Plants Doll・7




★★★


『Sirハーロック、お話が』


地球時間にして深夜帯──。艦橋をヤッタランに任せて自室に戻り、シャ
ワーでも浴びて寝ようかと全裸になった瞬間、例によって事後承諾の艦内通
信。「火龍より入電。回すでジュニア」とヤッタランの明るい声と共に暗い
部屋を満たした三次元モニタの電子光。

蒼白い光に浮かび上がったのは、零の主治医ドクトル・マシンナーの仏頂面
だった。ハーロックは「うへぇ」と声を上げ、慌ててシーツを引っかぶる。


「し──信じられん!! 夜討ち朝駆けが火龍の礼儀か?! 断固抗議してやる
 ぞ。艦長を出せ! 艦長を!!」


「その艦長のことでお話が」


「人の全裸見といてその態度はなんだよ。艦長言う前に言うことがあるだろ
 うが!!」


「あぁ──失礼致しました」


軽く目礼し、ドクトルが凝っと俺を見る。暫くメカニカル・アイズの瞳孔を
伸縮させて「素晴らしいですね」と無感情に呟いた。


「先日拝見したときには少々地球人白色人種の平均よりも痩せているかと
 思いましたが…こうしてみるとそうでもない。体温、脈拍共に健常値です。
 内臓機能も快調のご様子。表皮に見える傷跡も既に全て完治しています。
 後遺症の心配はありません」


「……あぁ、どうも」


ハーロックはがっくりと項垂れた。なんだそりゃ。誰が即席健康診断して
くれと頼んだ。会った途端に「お脈を拝見」。不躾にもほどがある。


『ただ──気になるのは右目の視力ですね。眼球に僅かですが負傷の跡が
 見られます。恐らくは成長期に爆発物の破片などで受けたものとお見受け
 しますが…左目との視力に差は感じられませんか? 違和感があるよう
 でしたら医師の診断を』


「余計なお世話だ!! 機械化人の世話にはならん。用件を言え。用件を!!」


勢い良くチェストを叩いて喚いてやっても、ドクトルは顔色一つ変えようと
しない。(もっとも、機械化人に変わる顔の色があればの話だが)

「詳しく言わなきゃわからんだろうが」と眉を顰めても、ただ馬鹿になった
 テープレコーダーのように「艦長のことでご足労願いたいのです」と繰り返
 すばかりだ。ハーロックは溜息をつき「いいよ」と通信を切るよう促した。


「行ってやるさ。こんな通信、どこで傍受されてるかわからんしな。警戒
 するのは当然だ。ハッチ開けるよう指示出しとけよ」


『了解致しました。お待ちしております。Sirハーロック』


「だーから! Sirはいらんと何度言ったら」


 ぶつん。


モニタが暗転する。ハーロックは瞬く間に暗くなった部屋で脱力した。なん
という手前勝手さ加減なのだ。こちらの都合などはなから念頭にない。シャ
ワーを使うか否か、暫くうだうだと考えたあと、仕方なくクローゼットを
開けて気密服を取り出す。通信を入れてきた相手が誰であれ、零の容態は
気になるところだ。シャワーはあとで、と着替えを始める。

ガンベルトと重力サーベルのホルダーを装備し、スカーフを着けたところで
扉がノックされた。「入れよ」と応えると、「ハーロック」と寝間着姿の敏郎
が顔を出す。


「ハーロック、通信を聞いたか」


「あぁ。機械化人の立派なセンセーから火龍にご招待だ。零のことだって。
 行って来るよ」


「うむ。俺も招請を受けた。行かねばなりますまい。ハーロック、フェン
 リルを」


「トチローも?」


「うむ」


頷きながらも寝惚け眼でポンチョを羽織る敏郎。無理もない。零が倒れたと
聞いてから、ほぼ不眠不休で対策を練っているのだ。ついさっき、ようやく
一区切りついたと言って布団に向かったばかりだったのに。

「行かなくて良いよ」とハーロックは敏郎の頭を一撫でして廊下に出る。


「トチローは休んでなさい。俺が話を聞いてくる。全く、あの医者なんなん
 だ。生身の人間には生活サイクルってモンがあるのを全然わかってない」


とんだヤブじゃないか。あれで零が治ったら奇跡だ。憤懣やるせない。敏郎
が唇を尖らせた彼の傍らに並び、「まぁまぁ」と笑いながら腿を叩く。


「そう怒るでない。ドクトルとてこちらに都合のあることは重々承知なのだ。
 だが、今はそれを考慮しておるだけの余裕がないというだけのこと。誰し
 もが、自分の大切なもののためには我を忘れる。それだけのことではない
 か」


「相手にも大事なものがあるっていうのもわからずにね。はっ、大層な人工
 知能だ。吐き気がするね」


「ハーロック」


敏郎の諌める目。ハーロックはふい、と視線をそらす。機械化人への感情に
ついて、ハーロックとトチローの間には大きな溝があるのだ。機械化人を憎み、
嫌悪する彼と、機械化人を憐れみ、その存在に寄り添おうとする敏郎。議論
すれば必ず決着のつかない喧嘩になる。「よそうよ」とハーロックは軽く手
を挙げた。


「お互い睡眠の途中を邪魔されてる。こんな状態で機械化人についてどうこ
 う話したって無用の喧嘩になるだけさ」


「お前の心に根付いた機械化人への感情について、今更どうこう言おうとは
 思わん。その憎しみはお前だけのもの。誰にも咎め立ては出来ん。だがな」


ドクトル・マシンナーについては改めてもらうど。敏郎の小さな目がきらり
と光る。


「彼は医療惑星『メディカル』の使徒。Dr.ジャック・クロウヴァの意志を
 継承する者。そして、大戦直後の零を知る唯一と言っていい人物。敗北に
 打ちのめされ、故郷を陵辱された苦痛に耐え忍んでいた零を救った男なの
 だ。お前はそれに敬意を表さん気か?」


「どう救ったのか知りたいモンだね。マニュアルどおりのカウンセリングで
 救ったつもりになってるだけじゃないのか? 零は強い男だ。機械化人の
 手なんか借りなくたっていずれ自分で立ち上がったさ」


「それがお前の本心とは思わんど、ハーロック」


格納庫の扉の前につく。ハーロックがキーロックを外すと同時に、敏郎は中
へと滑り込んだ。センサーが反応し、格納庫内が明るくなる。


「お前が本当にそう思っているなどと…誰が思うものか。お前にはわかって
 おるはずだどハーロック。零の本性。戦いに向かぬ、優しい心根。眼差し
 に宿るアンタレスの輝き。ひとたび傷つけば──幾重にも自身を苛むで
 あろう繊細さ。けれど誰かの糧となるのなら、その身を炎とするのも厭わ
 ぬ強さ。その零が負けたのだ。その手からこぼれ落ちた命の尊さを思えば、
 到底今生きていることなど望まんであろう。零が生きているのは、間違い
 なくドクトル・マシンナーによる手厚い看護のおかげなのだ」


「……自分から死ぬのは、卑怯だからな」


「話をそらすな。お前は認めたくないだけなのだ。機械化人にも、心がある
 ことを」


「機械化人に心なんて、無い」


敏郎を追い抜いて風防を開け放したままのフェンリルに飛び乗る。敏郎が手
塩にかけて造りあげたハーロックの専用機。特殊合成金属で出来た銀色に波
打つ装甲が美しい。一撫でして操縦席に座る。

「ハーロック」 タラップを下ろすのを待たず、敏郎が音もなく副座に移る。


「機械化人に心が無いなどと。俺が何度も言っているであろう。機械化人と
 なることで心を喪うのではない。機械化人になったのちに亡くすのだ。
 『バースト・ゼロ』。かつて温かな心を持っていた者が、機械化すること
 で目的の真意を見失う。手段であったはずの機械化が、年月と共にいつの
 間にか目的そのものにすり替わる。機械化は力だ。ヒト以上の存在になる
 と言っても良い。永遠の命…取替えのきく体。心の成長がともなわねば
 心が得たものに振り回されて磨耗する。だから亡くすのだ。機械化した
 ことで、機械化人が人間を虐げるようになるのはそのためだ」


「ゴミのようにね。そもそも、不死身の体を得てまで続く目的なんか無い。
 だから人は生きるんだろうトチロー。生きて…明日に繋がる友や仲間を
 信じて死ぬんだ。だから人だ。笑って生きて、死ぬために血を流すんだ。
 愛して、愛されるために限られた時間を使うんだ。トチローはいつも言う
 じゃないか。永遠というなら、死ぬその瞬間に愛されていたと、愛してい
 たと思うことだって。そうだろ?」


「ハーロック──…」


背後にいつ敏郎の表情は見えない。けれど、軽い音と共に操縦席に重みがか
かる。

「そうとも」と敏郎が呟いた。


「そうともハーロック。この胸に…熱く燃えるものがなくては人は立ち行か
 ん。命あることだけが生きていることとは決して言わん。永遠の命など…
 それだけでナンセンスだ。だが」


「だが?」


「目的のために永遠に生きねばならんということと、志半ばで倒れねばなら
 んリスクはある意味で等価値なのだ。死というものに直面したとき、見送
 らねばならん者と、置き去りにせねばならん者の痛みにより重きことなど
 ないようにな。どちらも同じ…痛みはあるのだ」


「でも機械化人はそれを亡くす。目的を忘れてただ動いてる。ガラクタの
 人形だ。死や痛みを恐れておいて、逃げ出しておいて、平気で弱い者を
 いたぶれるんだ。宇宙で最も醜悪な存在さ」


「だが、少なくともドクトル・マシンナーは例外だ。火龍におる機械化人
 クルーの大多数もな」


敏郎がベルトも付けずに副座から身を乗り出す。ハーロックは風防を閉め
ようとしていた手を止めた。


「何故そう言える? トチローだって見てたろ? あの医者…目覚めた
 ばかりの零を検査台にのせようと。零は一週間寝てたのに。ご飯だって、
 風呂だって──記憶がないなら、余計にそういうことしてやらなくちゃ。
 人間のためには、俺はそっちの方が大事だと思う。医者じゃ、ないけどさ」


「お前だって見ておったではないか」


敏郎が小さく溜息を漏らした。


「一週間も昏睡状態にあった零が何故目覚めた直後にあのように動けたと
 思う? お前を昏倒させ、魔地にパンチ入れたのだろう? 普通は出来ん。
 しかも、零は自分で立って歩いておったではないか。これも、ドクトルの
 献身のなせる業よ」


「つまり?」


「ずっと零を診ておったということだ。零の容態に気を配り、経口での食事
 が出来ん分、栄養点滴の栄養比率を微調整し、手足の筋肉が衰弱するのを
 最小限に抑えられるようマッサージをし……確かに機械化人は疲労せん。
 睡眠も必要ない。冷静至極、患者の病状を把握出来よう。だが、今ドクト
 ルは我々の力を必要としておるのだ。それこそ、我々の生活時間など考え
 にも及ばぬほど切迫した心境でな」


「そこがいけないね。生身の人間のことなんかわかってない証拠だ」


「ハーロック、よく考えろ。お前とてそうするはずだ。もしも、俺やヤッタ
 ランや魔地が倒れたらどうする? そして、俺達を救えるのがお前を憎む
 相手だったらどうするのだ。頭を下げるなどごめんと見捨てるか? それ
 とも、相手の生活を慮り、苦しむ俺達を暫し放って頃合いを待つか?」


「そんなこと──」


するはず、ない。ハーロックは唇を噛み締めた。もしも敏郎が、ヤッタラン
が、魔地が倒れたら。自分の手ではどうにも助けてやれないのなら。彼は誰に
だって頭を下げるだろう。相手の都合など見ないふりをして。救ってくれと
無様に縋りつくのだって厭わない。

相手が自分を憎んでいても。蔑まれても。唾を吐きかけられたって。
大切な人を喪うよりは──遥かにマシだ。


「俺は…みんなを助けられるなら、俺がどうなったって良いよ。俺の何と
 引き換えにしても……良いよ」


それが人だ。それが愛するということだ。
「ハーロック」と敏郎がいたわるように小さな手でハーロックの頭を撫でる。


「そうとも。俺だってお前のためになら──想う仲間のためになら何でも
 しよう。命もいらん。プライドなど糞のようなものだ。泣いて縋ること
 さえしよう。たとえ相手が──最も憎むべき相手でもな」


「……ドクトルも、そうだと?」


「そうだ。ドクトルは知っておる。お前の機械化人に対する感情をな。そ
 して、ひとたびお前の不興を買うようなことがあれば、たとえ自分が生
 身の人間でも容赦なく命を奪われるかもしれんということもだ。お前は
 恐ろしい男。自分の憎悪に純粋な男。だが、気高さを知る男だ。相手を
 友と思えば…どんなことでもし、どんなことにも耐えうる優しい男だ。
 そのことも、よく知っておる」


「自分が斬られても、零は大丈夫だと?」


「そうだ。たとえ自分が殺められようと、お前が零にまで刃を向けることは
 ないとな。お前がきっと零を良いようにしてくれると…そう、信じておる。
 そうでなくてはどうして、こんな時間にお前を呼びつけることなどしよう
 か。相当の覚悟と信頼を胸に秘めておる。そうは思わんか」


「零のために?」


「零のためだ。他の患者であればそうまでするかどうか。冷静になって考え
 れば様々に方法はあるはずなのだ。今の零がどうなっておるのか…俺達に
 はまだわからんが、そう一刻を争うということではありますまい。死に
 至る病にかかっておるわけではないのだからな。自分の命を賭けずとも、
 もっと別にお前を刺激せぬ良い方法があるはずなのだ」


「でも、こんな時間に俺達を呼んだ」


「それほどに、零を想っておるということだ。零の変化に、一刻一秒を争う
 と平常心さを失うほどにな。常に冷静を保ち、ミスをせぬよう機械化の道
 を選んだ医師が、本意を忘れて乱れるのだ。零のために。そうさせるのは
 …零なのだ。お前には歩けぬ道を、零は歩く。お前には成せぬことを、
 零は成す」


「零が……変えるって言いたいのかトチロー。零が…機械化人を変える
 と?」


「そうだ、ハーロック」


敏郎が深く頷いた。「だから行くのだ」と副座に座り直し、ベルトを締める。


「お前は剣だハーロック。どのような敵も討ち貫き、その視線の先にあるも
 のを終末の黄昏へと導くだろう。零は盾だ。どのような敵も内包し、耐え
 て動かず夜明けを待つ。憎まぬということはハーロック、誰も傷つけん。
 誰も傷つけさせん力だ。お前の持つ強さとは違うが…お前が目指す強さの
 一つではあろう?」


憎しみを忘れるということは──許すということは驚異なのだ。そして、
憎しみと争いを好む者にとっては恐るべき脅威。


敏郎はまるで恋を知った少年のように零を誉めそやす。


「トチローは、零の力の方が──好き? だから俺にドクトルのことを
 認めろと」


「あぁ、愛しくてたまらんどハーロック。俺達が一条切り裂いて、振り向か
 ずに捨て置いたものの全てを零が拾っていくだろう。お前の悲しみ、俺の
 迷い。お前の慈しみ、俺の愛。零は全て持っておる。そして、『バースト・
 ゼロ』を起こした機械化人を救えるものは多分そればかりなのだ」


悲しみと迷い。慈しみと愛。憎しみを知らない零の心は、鋼鉄となった心を
溶かし、強く弱く熱く儚くする。敏郎の言葉が、歌のように響く。


「そうして心を取り戻したものは──零を想わずにはいられないのだ。たと
 え、いつか永劫の別れが来る日を悟ったとしても」



機械化人と生身の人間。いずれ時間に裂かれる運命を知っても。



「零に大事あれば、救いたいのだ。命を賭けてさえ。永遠の命を捨ててでも。
 その気持ちが人と違うというのなら、ハーロック、一体何が人の心か」


「………」


ハーロックは風防を閉め、操縦桿を強く握った。敏郎が優しく彼を呼ぶ。


「ハーロック、お前は優しい男だ。本当に本当に優しい男だ。だから機械化
 人が許せぬのであろう? お前が彼らを許してしまえば、踏み躙られて
 逝った者達が浮かばれぬ。そう思うのだろう? お前にはわかっておる
 はずなのだ。火龍の機械化人クルーの気持ちも、ドクトルの気持ちも。誰
 かを大切に想う心に──無機と有機の差など無いと。ハーロック、お前は
 自分の強さをよくわかっておる。自分に求められておることもよくわかっ
 ておる。そんな…お前が好きだよ。機械化人を憎む…お前が好きだよ」


敏郎の言葉は雨のようだ。春先の細い雨のように、ハーロックの心に沁みて
溶かす。


「そして──機械化人を許す零が好きだよ。甘く、稚く、懸命に共存の道を
 模索する。零が好きだ。誰も憎まず、ただ残酷であることだけを激しく憎
 む。お前がもしも軍属の道を選んでおったなら、きっと零のような男に
 なったであろうな。そして、零が若くして宇宙に出ておったなら、お前の
 ような男になった。俺にはな、ハーロック、お前達が二人で一つのものに
 見えるのだ。零はお前のやわらかな部分の体現者。そして、零はお前に自
 分の身の内に棲む、昏く恐ろしいものをお前にそっと託すのだ。どちらを
 欠いても──この大山敏郎の願いは叶えられぬ。お前は俺の身を案じてく
 れるがな、ハーロック」


敏郎の声が、低く密やかに俺の耳に寄せられた。ハーロックは敏郎の言葉を
反芻する。
ハーロックと零。二人で一つのもの。闇と光。悪と善。アニムスとアニマ。
鏡面一つ隔てた向こうがわの自分のように。それは、確かに彼にも覚えのある
感情だった。


「零を捨て置いてしまうとな、俺はお前の優しい、小さな愛しい心を見捨て
 てしまうようで嫌なのだ。だから厭わん。何一つ。そして、お前にも零が
 変えたものを否定し、打ち捨てて欲しくはないのだ」


敏郎の声は春に降る雨だ。この世で唯一、敏郎の声だけがハーロックの心に
波紋を広げる。彼は一度震えて操縦桿を握り直した。艦橋にいるヤッタラン
が自分達の外出をみとめたのだろう。指示をするまでもなく目の前のハッチ
が開いていく。



「わかった。考えて…みるよ」



ハーロックは、勢い良くフェンリルを発進させた。




















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