Plants Doll・5




+++

『それ』はふわふわと境界のない世界を漂っていた。


『それ』が生まれたその場所は、暖かく、やわらかく『それ』を包み
育んでくれる。

まだカタチのない『それ』はワタアメのように途切れ、繋がりながら世界を
泳ぐ。


ふわふわ。ふわふわ。



気持ちの良い、世界。自我を持つことの意味も知らぬ『それ』は、いつまで
もここにいたいと茫洋に思う。

やさしいハミング。パステルカラー。ここは素敵だ。苦しいことなどなにも
ない。



……くるしい?



『それ』はふわりと漂うのをやめてみた。くるしいとは一体なんだっただろ
う。ふにゃりと途切れてみる。ハミングが聞こえる。




くるしいは、ない。また繋がる。




ここは気持ちの良い場所だ。ゆらゆら揺れて、温かい。甘い甘い好い香り。
包まれて、嬉しくなる。


くるしいのは無いのだ。『それ』は自由にくるくる回る。たくさん回って、
ふわふわ落ちる。


ふわふわ。ふわふわ。


ふわふわ。ふわふわ。







…とくん。








ふと気付けば、ハミングがなくなっていた。代わりに、とくん、という音が
聞こえる。


とくん、とくん。



『それ』はその音にゆだねてみた。身体はないので全てをそこに集めていく。


ワタアメみたいに。



とくん、とくん、とくん。




音は優しく。緩やかに時に激しく。どんどん大きくなっていく。『それ』は
きゅっと締め付けられた。周りの温かなものが『それ』をどんどんかき集め
ていく。

『それ』はどんどん大きくなって。漂う速度が上がっていく。



温かな、素敵な場所。とくん、の音。『それ』の中にも、とくん、が生まれ
る。


周りだけではない。『それ』の内まで温かくなる。



『それ』は、まだやわらかな自分を開いて内を覗いた。とくん、とくんと音
がする。温かい。きゅっと締め付ける力はどんどん強くなっていく。



──い。──…ろ。……──せ。…ろ。



とくん、の中に重なる不思議なノイズ。心地良さがいっそうに増す。『それ』
はそっと内を閉じて、優しいノイズに大きくなった『自分』を委ねる。




…ろ。おい。──ろ。ぜろ!!




とくん、の音が跳ね上がる。温かい。熱い。ぜろ。『それ』はきゅっと締め
付けられる。


ぜろ。ゼロ。なんて響き。その響きは『それ』のものだ。『それ』は境界の
ない世界から浮上する。






ゼロ。ぜろ。零。





心地良さに『それ』は全部が歓喜に打ち震える。その響きは『それ』のもの
だ。ならば。


思い切って、『それ』は境界のない世界から破水する。






「ぜ…零?」





最初に『見た』のは、シンプルな色合いの大きな光。『それ』を確かに映し
ている。『それ』は曖昧な自分をかき集めていたものの正体を知る。強くて
温かなこの『腕』だ。


とくん、の音は『心臓の音』だ。『それ』にカタチを与え、喜びを与えて花
開かせる。


零、という響きをくれた。零の響きは『それ』のものだ。


だから、『それ』は『この人』のものだ。



生まれたと同時に理解する。『それ』はこの人のものだ。今ここで『それ』
をカタチづくる全てが、『彼』のために生まれた。


『彼』は『それ』を『ゼロ』と呼ぶ。出来立ての『自我』で最初に『彼』に
触れられたことに『それ』は満足して笑った。

そして、彼に、自分に確認する。




「Is my name a Zero? My master………」





『それ』は『零』に、なることに決めた。と。









★★★


「『プランツ・ドール』という」


艦長のために設えられたプライベート・ルームのソファで、大山敏郎は渋面
をつくった。いかにも不本意であると言うように頭を乱暴に掻き毟る。


「400年程前に遺伝子改良によって生まれた珍種でな。見た目はこう…花な
 のだ」


部屋の主の目の前で、彼のパソコンを勝手に開き、ペン型マウスを三次元モ
ニタに走らせる。数十秒後、写真とも見間違うばかりの美しい花がグリーン
のモニタに浮かび上がった。


漏斗状の花冠を持つ、白く大きな花。アサガオに似てる、と思ったが記憶が
曖昧なのでよくわからない。


言えば恐らく馬鹿にされるだろう。魔地・アングレットは頷くだけにリアク
ションを留めた。


「ダチュラに似ていますね」


機械化人医師が静かに言った。この男が火龍のマスター・ドクターだという。
なるほど、風格があるじゃないか。動きに品性がある。

アサガオとか言わなくて良かった。魔地は心底安堵する。


「うむ、基本はダチュラなのだ。一年草ナス科の植物で、根・茎・葉・花全
 てにアルカロイド物質を含む有毒植物である。まかり間違っても口にして
 はならん類の植物であるな」


「でも口にしちゃったと」


いやしいなぁとハーロックが呟く。その隣で、部屋の主は嬉しそうに微笑ん
でいた。倒すべき相手に「いやしんぼ」呼ばわりされたというのに、この上
なく幸せそうに。


「それとも、艦長自ら野っぱらに生えてる草喰うぐらいに貧窮してたワケ
 か? この艦」


「そんなわけあるか!!」


ローテーブルを叩いて、火龍副長補佐石倉静夫が中腰になる。真正面で大声
を出されて驚いたのか、びく、と彼が慄いた。

珊瑚色の髪。大理石の肌。均整のとれた肢体。大きく美しい柘榴石の瞳をし
た目映い美貌。誰もが羨むヒューマノイド型の理想型。


地球最後の生身の将官。地球連邦独立艦隊司令ウォーリアス・零は今、海賊
ハーロックの腕の中で震えている。


「大声出すなよホサ。零が怯える」


ハーロックは溜息をつきながらも宿敵の髪を撫でてやっている。シーツに身
を包み、目覚めたばかりの艦隊司令はそれで落ち着くのかふにゃふにゃと目
を閉じた。


「艦長……」


石倉の瞳に涙が浮かぶ。


「艦長…何ておいたわしい。こんなお姿…機関長達が見たら何て言うか」


「見せられませんね。生真面目な機関長殿のこと、このように果敢ない艦長
 を目にすればその瞬間に腹を切るでしょう」


機械化人医師がため息をつく。そういえば、彼は何というのだろう。魔地の
視線に気付いたのか、医師は「ドクトル・マシンナーです」と握手を求めて
きた。


「ドクトル…あぁ、そういえばサテライト・ニュースで観たぜ。アンタの
 こと。大戦直後から艦長さんの主治医だってな。俺は魔地。魔地・アング
 レットだ」

よろしく、と手を握る。予想に反し、機械であるはずのその手は温かかった。


「アングレットって…じゃあ、やっぱり貴様は『故郷殺し』の大犯罪人
 ──ッ」


石倉は立ち上がりかけて、もごもごと唇を尖らせた。零を怯えさせてはいけ
ないと思ったのだろう。何せ、先程まで大変な騒ぎだったのだ。


先刻、ハーロックの腕の中で一週間ぶりに目を覚ましたウォーリアス・零。
取り乱すこともなく、至極平穏に。


そこまでは、良かった。そこからが、最悪だ。


まず、目覚めたての零はにっこりと微笑み(魔地は知らなかったのだが、ど
うやら彼は『にっこりと微笑む』という表情をまるでしない男だったらしい)、
自らの覚醒に安堵と喜びを示す美女の部下の手を振り解き、その身を不躾に
も抱いているハーロックの頬を優しく撫で。


あまつさえ、服従と愛の言葉を囁いたのだ。

自分の立場、自分の過去、自分の名前さえも眠りの彼方に捨て去って。


何もかも、忘れ果てて。


最悪。本当に最悪の覚醒だった。魔地は人知れず項垂れる。


零の笑顔(魔地はそれはとても美しい笑顔だと思ったのだが)に、ハーロッ
クがショックのあまりプチ心停止。

零が海賊に囁いた愛の言葉にマリーナ・沖気絶。


ドクトルを伴って駆け込んできた敏郎が勢い余ってずっこけて。

それにつまずいたドクトルがこけて。


彼らを追いかけてきた石倉静夫がハーロックに擦り寄る上官を見て悲鳴を上げた。


その悲鳴に零が前後不覚に怯えだし。

心拍復活して宥めようとしたハーロックの顎に容赦の無い頭突きを入れて再び昏
倒させ。

起き上がって容態を確認しようとした己が主治医を全身で拒絶し。

押さえて下さいと頼まれた魔地は顔面に右ストレート、腹部に蹴りを二発く
らい。


再び起き上がったハーロックと共にベッドに零を押さえつけたは良いが、意
識の戻った副長がその凄惨な場面に再び気絶。石倉が慌てて彼女を抱えて一
時退室し。


最後は敏郎の「いい加減にせぬか馬鹿共がぁッ!!!」という一喝でようやく場
が収まった。


ちなみに、ヤッタランはいつの間にか逃走していた。



最悪だ。殴られた頬がじくじくと痛む。記憶がぶっ飛んでも前後不覚でもや
はり軍人は軍人というわけか。鍛錬を怠るとろくなことがない。魔地は深く
反省する。


「つーか、強いなぁ…艦長さん」


うっかり漏らすと、「強いんだよ」とハーロックが顎を擦った。


「痩せても枯れても連邦軍人。おまけに地球最強と名高い天才拳士ウォーリ
 アス・澪の息子だからな。血統書付きだろ」


「お前も血統書付きなのになぁ」


「俺はどっちかっていうと肉弾戦より銃とか艦隊戦の方が…痛ッ。口の中
 切ってるなぁコレ」


「………」


眉を顰めたハーロックを、案じるように零が顔を上げる。申し訳無さそうに
するその表情に、ハーロックは「よしよし」と情けない笑顔になって見せた。


「お前が悪いんじゃないよ零。最初のは自己責任で次のは事故だ。気にする
 な。っていうか、触るな痛い」


赤く腫れた顎に触れようとする零の手をぺしりと叩く。零はしゅんとして
シーツに包まった。その仕草は飼い主に叱られた仔猫ようで。何となくだが
癒される。


「で、話を戻しても?」


敏郎が溜息混じりにモニタに描いた絵を消した。「はい」と全員で居住まい
を正す。「どこまで戻るっけ」とハーロックが首を傾げた。


「あぁそうだ。トチローがさっき描いた花は毒草で、零はそれを空腹に耐え
 かねて食べちゃったと。で、この悲劇」


「喜劇と言えなくもないな」


魔地が笑うと、敏郎がぎろりと温度の低い視線を向けてきた。石倉の悲嘆。
ドクトルの沈痛。黙っていようと魔地は決心する。


「艦長…お腹が空いていたのなら俺と一緒に街に出れば良かったんだ……」


「いいえ、空腹とも知らずに森林浴を勧めた私がいけなかったのです。偏食
 家のこの人が、まさか野草を引っこ抜いて口にするなんて」


「零、お前偏食なのか。駄目だなぁ。何でもよく食べなくちゃ」


「聞かんか。全員俺の話を聞け」


敏郎が呆れ果てたように腕を組んだ。「大体、零が拾い食いなどすると思う
のか」と溜息混じりに呟かれ、一同「うーん」と考える。石倉が、「ふん」
とハーロックを一瞥した。


「この下品な海賊ならともかく、気高い艦長が草を食べるなんて」


「ホサは喰うかもな。ラクダみたいな睫毛だものな。好物だろ、草」


「剣呑なやり取りはよさんか。ドクトル、どうであろう。主治医として貴殿
 の意見をお伺いしたいが」


話を振られ、ドクトルは一度零を見つめて溜息をつく。


「Sir大山。どう考えてもこの方が野生のダチュラを口にするなどというこ
 とは考えられません。画像診断でもそのような草は発見出来ませんでした。
 やはり、別の原因が」


「だから食べてないと言うに。ついでにダチュラだとも言っておらん。お前
 らナニを聞いておったのだ」


『プランツ・ドール』というのだ。


常人達の集中力に絶望したかのような顔をして。
小さな賢者は一層渋面を深くした。




















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