Plants Doll・13




★★★


「はーろっく……」


歌が、やんだ。その代わり、至極控えめに扉がノックされる。ハーロックは
顔を上げた。ミーメ。異星の少女。彼女の気配は彼でも上手く掴めない。


「ミーメ? どうした」


声をかけてやると、扉がそっと開く。「入ッテモイイ?」と俯きがちに問い
かけられ、ハーロックは笑顔で頷いた。


「良いよ。おいで。艦橋で歌うのは飽きたのか」


「違ウ…デモ、今日ノみーめハ寂シイ歌、歌ウカラ」


良クナイノ。


拙い銀河共通語。彼女の星は植物に飲み込まれた今はもう無い星。始まりか
ら終わりまで、銀河連合に属するヒューマノイドの来訪を受けなかった星。

否、ハーロックが最初で最後の一人だったのか。無人の惑星だと思って降り
たのが最初。鉱物探索の結果が出ず、半ばやけくそになってブランデーの封
を切ったとき。

今にも倒れそうになりながら、淡い姿を見せた華奢で壊れそうな女の子。

星の光を受けて煌めくサンセットパープルの長い髪。パールホワイトの肌。
目に瞳はなく、全体が鉱石のように滑らかだ。

ムーンストーン。オパールよりも優しい色彩。時折、澄んだ青を滲ませるそ
の目はとても神秘的で。

とても、優しい。



「眠れないのか? 魔地は?」


彼女の生活習慣は俺達とは大いに異なるようだった。睡眠は殆ど必要ないし、
固形の食物も口にしない。アルコールを含んだ液体だけで活動出来るのだ。
人類よりもエネルギー効率においては遥かに進化した生き物というべきか。


「機関長ハ…眠ッタノ。みーめノ歌、聴イテイテクレタケド…笑ッテイルノ
 ニ、寂シソウ。ダカラ」


今は透明な眼差しに寂しさのブルーを揺らめかせて俯く。異星最後の生き残
りになった彼女は、誰かの寂しさにとても敏感だ。そして、誰かの寂しさの
ためならば、自分の唯一の慰めさえ中断出来てしまう強い少女。

「困った奴だな」とハーロックは苦笑した。


「女の子の歌を途中でやめさせるなんてよくないな。男なら何をおいても
 聴いてあげなくちゃ。おいでミーメ。椅子に座って、俺に聴かせてくれな
 いか? ここには、君のハープもあるし」


「デモ……」


扉の前、視線はハーロックを通り越して眠っている零に。着替えを済ませて
しまった零は、その後、ハーロックの許可を得るまでもなく絹のシーツに
包まって仔猫のように寝息をたてて眠ってしまった。今までよほど我慢と
緊張を繰り返していたのだろう。身体を丸めて、躊躇いがちに。けれど深い
眠りに。


「オ客サマ?」


足音もなく俺と小円卓の間に立つ。シーツから僅かに覗く珊瑚色の髪。
「不思議ナ色……」と呟いて、凝っと見つめている。ハーロックは自分の前
髪をつまんで、「ミーメは派手な色の髪を見たことがないからね」とおどけ
た。


「魔地もトチローもトリさんも──ヤッタランは金髪だけど、滅多にバンダ
 ナ外さないから。コーラルブロンドは…地球じゃそんなに珍しくないんだ
 けど」


「綺麗デスネ」


はんなりと微笑む。彼女の白い顔に唇はないけれど、雰囲気で笑っているの
がわかるのだ。ミーメはハーロックが勧めた椅子に深く腰かけた。敏郎がデ
ザインしたアフタヌーンドレスの裾がゆったりと波打つ。サテンでつくられ
たショールグリーンのドレスは彼女の白い胸元や腕にぴったりと張り付い
て瞬いている。


「マルデ…私ノ星ヲ覆イ尽クシタ花ノヨウ……。太イ蔓ハ乱暴デ、私達ノ
 文明ヲ飲ミ込ンデイッタケレド──咲ク花ハトテモ綺麗ダッタ。チョウド、
 コンナ色。鮮ヤカ過ギナイ…デモ、花弁ガ露ニ煌メイテ……。私カラ全部
 奪イ去ッタノニ、アノ花ヲ憎ムノハ出来ナカッタノ」


タダ咲ク花ニ、罪ハナイモノ──。彼女は全く無垢に呟いた。ハーロックは
立ち上がり、カウンターバーからグラスとワインを持って来て彼女に差し出
す。


「悲しいことを思い出すか? それなら、俺と別の部屋に」


「イイエ、みーめハ悲シクハナイ」


ナントイウ人? 問われて、ハーロックは「零だよ」と返す。細かな肩書き
や彼の経歴など彼女には何の意味もないのだ。ただ、名前だけがあれば良い。
ミーメはそういう少女なのだから。


「ぜろ…ソウ、切ナイ名前……」


自分の星の言葉で何事か呟き、彼女はいたわるようにシーツ越し、零に触れ
た。普段の彼ならこれだけで飛び起きてしまうだろう。彼の負う任務や状況
は、彼に安らかな眠りなど決して与えはしないのだから。


「切ない? 何故?」


俺は自由で良い名だと思うけど。ワインのコルクを抜きながら、ハーロック
はミーメを見つめる。ミーメはグラスに注がれるブルーの液体を追いながら、
「何モナイモノ」と呟いた。


「ぜろ、ハみーめノ故郷デハ「何モナイ」トイウ意味……。確カ、地球デモ
 ソウイウ意味…。ソシテ、今、コノ人ノ中ニハ何モナイワ。みーめニハ
 ……ソレガ切ナイ……」


「零が? 眠ってるからかな」


「眠ル、ノハ関係ナイ。みーめニハ聞コエル。コノ艦デ眠ッテイル誰モガ、
 明日ハ今日ヨリ良イ日ニナルト信ジテル。とちろーサンモ、はーろっくモ
 ……デモ、ソノ人ニハ何モナイ……」


何モナイノ、とまるで自分のことのように悼む。大好きなワインには手もつ
けずに胸を押さえる少女に、ハーロックは「違うよ」と少し身を乗り出して。


「ミーメ、こいつ今普通じゃないんだ。毒のせいで…記憶とか全部吹っ飛ん
 じゃって。本当は何もないどころか沢山のものを持っている奴だよ。俺よ
 り…もしかしたらトチローよりも沢山。全然捨てられなくて…全部持って
 る。辛いことも、悲しいことも忘れられないで」


「ソウ……」


それでもミーメの表情は戻らない。一層に悲しいとムーンストーンの目が揺
れる。


「はーろっく、トテモソノ人ヲ心配シテル……。デモ、ソノ人ガ戻ラナクテ
 モ良イ思ッテル…。ソノ人モ、はーろっくガ願ウナラ、戻ラナクテモ良イ
 思ッテル。ダカラ…ココニ?」


「俺が? 零が?! 全然違うよ!!」


思わず、腰が浮いた。二人は戦う宿命なのだ。零がハーロックを追う限り、
彼は何度だって彼と刃を交えるだろう。決着はハーロックの勝利で飾られる。
彼は、惜しみながら悦びながら零の息の根を止めるのだ。それが運命。


「はーろっく、ソノ人ヲ愛シテル……。ダカラ、大切ニスル。特別ニモスル。
 コレハ、みーめノ星デモ、地球デモ変ワラナイ約束」


「ミーメ、あぁ…君は女の子だものな。男はね、大切に大切にその人を愛す
 る愛と、戦わなければならない宿敵に対する愛があって」


ハーロックが零に抱くのは、そんな愛だ。いつか殺さなくてはならない最愛
の相手。慈しみや、思いやりで構築されるそれとは違う──異質の愛。

至高の愛情に、それは似てる。けれど、相手の命を絶つのが絶対条件なのだ。
相手の死をもって完成するそれは。



歪んだ楽園。永遠の愛。



「ミーメ、女の子は繊細だって、俺わかってるよ。でも、これは違うんだ。
 俺は零を殺して、零は俺を殺す。酷いことだと思うかもしれないけど、
 それが本当のことなんだ。俺達は」


「相手ガドンナ姿ニナッテモ、何ヲ忘レテモ優シクスル…ソレハ……相手ヲ
 好キトイウコト。はーろっくハ愛ノ意味ヲ間違エナイ。本当ニソノ人ガ
 殺ス相手ナラ……今、殺シマス。戦エナイ、自分ノ沢山ノ大事ナモノヲ
 忘レテ眠ル男ナド…はーろっくニハ、許シガタイ相手。好敵手ナラ、見タ
 クナイ…醜態。みーめノ知ッテイルはーろっくハ、ソウイウ男」


「………」



自分のグラスにも、ワインを注ぐ。ミーメの言うことはある意味当たりだ。
確かに、平素のハーロックなら戦えなくなった相手にいつまでも優しくしたり
はしないだろう。敵と知りつつ艦に招き入れるまではするとしても、自分の
ベッドに寝かせるなんて。


しないかも──しれない。しかし、今までそんな敵に出逢ったことがないのだ
から、これは確証を得ない話だった。

もしも零のような強敵に巡り会って。もしも相手が今の零のように何もかも
失くして微笑むなら。


どうするだろう。今更になって考えてみる。自分は…多分興味を失くす。仲
間や敏郎とは違うのだ。敵とする相手を──それがどんなに強くて誇り高い
相手でも──戦えなくなったあとまでかえりみる必要はハーロックにはな
い。

否、宇宙を旅する戦士なら、誰だって剣を交えぬ敵にそれ以上の関心は
払わない。


敏郎の恋人。優しさと激しさを抱く深紅の魔女でもそうするだろう。「残念
なことですね」と心臓深くまで染み入るようなアルトで呟き、そうして二度
と振り返らない。

相手の立場や相手を想う人々のことなど考えるだろうか? 決して交わる
ことのない海賊と軍属という立場で?


相手の状況や状態に理由を求めて、慮ったりするだろうか? 答えなら決
まってる。



「……今の俺は…らしくないかな」


掌でワインを軽くスワリングしながら呟いてみる。本来ならまるで事情を知
らぬ少女に問いかけるのもおかしな話だ。零の主治医だという機械化人のド
クターに、『人間らしい心』を求めるのも。

何をあんなにも苛立っていたのだろうと思う。零をどんな医者が診ようとも、
それはハーロックの与り知るところではないだろうに。


零が俺の嫌いな機械化人を艦においてクルーにするような立場でも。機械化
人のドクターを主治医にし、全幅の信頼をおいていても。ハーロックは眉間
に深い皺を刻む。


俺には…関係ないはずだ。そもそも、他者の領域には口を出さない、踏み込
まないが俺のモットーではなかったか。

俺は俺の旗の下。俺の信念の赴くままに。返せばそれは、他人が他人の旗の
下、その人の信念の赴くままにするのを咎めないということだ。

俺の旗に、敵意をもって向かってこない限り。誰が、どんな風に生きていたっ
て構わないのに。



「零のこと…みんなが心配してる」


「はーろっくモ?」


「そりゃ、当然。こいつが当座一番の相手なんだ。ボケられちゃ退屈で干か
 らびちゃうかもしれないし」


最近強敵が少ないからね、と続けようとして、黙る。強敵ならいるのだ。零
の背後。人間も機械化人も忌み嫌い、嘲笑する無機生命体と闇の女王。

本当の敵なら、そいつらだ。零は──彼には気の毒だか余興に過ぎない。彼
の背後にあるものが、笑いながら進めてくるチェスの駒。同じ地球人同士。
同じ稀有な戦闘資質を持つハーロックと零が噛み合えば、幾ばくかでもハーロッ
クにダメージを与えられるだろうと賢しい計算を巡らせる禍々しい、あの。


「──違うな。本当に当座一番の相手はヘル・マティアだ。あの女がいる
限り退屈なんて」


あり得ない。ハーロックは首を振る。地球を侵略し、仮初めの総督を奉って
人間狩りを推進するあの女。考えただけでも吐き気をもよおすような、邪悪
な無機生命体。


「…ごめん。少し、わからなくなってきた」


傍らで眠り続ける零に視線をやる。クッションに散らばる珊瑚色の髪。シー
ツ越しに感じる呼吸。優しく撫でて、髪に触れて思考を巡らせる。


──今の零は、戦士じゃない。銃やサーベルをトランクから引っ張り出した
ときからそれはわかっていたはずだ。


なのに何故? 今も俺は関心を失わないままだ。ドクターの中にある人の心を
知ったから? 零の身を案ずる火龍のクルー達の姿に胸打たれたから?

敏郎に諭されたから?


そんな理由でこんなにも優しくなるような男だったか? 俺は。



宇宙最強を目指し、友と共に、仲間と共に目の前に立ち塞がる全てを薙ぎ
払って征くと決めた海賊の末裔が。

友に剣と言われ、それを誇りをもって享受する俺が。


こんな風に今、上等のワインを楽しむこともせずに眠る宿敵の髪に触れている。


少し汗を含んで、指先に絡む珊瑚の髪。

天井まで届く本棚に、目を輝かせる彼が戻れば良いと思ってる。俺の胸で今、
静かに時を刻む懐中時計を心底大切に抱く彼が。

果ての無い光景が怖いと慄く彼が。


戻れば良いと──思ってる。



けれどそれは。




それは。零のほんの一面に過ぎないはずだ。ハーロックは零の髪から手を離
す。本当の零は地球に残った唯一生身の身体を持つ艦隊司令。戦神ウォーリ
アス・澪の一人息子。

地球連邦第58地区宇宙機動軍中将ウォーリアス・零。


それが本当の零。彼は戦士だ。この俺が、ハーロックが慟哭しながら咆哮を
上げながら殺めるに相応しい希少な魂と信念の持ち主。


たとえるなら蠍座のアンタレス。赤く眩しいカーマインの炎。


いつか燃え尽きてしまうかもしれない、優しい炎。



「俺は…零が……好きのように見える?」


満天の星輝くヘヴィーメルダーで。沢山の星々の中に立つのが怖いと言った
彼。

吸い込まれて、消えてしまいそうだと慄いた。大きな瞳に宿るアニマが、そ
の瞬間に俺を捕らえて。

捕らえて──離さない。ガーネットの瞳。水晶体の一つを隔てて、俺は、彼
に自分自身のアニマをみたのだ。

決して交わることの無い、平行線の魂の欠片。


夢の中で巡り逢う。闇と光。悪と善。アニムスとアニマ。
かつて俺の心にあって、今も零の内にすむ硝子のような、砂糖菓子のような
少女の幻影。

そう、敏郎の言うとおりだ。俺と零は二人で一つ。表裏一体の交わらない魂。
一つにはなれないから、互いに持たないものをうらやみながら貪り合おうと
するばかりの。



「好きだと…思う? ミーメ」


ミーメに尋ねてもわからないことだ。けれど、ハーロックは呟かずにはいら
れない。ワインを口にすることもなく。ただ眠る彼の髪に触れながら。

ミーメがすっと立ち上がった。そうして、カウンターバーの隅に置いてあっ
たハープを取る。ぽろん、と室内に響く弦の音。

「みーめニハ、見エル」と胸が苦しくなるようなアンサンブル。


「他ノ人ハワカラナイ…デモ、みーめハソンナ風ニ優シイはーろっくノ顔
 ……初メテ見タワ」


47本の弦を確かめるように撫でていく。調律して、やがて弦は星屑のきらめ
きを音符の一つ一つに乗せるような曲を奏で始める。


「ダカラ、はーろっく。みーめガ言ウノハコレダケ……。みーめハ、はーろっ
 くニ命ヲ捧ゲル…。アノ時、一人ボッチデ消エテイクハズダッタみーめヲ、
 赤イ花々カラ引キ上ゲテクレタ…貴方トコノ艦ニ、命ヲ捧ゲル……」


「ミーメ、それは俺も」


「とちろーサンモ、機関長モ、副長サンモ…貴方ノタメナラ命ヲ捧ゲル。
 はーろっくモソウスル。デモ」



ぽろん、と弦が悲しげに震える。音が、止まる。不意に落ちた静寂に、ハー
ロックのは自分の心臓の音ばかりがやけに煩く鳴るのを感じる。


「ソノ人ハ──零サントイウ人ハ…貴方ニ命ヲ捧ゲナクテモ、はーろっく、
 貴方ニ命ヲ捧ゲサセル……。みーめハ、ソウ思ウ」


ソレヲ愛ト呼ブノハ…ドコデモ同ジ。異星の少女が、優しく演奏を再開した。





















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