死と乙女・2





ごうん、ごうんとエンジンの音が意識の中に戻ってくる。


★★★


「起きれ、ほれほれ」


鼻をきゅっとつままれて覚醒する。夢を──みてた。
いつもは深く、深く眠りにつく俺が。珍しいこともあるものだと欠伸をする。


「ん…なに? もう交代の時間だっけ」


感覚としては、眠りについてから2時間と経過していないのだが。次の交代時間は
12時間後だったはず。起き上がり、いつまでも胸の上から降りない小さな親友の髪
に触れる。


「トチロー、おはよう」


薄栗色の髪。丸い輪郭。細い小さな手足。大きな眼鏡の分厚いレンズの向こうには、
怜悧で冷静な色の薄い瞳。


大山敏郎。俺の、女神。唯一の人。



「交代だろ。OK、ヤッタランはもう起きてるのかな。ご飯…作ってから寝てくれる
 と嬉しいんだけど」


「お前、ぶっさいくな顔になっとるな」


起き抜けの親友に対し、この男の物言いには容赦も遠慮もない。俺は「酷いな」と
苦笑して、「夢みてたよ」と寝癖に乱れた頭を掻いた。


「夢? 珍しいな。お前が夢とは」


「うん。俺もそう思う。だけど…夢っていうか…あれは」


過去にあった記憶のリバースだ。「10歳くらいのときのだよ」と言うと、優しい親友
が眉を顰める。


「10歳? それでは…その。例の」


「ん、違う。アーサーのことじゃなくて…もう、それが過ぎてしまった頃の夢だよ。
 俺が、一番トチローに会いたかった頃の」


10歳。それは俺にとって一番悲しくて酷い年齢だった。

星野・アーサー・巧。優しくて、良い友達だった。アッシュグレーの髪、ブラウン
の瞳。今でも笑顔を憶えている。

けれど、もういないのだ。本当なら共に、肩を並べてこの戦艦『デスシャドウ』に
乗っているはずだったのに。


「あの頃の俺は──機械化人が大嫌いで、勿論、今でも大嫌いだけど…人間も、
 ちょっと嫌いだった。アーサーが殺されて、俺がそいつらを壊して。アーサーは戻っ
 てこなくって、俺は何も変わらないのに人の目ばかりが変わっていくんだ。トチロー、
 こんな話は楽しくないかもしれないけど」


「あぁ」


聡明な敏郎。彼は全宇宙に比類なき叡智の使徒“エルダ”の17番を持つ男だ。この
世にたった20人だけ存在するという“エルダ”は、総じて人間らしい感情や情動を
持たないというけれど、この親友は特別だ。否、かつて出逢ったどんな“エルダ”
も、感情や情動の無いことなんてなかった。人づてに聞くことなど、宇宙で生きて
いくのに何の役にも立たない。22歳の俺は、そう確信してる。


「話したいのなら、話せ。俺のことは後回しにしよう」


に、と笑って頭を撫でてくれる。大山敏郎。俺の大事な人。
俺が知っている男の中で、一番優しいし一番厳しい。一番気高くて、一番強い。出
逢った頃はお互いに幼くて、何度も衝突を繰り返したけれど。

出逢えて──良かった。ずっとずっと探していたのだ。俺は敏郎の小さな指先に頭
を委ねながら「それでね」と幼子に戻る気分で言葉を続ける。


「夢の中の俺…っていっても、昔の俺なんだけど、そういうことでちょっと斜に構
 えてた。世界中が下らなくって、俺の敵みたいだった。……寂しかったな……あの
 頃は。いつになったらお前に会えるだろうって、早く大人になったら良いのにって、
 いつもいつも考えてたよ」


「うん」


「そんな頃だったんだ。親父に連れられて、58地区に住んでる親父の友達のところ
 に行った。あぁ、トチローには旧グレートブリテンって言った方がわかりやすいっ
 け。うん、そこの…凄く有名で凄く重要な家の人。確か、ヴォー…いや、ウォーリ
 アスが正しいのか。そこの当主の人をみんな『ラスト・ウォーリア・レイ』って呼
 んでた」


「地球最後の守護戦闘神…『ラスト・ウォーリア・レイ』……」


お前の父の。言いかけて敏郎が俯く。「良いよ」と俺は笑った。


「そう、かつての俺の親父の仇。ウォーリアス・澪中佐の家。あぁ、中佐っていう
 のは失礼だな。あの人も…先の大戦で殉職して二階級特進。ウォーリアス・澪准将
 だ」


「ハーロック」


「大丈夫。恨むような気持ちはないよ、トチロー。あの頃の…13歳の俺とは違うも
 の。今は…親父とあの人の気持ちが少し、わかる。男には、どうしても戦わなくちゃ
 ならないことがあるって…わかる」



『右腕を貰うぞ──澪!!』


『俺は命を貰うぜハーロック!!』



互いの言葉通りに。俺の父グレート・ハーロックはウォーリアス・澪の利き腕を。
地球最後の守護戦闘神は、連邦政府に最後まで抗った海賊の片肺を吹き飛ばした。

憶えてる。最後の、父の笑顔。俺の悲鳴。起動したばかりのデスシャドウ号のメイ
ンスクリーンに映し出された──ウォーリアス・澪の瞳。

片腕と親友を喪ってなお、鮮血で半身を染め上げてなお、完全に迷彩モードに入っ
ていたこの艦を捉えるように天を仰いでたあの瞳。


「燃え上がる…ようだったね。挑戦的で、挑発的で。あんな眼をした男には、きっ
 ともう会えない」


強い強い男だった。「殺してやる」と叫んだ俺の声が届いているかのように笑ってい
た。もしも敏郎の制止を振り切って、あの男の前に立っていたら、きっと今の俺は
ないのだ。


「夢というのは…ウォーリアス・澪の?」


敏郎の手がふと止まる。「それもあるけど」と俺はねだるように彼の肩に頭を乗せた。


「ウォーリアス・澪のことはよく憶えてるよ。夢にみないまでも鮮明に。でも…あ
 のときに会ったのは」



白い墓碑の前で途方に暮れた。



「あの子のことは…よく憶えていないんだ。この俺がね」


陽光の下での立食パーティ。広い庭園。刈り込まれた芝。白いテーブルクロス。惜
しげもなく並べられた料理に最初は目を輝かせていたけれど、周囲の客人達のあま
りにも鼻持ちならない会話に、彼らの放つ魂の腐臭に耐えられなくなって。


「ちょっとした探検気分で親父から離れたんだ。表の庭を抜けて、小さな森みたい
 なのを抜けて、離れの屋敷まで行ったんだ。凄く──広くて、俺の家より劣るけど
 …珍しくて気分が晴れた。そうしたら」


泣き声が──聞こえたような気がした。
小さな、小さな男の子のような、少女のような。ひどくイノセントな嗚咽の声。何
が悲しいのだろう。どうして、こんなにも綺麗な場所で泣いているのだろう。胸が
痛くなって、声を探した。


「そうしたら…屋敷の裏の小さな温室。曇硝子の張られた鳥かごみたいな温室で、
 白い大理石の墓碑を前にして…泣いてた」




「ねぇ、泣くなよ。お墓、悲しいのか?」 


「……ないて、ない」 




会話の一言一句まで思い出せる。けれど、涙の一つ、嗚咽の一つもこぼさずに泣い
ていたその人物が、男だったのか女だったのか少年だったのか少女だったのか、そ
の辺りがまるでさだかでない。


「憶えてるのは──その日がとても良い天気で、曇硝子でも充分に光があったこと。
 温室の中なのに、澄んだ水晶みたいな風が吹いてたこと。あぁ、白い花が揺れてた。
 あれは何ていうんだっけ」


目を閉じてみる。好い香りがしてた。あれは彼の人の肌だったろうか。やさしくて、
好い匂いだった。やさしくて、温かくて儚くて。今にも、融けてなくなってしまい
そうだった。

墓碑の傍らで正体を失くしていた、龍か蜥蜴の蝋燭のように。


「あの子も…寂しそうだった。誰のお墓だかわからないような墓の前に立って。ど
 うしようもないって顔してた。不思議なんだ。あの子は確かに生きていて、俺と話
 をしてるのに、何だかこの世のものじゃないみたいだった。心と体が…ばらばらで、
 墓の前に立って棺の中に戻りたいような。どうして、自分が立ってるのか、どうし
 てお墓の中じゃないのか、そのことを考えてるみたいだった」


「賓客の連れか?」


「いいや。確か…ここの家の者だって。でもおかしいよなぁ。俺、一度会った人間
 の顔って忘れないんだけど」


まるで思い出せないのだ。俺は敏郎から離れて、窓の方に手を向ける。


「凄く──不思議だ。でも、約束した。俺はトチローに会いたくて会いたくて会い
 たくて。パーティに来てるかもって期待してたんだ。でも会えなかったから、寂し
 くて。トチローにあげようと思ってたペンダントをその子にあげた。寂しそう…だっ
 たから。約束、した」


「約束?」


「うん」




「君が泣きたいとき、途方に暮れたとき、もう一人じゃどうしようもなくなったと
 き…助けて欲しいとき。俺はすぐに大人になって、宇宙最強の男になるよ。だから、
 君の声に応えられる。何があっても、すぐに行くから」 


「わかった…そうする」




そうすると、確かにその子は言ったのだ。途方に暮れた顔をして。一人ぼっちの目
をしてた。最後まで、きっと泣いていた。けれど、その表情は憶えていても顔の造
作が思い出せない。

親父に呼ばれて、温室を出て。何故か給仕の格好をしたウォーリアス・澪に会った。
どうしてそんな格好を、と尋ねると、「だってこれで絶対バレないもん。今日の客、
アイツらの目、節穴だよなぁ」と笑ってた。



「…全く。呆れたな、君は」


親父の溜息。澪は全然悪びれずに「にしし」と肩を揺らして。


「おかげでお前もバレないじゃん。天下のお尋ね者グレート・ハーロックが傷一つ
 消しただけで見つからない。なぁジュニア。アイツら腸まで腐ってるよなぁ。やっ
 てられないね、軍人なんて」



いつか、俺はこの星のために死ぬんかね。下らないなぁもう。




そんなことを無邪気に言っていた。物凄く整った笑顔だった。綺麗な綺麗な──
ウォーリアス・澪。地球最後の守護戦闘神。全身が輝くようだった。


「そういえば…うちのには会ったのか?」


うちの? と尋ねると「うちのガキ」とあっけらかんと応える。


「表の庭にはいなかったからな。大方人見知りしてこの辺に逃げてきてると思った
 んだが…見なかったか?」


「さぁ…中佐の子供なら中佐に似てる? 性格とか…そういうの」


この太陽のような雷光のような光。彼の子供なら、きっと同じくらい強くて眩しい
のだろう。けれど、俺の言葉に親父と澪は顔を見合わせて。


「似てるぞ? ──…顔は」


と曖昧なことを言う。顔。顔がなんだというのだ。個体として認識する以外に俺が
人を見るときは、顔じゃなくて。


「そう。顔だけじゃ…わかんない」



俺はこまっしゃくれて親父達の横を通過した。親父達は不思議そうに肩をすくめ
合っていたっけ。


そういうことは、よく憶えてる。だけど。




「あの子の夢をみたよ。トチロー。顔も何にも憶えてない。でも…夢にみた。呼ん
 でるのかな。まだ…泣いてるのかな。トチロー、トチローもきっと気に入るよ。と
 ても好い匂いだった。トチローの匂いによく似てた。でも儚くて…今にも壊れてし
 まいそうで。泣いてるのって訊いたときの、驚いたような顔がとても綺麗だったと
 思うんだ」


「それはそれは。お前らしからぬロマンティックな表現だな。まるで恋に落ちたシェ
 イクスピアの住人だ」


「恋…じゃ、ないと思うけど」


近しい感情を呼ぶなら騎士道精神とか、保護愛とか。そういうのが、近いと思う。
それくらい、どうしようもないくらいにあの子は囚われた姫君のようで。


「放っておけない感じだったんだよなぁ。あぁ、10歳でも俺ってジェントルマン」


「言ってろよ。呆れた」


ベッドの上で転がる俺をよそに、敏郎がするりと絨毯に降り立つ。と、同時に乱暴
に寝室の扉が開いた。ノックも無しに現れる、黒い髪、陶磁器のような肌をしたこ
の艦の機関長兼砲術長。


「おーい、呑気に睦み合ってる場合じゃねぇぞおめーら。今地球凄いことになって
 るぜ」
 

「お前の口調が呑気だよ。っていうか睦み合ってないよ。ノックくらいしたらどう
 だ? 魔地」


「おぉ、見事な三段階ツッコミ。ま、良いか。TV見なさいね、TV。地球。大変だ
 から」


俺の言葉をすらりと流す、魔地・アングレット。敏郎が「とうとう…」と陰鬱な顔
をする。何のことだかわからずに、俺は頭上に疑問符を浮かべた。


「なに? 地球がどうしたよ。ついに機械化人との最終決戦か?」


そう、地球は今、機械化人との3度目の戦争をしているのだ。2度目の大戦時に宇宙
に出た俺達は地球から遠く離れた星域で別の敵と交戦中。
「それどころか」と魔地がにやりと笑った。


「負けたぞ。地球。ついさっき、機械化帝国の奴ら地球に総攻撃仕掛けやがった。
 地球人口の3分の2が死亡。主要都市壊滅。最終防衛ラインも突破されて。地球連
 邦独立艦隊『火龍』の司令官、自害する間もなく身柄を拘束。気の毒に。地球の名
 門出らしいけどさ、ありゃA級戦犯扱いだな。即座に裁判、即効公開処刑だ。知っ
 てるかハーロック。お前、地球の出だろ。ウォーリアス・零って、有名らしいけど」


「ウォーリアス・ゼロ?」



「そういえば…うちのには会ったのか?」



よみがえってくる、ウォーリアス・澪の言葉。地球最後の守護戦闘神、『ラスト・
ウォーリア・レイ』の。


「息子…だったのか……」


白い墓碑の前で、途方に暮れて泣いていた。

少女とも少年ともつかぬ──あの。



俺は、思わず飛び跳ねるようにベッドから起き上がっていた。




















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