Plants Doll・1




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森の中を一人、歩いていた。


久しぶりの地面。ブーツの底に感じる腐葉土の感触。エメラルドグリーンの
梢。葉陰から漏れ出る光がきらきらと、頬や唇にキスをする。

零は大きく伸びをした。気持ち良い。ハーロックを追う任務の中で、こうし
た緑豊かな星に降りる機会を得られたのだからほんの少し彼に感謝しても
良い。

かつての地球のような美しい星。

火龍に食料や水、圧縮空気などを補給するため、立ち寄った惑星での僅かな
休憩。

今頃みんな街に出て思い思いに過ごしていることだろう。頭上に小鳥の囀り
を聞き、零は口元を綻ばせる。

基地に残って報告書でも書き上げようかと思っていたが、ここはドクトルの
指示に従って良かった。そう思う。



デスクワークよりも森林浴などなさった方が。

……貴方には休息が必要です。



そんなに疲れているように見えるだろうか。散歩道から外れぬよう注意しな
がら行く目の前に、大きな湖を見つけて零は歩調を少し速める。

銀色の湖水。温かな空気を拡散させる風に揺れて細波たてる。


零はやわらかな草にそっと膝をついて、銀の水を覗き込んでみた。


揺れる姿見。零の顔を映し出す。珊瑚色の髪も、少し黄色がかった肌も、濃
い赤の瞳もいつもと変わらないように見える。


そんなに…休息が必要だろうか。零は自分の頬を一撫でしてみた。やつれて
いるようには思えないし、瞳にも疲労の色は見えない。

メンタルチェックだって定期的にしているが、異常があるなんて報告は一度
も受けていない。


それでもドクトルは。あの真摯で優しい鋼鉄の医師は、機会あるごとに零を
休ませたがる。理由を訊いても、困ったように微笑むばかりだ。



…本当は、貴方がここにいること自体歓迎出来ないのですがね。



ある時は紅茶を差し出しながら、ある時は寝癖のままの零の髪を苦笑混じり
に整えながら。そんなことを言う。零は戦いに向いていないと医師は言うの
だ。


それは──困る。零は思う。戦うことに向いていないなんて、そんなことは
困る。

いかにあの医療惑星『メディカル』屈指の医師の言葉でも。それだけは受け
入れ難い。たとえば死の宣告よりも。


適性の問題で地球の盾になることが叶わないのなら、ハーロックを追うこと
が叶わなくなるくらいなら。

たった今、「あと数ヵ月の命ですよ」と囁かれた方が良い。勿論、その数ヵ
月でさえベッドの上で過ごすのは御免なのだけれど。


顔を上げて、さてこれからどうしようかと思案する。湖の手前で散歩道は切
れていた。戻っても、まだ時間が余りそうだ。街に出るのは躊躇われた。楽
しんでいるところにノコノコと艦長が出張って来れば気まずい思いをする
者もいるだろう。つかの間休息が得られると知って、皆嬉しそうに制服から
私服に着替えていた。プライベートな買い物や、制服のままでは行き辛いよ
うな娯楽施設の利用など。

上官の顔を見てしまえば、楽しい気持ちもどこか遠くに行ってしまうに違い
ない。


「艦長も買い物を?」 問うて誘ってくれた副長補佐の浮かれた表情を思い
出す。必要な物は揃っているし、特に欲しいものもないからと断った自分に、
副長補佐は少しだけ寂しそうにして背を向けて行った。悪いとは思う。ここ
で気さくな上官なら(たとえば亡き父やハーロックなら)「今日は奢りだ!!」
と財布の紐を緩め、皆を酒場へ率いていくことも出来ただろう。けれど、自
分は父とは真逆の性格だし、ましてやハーロックなどとは一生相容れぬ存在
だ。


──…相容れてたまるか。


考えて、舌打ちする。どうしてあの男を引き合いに出さなければならないの
だろう。


あんな男。



地球に反旗を翻し、五つ以上の宇宙公的機関から指名手配を受けるような。

誰よりも自由で、誰よりも高く飛べる黄金の翼を持って。


今もどこかで無法に、無縫に駆け回っているだろう宿命の敵。



髑髏の旗を重力風にはためかせ、宇宙最強に名乗りを上げる。



男としてなら、その生き方に強く惹かれることもあろう。けれど、零は違う。

零は、今の零は銀河総督府と地球連邦政府の間を繋ぐ唯一の架け橋なのだか
ら。

ハーロックを捕らえて、困窮しきった地球に一筋でも希望の光を。宇宙最強
を目指す男を打ち倒し、『力』ならここにあると示してやりたい。

絶対に、守るべき星から遠く離れはしない最強の旗が。


地球にはあるのだと示さなければならない。戦艦火龍こそが人々の希望であ
り、人々の幸福のために使役されるべき『力』なのだと。

堅く、拳を胸の前で握る。皆が私服に着替えた中、零だけが軍服のままで外
に出た。コートのポケットには懐中時計。もう二度と、この身に与えられて
はならない幸福の全て。


忘れてないよ。忘れるものか。


幾度も繰り返した言葉を今も繰り返す。決意のように、祈りのように。
それは、傍から見ていればあまりにも必死で、どこか病的でさえある姿だろ
うけれど。

そうして零が祈るたび、真摯な機械化人医師の表情が曇ることに彼自身は気
付いていない。

買い物に出ることを優しく拒絶されたことよりも、その笑顔がぎこちなく、
口元が軋んでいたことが、若い副長補佐を寂しくさせたことにも気付いてい
ない。



忘れてないよ。忘れるものか。



彼がそう呟くたびに、彼以外の誰かが深く傷つき、それは違うのにという言
葉を飲み込む。

零を愛する全ての者が。「それは違う」という言葉を飲み込んでいる。


忘れても良いことが、この世界には確かにあるのだと。忘れなければ生きて
いけないことが、確かに人の心の中にはあるのだと。

忘れないことで生きている零には到底伝えられない真実なのだけれど。



ふと、視線を上げた零の目に、一輪の花が留まった。大きな落葉樹の根元で
ひっそりと咲く白い花。


アサガオに似てる。自宅に大きな庭園を持つ零は思う。けれど、それよりは
ずっと花弁が大きくて、純白がずっと美しい。

近付いてみれば、つんと鼻孔の奥を刺すような。なのにどこか官能的で甘く
すらある香りがする。

新種だろうか。庭でも、事典でも見たことのない花だ。不思議な香りに魅せ
られて、零はしげしげと花を見つめ、注意深く茎に指をかけてみる。

この香り。押し花にして栞にしよう。大切な詩集にはさむのだ。きっと本を
めくるたびに、心地良い陶酔感をもたらしてくれる。それはとても良い考え
に思えた。

ドクトルの淹れてくれた紅茶を飲んで、詩集を読む。花の香りと紅茶の香り。
うんとリラックス出来るに違いない。

リラックスして見せるのだ。そうすれば。もう誰も自分に休養が必要だなど
とは言わないだろう。ハーロックを追うことに専念出来る。

森を歩くことよりも、今の零に必要なのは彼の身柄。彼の首。

休息よりも彼の命。彼の声。


彼の元に辿り着く。適性が無いなどとは誰にも言わせない。


彼と刃を交えるのだ。資格が無いなんて、絶対に認めない。



歯軋りするほど強い感情。ある意味深い愛情にも、愛着にも似ていることに、
やはり零は気付かないまま。


白い花を手折った。途端、花弁から吹き付けられる金色の粉。脳髄まで痺れ
るような甘い香り。

麝香の香に似た──官能的な。



零は、意識を失った。





















・夏コミ中、ブログの方で行なっていた「ネタやらリクエストやらおくれ企画」  より。杏仁餅さまにネタ提供して頂きました。『零さん記憶喪失話』です。  杏仁餅さま、ネタありがとうございます!! もしよろしければ、完成した  おりにお持ち帰りなどしてやって下さいませ。m(_)m






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