Plants Doll・12




★★★

艦内にミーメの歌が流れる中、ハーロックは零を連れて自室に向かっていた。
左手はトランクを引き、右手には魔地がつくったスープを持っている。コン
ソメとオニオンの良い香り。隣を歩く零も気に入ったのか、時折興味深そう
な顔をしてカップの中を覗き込む。「お前にあげるよ」とハーロックは彼に
カップを渡した。


「二日間も飲まず喰わずだったんだろ。ドクトル、心配してた。皆──心配
 してる」


「………」


申し訳無さそうな顔をする。大きな瞳が僅かに揺れた。立ち止まり、シーツを
目深にかぶろうとする彼の手をハーロックはなるべく優しく握った。


「良いよ。怒ってるわけじゃない。誰もお前を怒っちゃいないさ」


心配してるだけだよ。なるべく優しい声で囁いているのに、零は申し訳無さ
そうにするばかりだ。責めているように聞こえるだろうか。ハーロックは手
を繋いだまま歩き出し、部屋の扉の前で立ち止まった。


「さぁ、零。今日からここがお前の部屋だよ。ここで眠ったり、着替えたり
 するんだ。何でも好きに使って良いし、何をするのも自由だよ」


規則も、シフトも、任務も何も無い。零を拘束するものの無いところだよ。


扉を開けて、手を引いて。トランクを入れるより先に零を部屋に入れてやる。
敏郎が趣向と手芸を凝らした自慢の一部屋だ。機械的なものをなるだけ排除
したヨーロピアンな雰囲気の部屋。明かりは間接照明のみで、アールヌー
ボー風のランプがオレンジ色の暖かい光で室内を浮かび上がらせている。

毛足の長い深紅の絨毯。セミダブルベッドの背もたれ部分には敏郎お気に入
りの家具師エミール・ガレの作品を模した蜻蛉の彫刻(無論、海賊艦なので
髑髏蜻蛉という不思議なデザインになっている)。

小円卓も椅子も鏡台もグラス棚もカウンターバーの脇に彫られたものも、全
て同じデザインで統一している。どれも驚くほど精密で装飾過多。格子窓の
格子部分にまで緻密な細工が施されているのだ。まるで現代にガレが甦った
かのような見事な仕事ぶりである。

と、いっても。ハーロック自身は親友の心酔するガレの作品を、宇宙ネット
で少し資料映像を目にしたに過ぎない認知度だが。

銀の燭台に灯る蝋燭の火に揺れる重厚なカウンターバー。陳列棚にはあらゆ
る星系ご自慢のワインやブランデーが並んでいる。壁一面は天井まで届く本
棚。大半は敏郎が「貴重な物だ」とあちこちの星の本屋で集めたアンティー
クブックだ。

最も、ハーロックも敏郎も『世界文学全集』やハイネやバイロンの詩集など
全く嗜まない性質なのでこれらの殆どが単なる飾りに成り下がっているの
だが。

零ならきっと好きだろう。父から貰ったというトラクルの詩集をいつも大事
に抱いている零。平素の状態でこの本棚を見れば、きっと目を輝かせるだろ
うに。

「読みたい」と言うのなら全部読ませてやっても良い。「欲しい」というな
ら全部くれてやっても良い。敏郎も反対しない。「欲しいと思う者の手に渡
れば本も幸せだ」と笑うだろう。多分、そのあとこの本棚に漫画や雑誌を入
れるのには反対するだろうけど、


ふと、幼い頃に読んだ『美女と野獣』を思い出して笑う。本好きで優しい少
女の気を引くために、野獣は城の書物を全部彼女にやったんだっけ。

それには、全然足りないけれど。



「どうだ、零? 本棚、なかなかのモンだろう。それもお前の好きにして」


良いよ、とトランクを室内に入れて顔を上げる。それで喜んで元に戻るとは
思っていなかったけれど。零はハーロックの予想を大幅に裏切って部屋の真
ん中で蹲ってしまっていた。

シーツを頭からかぶって。少しだけ、震えている。


「零? どうした?」


気分でも悪いのだろうかと跪いて肩を抱けば、「あぁ」と小さく声を漏らし
てハーロックを見上げる。ガーネットの瞳が窓から溢れんばかりに注ぎ込む
星の光を吸い込んで、今にも泣き出しそうに俺を映す。


「──わたしの、すべてのひと……」


ぎゅっと頼りなくしがみ付いてきた。窓の向こうには紺色の銀河。鮮やかに
密やかに瞬く星達の群れ。

あぁ──。ハーロックは目を細める。


「そうだったな。お前、星空が苦手だったっけ。果ての無いような光景は
 嫌だって言ってたな」


満天の星輝くヘヴィーメルダーで。彼は慄くように言ったのだ。



こんなにも沢山の星々の中に立ってると、平衡感覚を失くしそう。

果ての無い光景を見ていると、吸い込まれて消えてしまいそう。


そうして──誰も帰ってこない。



ハーロックは笑わずに聞いてやった。ヘヴィーメルダーの酒場の前。誰も彼
もが寝静まった夜更け。煌々と輝く満月にも負けずに視界全面に開けていた
星空は、ハーロックにとっては希望や心地良さに満ちた生まれ故郷のような
場所だったけれど。

零には、そうじゃない。地球で沢山のものを失くした零には、この星空は全
てを取り込む死者の国に続いてる。


海の向こう。夜の森。野に咲く花々。満天の星。


秩序のない、ハーロックにとっては好奇心駆り立てられる全ての未知が、零
にとっては恐ろしいのだ。

何が起こるかわからない冒険心は、何を失くすかわからない恐怖と隣り合わ
せ。

鏡一枚隔てたように、ハーロックと零の価値観は隔たっている。今のように
肩を抱いてやりながら、そんなことを思ったっけ。


「星だな?」


確認すると、頷く。ハーロックは立ち上がってベッド脇のチェストに載って
いたリモコンでオーストリアンカーテンを下げてやった。窓の全てが暗褐色
の幾重にも襞のあるベルヴェットで閉ざされる。一番大きな光源が絶たれて
しまったので、ハーロックはリモコンで部屋中のランプを点灯した。


「これでどうだ? さぁ、よくご覧。お前が住むには良い部屋だろう?」


「──…」


ようやく、零が立ち上がった。シーツを落とし、軽やかにベッドまで行って
腰を下ろす。マットのクッションを暫し楽しむようにふわふわと揺られて、
手にしていたカップに口付けた。


「やっぱり、本や酒よりスープが良いか?」


問いかけるとにっこり笑う。ハーロックはつられたように微笑んで、トラン
クを零の目の前まで運んでやった。開いて、パジャマと新しい下着を取り出
してやる。二日も着の身着のままだったのだ。風呂に入れるのを後回しにし
たって着替えはさせてやらなくては。

零がカップを空にするのを待って、ハーロックは優しく頭を撫でる。


「着替えるか? 零」


傍らに腰かけてグリーンのストライプが入ったクリーニング済みのパジャマを
差し出すと、零が僅かに頬を染めた。カップを膝の間に挟み、何やらもじもじ
と所在なさげにする。

──恥ずかしいのだろうか。けれど、『プランツ・ドール』の毒にやられた者
は、主に絶対服従の可愛いお人形さんになるのではなかったか。

それとも、恥ずかしがるのも主人を喜ばせるプログラムの内なのか。


よくわからない。ハーロックはぼりぼりと頭を掻いて、「嫌か」と尋ねてみ
る。途端、零はぱっと頭を上げて首を横に振った。急いだ様子でカップをチェ
ストに置いてぎゅっとしがみついてくる。やっぱり、プログラムの内なのか。


「それじゃあ、着替えような。着替えて、眠って。起きたら風呂に」


二日も入ってないからな。少し匂うぞ──。病人着の帯に手をかけながら、
耳元に囁いてやる。


零が、また仄かに頬を染めた。




















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