Plants Doll・15




★★★


「で?」


敏郎に招かれ、朝食の準備を手伝いながら(結局やる羽目になった)魔地は
味噌汁の味を確かめる彼の横顔を覗いた。


「結論は出たのかよ。叡智の使徒サマ」


「皮肉な言い回しはよさんか。出た、と言いたいところだがな、確証がない。
 憶測に過ぎんことを口にしてもしようがなかろう」


おたまにすくった味噌汁を小皿に移して唇を押し付け、「うむ」と満足げに
顎を擦る。会心の出来のようだ。魔地はコンロの上で網焼きにしているサカ
ナの匂いが変わったのを確かめてから、サカナを裏返しにした。


「じゃあ何で俺を呼ぶんだよ。まさか本気で朝飯の手伝いのためだけじゃ
 ──」


「確証がない。だからお前に聞いておきたいのだ魔地・アングレット」


視線を合わさず。香の物を綺麗に切りながら敏郎が言う。わざわざフルネー
ムで呼んだのだ。彼が魔地に期待しているのは、無論デスシャドウ機関長兼
砲術長の経験ではない。


「お前はどう思った? 最初と今朝と──零の様子で感じたことは?」


「……あるな」


彼に隠し事をするのは不可能だ。どう取り繕ってもバレるだろう。魔地は素
直に頷く。「それで」と無感情に促す敏郎の声。


「最初に見たときは…本気で気の抜けたお人形さんみたいだったがな、さっ
 きの艦長さんは──正気だぜ」


多分、と付け加えるのも忘れない。魔地とて確証の持てないことを断言する
愚は犯さないのだ。


「何故そう思う」


「視線が『合った』。『視て』やがる。気の抜けたお人形には絶対に視えない
 はずの『俺』をな」


「なるほど」


香の物を丁寧に盛り付け、味噌汁を椀に注ぎながら敏郎が頷いた。彼が何を
思うのか、声だけでは判断出来ない。魔地は慎重に言葉を選ぶ。


「無論、無垢な心になっちまったから『視えた』っていう可能性もある。
 だが…無垢なお人形は嘘つかねぇだろ。艦長さんが『俺』を『視た』って
 こと、俺はハーロックに報告しなかった。ほんの一瞬だが表情が変わった
 ぜ。不安そうなのから安心した顔にな。『プランツ・ドール』の吸引者が
 主人の顔色だけ窺うってんなら、俺の言動に表情変える必要はねぇ。違う
 か?」


「道理」


敏郎がすとんと踏み台から降りる。大人数対応の炊飯器から白米を碗によそ
い、長方皿をこちらに寄越す。充分にサカナに火が通ったのをみて、魔地は
サカナを皿に移動させた。


「正気、なんだな?」


「まだわからぬ。だが…正気で演技出来るほど零は器用ではあるまいよ。
 もしも正気のままあのようにドクトルや俺、そしてハーロックを翻弄して
 いるのであれば……それはそれで恐ろしい男。だが零の性質から考えるの
 ならそれはない。どちらかと言うのなら…今の零は無意識のまま、迷いを
 持っておる。優しく争いには向かぬ零のこと、このまま正気に戻らなけれ
 ば一生争いごとから解放されるだろうか。けれど任務は、地球は。揺れて
 おるのだ。もはや自分でもどちらが本当なのか判断もつかぬほどにな。俺
 にはその是非を信頼を裏切った宿敵の人格を見定めることで決断しよう
 と考えておるように見える。そう思う方が辻褄が合うだろう?」


「……確かに」


ドクトルの眼は知らないが、敏郎やハーロックを欺くのは難しい。どちらか
片方ならともかく、ハーロックなどは正体を失くすほど甘い態度をしてるの
だ。あの鋭い男が。

けれど、無意識に相手を試しているという状況も、考えようによっては怖い
ものだ。お盆に次々と並べられていく朝食を見つめながら、魔地は唇を噛む。


「確かに、無意識の部分で戻ってるなら『俺』を視たのもあり得るかもな。
 それにハーロックは嘘に敏感だ。騙しおおせるのは難しいかもな。でもよ」


「でも?」


「わかってて騙されてやってるってのは…どうだ?」


二人が共同しているのなら。火龍クルーと自分達を騙すくらいはわけのない
仕事だ。だが敏郎は軽く肩をすくめる。


「ふん、何のために? 忠実なクルー、古き友を欺いて艦隊司令と海賊が
 共同するメリットは?」


「そ、それは──」


魔地は思い出す。ハーロックに寄り添う零と、零にこの上なく優しい表情で
接するハーロック。


「き、禁断の愛……のため?」


うげぇ。言ってて自分でダメージを受けた。見れば敏郎も傾いでいる。暫し
己が内の嫌悪感と戦う空気が流れた。「馬鹿馬鹿しい」と敏郎が眉間を押さ
える。


「仮にその…禁断のナニが芽生えておったとしても、だ。零に関してそれは
 あり得ん。ドクトルから聞いたのだがな、例の移民星への襲撃の一件以来、
 零は目に見えて落ち込んだそうだ。食欲は減退し、精彩を欠き…あたかも
 信頼する友に裏切られたかのごとく」


「信頼する恋人だったら」


うげぇ。再び二人で暫し傾く。「引っ張るな」と敏郎が不快指数極まった顔
で魔地を睨んだ。


「それこそ何の確証も無い。だが…信頼する友にしろナニにしろ……零が
 手酷い裏切りを受けたと感じたのは事実のようではあるが」


「そこだよ」


魔地はぱちんと指を鳴らす。「どこだ」と敏郎が明後日の方角を向いた。使
い古されたギャグはもう良いっての、と小さな頭を叩き落とし、魔地は「お
かしいじゃねぇか」と壁に背を預ける。


「信頼する友でもホモでも良いけどよ。一体いつ奴らにそんな関係築く暇が
 あった? アイツら直にツラ付き合わせたの一回だけだろ」


「うむ。後にも先にもあの二人が顔を合わせたのはヘヴィーメルダーでの
 一度だけ。それなのに零は俺達の奇襲を重い裏切りとして受け止めた。
 海賊に何の正義を期待する? 連邦軍人ならば…俺達の存在を邪悪とし
 て認識するだけで良い。そこに情の介在する余地はない」


「だな。じゃあ、艦長さんがハーロックを見定めようとしている動機もその
 辺にあるか。自分が倒そうという相手が口先だけの悪党なのか、それとも
 ──真の戦士なのか」


「断定は出来んがな。だが、俺やドクター・マシンナーが揃って睡眠時間を
 削っても治療法がみつからん以上…賭けてみる価値はある」


「賭けかぁ。まぁ未知のことに挑むときにはいつだって賭けるもんだろ。
 うん」


人数分の朝食を綺麗に並べ終え、魔地と敏郎は視線を合わせてくつくつと
笑った。






★★★


「飯であるど〜。いやしき者どもよ」


敏郎と魔地が笑顔で食堂に戻ると、ハーロック達は既に長テーブルに椅子を
並べて揃っていた。空腹に耐えかねて緑茶を啜っていたのだろう、テーブル
にはヤカンと湯呑みが置いてある。


「だからいやしくないってば」


「いやしくてもイイ。ワイは食べたい。今すぐ食べたい」


敏郎と魔地の分のお茶を注ぎながら、ハーロックが苦笑する。ヤッタランは
椅子から飛び降りて魔地の手からお盆を受け取った。


「──…?」


零は不思議そうに自分の前に置かれたお盆を見つめている。綺麗にブローさ
れた髪を撫で、着せてもらった服をハーロックのものと見比べている。
「あぁ」とか「ふぅん」とか言って袖の端を摘まんだりしているところを見
ると、傷と同じくハーロックにあるものが自分に無いのが不満らしい。袖を
いじるのに飽きたのか、今度はハーロックの首に巻かれたスカーフを引っ
張ったりしている。


「零」


ハーロックは緩く首を振ってその手を除けた。


「これはお前に合わないんだよ。この手の服はきっちりサイズ計ってあるか
 ら。オーダーメイド。お前の制服と一緒! 連邦正規軍の制服だぞ? 
 わかるか?」


「?」


零はきょとんとするばかりだ。やはり演技しておるようには見えんなぁ、と
敏郎は内心腕を組む。


「わからないって顔してるなぁ。駄目だ……」


ハーロックがテーブルに肘をついて項垂れた。「行儀悪いではないか」と敏
郎はお盆を彼の前に置き、自身はヤッタランの隣に座る。

魔地はハーロックの隣に座った。ハーロックの表情が明らかに曇る。


「大の男に挟まれるなんて…気持ち悪いなぁ。トチロー、こっち来ないか?」


「気にするな、小さい男は小さくコンパクトにまとまるのが好きなので
 ある」


敏郎は微笑みながらヤッタランの脇腹をつついた。丸々してるが中身は
シャープで有能な副長は、それだけで何かを察したのか「そやね」と冷静に
香の物を齧る。


「空間少なくて気持ちえぇな。肘上げてご飯かっ込んでもぶつからへん」


「うむ。行儀悪いことこの上ないが今回は許そう。今だけ許そう」


「──こっちは密度濃過ぎるんだけど。魔地、もっとあっち行ってくれ。
 物理的に肩身が狭い」


「つれないこと言うもんじゃねぇよ。絶世の美男子二人だぜ? 両手に
 華じゃん。よっ、色男」


「うげぇ」


魔地に腕を回されて、心底嫌そうな顔をするハーロック。同性愛に目覚めた
わけではなさそうだ。白米を口に運びながらも敏郎は冷静に友を観察する。

では零にのみ警戒心を解いて接しているということか。今の敏郎は傍から見
れば見事と言う他ないくらいの美しい三角食べを実践している。ごちゃご
ちゃと親友の性癖について分析しているなどとは誰も思わないだろう。


「あぁ」


零がぽろりと箸を落とした。一生懸命ハーロックの手を見ながら真似しよう
としている所作がなんとも愛らしい。これは蕩けるなぁ、と敏郎ははんなり
と笑って腰を上げた。


「どれどれ、火龍はフォークにナイフがスタンダードであったかな? 
 初心者に箸は使い辛いものだ。取り替えてやろう」


「甘やかすんじゃないよトチロー」


ハーロックが頬を膨らませる。平素よりこの親友は自分が他者に甘い顔をす
るのを良しとしない。自分といるときは自分を何より甘やかして欲しい男な
のだ。これはいつもどおりの反応といえる。


「甘やかすも何も。そのままでは飯が喰えんであろうに。可哀想ではないか。
 困った顔も可愛いではないか」


「哀れみと萌えを一度に出すな。このミーハーめ。良いんだよ。トチローは
 ご飯食べてなさい。このところゆっくりご飯なんて食べてないんだろ。
 零のことは俺に任せて」


「で、あるか」


「で、あるよ」


敏郎が腰を据えたのを見て、頼もしく笑う。白い歯が眩しいほどだ。零がうっ
とりと「My Master」と呟いた。恋に酔いしれる乙女のような横顔だ。表情
多彩な零も可愛いである。このままでも良いかもなぁ、と敏郎は密かに小鼻
を膨らませた。


「わたしの…すべてのひと……」


「零、それはいいから。箸持てよ。このデスシャドウ号じゃ箸もフォークや
 ナイフと同じように使えないと駄目なんだぞ。トチローの作ったニホン
 料理は、箸で喰うのが一番美味いんだ」


「はし」


「そう、箸」


零の顔を両手で挟み込んでやや無理矢理にお盆を方に向ける。「ぐ」と零が
息を詰めた。「箸を持って」とハーロックは宙をさまよう手に客用の割り箸
を握らせる。そのまま焼き魚を刺そうとする手を止めて、「違う」と幾分か
硬い声を出した。


「それじゃ握り箸だ。行儀が悪い。箸はまず、右手で取って左手で受ける。
 それから、下の箸を固定して…そう、押さえるのは親指で。動かすときは
 親指と人差し指と薬指を使うんだ。うん。飲み込み早いな。さすがはお前
 だ」


零がおぼつかない箸使いで香の物を摘まんだ。ハーロックが「Gut!」と親指
を立ててウィンクする。褒められたのだとそれでわかるのか、零は僅かに頬
を染めた。


「………」


心底嬉しそうで幸せそうな笑顔。心が痛むな。敏郎は人知れず眉を顰める。
本当に戦場に置きたくない男だ。出来るのなら、このまま優しく大事に遇し
てやりたい。戦艦などではなく、海賊島に身を落ち着かせて。寂しくないよ
うにミーメやミーくんやトリさんを傍に置いてやろう。ミーメも動物達も寂
しさにとても敏感な優しい生き物だ。戦うのは自分やハーロックがすれば良
い。エメラルダスにも時折顔を出させよう。粗暴な男達に囲まれるよりも、
優雅で繊細な女性に触れられる方が相応しいのだ。彼は。

けれど。時代がそれを許すまい。そして零自身も。敏郎はほろ苦く味噌汁を
嚥下する。


「お前箸の使い方レクチャーするの上手いなぁ」


魔地が二人の間に割って入った。「そりゃあね」とハーロックの意識がそれ
る。


「トチローと旅したての頃、物凄く仕込まれたからな。もうトチロー凄い
 剣幕で。白米をフォークで喰うなって、刀振り回して大変だったなぁ。な、
 ヤッタラン」


「……言わんで。ワイは寄せ箸して片眉そり落とされたねん」


「俺はマンガの真似して箸で食器叩いたら艦の端から端まで追い回され
 たっけか……。「ガキを呼ぶであろう!!」とか言われて。ガキがなんなのか
 は未だによくわからないんだけどさ」


「餓鬼とは読んで字のごとくいつも餓えている鬼のことである」


「鬼はトチローだよ。箸の鬼」


「作法の鬼や」


「黙れ不心得者どもが。そのおかげで今やどこに行っても恥ずかしくない
 箸ユーザーであろうが」


「ふぅん」


零がかじかじと箸を噛む。「よせ」とハーロックが蒼白になった。


「それはしてはいけないことだぞ零! 死にたいのか?!!」


「し?」


「齧り箸だ!! トチロー、三秒ルール。まだ二秒!!」


「──…許す。ハーロック、これしきでおたおたするでない。こんなにも
 可愛い零なのだ。箸など使えぬでも良い。お前の好きに食べて良いのだ」


微笑みかけてやると「ん」と零が綻んだ。箸を齧るのをやめ、もくもくとご
飯を食べ始める。味噌汁を一口飲んで目を細めているのが何とも邪心のない
表情だ。赤ん坊の顔だなぁと敏郎は嬉しくなる。ヒトに限らず赤ちゃんが好
きなのだ。


「……あれ? 結果オーライなのに納得いかないよ? なんでだろうな
 ……?」


ハーロックがじっとりと睨んできた。「来世は可愛く生まれて来い」と敏郎
は飄々と食事を終えた。


「魔地、すまんが俺は今からハーロックと今後の対策について提案、論議し
 なくてはならん。お茶を淹れ直してはくれまいか」


「ん? あぁ」


「淹れ直す? だって、ここにヤカンあるのに」


ハーロックが片眉を上げた。「淹れたてが美味いのだ」と敏郎は冷め切った
茶を飲み干して湯呑みを空けた。それから声を半音あげて手足を伸ばす。


「食後の茶くらいは淹れたてのが飲みたい。どうしても飲みたァい」


「まぁ、トチロー疲れてるみたいだしな。あったかいの飲んで寝ろ。もう」


「そうするのである」


かかったな。馬鹿めが。殊勝に俯いたその顔が、不敵な策謀家の笑みを浮か
べているのは言うに及ばす。ハーロックは敏郎が手足を広げて駄々をこねれ
ば大抵の我儘や奇行は呑んでくれるのだ。優しいというか、お人好しという
か。彼は敏郎を「優しい」と言うが、多分本当に優しいのはハーロックの方
なのだ。

そうでなくては、どうして零がその真意を知りたいなどと望むものか。ヘ
ヴィーメルダーで何があったのかを先に寝入ってしまった敏郎には知る術
もないが、恐らく零の中ではそのときに見たハーロックと、あの日情報を
誤って移民星に奇襲をかけた彼の姿とに整合性を見出すことが出来なかっ
たのだろう。当たり前と言えば当たり前だが、「海賊のすること」と切り捨
て出来ないほどの信頼が零にはあったのだ。

何とかしてやらなくてはなるまいな。立ち上がって厨房に赴いた魔地の背中
を眺めながら敏郎は思う。たとえそれが零にとって戦場から抜け出るチャン
スを奪うことになってもだ。

時代さえ違えば。今が戦う時代でなければ。誰も零に戦うことなど望まな
かったろうに。恐らくは、零自身さえも。


「ところでハーロック、零は随分と無防備な姿をしておるな。この厳しい
 宇宙の環境で絹や木綿で出来た服を着るなどということは裸も同然であ
 る」


計画通りに。敏郎の指摘にハーロックは真剣な顔をして箸を置いた。


「あぁ。トチロー達も一応は俺のと同じ重力や気圧の変化、空気や光線に
 含まれる有害物質をある程度遮断出来る布使ってるもんな。零のもそうか
 なって思ったんだけど、違うみたいだ」


「で、あろうな。これでは先行きままならぬ。いくらシールドを張ったとて、
 宇宙放射線の出ている場所を通れば少なからず影響を受けような。無論、
 ワープのときも」


「トチローの造った艦だからな。今の火龍よりは安全だろうけど…危ないっ
 ちゃ危ないんだよなぁ。しようがないから俺の服着せとく?」


「サイズが合わんであろうが。さっき自分で言っとったではないか。別に
 着せてみるのも構わんがな。つんつるてんのぱっつんぱっつんになるど。
 俺の見立てでは腰辺りでファスナーが閉まらなくなる」


「だな」


不器用に魚をほぐす零を横目にハーロックは溜息をついた。零が不安げに
ハーロックを見つめる。自分の箸の使い方が悪いと思ったのだ。惜しそうに
魚から箸を遠ざけて体を小さくしている。


「あぁ、違う。お前は食べてなさい。言っとくがうちじゃカプセルフードは
 認めないぞ。好き嫌いしないでよく噛みなさい」


「ん」


「ほぐしてやらんかハーロック。ホネでも飲み込んだら大変である」


「老人介護かよ。ベッド提供して風呂まで入れてやったんだ。頭から足の裏
 まで洗ってやったんだぞ。もう甘やかさん。自分でしなさい」


大体、サカナはほぐすモンじゃないし。ハーロックがひょいとサカナの尻尾
をつまむ。そのまま大きく口を開けて頭から一息に飲み込んだ。ホネごと豪
快に噛み砕く音が暫し食堂内に響き渡る。

ごっくん。大きく喉仏が上下した。ハーロックはにっこりと笑って「ゴチソ
ウサマでした」と丁寧に手を合わせる。黙って立っていれば一振りの剣。戦
う姿は戦神オーディンの全盛期もかくやという雄々しさと美貌だというの
にこのザマだ。激しく萎えるな、と敏郎は溜息をつく。


「どうだ零! 男たるものちまちまとサカナをほぐすなど片腹痛いぞ。
 丸ごと喰え。カルシウムを摂取しろ」


「ん……」


尻尾すら残らなかったハーロックの皿を見つめ、零はもじもじと瞬きをした。
箸を置き、目の前のサカナの尻尾を躊躇いがちにつまみ上げようとする。「せ
んでいい」と敏郎は素早く零の前からサカナを奪った。


「俺がほぐそう。全く、零が正気に戻ったときムニエルを手づかみで喰う男
 になったらどうするのだ。美しい副長や女々しい補佐や献身的なドクトル
 が卒倒するど」


「良いじゃんか。こう…ムニエルごときには屈しない頼もしさが」


「人にはそれぞれ持って産まれた天分というものがある。お前にはないもの
 が零にはあり、零にないものがお前にはあるのだ。それで上手くいってお
 るのだから無茶はよせ」


話を戻そう。敏郎は器用に焼き魚を解体しながらハーロックを見据える。


「服のことだがな。アテがないわけではないど。ハーロック、マリアンヌの
 店に行け」


「Frauマリアンヌの?」


「フラウ言うな。あの女のどこがFrauか。」


「一応…Frauだろ」


ちまちまちま。小骨まで丹念に取り除く。皮を皿の端に除け、白身を綺麗に
山にして。


「零、これで良い。お好みに合わせて醤油もかけるのだど」


大人しく待っていた零に差し向けてやる。零は一度ハーロックに確認するよ
うに視線をやり、彼が頷いたのを待って食べ始めた。何とも愛くるしいでは
ないか。敏郎は慈愛のこもった眼差しを零に向ける。


「マリアンヌなら零に合った気密服を作ってくれよう。それがあれば…長期
 の航海にも耐えうるしな」


「そんなに時間がかかりそうなのか?」


「うむ。どうにも埒があかぬ。通常なら『プランツ・ドール』の効力は一週
 間か二週間で切れてしまうものなのだ。零は一週間昏睡しておった。その
 間にも毒は排出されておるはずなのに…ようとして戻らぬ。これはもはや
 ただ毒に侵されているだけではないだろうというのが俺とドクトルの見
 解でな」


「毒だけじゃないって」


「零の心の問題だというのだ。どこかで戻るのを拒絶しておるのやもしれぬ。
 そもそも、零は戦いには向かぬ優しい気性の持ち主だ。誰か…強く頼もし
 い者の手で守られるのが相応しい男だ。ある意味では、この状態は零に適
 しておると言わねばならん」


「適してるって…じゃあ火龍はどうなるんだよ。零を待ってる」


「俺が知るものか。ただ、零が戻るのを拒んでおるのにはどうにもお前が
 絡んでおるようだな。ハーロック?」


上目遣いに睨んでやる。ハーロックは僅かに眉を顰め「あぁ」と息をついた。


「移民星の襲撃か。あれは効いてたってホサに言われたよ。わざとじゃない
 んだけど、言い訳するようなことじゃないしな」


「うむ。俺もドクトルに尋ねられたがな、釈明の余地もないことだ。俺達の
 過ちだからな」


「あぁ。だけど、ショックだったからってどうして」


「問題なのは、どうして零がそれほどにダメージを受けなくてはならなかっ
 たかということだ。無論、優しい零のこと、無辜の民が無残にも踏み躙ら
 れたことに憤りを覚えるのはわかる。だが、俺達に対する絶望が何故それ
 ほどに零を苛むのか。海賊のすることなどと切り捨ててしまえば良い。
 違うか?」


「だな。だけど──」


「そう出来ぬ理由があったのだ。少なくとも零の中にはな。何故だろうな
 ハーロック。さして面識もない俺達に、何故零は絶望するのだ? 言葉を
 交わしたことなど二度しかないのだぞ。一度目は宇宙で、そして二度目は」


「ヘヴィー・メルダーで」


ハーロックが苦虫を噛み潰したような顔をする。心当たりはある。けれど言
いたくないという顔だ。こういう顔をしているときのハーロックは、たとえ
逆さ磔にされたって喋るまい。何かがあったのだ。敏郎はそれだけを確認す
る。


「まぁ良い。零のことはお前に一任されたのだ。戻したいと思うのならお前
 も尽力するのだな。俺やドクにはもはや手の届かぬ領域だ。ドクター・
 ジャック・クロウヴァが戻れば…退行催眠をかけるなど聞き出す手は数多
 にあろうが」


「バイオハザードの収束だろ。時間かかるな」


「で、あろう? だから気密服はいるのだ。ハーロック、惑星『6969』の
 マリアンヌのところに」


「『6969』かぁ…あんまり行きたくないなぁ。気持ちが散漫になる」


ハーロックが天井を仰いだ。零は無邪気に白身に醤油をかけまくっている。
高血圧になるど、と敏郎はその手から醤油瓶を取り上げた。


「今のお前が散漫になどなるものか。見ろ、零のこの有様を。醤油の分量の
 見極めすらままならぬ。お前が散漫になどなっておったら…『6969』でど
 うなるか」


「考えるのも恐ろしいな。あそこにはタブーがない」


ハーロックが蒼褪めてテーブルに肘をついた。醤油まみれの魚を嬉しそうに
食べようとする零の手を止めて首を振る。


「ちょっと目を離しただけでもコレか。零、それは食べちゃ駄目だ。体に悪
 いよ」


「?」


「わかんないって顔してるなぁ。零、どうしても食べるならご飯に乗せろ。
魔地、悪いけどお櫃持って来てくれ。零におかわりを」


「あいよ。今行くぜ──っと」


魔地がお盆に急須とお櫃をのせて厨房から出てきた。バランスが悪いのか、
微妙に足元がふらついている。計画通りだ。やれ、と敏郎は魔地に目配せし
た。魔地が視線だけでそれに応える。



「おっと、バランスが!!」



零の真後ろに来て──こけた。熱湯の入った急須と炊きたてご飯が宙を舞う。
どれほど無邪気を装おうとも、今まで培ってきた反射神経だけは誤魔化せな
いものだ。もしも零が演技をしているというのなら。


「──ッ!!」


声もなく、零が身を竦める。災厄の降りかかる前にハーロックが椅子を蹴っ
て立ち上がった。そのまま体を反転させ、白米と緑茶を左胸と頬にかぶる。
「あっち!」と一度噛み殺すような呻きを上げて、髪に跳ねた茶を振るい落
とした。


「あ──すまんハーロッ」


「魔地! 今のはわざとだな?」


床に手をついた仲間を助け起こすこともせず、低く恫喝する。空間そのもの
が底冷えするような怒気に、ヤッタランが食事半ばに「ごちそうさん」と言っ
て逃げた。魔地の息を呑む気配。敏郎の頬にさえ、鳥肌が浮かぶ。


「お前ほどの男があれしきでバランスを崩すなんて考えられない。魔地、
 何故零を狙った? 俺が招き入れた客に対して、何か二心があるのなら」


サーベルに手がかかる。今にも抜き放ちそうな殺気の恐ろしさに、敏郎は「よ
せ」と腰を上げた。


「魔地にすッ転ぶよう言ったのは俺だ。斬るのなら俺にせよハーロック」


「トチロー? どうして──」


たちまちのうちに殺気は消える。だが、怒気と戸惑いが消えたわけではない。
椅子にかけぬままこちらを睨む親友に、敏郎は冷静なまま顎を上げて視線を
合わせた。


「ショックを与えてやれば反射的に戻るやもしれぬと思ったのだ。零は鍛え
 られた軍人。己が身の危険を察知すれば、反射的に身を守るとな」


「今の零が赤ちゃんだって言ったのはトチローだ」


「さっきも言ったが『プランツ・ドール』の効力はとうに抜け切っても良い
 頃合いなのだ。あとはタイミングだけ。しかしこれで戻らぬとなるとなぁ」


「随分無茶をするんだな。俺は気密服だから良いけど…零は普通の服なんだ。
 こんなのかぶったら火傷する」


肩についた飯粒を取り、口に運ぶ。零はまだ恐怖が抜けないのか、蒼褪めた
ままハーロックの腰に取り縋った。もう寄る辺などここにしかないという表
情になっている。


「なに、失敗してもお前が庇うと思ったのだ。良い男だな、ハーロック」


「お前ね……」


呆れた口調。だが、怒気も戸惑いも幾分か薄れた。それでも、眼差しには少々
の非難の色が浮かんでいる。「悪巧みをしてるね」と言われ、敏郎は素直に
頷いた。


「あぁ、しておるとも。零を飛龍に乗せて戻すと約束した。それに──あま
 りに長時間海賊艦に連邦軍人を乗せておくわけにもいきますまい?」



「……Ja,わかったよ。服を作りに『6969』に行く。それでトチローの
 思い通りなんだろ」


「うむ。フェンリルの速さなら『6969』に着くのは昼頃になろう。それで
 上手くいかなんだら──お前が戻ってくるまでには別の手を考えるさ」


「トチローの言うとおりに」


ハーロックが諦めたように深く頷く。魔地が「アブねー」と顎の下の汗を拭っ
た。魔地に手を差し伸べて立たせたあと、ハーロックは「少し待ってな」と
不安そうな零の頭を撫でて。


「準備してくるよ。でもトチロー。俺がいない間に無理はしないで」


「わかっておる。もう零に手出しはせん」


「そうじゃなくて…トチローの考えどおりにいくように、俺が上手くやるか
 らさ。休んでくれよ。頼むから」


あとのことは、ヤッタランと魔地に任せて。


スカーフを抜き取り、乱暴に髪を拭いながら食堂を出て行く。残された零は、
困ったように敏郎や背後の魔地を見比べていた。「ナニもせん」と敏郎は彼
の警戒心を解くように微笑み。


「良い男であろう? アレは」


ハーロックの出て行ったあとを親指で示す。暫くそのあとを追うように視線
をさまよわせ、零は「ん」と頷いた。




















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