Plants Doll・14




★★★

朝──。

と、いっても宇宙に朝も夜もない。ただ、ヒューマノイドばかりが乗る艦な
ので地球時間に合わせて生活リズムを作っているだけだ。


魔地は一人、まだ誰も起き出して来ない廊下を歩いていた。


朝寝坊するつもりが結局体内時計に忠実な目覚めを迎えてしまったのだ。二
度寝を決め込む気にもなれず、いつものとおりにシャワーを浴びて、着替え
を済ませ、機関部の点検に出る。


……ミーメには、悪いことをしたな……。


30分以上ドライヤーを酷使しても乾き切らない長髪は、頭の上で纏めて結い
上げてある。頬に張り付く後れ毛に指を絡ませて、魔地は溜息をついた。


「上手く誤魔化せてると思ったのに」


幼い頃から感情を抑制する術を学び、遺伝子改造手術によって他者の目を欺
く能力を身に付けているのである。戦闘訓練一つ受けていない少女の歌を喜
んで聴いているふりなどお手の物だったはずなのに。



機関長…みーめ、今夜ハモウ歌ワナイノ。



優しくやわらかく、少女は歌を中断した。今は亡き故郷を偲ぶ歌。魔地が
──不思議な切なさに胸奪われる異星の歌。

上手く笑ってるつもりだったのに。魔地は軽く唇を噛む。故郷を失くし、
独りぼっちになった少女の、ほんの慰めになれば良いと思ったのに。


ハーロックのようには笑えない。夢を追い、友を想い、仲間を想い。

敵である男にまで心をそそぐ彼のようには。



そんな資格はもうとうに無い。有象無象の区別無く、誰かの幸せを焼き払い
奪い尽くしたこの手からは、そんな綺麗なものはとっくにこぼれ落ちてし
まっているのだ。


年月を追うごとに、この身が満たされていると思うたびに重くなる罪。



じわじわと昏い感情が頭をもたげてくる。魔地は、思わず顔を覆った。



「──…ッ!!」



瞬間、胸の中に飛び込んでくる温もり。手の甲に当たる湯気、シャンプーの
香り。反射的に受け止めると、眼前いっぱいに頬を上気させた人形のような
顔が映る。

完全に対称的な小さな顔。すっととおった鼻梁、ふっくらとした桃花色の唇。
大きな柘榴石の瞳が、やはり人形然とした魔地の無表情を映している。

東洋の天神人形と西洋の磁器人形が暫し互いを見つめ合う。零だ。数拍の間
を置いて魔地は気付いた。



「……そういやアンタ、いたんだっけか」


今の零には、魔地の知る『零』の気配が無い。だから思い出すだけの時間を
喰った。一端の戦士なら誰もが、人を見るときは『気』を通して見ている。
気配、気概、気迫、気魄。熟練した戦士にとって『気』は時に視覚情報より
も正確に相手の真実を伝えてくれる第六の感覚器官だ。戦士であることを放
棄して10年以上の歳月が流れるが、身に付いた習慣は中々消えない。魔地
は己の中途半端さに内心舌打ちする。


「ナニしてんだ? こんなとこで」


魔地に抱き留められた零は下半身に何も纏っていない。濡れた髪を拭いもせ
ず、肩から薄いカッターシャツを羽織ったままの状態で廊下に出てきてし
まっている。視線を巡らせると、数メートル先に『大浴場』と豪胆な筆文字
で書かれた看板。なるほど、あそこから出てきたのかと一人納得する。


「風呂に入れてもらってたのか。良かったな」


「………」


怯えさせないよう笑みを浮かべると、零がふうわりと笑った。ミントの香り
に包まれるような笑顔。今度は触っても悲鳴を上げないな、と魔地は安堵し
て──

──奇妙なことに気が付いた。




『視線が合って』る。




特別に感覚(第六のものも含めて)の発達した者でも無い限り、完全にその
目を欺く隠蔽的擬態能力『ブレイン・ハック』が魔地にはあるのだ。記憶と
軍人として積んだスキルを失った彼には、魔地の姿は小柄なクマ髭のオヤジ
さんに見えるはず。

よって、彼が自分を見るときには視線がやや下方向に向くはずなのだ。それ
が常人の反応である。


なのに。


殆ど背丈の変わらない魔地を、彼は『見て』いる。


「……アンタ、ひょっとして──」



「零!! 戻れ馬鹿! 誰か来たらどうするんだよ!!」



脱衣所からハーロックの慌てた声。零が不安そうに魔地を見つめた。「零!!」
と紺の暖簾をたくし上げて廊下に出てくるハーロック。魔地は一瞬逡巡し、



「イタズラ禁止だぞ〜。キャプテン」



と、道化のような声を出した。零の表情がふわりと溶ける。


「イタズラなんかしてないぞ」 ハーロックが憮然として魔地の手から零を
引き寄せた。


「着替えさせようとしただけだ! なのにこいつ、一体ナニが気に入らない
 のやら」


下着と黒のスラックスを握って顔を赤くしている。宇宙最強と名高い海賊が、
間抜けな姿を晒してるもんだと魔地は息をついた。


「……わかってねぇな」


「? 何がだよ」


「センスだよ。センス! お姫様はお前のセンスが不服であらせられるのさ。
 そのコーディネイトおかしいぞ? 白のシャツに黒って…ピアノ奏者か
 よ」


クラシカルにもほどがある。この大宇宙時代にあり得ない感覚だ。「たとえ
ば最近流行りのさ」と続けようとするとハーロックが「仕方ないだろ」と腕
を組む。


「アイツの服、こういうのしかないんだもん。気密服とか一切無くてさ、
 こんな布の薄いヤツばっかり」


「うわ、珍しいな。古典的」


大仰に驚いてみせると零がぽっと頬を染めた。馬鹿にされたと思ったのだろ
うか。「零は悪くないさ」とハーロックが濡れた珊瑚の髪を梳く。


「クラシカルで良いじゃないか。トチローだって古典趣味さ。問題は、着替
 えなきゃいつまでも恥ずかしいってことだ。見えてるぞ。ナニが」


「見えてるな、ナニが」


「………!!」


二人の視線の位置に気がつき、零は恥ずかしそうにハーロックの背を盾にす
る。「はぁ」と二人分の溜息が廊下に落ちた。


「……零、お前元に戻ったら死にたくなるぞ。絶対」


「いやいや、恥ずかしがるこたねぇだろうよ。なかなかご立派な成長を遂げ
 ておられる。いや、さすがは連邦軍ご自慢の箱入り艦長だ」


魔地は顎をこすって感心してやる。零がますます赤くなった。ぎゅっとシャ
ツの端を掴んで懸命に前を隠そうとする。

「魔地」とハーロックが咎める眼差しをした。


「お前な、こんなんなっても零は零の部分が残ってるんだぞ。あんまり恥ず
 かしいこと言うなよな」


「残ってる?」


否、むしろ。魔地の疑問符には気付かなかったのか、ハーロックはふいと視
線を変えて零のシャツのボタンを止め始める。


「早く着替えちまおうな。そしたら朝御飯だ。魔地がまたスープ作ってくれ
 るって」


「言ってない。言ってねぇだろ。今日の朝飯当番敏郎じゃねぇか。何で俺が」


「トチローは零治すので忙しいんだよ。アイツ…殆ど寝ないで資料探してる。
 休んで──欲しいんだけどな」


ボタンを止める手が止まった。陽気な瞳に翳が差す。


「……アイツ、本当に寝てないんだ。さっきも迎えに行くって通信入れたの
 に自分で戻るからって…無理、し過ぎなきゃ良いんだけど」


根詰めるタイプだからな、と独り言のように言う。知的作業では一切役に立
てない我が身が歯痒いのだろう。零も僅かに俯いている。申し訳なさそうに
するその頬に、ハーロックは優しく触れて。


「良いよ。零のせいじゃないさ」


とはんなり笑って見せるのだ。魔地は少し唖然とする。


ハーロックは見た目のクールさとは裏腹に、優しい心を持つ男だ。仲間に対
する誠実さと真摯さは誰よりも篤い。

けれど。



──こんな目をする男だったか?



魔地の知る彼は、無邪気で人懐こい反面いつも抜き身の剣のようで。
迂闊に触れれば半身を斬られるような猛々しさに満ちていたはず。

非情と寛大さの入り混じる、夜の闇のような男。それがハーロックなのだ。


なのに。


零に向ける眼差しは別人のように甘い。記憶を失ったとはいえ、彼はハー
ロックの敵対者なのに。

ハーロックが血の香を思い、いつか殺めることを夢見る相手なのに。


敏郎に見せる情の濃さとはまた違う、どこか空想第四次の世界を彷徨うよう
な鳶色の眼差し。


姫君を見つめる、王子様の眼差し。


「ハーロック……お前……」


魔地は戦慄した。ウォーリアス・零。目の前のお人形はとても危険だ。


「お前──」


それは、戦士としてのハーロックを殺す。サーベルよりも銃よりもいとも容
易く。


彼をただの男にする。


「ハーロック!! そいつ」



「ジュニア!!」



真実を、伝えなくては。一歩踏み出した魔地の言葉を遮ったのは、背後から
眠い目を擦りながら起き出してきたヤッタラン。


「ジュニア、さっき通信入ったねんけど、トチローはんが戻るって」


「ジュニアはやめなさいと言うのにヤッタラン」


ハーロックがすっかり着替えを済ませた零から離れてこめかみを押さえる。
「大体俺はもう23で」と続けようとした矢先にヤッタランは見る見る蒼褪
めて。


「ジュニア!! 自分──なんちうことしてんねん!!」


と、半ば悲鳴のような声を上げた。零がびくりと肩を震わせる。「何が?」
とハーロックが慌てて周囲を見回した。


「なんだよ。俺、何か変なこと」


「いくら懐かれたかて火龍の艦長はん連れてきたらアカンやろが! それ
 はもう立派な誘拐──」


「そのネタはもうイイっつぅの!!」


預かったんだよ、とハーロックが説明すれば、ヤッタランは神妙な顔になっ
て「言うとくけどな、相手の喉下にサーベル突きつけてこいつは預かるぜっ
ちうんは」と、既視感の浮かぶ言葉を口にする。

「あぁ」とハーロックは肩を落とし、魔地はうっかり噴き出した。


「笑うな魔地!! 大体、何でみんな信じないんだよ。あーもう、トチローが
 戻ってきてくれれば」



「もう戻っておりますど」



「うわ?!!」


突然、気配もなく現れた叡智の使徒。驚いて仰け反る仲間達を一瞥し、彼は
小さな瞳をぱちくりとさせた。


「──? なんだ? 寝坊なお前らが一様に廊下にたむろしておるとは…
 そんなに腹が減っておるのか」


いやしいことだ、と首を振る。ハーロックががっくりと項垂れた。


「トチロー、お前ね」


「冗談だ。泣くなハーロック」


「泣いてないよ。それで?」


首尾は? 暗に問われて、敏郎はにやりと口元に薄い笑みを浮かべる。


「上々だ。零は必ず元に戻そう。飛龍も借りてきてしまったしな。返すとき
 には零を乗せて返すと約束してしまった。誇りにかけて果たさなくてはな
 りますまい?」


「借りた? 飛龍0番機をか?」


物凄いことするなぁとハーロックが眼を丸くする。敏郎は「壊さなきゃ問題
はなかろうよ」と、ここ数日の徹夜をおくびにも出さずに飄々と歩き出した。


「まぁ、詳しい話は朝飯のときにでもしよう。いやしい者共よ、食堂に移動
 である」


「いやしくないっての」


「ワイは腹減ってるねんけどな」


零の手を取りながらハーロックが、腹を撫でながらヤッタランが続く。「魔
地、手伝え」と視線も合わせずに指名を受けて。


「だから、俺は昨日も朝飯作ったってのに」


──何かあるな。魔地は僅かに目を細めながら、最後尾について歩き出した。




















  <15>へ→ ←Back











アクセス解析 SEO/SEO対策