Plants Doll・3




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「ふぅむ」と、小さな賢者は顎を擦った。火龍メディカル・エリア内。クルー
達の居住区とそう距離を遠くしないこのエリアには、外科・内科・精神科等
実に様々な科がしつらえられ、クルー達の心身の健康を担っている。

その一室。マスタードクターに与えられる研究室の簡素なソファで、ドクト
ル・マシンナーが生涯において目にする二人目の『エルダ』は胡坐をかいて
いた。

出した紅茶を一口だけ飲み、「良い葉であるな」とその小動物のような容貌
からは想像もつかぬような透る声で感想を述べた。彼がここに来て発した言
葉は今のところそれだけである。あとは、ドクトルのカルテに目を通し、時
折「むむ」や「ぷぅ」などと溜息とも寝言とも取れるような音声を発するの
み。

海賊ハーロック討伐の司令を受けて航行する戦艦火龍の艦長。地球において
は生身の独立艦隊司令位を持つ最後の将官。

地球の希望。ウォーリアス・零が目覚めない。大変なことだとドクトルは思
う。何より、ドクトルは彼を大戦直後から見守る『主治医』なのだ。大切な
患者が…否、それを省いても彼には思い入れがある。大切な人だ。敵味方の
区分を超えて、その気持ちが少しでもこの賢者に伝われば良いのだが。


「いかがでしょう」


意を決して、ドクトルは向かいのソファから身を乗り出してみた。万物に無
情であり万物に平等であるとされる叡智の使徒。17番目の『エルダ』大山敏
郎。師である4番目の『エルダ』Drジャック・クロウヴァならば、何より
患者のためならば他を排してでも治療に専念するだろう。

黙して考えるよりも、患者を診て、考えうる全ての策を取るだろう。


だが、大山敏郎は医療の『エルダ』ではない。


風聞程度に聞いただけだが、彼は造艦・エンジニア系の知識を有する叡智の
使徒だという。日々機械に囲まれ、プラグとチップ。金属の混合比率につい
て考える男に、果たして生身の人間の身体のことがどれほどわかるものか。


生身の、人間のことが。



そこまで考えてドクトルは自嘲する。自分の書いたカルテを見て、彼もそう
思っているのかもしれない。一言も言葉を発しないのは、機械化人医師の書
くカルテの、患者を診る目のあまりの機械的な素っ気なさに呆れているから
かもしれない。


これでは癒えぬ。そんなことを考えているのかもしれない。医者にとって、
ドクトルにとってこれほど恐ろしい言葉は無い。


零が、癒えぬ。それほどに、恐ろしいことが。



「素晴らしいものだ」



全く感情のこもらぬ色素の薄い瞳が向けられた。薄栗色の髪が、暖色の光を
放つ蛍光灯の下でふわり揺れる。手配書で見るような大きな帽子と砂避けマ
ントを着ていない小男は、多分寝間着のままなのだろう、やや生地の厚い臙
脂の浴衣の袂をぱたぱたと振った。


「たった一週間でよくもここまで検査を進められたものだな。体液検査・画
 像診断・内視鏡検査・身体機能の測定……ふむ、言葉も無い」


「言葉も無い、とは?」


不安になる。師が不在の今、縋れるのはこの男だけなのだ。もはや、ドクト
ルの培ってきた知識は何の役にも立たない。この一週間。固く瞼を閉じたま
まの彼を見つめてどれほどの焦燥に駆られたか。

目覚めてくれれば、それが医師の手柄でなくとも構わない。奇跡などという、
おおよそ機械の脳では分析の出来ぬものにでも縋ろう。

敏郎の前に置かれた、ウェッジウッドのティーカップを見つめる。白い陶磁
器。美しい曲線を描く、他には何の装飾も無い。零が、最も好んで使ってい
た。平素の癖でついつい出してしまったのだ。


「言葉も無い…とはどういう意味でしょうか」


彼が、零がまたいつもと変わらぬ顔で「ドクトル、紅茶を」とせがんでくれ
るなら。あのカップでまた紅茶を飲んでくれるなら。自分は命を捧げても構
わない。

そう、例えばこの艦に来て、自分を一瞥し「へぇ、機械化人がマスター・ド
クターなんだ」と、どこか悪魔的な表情を浮かべたあの海賊騎士にでも。

彼を救ってくれるなら。もはや叡智の使徒でなくても良い。彼の追う、彼の
宿敵にでも命を捧げよう。この命一つで済むのなら。

その感情が、もはや医師が患者に持つ思い入れからは遥かに逸脱しているこ
とを、ドクトルは感じているのだけれど。


「文字通り、言うことは何も無いという意味であるが」


清涼水のように澄んだ声で、叡智の使徒は絶望的な言葉を放つ。ぐらりと揺
れかかった身体を、ドクトルは何とか支えきった。機械化人が、こんなこと
で。


「検査結果はどれも完璧であろうな。ここにあるデータも、洗い直す必要は
 ありますまい。貴殿は機械化人であるし…Drジャック・クロウヴァの弟
 子でもあるという。ならば、医学に疎いこの大山敏郎が新たな知見を添え
 るまでもありますまいに。蛇足というものだ」


「いえ…しかし貴方は」


「『エルダ』、か? ふん、知識にも種類はあるものだ。俺は己が分をわきま
 えぬ愚は犯さぬ。どちらかというとドクトル、貴殿の状態の方が俺にとっ
 ては専門であるな。機械専門の俺の目にはドクトル、貴殿が随分と疲弊し
 て見えるな。機械化人とて万能ではない。疲れを知らず、動揺せずという
 わけではなかろうに。この一週間、それこそ寝食を忘れて零を診ていたの
 ではないのかな。あまり気分が良いようには見受けられぬが」


「私のことは……」


どうでも良いのです。ドクトルはソファに身を埋めた。自分を診て欲しくて
彼をここに呼びつけたのではない。診て欲しいのは、ただ。


「どうでも良いということはない。医者の不養生という言葉を知らぬと見え
 る。どれ、少し診てやろうか。その分では脳の回路に少々の疲労が」


「彼は…艦長は……どうなるのでしょう」


伸びてきた小さな手を丁寧に辞退し、ドクトルは殆ど溜息のように呟いた。
このまま、眠ったままなら間違いなく彼は地球に戻される。海賊討伐の任を
解かれ──最悪、軍籍の剥奪も。それはまだ良い。ドクトルはついぞ彼が戦
いの場にあることを良しとはしなかったのだから。

けれど、地球はどうなるのだ。彼が心を注ぐあの星は。再び支配者からの蹂
躙を受け、大気圏を覆い尽くした粉塵の雲が灰混じりの雨を降らせる絶望の
星になるのだろうか。

それはどんなにか、零を傷つけることだろう。データ的にはただ眠っている
だけの彼。いつか目覚める日が来れば。


あのサナトリウムのような屋敷で。薄緑色のシーツに包まれて目を覚まして。
一年前に見た光景がまた目の前に広がっている。それはどんなに彼を悲しま
せ、自責に追い込むことだろうか。


一年前。大戦直後、戦犯として敵の手に陥ちた彼。拿捕されたときの傷を癒
そうともせずに、点滴のチューブと計測機器に繋がれて、ただ外に降りしき
る雨を受けているかのように。

光の無い、目をしていた。万年雪に眠る鉱石のような眼差しをしていた。美
しい、けれど無機的な瞳。


あの目をまた見ることになるのだろうか。あの目を再びさせてしまうのだろ
うか。医師として、ヒトとしてそれはあまりにも。


「データ的には…何の問題もないのです。限りなく0に近い17番目の
 『エルダ』殿。ただ異常というのなら少し…倒れたその日の神経ホルモン
 に微量のアルカロイド物質が含まれていただけ。あとは…何も。えぇ、
 こんなこと貴方はとっくにご存知なのでしょうが」


「うむ、それは少々こちらも気になっていたところだ。そうそう、そうして
 色々と話してくれる方がこの大山敏郎には良い。何分、データを見せられ
 ただけではな。機械化人同様、『エルダ』の称号を持つ者とて万能ではな
 い。知識の足りぬことでまことに申し訳ないが」


「いいえ…えぇ、そうでしたね。貴方は…専門外だと最初から。失礼致しま
 した。アルカロイドという物質についてはご存知で」


「窒素を含む一群の有機化合物で、主に植物体から単離される塩基性物質で
 あろう? 種類としてはナス科植物が生産するトロパンアルカロイド、ニ
 チニチソウやインド蛇木が生産するインドールアルカロイド、キンポウゲ
 科一種が生産するイソキノリンアルカロイドがある。いずれも副交感神経
 遮断作用を持ち、古くは鎮痛剤などに用いられることもあったようだが…
 ふむ、間違って口にするようなことがあれば、確かに神経系が麻痺して
 意識を失うこともあろうな」


まるで目の前に辞書でもあるかのようにすらすらと答える。紅茶を一口飲む
敏郎を前に、ドクトルは圧倒されていた。専門外だと言いつつこの知識。一
体この小さな頭の中にどれほどの叡智が秘められているのだろうか。期待を
込めた眼差しを向けると、敏郎は少し決まりが悪そうに頭を掻く。


「あぁ、そんな目はやめてくれまいか。この程度は…ふん、一般教養の範囲
 を超えぬ。それに、たとえ零が不注意でアルカロイド物質を含む植物など
 を口にしたとしても、だ。一週間の昏睡など到底あり得ぬ。江戸時代の
 華岡青洲が調合した「痛仙散」の試薬ならばともかく……。うむ、もしも
 そのようなことがあればあったで面白いが」


言葉を切り、ふと虚空を見つめ「あぁ、そう急くなハーロック」と呟く。あ
の海賊騎士が何か仕出かしたのだろうか。それにしても零の眠る部屋とここ
は遠く隔たっているのだが。疑問符を浮かべたドクトルに、敏郎は「まぁ、
どれほどのこともない」と手を振った。


「ちょっと友が無粋を試みただけのことだ。零には何の危険もない。あれは
 生粋の海賊だが眠っている男に手を出すような卑怯者ではないよ」


「えぇ…ハーロックの名を持つ男は何より公明正大で信念の固い男と聞き
 及んでおります。何も…心配は」


心配なのは零の状態だ。一週間、寝たきりなのだ。点滴で命を保ってはいる
ものの、このままの状態が続くのであれば。


「とにかく、もっと情報が必要だな。疲れた頭をこれ以上酷使せよと言うの
 もなんなのだが…差し支えなければ零が倒れていたときの状況などを詳し
 く聞かせてもらいたいものだが」


「そうでした。何より…それをご説明するべきでしたね。私は…本当に」


気ばかりが急いている。こんな状態を避けるべく、全身を機械化したという
のに。


零のせいだ。あの美しい人は、機械化人さえも惑わせる。冷酷無比なまでに
感情を排したはずの生き物に、温かで揺れる心を取り戻させるほど。


あの人の、戸惑うような困ったような笑顔がもう一度見られるなら、と。叱
咤する声でも良い。何か言葉を発してくれるなら、と。今、この艦の誰もが
痛切に願っているのだ。


「そう、一週間前のことです。食料や水の補給のため、連邦軍基地のある惑
 星『ジュモー』に立ち寄った先で──」



「惑星『ジュモー』だと!!?」



冷静沈着であった叡智の使徒の声が、初めて乱れた。ソファの上に立ち上が
り、寝間着の裾がはだけるのも構わずうろうろと歩き出す。


「『ジュモー』…アルカロイド物質……昏睡……。ふん、繋がるではないか。
 だが…アレは既に……いや、しかし」


『メディカル』のアーカイブに情報が無いのも詮無きことだ。聞き取れたの
はそこまでだ。あとは、ぶつぶつと口の中だけで何事かを纏めている。どう
やら、彼の頭の中では恐ろしいほどの速さで理論構築が為されているよう
だった。僅か数秒。ひらりと敏郎がソファから飛び降りる。


「零の眠る部屋には…数人の人がいるな?」


「は…。えぇ、先程副長らがSirハーロックを案内して事情の説明を」


「いかん! ハーロックがいるのでは余計に都合が悪いではないか。一体何
 だって最初にそれを言わんのだ。そうと知っていれば…えぇい、くそ!!」


ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて、廊下に走り出る小さな男。ドクトルは慌て
てその後を追う。


「何かわかったのですか」


「わかったも何も…今、零が目覚めるのは都合が悪い。ヒジョーに悪い!!」


「──…?」



えぇいクソ。ハーロック。余計なことはしてくれるなよ。



親友に向かって悪態をつきながら、すたこらと裸足のまま廊下を駆ける敏郎
を追いながら。


ドクトルの頭の中では疑問符と希望が交互に浮かび上がっていた。




















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