Plants Doll・4




★★★


「──と、いうわけで、だ。トチロー達は今頃ものすっごく難しいハナシを
 難しい言語でしながら、より状況を難しくしてると思うので、俺達は
 いたってアナログな方法で零を叩き起こす相談をしたいと思います」


ブルーの気密服をすっきりと着こなしたクールな海賊は、整った笑顔と整っ
た唇からおおよそ無秩序なことを口にした。


「あいよ」


「ええんかいな。ワイは責任取らへんで」


応じるのは彼に召喚を受けた二人の男。いかにも繊細さとは無縁な風体の小
男達である。マリーナは、くらりとした。

ひたすら手の中のプラモデルをいじくっている眼鏡の小太りと、何やら気だ
るそうにシャツの中に手を突っ込んで腹を掻いてる熊ヒゲの男。


副長ヤッタランと機関長兼砲術長の魔地だよ、とハーロックから簡単な紹介
は受けたものの、簡単過ぎて逆に得体が知れない。

「魔地って……」 石倉が恐る恐るマリーナの耳に囁く。


「魔地って、まさか魔地・アングレットじゃないですよね。16年前、惑星
 『女神の子宮』首都を灰にしたあの」


「多分…違うと思うわ」


マリーナも声を潜めて応じる。職務上様々な犯罪者の手配ホログラムを収集
しているが、目の前の熊ヒゲ男と『故郷殺しの大犯罪人』の人相風体は全く
一致していなかった。

僅か17歳にして母星『女神の子宮』を灰燼に帰した天才戦士。7番目の『エ
ルダ』シーラ・ナゼグダーを守護する『不死身の騎士団』団長という名誉に
ありながら、彼が何故そのような暴挙に出たのか、知る者はいない。


長い黒髪を持った白皙の美少年だった。マリーナは思い出してみる。一瞬、
これが宇宙公的機関の殆どから賞金付きの指名手配を受ける犯罪者かと
疑ったほど、綺麗な顔立ちの繊細そうな少年のホログラム。

いかに年月が経っていようとも、あの美少年がこのようなむさ苦しい男にな
るとは思えない。骨格からして違うのだ。あり得ないわ、と首を振る。


「きっと何かの偶然でしょう。それに…魔地・アングレットは賞金総額なら
 ハーロックをゆうに超える犯罪人。大殺戮者の彼がこんなところで悠長に
 お腹掻いたりしてるはずないもの」


「……ですね。俺、どうかしてたんだと思います」


石倉の溜息。無理もないわ、とマリーナは思う。零が倒れてからの一週間、
殆ど不眠不休の状態なのだ。皆朦朧として疲れきっている。不思議なものだ。
零が健在の時にはどんなに疲れていたって、これほどの無力感は感じなかっ
たのに。


「アナログな方法と言うと…具体的には、どんな?」


しゃがみ込み、スクラムを組んでごにょごにょと何やら相談し合う海賊達の
背中に問う。ハーロックがぴょこんと顔を上げた。「アナログはアナログだ
よ」とまるで子供のように言う。


「もう一回確認しておくけど…零は寝てるだけの状態なんだよな。別に
 頭打って昏倒してるとか、病気で昏睡してるとか、そういうのじゃないん
 だよな」


「え、えぇ。医学的には…眠っている状態と変わらないと」


「ふん。じゃあやりようもあるね」


ぽん、と一度手を打って、ハーロックが立ち上がる。「良いのかなぁ」と魔
地が、「もうどうでもエエわい」とヤッタランが続いて立ち上がった。


「せやけどジュニア、ちょっとは手加減せんとアカンで。のちのち後遺症を
 残すような荒事は──」

「ジュニアはもうやめなさいというのにヤッタラン。大丈夫だよ。零は丈夫
 な軍人さんさ」


死にゃしないよ。と凄まじく不吉なことを言う。丈夫な軍人さんなら死なな
いが、丈夫でない一般人なら死ぬような荒事を仕出かすつもりなのだろうか。
眩暈がする。


「あ、あの……」


「零はこの部屋だろ。匂うもんな。零臭がする。あぁ、副長さん、案内は
 無用だよ。あとは俺達が」



──艦長はそんな濃い体臭など放っていないわ!!



むしろとても優しい好い匂いが…私、何考えているのかしら。

零の眠る部屋の前でふんふんと小鼻を動かすハーロックに、マリーナは心底
ツッコみ赤面した。零は上官なのである。匂いが好かろうと濃かろうとマ
リーナには何の関係も無い。けれど、無遠慮に扉を開けるハーロックの背を
追いつつ、ふんわりと鼻孔を掠めた匂いにまた頬が熱くなる。零の匂いだ。
そう思う。

春の日向のような匂い。軍支給のボディソープともシャンプーとも異なる、
零自身の匂いだ。

疲労がふわふわと溶けていく。これで、彼が目を覚ましていて「やぁ副長」
と目を真ん丸く開いていてくれたらどんなにか嬉しいことだろう。

たとえその後、ハーロック達を艦に招き入れた責任を厳しく問われようとも、
営倉入りになろうとも構わない。今、泣きたいくらいに零に『逢いたい』。
マリーナは唇をぎゅっと噛み締める。


ハーロックがいるからだ。そう思う。零とは何もかもが対照的なようでいて、
どこか似たところのあるこの男の背中を見ているせいだ。海のように真っ青
なこの背中が、いつもの見慣れたコートなら。

「副長さん」と呼ぶ声が、あの人の声なら。


あの人の。

零の。



私…何考えているのかしら。マリーナは目を伏せた。こんな非常時に。やは
り、相当疲労が溜まって。


「副長さん?」


気付けば鳶色の瞳が間近で自分を映していた。真意の見通し難い透明な輝き。
穏やかに、包み込むようにマリーナを見つめている。

あぁ、この目が似てるんだわ。マリーナの意識がふと遠ざかる。


猛々しい声をして。立ち居振る舞いが優美でさえあって。でも時折とんでも
ない力技に出る。

けれど、優しい。大きくて、綺麗な眼をしてる。澄んで、どこまでも透明な
光。違うのは、ハーロックの眼には強い力がコロナのように漲っているけれ
ど、零にはそれが希薄だというところだけ。


あの人の目は…いつも悲しそうだもの。


大きな憂いを抱えている。強い力さえ淡く、その悲しみに揺れて消える。人
魚姫の最期のように。透明な光に触れて壊れる泡沫のように。

あの目が、自分を映してくれれば良いのに。既に自分から視線を外したハー
ロックの背中を眺めながら思う。

この一週間。彼の様子を窺いに扉を開くたびに。何度願ったか知れない。



「うーん、つくづく零臭い」



だが、マリーナの希望は何度でも打ち砕かれるのだ。別段ハーロックの呑気
な物言いのせいではない。扉を開けてすぐ正面に見える簡素なシングルベッ
ド。綺麗に整えられたシーツに皺一つ浮かんでいないのを確認して、マリー
ナは溜息をついた。


零は、今日も眠ったままだ。昏々と、原因さえわからぬままに。


「ホントに寝てるなぁ。死んでるのとは違うよな」


部屋に運び込まれた計測機器やチューブを邪魔そうに、かつ丁寧に避けなが
ら、ハーロックが零の前に立った。オシログラフが示す波形には目もくれず、
ばっと乱暴にシーツを捲くる。


「Sirハーロック、一体何を──」


「SirもHerrもいらないよ。俺の名はハーロック! 呼ぶときはそれだけで
 良い。堅苦しいのは苦手なんだ」


だからこういうのもいらない。病院着を着た零の胸元を無遠慮に開き、胸に
装着されていたオシログラフの電極チップを引っぺがす。「ぎゃあ」と背後
で石倉が悲鳴を上げた。


「な、何という乱暴な…ハーロック貴様!」


「乱暴も何も…寝てるだけなんだろ。だったらこんなのはいらないじゃない
 か。これで充分」


眠る零の二の腕を掴んで抱き起こし、どす、とベッドの縁に座って膝の上に
抱え直す。「うわぁあ」と石倉が再び悲鳴を上げた。マリーナはもう呆然と
事の成り行きを見守るしかない。

「お脈を拝見」 に、と口元に悪戯っ子のような笑みを浮かべて、ハーロッ
クは零の素肌に耳を押し付ける。


「う…ん、心臓の音は普通だなぁ。脈も……うん、正常値。血液は……
 うーん、思ったとおりだ。さらさらだな。筋肉は…どうかな、ちょっと弱っ
 てるか。内臓もかな。体温やや高めだけど…これは寝てるせいだな」


胸に、手首に、首筋、腹に次々と触れて確かめていく。弛緩したままハーロッ
クの胸に頭を預けている零に、石倉は「あわわわわ」と意味を為さない言語
を発して狼狽していた。彼は零に心酔しているのだ。


「ふ、副長…やっぱりハーロックを呼んだのは軽率が過ぎるかと。あの男は
 艦長の命を」


「でも…彼の言っていることは的確です。何のデータも見ていないのに、
 彼は艦長の状態を言い当てているわ」


「あ、あんなに触れば誰だって」


「でも、手袋のまま。彼の五感は怖いほど研ぎ澄まされている……。計測機
 器が必要ないというのは嘘じゃ、ない」


「そりゃ嘘なんか言わないさ」


嘘嫌いだし、とハーロックが零の頬にかかった髪を梳いてやりながら会話に
割り込む。寝息を確認するように、優しく唇に触れて。それから、長い睫毛
を撫でるように指先を滑らせていく。


「か、艦長に馴れ馴れしくするな!!」


殆ど裏返った声で石倉が叫んだ。つかつかと大股で歩み寄り、ハーロックの
腕を掴む。


「だ、大体、貴様この方をどなたと心得てるんだ! お前みたいな野卑な
 海賊とは身分が違うんだぞ。良いか、この方は──」


「徳川御三家水戸藩藩主水戸光圀公であらせられるぞーってか?」


「なんでこの大宇宙時代に水戸黄門なんだ!!」


「コウモンと言えばさ、こいつトイレどうしてるんだ? やっぱりカテーテ
 ル挿入か?」


「かっ…艦長のように神々しい方は排泄などしない!!」


「いやするよ。ナニ言ってんだ。人類である以上お前がするのと同じことを
 零だってするさ」


「するものか! 艦長は…艦長は……ッ」


「カンチョーだわコウモンだわ。お前も大変だなぁ零」



「頬ずりするなぁあぁぁぁぁあぁッ!!!」



「………」


ナニを言っているのかさっぱりわからない。
と、いうかマリーナの思考は殆ど麻痺していた。零の眠る部屋。この一週間、
ここはいつでも静謐で。

オシログラフの波形。規則的に雫を落す点滴の音。そういった物音しかしな
い、悲しい部屋で。


「貴様のような下品な人間はどうだか知らないがな、艦長は本当にトイレな
 どには行かれないのだ!!」


「いや行ってるって。単にお前が見てないだけだって。Hな本だって読んで
 るって、絶対」

「あり得ない! 艦長に…艦長にそのような下賤な……ッ」

「絶対してるね。こいつ神経質そうだもの。絶対ワープゾーンに入ると便秘
 するタイプだ。あぁ、それでトイレに行っていないように見えるのか? 
 魔地、仲間じゃん」

「……いきなりフるなぁ。あぁ、でも便秘は辛いからなぁ。あの、腹の中で
 ストライキされているカンジがどうにも」


「艦長は断じてストライキなどなされない!!」


「じゃあ快便じゃん。行くじゃないか、便所」


「艦長はお前達とは違うのだッ!!」


「違わないって。一緒だって。人間皆平等なんだよ。ホサ、お前ちょっと
 ビョーキっぽいぞ、改めろよその認識」

「ホサとはなんだ! メキシコ人じゃあるまいし──」




「…………」


物凄い言葉のテロリズムだ。マリーナはただただ絶句する。ハーロックの腕
の中で昏々と眠る零さえも、何だか肝が太いだけなんじゃないかと思えてき
た。耳元でここまで騒がれても目覚めないなんて──常人の神経が通ってい
るとは思えない。

否、ここまでされて目覚めないのだから、事態は一向に良くなっていないの
だけれど。


「下品ですまんなぁ…副長はん」


いつの間にか、足元にヤッタランが立っていた。プラモデルをいじくりなが
ら、馬鹿の応酬を続ける面々を生温かく見つめている。


「いっつもこうやねん。トチローはんがいてくれたらもうちょっと大人しい
 んやけどな。火龍じゃこんな言い合いせぇへんやろ。女性には酷な話題
 ばっかやなぁ」


「い、いいえ。私は女である前に軍人ですから」


そうだ。自分は女である前に軍人なのだ。マリーナは表情を引き締める。一
体何を血迷っているのか。零に目覚めて欲しいのは、彼がこの艦の『頭』だ
からだ。彼の匂いに胸が熱くなるのも、彼の声を聞きたいと思うのも、部下
として上官を必要としているからだ。

副長として、艦長の指示を。それ以上のものなど存在しない。


するはずないわ。マリーナは思う。だって彼には大切な大切な忘れえぬ人が
いて。自分には『女』として彼を想う資格すらなくて。

だって、私はあの人の妻じゃなくて。それ以前に『ヒト』ですらないんだも
の!!


叫び出したいほどの衝動が、既に零を深く想っていることと同義なのに彼女
はまだ気付かない。


いい加減にして下さい。そう言わなくては。マリーナは喧噪の中へと一歩を
踏み出す。お願いですから騒がないで。引っ張り合ったりしないで。眠って
いるのよ、その人は──。


「い──」


「あー、喉痛い。寝起きに大声出すモンじゃないね。零起きないし。無駄か、
 やっぱり」


だが、マリーナの言葉は全てハーロックの言葉に封じられた。わざとだった
のか。零を抱き締めたまま、サイドボードに置かれた水差しに手を伸ばす海
賊に、マリーナは立ち止まる。


「……大声を出してみるのは…既にグレネーダーが試しました」


「グレネーダー? あぁ、あの厳つい傭兵さんか。それじゃあやっぱり実力
 行使しかないかな」


水差しから直接水を飲み干して。ハーロックがぽきぽきと指を鳴らす。「と
りあえずヘッドロックだ」と零の首に腕をかけるのを見て、マリーナは慌て
て制止した。

「ま、待って下さい。衝撃での覚醒は──軽い平手打ちでしたが機関長が。
 あの、この一週間、あなたがお考えになるようなことは殆ど試し尽くされ
 て」


それでも目覚めない。だから途方に暮れているのだ。マリーナの意思を曲解
なく受け止めたのか、ハーロックは「ふん」と溜息をついた。


「……だよな。大抵のことはしてるよな。じゃあ、他に独創的な案を出さな
 くちゃ」


何があるかな、と零を抱いたまま天井を見やる。考えているのだ。この海賊
は。宿敵を腕に。目覚めない方が都合の良い相手のために。

多分、一生懸命考えている。



「……ショウガ汁…なんてどうだ?」



ちょこん、とベッドの縁に腰かけて。魔地が提案する。「ショウガ汁かぁ」
とハーロックが視線を戻した。魔地の方を見ているのだが、何となく視線の
位置が変である。


「でもアレ鼻づまりのときにやるんじゃなかったか? 確か俺はトチロー
 に容赦なく」


「あれ? 咳に効くんじゃなかったけか。俺も敏郎に容赦なく」


「……発熱時やなかったっけか。ワイもトチローはんに容赦なく」


うーん、と一斉に考え込む海賊達。取り敢えず大山敏郎が容赦ないのはよく
わかった。そして、ショウガ汁なるものが零の容態には全く役立たないこと
も。


「艦長は鼻づまりでもなければ咳も熱も出してないぞ」


憮然として石倉が腕を組む。「でも凄いんだよ」と魔地が応じた。


「なんか…脳天直撃ってカンジ?」


「ズガーンと来るよな」


「キーンてなるで」


何はなくとも、目は覚める。三人の口調が綺麗に揃った。具体的にはどうす
るのだろうか。マリーナは問うてみる。ハーロックが顔を顰めながら応じた。


「ショウガ擂った汁を鼻の穴から流し込むんだよ。そうすると脳がズガー
 ンって」


「直撃ぃぃって」


「キーンて」


なるんだ。またもや口調を揃えながら海賊達は明々動き出した。


「取り敢えずショウガだよな。俺、食堂行って来るわ」


「ほな、ワイは別案考えよか。ショウガで駄目なら…生レンコンやな。あと
 尻ネギ」


「あれはきつかったなぁ…。あぁ、思い出すだにお婿に行けない」


「ジュニア本気で泣いたもんな。ワイも泣きたかったわ」


「はは、敏郎は鬼だな」


「あいつは鬼だよ」


「鬼やなぁ。民間療法の鬼や」



「お……」


鬼はお前らだ。うっかり口から出そうになった下品な物言いを懸命に飲み込
む。今もハーロックの腕で眠る零の丹精で清楚な顔立ち。

あの顔を。すらりとして高い鼻梁。あの鼻を。小さくも慎ましい穴を。


押し広げて妙な汁を注ぎ込もうと言うのか。しかもそれで駄目なら『尻ネギ』
なる不吉な語感を持つ方法を試すという。

海賊キャプテン・ハーロックが本気で泣いたという、婿に行けなくなったと
まで言わしめるような。

忌まわしい術式を零に施す気か。恐ろしい。なんと恐ろしい無法の者達なの
だ。

『尻ネギ』。言葉の端から察するに、その術式とは…お尻にネギを。マリー
ナは暫し唖然とした。この男達は零のお尻を狙っている!!


「ま、待って下さい!!」


守らなくては。そんなデリケートな場所。前人未踏の聖域だ。医師でもない
者達に委ねるようなことがあってはならない。ありったけの力でマリーナは
退室しようとした魔地をふん捕まえた。


「そんな…乱暴な……!! どうかお止め下さい。艦長は…その」


育ちの良い方なのです。無垢な…本当に、その。そのあとは言葉にならなかっ
た。討伐すべき男の手で繊細な粘膜に汁やらネギやら入れられたら──目覚
めるどころかショック死してしまうかもしれない。

お可哀想な艦長。思わず、涙が出る。


「……ショウガ汁くらいでそんな大袈裟な……」


ハーロックが呟いた。それでも、女性の涙を見かねたのだろう。「じゃあ、
違う方法で」と再び天井を眺め始める。マリーナはそっと零の手を握った。
大丈夫ですよ艦長。貴方の御身は、私が命に代えてでも。



「ん……」



ぴく、と握った手が動いた。マリーナの祈りに応えるように、力の入りきら
ない指がマリーナの手を掻く。


「あ」


ハーロックが目を丸くした。「艦長が」というマリーナの声に強く頷く。


「おい零! 零、目を覚ませ!! 零!!」


「艦長! 艦長わかりますか? 火龍ですよ!!」


「あぁ…艦長……た、大変だ。ドクトル、ドクトル!!」


石倉が慌てて踵を返して行った。零、とハーロックが軽く零の身体に振動を
加える。瞼が、痙攣した。


「零! おい!! 起きろ零!! 馬鹿…お前部下の皆さんにどれだけ心配かけ
 たか──」


「艦長!! 艦長…あぁ──良かった……」


ショウガ汁も『尻ネギ』もこれでナシだ。マリーナは力いっぱい零の手を握っ
た。祈るように、額に当てる。


「良かったな副長さん。これはきっと愛の力だ」


ハーロックがとてもチャーミングにウィンクしてきた。マリーナは頬が赤く
なるのを自覚する。愛だなんて…そんな。


「わ、私は…ただの」


「いやいや、謙遜することないさ。やっぱり愛の力は偉大だな!!」


副長さんに感謝しろよ。うっすらと目を開けた零に、ハーロックは鼻先を近
付けてからかうように肩を揺さぶる。


「………」


にっこりと零が微笑んだ。まだ夢うつつなのか、蕩けきった瞳でハーロック
を見つめている。震える指が、マリーナの手から離れていく。愛なんて。マ
リーナは目を見開いたまま零の指先の行方を追った。


「ぜ…零? おーい、ハーロックだぞ。お前の宿敵、海賊ハーロックだぞ〜」


ハーロックの声が、空虚に室内に響き渡る。零の指は、ゆっくりと、けれど
確実にハーロックの頬に添えられて。



「Is my name a zero? My master………」



何とも艶めかしい声で問いかけるのだ。どこか、プログラムされたての言語
を操る人形のように。ハーロックだけを見つめて、ハーロックだけに。


「………あぁ?」


ハーロックが、硬直した。否、この部屋全体が硬直している。零だけが、きょ
とんとしてハーロックを見つめている。ハーロックだけを。

ややあって、再び零が微笑んだ。戸惑うような、困ったようないつもの笑顔
ではなく、多幸感に包まれた、甘い微笑みを顔中に浮かべる。

そして。



「わたしの、なまえは、『ゼロ』ですか? わたしの、すべてのひと………」



やわらかく、たどたどしい銀河共通語で告げるのだ。


My master。私の、全ての人。



言葉の絨毯爆撃だわ。愛なんて、何の奇跡も起こせやしない。マリーナの意
識が遠のいていく。目の前が文字通り暗くなっていく。疲れてるんだわ。心
底思う。

何せ、零が眠っていた一週間、殆ど不眠不休の状態で。



「ハーロック!!」



背後で透る声がした。息せき切って、大山敏郎が滑り込んできたのだ。


「ハーロック、零を目覚めさせてはイカンのであるど。何せ零が倒れた原因
 は──」



もう、何もかもが遅すぎるわ。マリーナは、今度こそ意識を手放した。




















<5>へ→ ←Back











アクセス解析 SEO/SEO対策