死と乙女・4






「全く、どうにも手のつけようのない」


「あぁして入院の期間を延ばせば尋問や裁判から逃れられる。自分の命が助かると
 思っているのでしょうな」



無駄なことです。人間というものは──これだから。



嘆息。嘲り。白い廊下。揺れる白衣。塵一つない整然とした直線状の空間。

これが…医師か。私は酷く呆れ返った。



+++


「ここです。しかし、本当に『メディカル』の医師の方のお手を煩わせるような症
 状では」


「前口上は結構。カルテなら『メディカル』への依頼があったときにコピーに目を
 通しています」


廊下に面した壁一面が強化ガラス張りだ。温室か、実験室を思わせるデザイン。戦
犯で、監視が必要な状況とはいえ、これでは背伸びの一つも出来まい。何という不
健全な環境だ。

室内にあるのは最新式のオシロメーター。点滴台から吊るされているのはビタミン
剤。銀色のワゴン。

白いシーツ。アルミ製のパイプベッド。

カーテンが開かれたままの嵌め殺しの窓。下界には灰色の雨が降っている。

『彼』は、背筋を伸ばしたまま。点滴チューブと計測機器に繋がれて、それでもた
だ真正面を見つめていた。


「麻酔が切れてからというもの、ずっとあの調子ですよ。横になって眠ろうともし
 ない。あれでは幾ら我々が努力しても…ふん」


白に映える珊瑚色の髪。蒼白い肌。栄養状態が良くないのだ。
赤い鉱石のような瞳。瞬きと呼吸だけが規則的に生を刻む。


「……口元の、痣は?」


淡い桜色。乾いた唇。痛々しいほど目立つ青痣。


「あぁ、経口での食事を与えようとしたら…少々。二週間以上食事を摂らなくても、
 生身でも、やはり訓練を受けた軍人ですからな。我々機械化人医師や看護士を手こ
 ずらせる」


「戦犯とはいえ、患者の虐待は感心しませんな」


私の言葉に、銀河総督府から派遣されたという機械化人医師は驚いたようにサイ
バーアイを点滅させた。生身の人間なら驚きのあまり目を見開いた。そんなところ
か。


「そんなことは……!! しかし、彼は我々の祖国の軍に打撃や損壊を与えた人間です
 ぞ。こうして治療を受けさせてやっていることに感謝して欲しいくらいだ。それを」


「両肩両脚の骨をレーザー銃で砕けと命令したのは…確かそちらの将校殿では?」


私は、笑う。治療を受けさせてやっている。これが、この言葉が医師の。


「無駄な抵抗をするからでしょう。全く、人間というものは非整合性的で不条理で
 野蛮で……」


「もう結構。案内ありがとうございます。あとは、私が」


片手を挙げて医師の全てを拒絶してやる。非整合性的で不条理で野蛮。その気持ち
なら──『彼』にも等しくあるだろう。侵略戦争の上の敗北。故郷を踏み躙られ、
大勢の仲間を喪い、家族の安否さえ確認出来ない。叫び出したいほどだろうに。

私はガラス越し、『彼』の横顔を見つめる。透明の仕切り越し、我々の気配は感じて
いるだろうに、やはり視線は真正面を捉えたままだ。何もかもを閉じてしまった瞳。
一切を遮蔽しきっている。自分の鼓動さえ疎ましいだろう。

私の態度に、医師は何か言いたげな表情をし(だがそれはあくまで私の主観だ。機
械の顔に表情はないのだから)、「お気をつけを」と皮肉げに言った。


「いかに『メディカル』の医師とはいえ──相手はほぼ狂人ですからな。経口での
 食事を拒絶し、尋問にきた検察にも弁護士にも何も話さない。リハビリにも非協力
 的。先程も申し上げましたが手のつけようもありませんぞ。こんな患者のために『メ
 ディカル』の医師に協力を仰ぐなど…全く、上層部の考えることと言ったら」


「手のつけようもないかどうかも、私が判断することです」


そして、銀河総督府上層部の思惑など、私の関知するところではない。私はただ『治療する』
だけなのだ。完璧に、完全に。

医療惑星『メディカル』。その創始者であり全責任者でもある偉大な我が師、Drジャッ
ク・クロウヴァの意志の下、全ての病める者に平等に。
敬意を払い、礼を尽くして彼らの健康と命のために従事する。それが。


「あとは、私が。かの偉大なる『エルダ』ナンバーズの124387番目の弟子、ドクト
 ル・マシンナーに全てお任せを」


慇懃な私の態度に、機械化人医師は少々機嫌を損ねたようだった。「では」と憎憎し
げに一礼し、背を向ける。

「同胞のくせに」という呟きが、強化された私の耳に届く。同胞。一体なにが同じ
だというのだ。

同じ機械の身体を持っていても、ただ一人の人間さえ癒せないくせに。


私はあらかじめ渡されていたI.D.カードを使って、病室に入った。消毒液の匂い。
外には雨。けれど、この白い空間にはそれさえも届かない。
生きて、戻ってきたというのに。故郷の雨音さえ耳にすることが叶わないとは。



「ウォーリアス・零中将殿?」



確認の意味を込めて、問う。数拍の間。「そうだ」と掠れた返答がある。喋るじゃな
いか。それも、思いもよらないような強い声音で。

彼らは──『彼』の担当者達は一体何を診ていたのだろう。手のつけようもない狂
人だなどと。自分の命惜しさに、裁判から逃れたいばかりに治療を拒んでいるなど
と。まるで誤診も良いところだ。

わたしはゆっくりとベッドの上で姿勢を固めたままの『彼』の正面に立つ。『彼』の
視線が少しだけ上がった。目が、合う。


「──…君は?」


あぁ。何という目をしているのだ。これが狂人などと。一切を遮蔽しきったガーネッ
トのような瞳。光は無い。けれど私を見つめる眼差しは、澄んで曇ったところなど
一片も無いのだ。これが狂人の眼差しか。私は一瞬、息を呑む。

あのように粗暴な機械仕掛けの医師になど、『彼』が応えるはずがない。礼もなく、
敬意もない治療など、受け入れようはずもない。


点滴のチューブ。計測機器に繋がれて。硝子の空間に幽閉されても。監視され、何
一つ思いのままにならず故郷の雨音からさえ引き離されても。

この瞳。万年雪に眠る鉱石のようなこの瞳。蝋のような表情。伸ばされた背筋。

『彼』は囚われの姫君だ。何故か、私の脳裏にそんなイメージが浮かぶ。下賤の輩
に囚われてなお、誇りも矜持も失わぬ。背筋を伸ばし、心を閉ざして、果敢ない我
が身を守っている。歯車で動く走狗達を睥睨し、その無機質な哀れみも、施しも受
けぬというように。


「…私は、ドクトル・マシンナー。医療惑星『メディカル』より、銀河総督府の召
 喚を受けて本日、ただ今の時刻をもって貴方の担当医に任じられました。これより、
 貴方の身体の全ては私が責任を持って平癒に努めさせて頂きます」


最大の敬意を持って、礼を。いかに虜囚の辱めにあろうとも、『彼』は少しも己を穢
してはいないのだから。


「『メディカル』から……」


何故? と僅かに唇が震える。A級戦犯の身。本来ならすぐにでも軍事裁判にかけら
れて処刑される身。治療などおざなりなものでも構わないのだ。立って、処刑台ま
で歩ければ。13段の階段を登れさえすれば銀河総督府軍医の役割は終わる。それな
のに。

傍らに移動する私を追うように見上げてくる。戸惑うような揺らぎが瞳に生じた。
私は淡く微笑を浮かべ、「座っても?」と近くのパイプ椅子を示した。『彼』が頷く。


「『メディカル』といえば宇宙でも唯一無二の大医療国家。4番目の『エルダ』の統
 治を受けるあの星から出てくる医師は皆一流と聞く。それが、な──」


咳き込む。こんなにも一度に話すこと自体が久しぶりだったのだろう。私は躊躇い
がちに『彼』の背に触れ、そっと擦った。


「無理はいけません。カルテを拝見しましたが、二週間以上その身を維持するのに
 栄養点滴の力だけを頼っておられる。確かに機械化帝国の医療技術は地球のものよ
 り数世紀上。しかし、貴方が思っている以上にお体は衰弱しています。──水を」


ワゴンに乗っていたプラスティック製の水差しを引き寄せる。一度匂いを嗅ぎ、薬
品などの混入がないことを確かめてから紙コップに注いだ。


「さぁ、せめてこれを。睡眠薬、鎮静剤、自白剤等の薬品の混入は認められません。
 会話をなさるおつもりなら、喉を潤さなくては。これ以上話せば声帯に損傷を与え
 かねません」


「………必要、ない」


首を振り、私の手から逃れるように身を捩って、『彼』は元のように背筋を伸ばす。
すぅと細められた瞳からは、再び一切の感情が無くなって。


「遠路遥々、ご足労をさせておいて誠に心苦しいが…私は一切の治療行為を拒絶す
 る。点滴も…もう必要ない。君が私の担当医というのなら外して頂きたい。そうし
 て、『メディカル』への帰還準備を。『メディカル』の正義は人づてとはいえ理解し
 ている。全ての病める者に平等に、敬意をもって接すること。機械化人の御身であ
 りながら、人間の私にも同じくして下さったことに最大の感謝を」


退室して下さって結構だ。一層に掠れた声で告げる。口元の痣の何と痛々しいこと
か。乾いて鳴る喉の、何と辛そうな。未だ好きに動かせぬ両腕と脚。この身をまた
あの粗暴で理解足らぬ医師の手に引き渡せというのか。


「そのご希望には──従いかねます。Sirウォーリアス。私は、貴方の部下ではない。
 担当医だ。不完全な患者を見捨てて戻ることは、何より我が師と学び舎の恥辱。そ
 して…私の正義に反します」


「君の…正義。だが、しかし」


「たとえ、治療の済んで数日後に処刑される身の上でも。私は私のベストを尽くさ
 なくてはならない。医師として。この身に纏う白衣にかけて。貴方の手足が元の通
 りの機能に戻るまで。そして、貴方が経口での食事をされるまで。このドクトル・
 マシンナーは貴方の医師。医者は患者を見捨てることはありません」


「見捨ててくれと…言っているわけでは」


瞳が、揺れる。どれほどぎりぎりのラインでこの人は自分の身を守っているのだろ
う。狂気から、激情から、焦燥から、怒りから、悲しみから。本当は、叫び出した
いくらいだろうに。


「ただ…私…わたし、は」


俯く。途端、『彼』の中から何かが抜け出ていってしまったようだった。そして、や
はり『何か』としか形容しようのないイノセントなものが舞い降りる。水晶のよう
に澄んだ風が、閉ざされた空間の消毒臭をかき消した。



「……わたしには…そんな資格はない……。ただ、それだけ…」



途方に暮れたように震える。自分を抱き締めたいのだろうか、両肩がすくんだ。


「雨が…やまないんだ……地球に戻って…にしゅうかん……。雨が…やまない」


大人でも子供でも。少女でも少年でもないような表情で、語る。私は不意に悟った。
この表情。この声音。これが、本当の。

地球においては『なにものでもない』の意味を持つ『彼』の名。無限と虚無の狭間
にある名前。

ウォーリアス・零。今ここで、音の無い下界を苦しげに見つめる彼こそが。


「……ドクター、知ってるか…? あの雨は…血の匂いがする」



人の…血と、油と、死臭がする。灰と、土砂交じりの冷たい雨だ。機械化帝国が最
後にしかけた総攻撃は、地球の人口の3分の2を死に至らしめ、爆撃で舞い上がっ
た粉塵は、大気圏にまで届いて太陽を隠した。地球上の温度が低下して…沢山の人
が餓えと寒さに怯えている。明日を夢見ることも出来ない。


「ぜつぼう…だよ、ドクター」


絶望だよ。ぎこちなく、『零』が笑う。カウント・ゼロ。彼にはもう何も無いのだと、
ようやく私は理解する。誇りも、矜持も。自分を守ろうとなどしていない。この人
は──ただ。


「わたしの…罪だ……。わたしが…この星から希望を亡くした。もう…わからない
 んだドクター。ここで…生きているのが罰なのか……彼らの手にかかって処刑され
 れば贖えるのか。わたしにはもう…何も」


下界には、雨。カーテンを開け放しにしているのは郷愁の念からではない。ただの、
断罪。


「確かに、地球の敗北は覆りません。けれど、それは貴方一人の責任というわけで
 は決してない。生きているのなら…生きなくては。死んでいった者達の分までも、
 戦わなくては。裁判で、出来レースのような裁判でしょうが……私も貴方の医師を
 として微力ながら貴方の弁護に努めましょう。だから」


「ドクター…わたしは」


「えぇ、貴方が自らの裁きを他人の手に委ねたくないのはわかります。貴方は強い
 方だ。一目でわかる。処刑されることを恐れているわけでも、生きて地球にいるこ
 とを恐れているわけではないことも。けれど」


「ドクター…わたしは」



わたしは……吐いたんだ。あの大地に。



銀のワゴン。プラスティックの水差し。ミネラルウォーターを湛えた紙コップ。


「地球に戻って…撃たれた傷の痛みで意識が戻って……最初に見たのは、爆撃を受
 けて灰色になった空港。いいや、もう空港だったのか、ただ焼け野原になった居住
 区だったのか……それも…わからない。ただ…荒涼として…あめが…降ってた……。
 灰色の、雨。ひどい匂い。ところどころに……黒い。何か黒い…ひとがたの」


「Sirウォーリアス、貴方は」


「人だ…ドクター。あれは……ひとだったよ……。焼けて、何もかも焼けて炭化し
 て。もう誰が誰なのかもわからない。みょうに…静かだった。呻き声とか…助けを
 呼ぶ声とか……なにも…きこえない……」


瞳が、揺れる。唇が、震える。喉が苦しげに鳴った。やめさせなくては。彼は先程
までの強靭な『彼』ではないのだ。今これ以上話せば砕けてしまう。私は彼に触れ
かけて。この冷たい機械の指が、果たして彼の心の何を救えるのかと戸惑う。

今の彼に必要なのは──この手ではない。


「ひどい臭い…だった。下水が破裂して、汚物まみれの水が流れてた…。だけど、
 それ以上にひどい……ひどい…におい。近くに…川が流れてた」


炎から逃れようと飛び込んで、そのまま力尽きたのか。火傷の乾きを癒そうと、爛
れた身体で水を飲んだのか。沢山の死体が浮かんでた。腐って…膨れ上がって……
蛆がわいてた。雨が降っているのに、遠くの空は渦巻くように赤くて──今の時刻
さえわからない。空気がなまぬるくて…蝿が。大きな、蝿が。


「わたしの頬に…止まった。ひとのにくを喰って…羽化した…黒い……。ひとの、
 にくを。あの、腐って紫色に膨れた、にく」


ひとのにくをくってうかしたこんちゅう。わたしのほほをはいまわる。
あの複眼が。赤い──ふくがんがわたしの目の前に。


「思い切り…吐瀉していた……。コートも、胸章も、ズボンも、地面も汚した……。
 機械化人の兵隊が……わたしを突き飛ばして、手も…つけなくて……それでも、胃
 からこみあげてくるのを…とめられなかった……。胃液の味が……口の中いっぱい
 になって……それでも」


何も吐くものがなくなっても。灰の積もる地面をよごした。くちものどもひたいも
ほほも。ぜんぶよごれた。かみをつかまれて、ひきあげられて。わたしは。


「小さなこどもと…目が合った。やせて…でも腹ばかりが妙に膨れて。土色の顔を
 してた。目が……くぼんでて……どくろみたいに。もう何も感じない顔をして…わ
 たしを見てた」



──まけたくせに。




「憎悪だよ、ドクター。あれは…にくしみ……。機械化人の兵よりも…その子はわ
 たしをにくんでいた……わたしを」


戦場を知ってるつもりだったんだ。血と、硝煙と、死の臭い。燃え落ちていく戦艦
の壮絶さ。負傷兵の呻き声。仲間が死んだと泣き叫ぶ部下の声。心的外傷におかさ
れて、自室から一歩も出られなくなった者もいた。死と隣り合わせの日々に耐え切
れなくなって、自ら首を括る者も。

戦場を知ってるつもりだったんだ。地獄のような光景に、慣れたつもりだったんだ。
血の臭いも死の臭いも、知ってるつもりだったんだ。


「だけど──!!」


掠れた声で、悲鳴のように崩れる身体。私は慌てて受け止める。「しらなかった」と彼が呟く。

「地獄なんて…知らなかったんだ……。わたしはなにも。地上がどんな状態だった
 のか……三食に困るものもいたんだ。わたしはちゃんとたべていたのに。あんなに
 …やせて。吐くこともできない。一時のねむりさえ……満足には。爆炎に怯えて、
 家族と離れて。あんなこどもが…なにもない顔をして。わたしはなにも。なにもし
 らなかった。わたし達が戦うために、地上の人々がどんな犠牲を払ってきたのか
 ──どうしても勝たなくちゃならなかったのに。どうしても、どうしても、どうして
 も、どうしてもどうしてもどうしても──!!」


「落ち着いて下さい。貴方は弱っているんだ。それ以上は」


「まけたんだ…そして……地上に戻ってわたしがしたことといったら……」


「貴方のせいではない。怪我のせいもあったでしょう。それに、ショックも」


「わたしの……せいだ……」


力なく、私の手に体重がかかる。この叫びに、彼は命を費やしてしまったようだっ
た。蒼白い肌は一層色が抜け、瞳から全ての力が消えてしまう。私はゆっくりと彼
の身体をクッションに横たえた。「いやだ」と小さく首を振る頬を撫で、持参したト
ランクを開ける。


「わたしはせんそうを……せんそうがどんなものか……しらなかったんだ………」


戦争がどんなものか、知らなかったんだ。26歳の艦隊司令。第一次、第二次の機械
化帝国との戦いで失われた指揮官達の補充のためとはいえ、あまりにも若い抜擢
だったと聞く。

初陣で、機械化人の先遣部隊を薙ぎ払い。その指揮官ぶりは他を圧倒し、白兵戦で
も見事に敵の首級をあげたという。

機械化人との二度目の決戦で散った地球最後の守護戦闘神ウォーリアス・澪の息子。
その勝利を誰もが信じていたと。

この人が。この囚われの姫君のような人が。今は儚く、蒼白の顔をして自らの罪を
懺悔するこの人は。


まだ──あまりにも若い。あまりにも果敢ない。


その姿は火刑台のジャンヌダルクのように。白銀の鎧に身を固め、祖国のために立
ち上がった幼い15歳の少女のように。


私はトランクから水筒を出して中身をコップに注いだ。まだ温かいそれを、乾ききっ
た唇に含ませる。反射的に二三度嚥下して、彼は「嫌だ」と首を振った。


「今…なにをのませた……?」


「カモミールティーです。貴方が旧グレート・ブリテン、第58地区の出だと聞いて
 いたので『メディカル』から用意してきました。鮮度は落ちますが…この紅茶の香
 りには鎮静作用があります。本来ならこういったものの持ち込みは禁止されている
 のですが…『メディカル』の医師という肩書きは、こういったときに役に立つ。さぁ、
 もう少し飲んで下さい」


抱き上げて、仄かに色づいた唇に紺色のコップをあてがう。抗う首を固定して、少
し乱暴に喉の奥に流し込む。

こくこくと喉が鳴った。頬に僅かに紅が戻る。震える身体を一度抱き締め、汗ばん
だ髪を掻き上げて、私は「お眠りなさい」と精一杯の気持ちを込めて囁いた。


「どうか、睡眠を。目覚めたら、また紅茶を淹れましょう。貴方にはそれが必要で
 す。私は機械化人ですが…元はこの地球の出。貴方は精一杯尽くされた。どうして、
 それを責められるでしょう」


「ち…がう……わたし……は……」


カモミールの香り。クッションに散らばる珊瑚色の髪。呼吸と脈拍が穏やかになっ
ていくのが、機械化された私の目で確認出来る。


「お眠り下さい。Sirウォーリアス。私がここにいる間は、カーテンを閉めましょう。
 そして、ここには他の誰も入れない」


「わたし……は……」


せめて、実験室ではなく温室に。この人が一時でも安らぎを得られるように。

彼が眠ったのを確かめて、私はそっと立ち上がった。何か、気の安らぐようなもの
でも捜してこなくては。たった数十分の邂逅で、私は彼の人の番人にでもなったか
のような気分になっている。守らなくては。そう思う。



視線を上げて、廊下の方を振り返って。そうして、初めて気配に気付く。

女が一人──立っていた。金色の髪を高く結い上げ、露出の高い気密服を身に纏い、
重力サーベルを背に帯びた、女。

白い廊下にいかにも不釣合いな存在。なんと禍々しい。

ずっと今までのやり取りを見ていたのか。私は急いで廊下に出る。彼女を、遠ざけ
なければ。そうしなくてはせっかく眠りについた彼が。


「……ここは、関係者以外は立ち入り禁止のはずですが」


扉をロックして、女の視線から彼を庇うように立つ。私から距離を取る無駄のない
動き。彼女も機械化人だ。それも精巧な機能を持つ。



「私は関係者だ。Drマシンナー」



低い、威圧的な声音。くく、と笑うその表情が彼女から女性らしさというものを奪
い去っている。廊下を鳴らす、重力ブーツ。重力戦士だ。それも、相当の経験を積
んだ。


「軍部の方か? 尋問なら後にして頂きたい。あの患者は今、正常に貴方の質問に
 答えられるような状態では──」


「軍部? 尋問? ふん、下らぬ。私には何の関係もない」


ゆらり、と一瞬女の輪郭が霞む。次の瞬間、彼女は私をすり抜けて、硝子に手をつ
いていた。ベッドで眠る彼の横顔をなぞるように、ゆっくりと、指先が動く。

愛撫にも似た手つき。それが妙に不愉快で、私は眉を顰めた。


「軍部の方でないのなら──関係者とは? 彼に機械化人の身寄りがあるという
 データは頂いておりませんが」


身寄りでも…ここには入れない。


「身寄り? さぁ、この男の身寄りがどうなったか……ふふ、私のあずかり知らぬ
 こと。確かめたければ、そうするが良い」


視線は彼の人に固定されたまま、私の方に投げて寄越されたのは懐中時計型の最新
式レーダーだった。「それはあの男の私物よ」と女が笑う。


「感謝して欲しいものだな。私でなくてはこうはいかない。Drマシンナーよ。『メディ
 カル』の医師よ。お前を呼んだのも私の命だ。早速その一流の腕、見せてもらった
 ぞ」


よく眠らせたものだ。女の笑みがますます深くなる。邪悪だ。私に残された『人間』
としての本能が警鐘を鳴らす。この女は──邪悪だ。


「お褒めに預かり光栄ですな。けれど、尋問でも何でもないのなら、ここから離れ
 て頂こう。あの患者は軍人です。いつ、貴方の気配に気付くか」


「そんなヘマはせぬ」


女の指先が何度も何度も硝子を撫でる。そうしていれば、いつかこの透明の仕切り
を越えるのだとでもいうように。


「最善の策をもってあの男を治療するのだなDrマシンナー。早く、早く早く早く早
 く疾く──。あれは私の大切な手駒だ。私の大切な……役立ってもらわねば困るの
 だ」



あれは…私のモノだ。ようやく、この手中に収めたのだからな。



「早く治せ」と肩を叩かれる。視線を落として、気付く。彼女が両手で硝子に触れ
なかったその訳を。

あの機械化人医師が。二週間も彼の心を開けなかったあの愚鈍な医師の首が。つい
先程胴から離されたのだと切断面から主張して、女の左手からぶら下がっていた。


「それは……」


「無能者は、死ぬ。お前もそうならぬようあの男に尽くせ」


私の、零にな。


音も無く女が私に背を向けた。黄金の髪からは──腐臭。怨嗟。死の臭い。

あの女は…危険だ。医師の嫌う、人の嫌う冥府の気配がする。


わたしは、機械の心臓が鼓動を乱す音を初めて耳にしていた。




















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