束に出来ても。

何もかも、連れていかれてしまった。この、空洞。大きく開いて果ての無いような。

一滴の涙さえこぼれない。主治医からこの手に渡された懐中時計型レーダーが無感
情にそれを告げる。


何もかも──本当に守りたかった大切なものは何もかもこの手をすり抜けたのだと。

子供達の泣き顔。老婆の慟哭。本当に守りたかったものは何もかもこの手をすり抜
けて。



白い薔薇。摘み取られて間もない瑞々しい花弁が揺れる。水銀の雫が伝う花を、祈
りの言葉さえなく空洞に手向ける。



そらを──みてきたよ。

たいきけんをぬけて、くらいうちゅうからこのほしをみてきた。

しろいくものうえにはね、てんごくなんてなかったんだ。


まっしろなつばさのてんしも、せいしょにあるようなさふぁいあのじめんも。

さばきのもんも。


なにもなかったよ。くものなかのすいてきが、せんかんのまどをまっしろにそめて。
きりのなかにいるみたいだった。

そらのむこうまでいってきたよ。けれど、てんごくなんてどこにもないんだ。

ねぇ、わたしはなににいのればいいのかな。

きみたちのあんそくを、どこにいのればいいんだろう。


そらには──なにもなかったよ。


それなら、てんごくはこのくらいくらいどこまでもはてのないようなくうどうの、
そのむこうがわにあるのかな。

ちかくとこあ・まんとるをつきぬけたそのむこうがわに、たくさんのひかりと
あたたかなかぜといちめんのはなばたけ。

あのつめたいそらよりも、いっそうきみたちをやすらかにする。


たどりつくのにどれほどかかるだろう。
ほんのまばたきのほどだろうか。
まんとるをこえるときにかんじるねつは、きみたちのはだをやくだろうか。


あついのは──もういやだね。
ここからとけたすいどうかんがみえるよ。

どうどうとみずをながして。
きみたちのところにとどくまでには、きっときよらかなせいりゅうになってる。


あつかったね。
つらかったね。
いたかったね。

わたしがかわりになればよかった。
きみたちのためになら、わたしはきっとわらっていけるよ。


きみたちをあいしていることばかりかんがえて。

あぁ、さいわいだったねぇとわらうよ。


きみたちとひきかえになら。

あぁ、こんなにもさいわいのことはない。




落ちていく花束を追うように、この身からするりとあたたかく優しいものが駆け出
していく。

それは軽やかな笑い声をあげて、半透明の身体をして躊躇いなく空洞に身を投げた。
もう二度と還ってこないでと、わたしはそっと唇で呟く。

地殻もコア・マントルも突き抜けて、花束を持って駆けつけてあげてくれ。


「……もう…二度と……」


還ってこないで。言葉に出して、もう一度呟く。この身にあった幸いの全て。
もう二度と感じないように。






+++


『SOS入電。SOS入電。艦長は至急艦橋に──』


トレーニングルームで主治医ドクトル・マシンナーの組んだリハビリテーションメ
ニューよりも多くサンドバッグを叩き、一年も経つのにまだスタミナの全てが戻っ
ていないような気がしてもどかしくなる。

太陽系銀河総督府から新しく与えられた艦。それは以前の乗艦とは比べ物にならぬ
ほど旧式な性能と、不完全な機関部を引きずっている。

何度航海訓練を重ねても、思うようには動かない。この身と重ねて、唇を噛み締め
たい気持ちになる。もっと強くならなくては。

もっと強く。もっと力を。かつて父の部下であった、今ではたった一人の家族のよ
うな人の期待に応えられるように。あの人が、時折悪意なくこの顔に、地球最強と
謳われた男を見ているのを知っている。

近く──近くならなくては。それが望まれているのだと思う。そのために生きてい
るのだと思う。

理由さえ明確でない恩赦を与えられた身。望まれているのは戦うことばかりなのだ
ろう。敵は、まだ見ぬ敵はこちらの都合など決して慮るまい。艦が旧式であろうと、
機関部に欠陥を持っていようと待ってはくれまい。絶対に、何の慈悲もなく。

まだ見ぬ敵。まだ与えられぬ敵。もう何一つくれてやるものかと、一度サンドバッ
クに額を打ち付ける。

その矢先の艦内通信。耳に届くノイズ交じりの救援を求める声。重なる。一年前の
あの絶望。燃え落ちていく青い星と、死に逝く人々の悲鳴が耳に戻ってくる。白い
薔薇の花束。この身はもう幸いなど望まないのだ。


もう──何一つくれてやるものか。コートを羽織ってトレーニングルームを出る。

方位を確認しなくては。それから、救援に向かうと地球連邦に連絡を。

センサーで開く扉を待つこともせず、艦橋に滑り込む。一斉に向けられる眼差し。
この声を待ってる。



「航海長! 方位確認!!」



自分でも思わぬほど強い声が出た。一年ぶりなのだ。全てを滞りなく行えるだろう
かと思いながら、感覚の一部を麻痺させる。余計なことは考えない方が良いのだ。
この身の中で戦いを厭う『わたし』の欠片がふわりと浮かぶ。


「地球連邦政府に連絡せよ。『ワレ、コレヨリキュウエンニムカウ』!!」


機械化人クルーにも、もうなれた。



「総員、戦闘配置につけ!!」



俄かに艦橋が活気づく。横顔に、あの人の視線を感じる。瞬きすらせずに正面だけ
を見て。それがきっと、望まれている。


「レーダーが所属不明艦感知しました」と報告を受け、一度大きく息をつく。


この身から離脱した『わたし』が今にも融けそうな眼差しをして虚空からこちらを
見ているのを、私は感じないふりをして「所属不明艦に降伏勧告を」と頭上のメイ
ンスクリーンを仰いだ。





★★★


「よーし、敵艦完全に沈黙。トチロー達も戻ってくるね」


ぽきぽきと指を鳴らしてみる。何と手応えのない敵だろう。主砲三発で護衛艦大破。
今までの中で一番他愛のない戦いだった。

ヤッタランも完全にやる気を失くしている。作りかけのプラモデルをいじりながら、
戻ってきたクルーに戦果を問うが、クルーは首を振るばかりだ。溜息が、漏れる。


「アカンわ。ジュニア、どないする?」


「──沈めろ。もう何の興味も無いよ」


トチローが戻ってきた。俺は背を向けたままヤッタランに指示を出して親友を出迎
える。「どうだった?」と尋ねると「話にならんな」と無感情な声が戻ってきた。


「修理に使えそうな資材はおろか乗り組み員も例の『ゼロ』ばかり。あれでは無人
 艦となんら変わらん。やはりこれは陽動のようだな。釣れる魚がデカいことを祈る
 ばかりだ」


「零かな」


「さぁな。零が来るなら──気合を入れておけよハーロック。何せ彼の乗艦は、俺
 の親父が設計した最強無比と名高い『火龍』なのだから」


きら、と敏郎が眼鏡のレンズを光らせる。


「あぁ、『火龍』ねぇ…。凄いな。Dr.オーヤマが造ったんなら、『デスシャドウ』相
 手に良い勝負が出来る。どうせ戦うなら、地球最後の守護戦闘神ウォーリアス・澪
 との方が良かったけど」


「無理を言うな。あの人はあの人の乗っていた艦と共に原子に還ったのだからな」


とは言うものの、彼も残念そうな表情を隠していない。それもそのはずだ。ウォー
リアス・澪が乗っていた『火龍』弐号艦こと『タケル』は確かに最強無比と名高い
名艦だった。けれど、零が乗っているとされるのはDrオーヤマの死後、設計図のみ
を元に造られた四号艦。未だブラックボックスの多い『迷艦』だというのが敏郎の
持論だ。期待半分、というところだろうか。俺は笑って、親友の背中を膝でつつく。


「まぁまぁ。Dr.オーヤマの設計なら強いって。気合入れとくよ、トチロー」


「うむ。用心するにこしたことはなかろう」


敏郎が、腕を組む。「レーダーが所属不明艦感知。背後です」と、レーダー長がのん
びりと告げた。


「『火龍』か?」


「いえ、スピードから察するに…恐らく『デスシャドウ』よりも一世紀半ほどスペッ
 クの低い旧式艦かと」


「ありゃあ、ハズレ」


「お前クジ運は良いのにな」


魔地が茶化す。「クジ運も良いと言えよ」と、俺は超異空間便秘男の脇腹を肘で小突
いた。「不明艦より入電です」と通信長が告げる。


「ライン、繋ぎますか?」


「あぁ。どうせ腰抜けのパトロール隊。オチも何もないテンプレートなたわ言だろ
 うけど辞世の句代わりに聞いてやろう。繋げ」
 

ぱちん、と指を鳴らしてやる。「音声入ります」と通信長がコントロールパネルを操
作した。



“所属不明の艦に告ぐ。こちら、地球連邦軍所属『カゲロウ』、艦長のウォーリアス・
 零だ。降伏せよ。貴艦は既にロックオンされている”



「ロックオンしてるとさ」


「ウォーリアス・零と言ったな。ハーロック!」


魔地と敏郎が同時に声を上げる。「うん」と俺は正面に向き直った。


「『カゲロウ』だって。恋をして死ぬロマンティックな虫の名前だね」


「その幼虫ことアリジゴクには肛門がなくて幼虫時代の糞を成虫になってから一気
 に出すらしいけどな。ロマンティックか? それ」


「魔地…右手に持ってんの俺の漫画だろ。漫画持ってトイレに入るなって言ったよ
 なぁ?! ナニしてくれるんだよ。もうシャバには戻せないぞその本!!」


「馬鹿野郎。腹ん中のストライキはなぁ、ある意味持久戦なんだよ。漫画無しじゃ
 人生について三回は振り返っちまうだろうが!!」


「振り返ってろよ!! 首が折れるまで振り返ると良い!!」


「貴様ら! さっきから聞いておれば糞便の話しかしておらんではないか!! 黙れ
 このお下劣ファーブル兄弟! 陽炎だろう。ミラージュだ!! 俺はそう信じている!!」


敏郎の一喝。「兄弟とな?!!」と俺と魔地は顔を見合わせた。


「ファーブルは兄弟じゃないぞトチロー!」


「てか、俺とこいつが兄弟なんてあるわけねぇし!!」


「黙れというのがわからんのかこの下ネタブラザーズ!!」



「ライン繋いだまんまでなに馬鹿こいとんねん!! ロックオンされとるてどないす
 るジュニア!!」



ヤッタランの一撃。艦橋がしんと静まり返る。「ジュニアはやめなさいと言うのに」
と俺はぼりぼり頭を掻いた。


「取り敢えず──ご挨拶だ。撃ってやれ。艦橋近くを掠めるようにね。零、ぜろ、
 好い声だ。俺のことを憶えてるかな」


「さすがジュニア。そうくると思ってたで」


「……てか撃つのかよ。俺、未だにこいつの頭ん中わかんねぇぞ敏郎」


「ふん、どうせ「あの距離を目視で撃つなんて…なんてタフガイな艦なのかしら。
 きっとあの艦のキャプテンは男の中の漢だわ。あぁ、あんな男に守られてみたいvv」
 とか言わせたいのだろうが。こいつの頭の中は十三の頃から変わっておらん」


張り切るヤッタランと俺の背後で囁かれる会話。完全に読まれている。一体いつか
らテレパシストになったのだ、友よ。



主砲が咆哮を上げて『カゲロウ』に向かう。さぁ、どう来るかな。俺は胸を少し高
鳴らせながら──待った。




















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