Plants Doll・8




★★★

火龍艦底の格納庫──。火龍専用戦闘機『飛龍』。別名『セントエルモ隊』
の並ぶ壮観な眺めだ。

ハーロックがハッチ寄りの場所にフェンリルを停めて降り立つと、先程彼の
全裸を心ゆくまで観賞した男、ドクトル・マシンナーが零を連れて立ってい
た。


「深夜時間にお呼び立てして申し訳ありません」


人工声帯から出る独特な声。けれど、改めて聞けばその声には様々な感情が
込められているようだった。耳障りではない。無論、彼は医師なのだから患
者を不安にしないような『音域』に声を設定しているのだろうけれど。


「零に…変化が?」


頭からシーツをかぶってしまっている零を見とめて、ハーロックはなるだけ
悠然と見えるように彼らへと向かう。ハロウィンで子供達のするゴーストの
仮装のようにシーツをかぶっている零。気配と匂いで零と知れるが、それの
読み取れぬ者には長身のゴーストそのものに見えるだろう。正直、笑えない。


「変化は…ありません。Sirハーロック」


さぁ、と背中を押されて零は一度びくりと身を震わせる。けれどシーツの隙
間からハーロックを確認したのだろう。はらりとシーツを落として駆け寄っ
てくる。



「My master!!」



悲痛な声。二日前に見たクリアグリーンの病人着のまま裸足でハーロックの
胸に飛び込む零。彼より少しだけ背の高い身体を果敢なく小さくして、零は
彼の耳元に何度も「My master…すべての、ひと」と囁いた。

肩に両腕を回された。応えるように抱いてやる。ようやく安心したように
零はハーロックの胸に手を移動させて微笑んだ。濡れて輝く野鹿のように
無垢な瞳。目元がうっすらと黒ずんでいる。顔色はお世辞にも良いとは
言えない。

心なしか──二日前より消耗してしまっているような。


「……何か特別な投薬でも?」


ハーロックの問いにドクトルは「いいえ」と首を振る。


「彼が眠りについてから行なった検査を反復しただけです。体液検査・画像
 診断・内視鏡検査・身体機能の測定…目覚められたので体力測定も行ない
 ましたが」


「でも、この怯えようは」


尋常じゃない。安心して良いと言ってやったのに、零はハーロックの腕に
収まって動こうとしない。ひたすら「My master」と繰り返して外界を遮
断している。

零の腕に巻かれたままのハーロックのスカーフ。乾いた血がこびりついて
いる。解いてみると、点滴を引き抜いた傷口は膿んで周辺の肌を青黄色く
変色させていた。


「消毒くらいしてやっても」


ハーロックは遠慮なく眉を顰めた。敏郎に「わかってやれ」と言われたが
──わかっていないのは彼の方だ。

零のことを、大戦直後から知っているというのに。当時の彼をどう救ったと
いうのだろう。こんな小さな傷一つ癒せないで。生身の体のことなんて何も。

──こいつらは、何も。



「……治療を拒まれたかね。ドクトル」



ハーロックの中に再び涌き上がってきた機械化人への嫌悪。背後に音もなく
降り立った敏郎の気配がそれを抑え込む。


「そうです。Sir大山」


「Sirはいらぬ。敏郎…トチローでも良いど?」


「いしししし」と敏郎が笑う。ハーロックは「拒まれた?」と傍らを行き
過ぎようとする友を引き留めた。


「どういうことだよトチロー。零がどうして」


「『プランツ・ドール』の効果、未だ覿面ということだ」


「それはわかるけど…でも主人の言葉には絶対服従なんだろ? 俺はちゃ
 んと「ドクトルの検査を受けろ」って。「安心して良い」って」


「お前、絶対服従の意味するところを理解しておるのか?」


敏郎が呆れたようにハーロックを見上げた。零がぎゅっと俺にしがみつく。


「誰かに服従するということは──その対象に全てを委ねきるということ
 だ。自分の意思を殺しきり、対象の命令どおりのことを遂行する」


「わかってるさ。だから」


「お前が理解しておるのは武人や使用人にのみ通用する『滅私奉公』という
 ヤツであろうが。何度も言うが」



『プランツ・ドール』は観賞用奴隷を作り出すための植物なのだ。



広い空間に朗々と響く声で敏郎が言う。そう大声を出しているわけでもない
のに、彼の声は合金製の壁に反射してよく透った。


「労働奴隷はともかく、性奴隷や愛玩奴隷に『滅私奉公』なる言葉が通用す
 るものか。彼らが主人に従順なのは、ひとえに主人の関心あってのこと。
 寵愛あってのことなのだ。わかるか?」


「……はい?」


わからない。今の零は確かにあっぱらぱーで発狂したらしくハーロックを
「主人」だと思っている。それが『プランツ・ドール』なる花のせいなのは
わかるが。

別段、ハーロックと零は正式に売買契約を成立させた主従関係ではない。零
が連邦軍部の陰謀によって奴隷市に左遷され、大安売りされていたわけでは
ないし、彼がそれを見初めて財布の紐を緩めたわけでもない。

あくまで、不幸な偶然の重なりによってこのザマなのである。



……寵愛とか、言われてもな。



ハーロックの言葉に、敏郎は「わからんでもないがな」と眉間を押さえた。


「まぁ、俺も含めてここに奴隷を購入した経験のある者がおらんからな。
 推測ばかりの話になるが…あぁ、推測ばかりで話をするなど愚者の行動
 だ」


「グシャで良いから、わかり易く」


「つまり、今の零は愛玩奴隷なのだ。違うとか言うな。そうなのだ。今の零
 は頭の中まで生粋の愛玩奴隷だ。可愛がられるため、主人に触り倒される
 ために生まれ、それを至上の幸福と思って疑わぬ。そう思え」


「気色悪いな!!」


「辛辣なことを言うな。しようがなかろう『プランツ・ドール』はまさに
 そういう認識を持った奴隷をつくるためにだな」


「わかった。それはもうわかったよ。それで」


「愛玩奴隷に何かを命じるときには──愛情がなくてはならぬ」


敏郎が優しく零を見つめた。零も淡く微笑んでその視線に応える。敏郎が恭
しく零に手を差し伸べた。零が迷うようにハーロックを見る。ハーロックが
頷くと、零はにっこりとして──。


しゃがみ込み、礼儀正しく敏郎の手を取った。



「あ」


ドクトルとハーロックの口から同時に声が漏れる。「こういうことだ」と敏郎は
零の手をしっかりキープしながら口元に笑みを浮かべた。


「性・愛玩奴隷にとって全ての命令は主のためにあるものだ。主の喜び、
 主の快楽、主の名誉、主の体面──そういったものを満足させるために、
 つまりは主の長い関心と愛情を獲得するためにある。主に褒められ、愛さ
 れてこその存在なのだ。苦痛や屈辱に耐えるのも、他の者の手に委ねられ
 るのも、のちに待つ主の喜びの言葉と労わりあってのことだ。ドクトルに
 身を委ねろと言われて、零はそれに従った。だが蓋を開けてみればどう
 だ? 検査を受けている間も、受けたあともハーロック。お前がいない。
 お前の視線がない、お前の労わりのない場所で二日間、零は捨て置かれた
 のだ。これは極めて高度なプレイではないか!!」


放置プレイと言うのだ。敏郎が拳を振り上げる。ドクトルが所在なさげに俯いた。
恥ずかしいのだろう。だが、ハーロックだって恥ずかしい。


「と、トチローさん。声が」


「放置プレイだどハーロック。奴隷として生まれ変わった直後に放置プレイ。
 しかも丸二日だ。主人の喜び、関心のない場所など…今の零には到底耐え
 られぬ。プレイ中、唯一の支えは「お守り」と称してお前がくれたスカー
 フだけ。どうしてそれを解くことが出来ようか。放置プレイ真っ只中の自
 分とお前とを繋ぐたった一つのものなのだ。傷が悪化しても健気にお前を
 待つ零も知らず、治療を拒絶され、仕方なくお前に通信を入れたドクトル
 の心情も知らずに呑気に全裸で遊んでいたお前にドクトルを責める資格
 はないど!」


「放置プレイ、ほうちぷれいと何度も言うな!!」


しかも全裸で遊んでいたわけではない。以前にも輪をかけた零の甘えぶりと
ドクトルの気持ちはよくわかったが、計算して放置プレイを仕掛けたわけで
もない。断じてない!!


「大体、それだけじゃ零が弱ってる説明つかないじゃないか。傷の手当て
 出来なかった理由はわかったよ。でも目の下にクマ出来てるし、唇乾いて
 るし…多分、体重も減ってるし。生身の人間の限界超えた体力測定でもし
 たとしか」


「私は機械化人ですが、正規の免許を取得した医師です。患者の身体に不当
 な負担は加えません。メディカルの名に──懸けて」


ドクトルが僅かな不興を含めて力強く宣言した。確かに。いくら機械化人で
もメディカルの使徒を名乗る以上、Drジャック・クロウヴァの意志に従う
のだろう。ハーロックは敏郎の手を握ったままの零の顎にそっと触れた。


「じゃあ…どうして」


「確かに…検査は受けて頂けました。検査台に乗せるとき、体液サンプルを
 採取するとき、全身をスキャニングするとき……。常に不安そうな眼差し
 と、メンタル値の大幅な変動を伴いましたが、データを取られることには
 何とか耐えておられるようでした。しかし」


食事や清拭などの生活面となると。ドクトルは悲しげに零を見つめる。


「検査台を降りてしまえば…艦長はひたすら貴方を求めて身を落ち着かな
 くするばかり。触れようとすれば全身で拒絶されます。下手をすればその
 腕の傷を掻き毟るような自傷行為まで……。艦長の心が落ち着けば、と、
 貴方の手配ホロなど見せてみたのですが、今度はそのホログラムに釘付け
 になって石のように動かなくなられました。食事もせず、横になって眠る
 こともされず…この二日、一滴の水さえ口にされないまま」


「大変じゃないか!!」


「大変な事態です。だから、貴方をお呼び立てしたのです。Sirハーロック」


冷静に、けれど悔しそうに白衣のポケットに手を入れたままのドクトル。人
間なら、唇を噛み切るまで歯を喰いしばることも出来るだろう。けれど、彼
は機械化人なのだ。


「……情動抑制装置の限界を超えそうであるな、ドクトル」


敏郎が慈しみを込めて呟いた。「医術の及ばぬことではお役に立てません」
とドクトルが返した。


「私には…それが悔しい」


「心中察して余りある。零のことは取り敢えずハーロックに任せるが良い。
 医術の及ぶところでは全く使えぬ男だが、零のボディガードには使えよう。
 零がハーロックを見初めて愛着を示すのを幸運と思うのだ。何か大切なも
 のを預けようと思うとき…あれ以上に安心して任せられる男はいない」


宇宙で一番安全な場所だ。敏郎の小さな目がハーロックを捉える。デスシャ
ドウと、自分と。敏郎が信じている。応えて見せようとハーロックは頷いた。


「わかった。零のことは任せてくれ。デスシャドウで預かろう。有効な解毒
 方法がわかるまで──不本意だけど、陰ながら火龍の安全も預かってや
 る」


副長さんは女の子だし、ホサじゃいまいち不安だもんな。


ハーロックは、零を抱き寄せて安心を与える意味で笑った。零が彼の肩に頭
を乗せる。二日間、何も食べず一睡もしていないのだ。立っているのも辛い
だろうに。

落ちたシーツを拾い上げ、零を包んで抱き上げてやる。零は本当に嬉しそう
に、安心しきったように笑って。


それから、気を失った。



「艦長をよろしくお願い致します。身の回りのものはのちほど副長補佐が
 用意をして参りますので」


敏郎を伴って格納庫の扉を出て行く瞬間、ドクトルは深々とこちらに一礼を
寄越した。


仲間が、大切な人が窮地にあれば──敵にだって頭を下げる。それは、『ヒ
ト』としてなら当然のことで。



「確かに、このハーロックが責任をもってお預かりさせて頂く。ドクトル・
マシンナー。貴殿は憂慮なく、貴殿の本分に務められるように」



ハーロックは、ようやく礼をもって目を伏せた。




















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