Fathers・4
 


★★★

惑星『スノー・スノー』。
一年中雪の降る星。純白の星。


「スノースノーは孤独な星だ。地球と同じくらいの体積と
 地表を持った星に、人が住むコロニーが一つ、二つ。
 空は厚い雪雲に覆われ、それが降り止むことはない」


急に背後から声をかけられ、俺は食器を洗う手を止めた。
何故かパスタ鍋に入っていたトリも、解放されて俺の足下で
うなっている。
振り返ると、厨房の入り口に親父が腕を組んで立っていた。

──六年前に死んだ父・大山十四郎。


「どうだ? 俺からのお年玉は。お前の代になりゃ必要だろ。
 自らの心まで実験台に差し出す父の愛に感謝しろよ」


「無存在精神空間中枢、か。全く、大天才の馬鹿だよ、あんたは」


「霊界テレビと呼んでくれ。無存在精神空間中枢なんざぁ可愛くない名だ。
 お前にはセンスってモンがない」


俺の言葉を受け、親父は呆れたように人差し指を立てる。
──霊界テレビの方がセンス皆無だ。思ったが、俺はそのまま
台から降りた。


「酔い潰れてたんじゃなかったのかよ」


「俺達が酔い潰れるわけがない。それは、あの装置を組み立てた
 お前が一番知ってるんじゃないのか?」


しらばっくれやがって、と親父が口元だけで笑う。


「お前も知ってのとおり、無存在精神空間中枢ってのは人の
 魂のパターンを記録するA.I.だ。文学的な言い回しをするのなら、
 人の心を宿らせたコンピュータシステム。俺がお前に組み立てさせた
 のは、その試作品だ。試作品だからものの数時間で回路が焼き切れる。
 お前、ハーロック・ジュニアにわざと説明しなかったな。友達に隠し事は
 いかん。そう教えたはずだが」


「──余計なお世話だよ。親父」


──ハーロックが知ろうと知るまいと、一度回り始めた歯車を
止めることなど誰にも出来ない。

何も変わらないさ、と俺はエプロンを脱ぎ捨てる。
メインデッキへ戻ろうとする俺を、親父は「待て」と押しとどめた。


「話はまだ済んでない。俺の造った装置はまだ未完成だ。
 お前が完成させろよ、敏郎」


「言われなくてもそうするよ。あれは確かに必要だ。
 未来──俺とハーロックの運命には、絶対に」


俺は胸元にある“エルダ”の紋章を握りしめた。
“エルダ”、叡智の証。この紋章を持つ者に課せられた
使命。俺が──望んで受け入れる宿命。


「まだ、そうなると決まったわけじゃないさ」


ぽんぽん、と親父の手が俺の背中を叩く。呑気なものだ、と
俺はその手を振り払った。


「どのみち、親父が俺に与えてくれたモンは無駄にしない。
 俺は俺の道──必ずやり遂げてみせるさ」


「ふん、ちょっとは馬鹿になっとけよ。気張り過ぎると早死に
 するぞ。闇の女神の抱擁は、冷たく、そしてどこまでも深い」


背後にかかる親父の声。「わかってるよ」と、俺は少し力を抜いて
メインデッキに向かった。



★★★


「雪だ雪だ! トチロー!!」


俺はすっかり準備を整え、両手を広げて戻ってきた親友を
出迎えた。
頭上のスクリーンには一面の雪景色を投影してある。
──トチローに似合う白。俺の腕越しにトチローは
「うわぁ」と感嘆した。


「白い、本当に真っ白なんだな。気温は──随分低いみたいだが」


外の気温や大気の成分をチェックして、怖々と俺を見上げてくる。
「防寒すれば大丈夫だよ」と、俺はにっこり微笑んでみせた。


「氷点下3℃なんて、まだまだ寒いうちには入らない。俺の住んでた
 国じゃあバナナで釘が打てるほど──…」


「ひえぇ、やめれ! そんなに寒いのか? 想像もつかない」


「平気だよ。コートを着てさ、フードを被れば寒くない。
 この世に生まれた雛鳥に、何より必要なのは経験さ。そうだろ?」


「う……。ま、まぁ。それもそうだな」


躊躇いがちに、トチローが頷く。「決まり!」と俺は指を鳴らして
身を翻した。


「コートと、ブーツを取ってくるよ。うーんと暖かくして、雪を見よう。
 本当に全部真っ白で、何もかもを新しくする新年には絶対必要なものさ!」


「……あんまり寒いのは勘弁してくれ。マジで。苦手なんだよ。
 身がチヂム気がするから」


トチローがぶるぶると身を震わせる。メインデッキを出ようとした俺と
入れ替わりに、自室に帰っていたヤッタランが雪だるまのように着込んで
戻ってきた。


「雪やで、雪や! 張り切らんとチヂムで〜、トチローはん」


「うぇえ、ホントに? それじゃあ着物は脱いだ方が良いかな」


「え?! いやいや、脱がないで」


俺は急いで自分の着ていたコートをトチローに被せた。
せっかくの雪なのだ。誰もいない、果てのない雪景色。
どこまでも純白の世界は、まるで俺達の未来のよう。

一年の始まりであるこの日に、是非二人で雪原に立ち、
これからの未来を語り合いたい。


「せっかくの白なんだから、もう少し着ててくれよ。
 俺のコート、貸したげるからさ」


「──…雪にまみれて行方不明になるど」


黒のダウンコートの隙間から顔を出して、トチローがげんなりと
呟く。──確かに、と俺はスクリーンを見上げた。アルカディア号の
降りた場所は、まさに動物も寄りつかない極寒の雪原。小さな
トチローはあっという間に降り積もる雪に埋もれてしまうだろう。


「……抱き上げて行こうか?」


「──いらん。自分の防寒具取ってくるから、先に行ってれ」


丁重に追い払われ、俺は仕方なくヤッタランを小脇に抱えて行く
ことにした。雪だるまのヤッタランは、「おおきに」と自ら背中まで
よじ登ってくる。


「それでは、わたくしも一緒に」


親父がコタツからするりと立ち上がる。物音一つ立てない所作は、
男でも、息子でも見とれてしまうほど優雅だ。俺は一瞬、思考を奪われ、
慌てて頭を乱暴に振った。


「な、何だよ。親父は隠し芸大会観てたいんだろ。
 さっきからモー娘の応援してたじゃないか。迷子になんか
 ならないから、遠慮無く観てろよ」


「なに、わたくしも懐かしい銀世界に降りてみたいのさ」


──キザだ。さりげなく前髪を掻き上げる仕草なんかはキザの
極みだ。俺も大人になったらあんな風にキザっぽくなるのだろうか。


「……勝手にしろよ。もう」


かくして、俺は全く本命でないメンバーと氷点下の大地に
降り立つこととなった。



★★★

果てしなく──終わることなく降り積もる、雪。
目の前に広がる雪原は、地平線の向こうまで純白で、
人の足跡一つ無いのだ。


「ひょほう! こう誰もおらんとこに足跡つけるんは
 楽しいなぁ」


ざくざくと、ヤッタランは遠慮無くバージンスノーを
転がっていく。丸体型ではあるが、ヤッタランは決して
インドア派ではない。むしろ、雪が降ると活性化する生き物だ。

雪は、小降りになっていた。それがますますヤッタランのテンションを
引き上げるのだろう。彼の姿はあっという間に霞がかっていく。


「おーい! あんまり遠くへ行くなよなぁ。何かあっても助けて
 やれないよー」


鼻に、口に入ってくる懐かしい冷気。俺は目一杯叫んだが、果たして彼の
背中に届いたかどうか。「心配ないさ」と背後で親父の苦笑する気配。


「ヤッタランはお前よりずっと目端の利く子だ。迂闊な場所へは
 近付かない」


「でも、俺はアルカディア号のキャプテンだから。クルーの心配を
 するのは当たり前だろ」


親父の言葉は、まるで小さな子を諭すような響きを持っている。俺は
少しむっとして彼を見上げた。


「それとも、親父はクルーの心配なんかしなかったのかよ。
 無責任艦長だったのか?」


「わたくしは、仲間を信じていたよ。海賊艦に限らず、どのような場合でも、
 キャプテンがクルーの心配をするのではなく、クルーがキャプテンの心配を  
 するくらいが丁度良いらしいぞ。これは、わたくしの言葉ではなく大山の
 言葉だがね」


「ふぅん、トチローもたまにそういうこと、言うよ」


俺は頭の後ろで手を組んだ。雪の中に鎮座するアルカディア号は、
どこか儚げにも見える。雪の中では、誰もが淡く霞むのだろうか。
幼いときには勇壮そのものだった親父の姿さえ、今は紗がかかって
見える。


「親父が、十四郎さんとトチローが似てるって言ったのは、
 そういうところ? 根本的なところが似てる?」


問いかけて、俺はふと視線を足下に落とす。艦から点々と続く足跡。
規則正しく並ぶ俺の足跡と、走ったり転がったりしたヤッタランの個性的な
足跡。そして──。

──親父の足下には、何も無い。
足跡も──影さえも。


「お、おや……じ?」


あぁそうだ、と俺は今になって思い出す。本当に何事もないように
話をしていたのに。


「親父……影。足跡、も」


降りしきる雪の一粒も、穏やかに吹く風も、親父の体を擦り抜けていく。


「あぁ──そうだね」
 
 
静かに、穏やかに親父が微笑んだ。


「そういえば寒くないのだ。便利なものだな。“影”の身というのは」


「か……げ?」


「そう、わたくし達は“影”。よもや、本当に甦ったなどとは思って
 いなかったろう? ジュニア」


「そりゃ、思っては……いなかったけど」


──本当は少し、信じていた。親父は慈しむように俺を見下ろして、
アルカディア号の戦旗に視線を移す。


「まだわたくし達が健在だった頃、大山が設計したのだよ。わたくし達の
 心を、コンピュータの中に残しておくものを。絶対に必要だと、不要な
 感傷には心動かされないあの男がね……」


「十四郎さんが?」


「そう、次代に夢を引き継ぐ息子達に、きっと必要になるものだと。
 宇宙の果てに辿り着くには、絶対に必要だと。不思議なほど、真剣な
 目をしていた。20年近く共に生きたというのに、時々大山の眼差しは
 わたくしの及びもつかない遠い場所に据えられているようで、
 わたくしは理由さえ訊けなかったよ」


「今でも……理由はわからないまま?」


「今は──少しわかる。思えばあれは、何もかも見通していた
 のだろう。全ての、運命を。あの旗の行き着く場所さえも」


「俺達の、戦旗の?」


俺も親父の傍らで戦旗を見上げる。黒地に白で染め抜かれた髑髏の印。
それは、今もマストから発生する重力風ではためいている。


「今頃、大山もトチローくんと話をしているだろう。わたくし達に
 残された時間は少ない。伝えたいこと全てを伝えるには、あまりにも
 少ない時間だったが──」


風が、親父の輪郭を掻き消すように吹いていく。俺は「親父」とその袖を
掴もうと手を伸ばした。

けれど。

掴んだ手首には、体温がなくて。ゆっくりと、雲のように俺の指の間を
透過していく。


「──そろそろ、時間だな」


右手首にはめた機械式クロノグラフを一撫でして。親父が、ゆっくりと
歩き出した。














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