Happy Days・17



★★★


「ぐっ……」


突然、全身の骨が軋み上がるような重圧に襲われ、アーサーは背中を丸めた。「いけない」と時夫がアーサーを抱きかかえて工場の外に出る。不意に軽くなる身体。内臓が浮き上がって吐き気と眩暈に襲われる。


「アーサーくん、君はここに俺といるのが得策でしょうね。幼い身体に
 これだけの重力変化は毒です」


「………ッ……」


声が、出ない。ずきずきと脳の芯が痛んだ。これが──重力戦士の戦場。周囲と自分との重力変化に即座に対応出来なければ今のアーサーのようになる。重力ブーツも重力サーベルも、使いこなせなければ死に到るのだ。

それが宇宙に出て戦う男の鉄則。


強くならなくては。アーサーは優しく地面に下ろされて、膝を付きながら拳を握る。


「しかし機甲兵団まで出てくるとはねぇ」


時夫の視線が工場内に向かう。


「黒幕は相当大物と見て良いですね。大物で…ハーロックに恨みを
 持っていそうな人物……どうです? 澪さん」


「あいつが連邦軍にかってる恨みなんてそれこそ星の数だろうぜ。あいつ
 が大暴れしてくれたせいで地方に左遷になったり、辞職に追い込まれた
 将官左官が何人いると思ってやがる」


澪もするりと工場の外に出てきた。背後ではグレート・ハーロックと機甲兵がぶつかる音。ガトリングが炸裂し、『ニーベルング』の冷気と交わって冷たく焦げた風を吹かせる。


「ハーロック一人に任せておいて大丈夫ですかね」


一応機甲兵は連邦機動軍戦力の要ですよ。時夫がさして心配もしていないように言う。「十四郎もいるじゃん」と澪がのんびりと目を細めた。


「現役のときよか多少見た目弱ったようなカンジもするけどよ。あいつと
 対峙したときは背筋が凍ったぜ。あの野郎──殆ど衰えてねぇ」


「化け物ですからねぇ」


「あぁ。化け物だよ。十四郎も…ハーロックも」


「アンタもね」


「時夫ちゃんは妖怪だけどね」


「えぇ、実は尻尾が二又に分かれてるんですよ。ご覧になります?」


「見るまでもねぇやな。三又だろ」


「四又ですよ」



「………」



何という呑気なやり取りか。あの重厚なアーマードと戦う友を前にしてする会話とは思えない。アーサーは呼吸を整えて立ち上がる。


「ハーロック……」


自分はまだまだ、彼らのように悠然と構えてはいられないのだ。友が敵の手に捕らわれている。それも、自分のせいで。何としてでも助け出さなくては。大人達の手に守られて、のんびりとした会話に加わっていることなど許されない。

何か──しなくては。アーサーは視界を巡らせた。工場内に駆け込んで行くことは不可能だ。あの加重に耐えられそうもないし、何よりグレート・ハーロック達の足手纏いになる

もっと別の切り口から。アーサーはアーサーに出来ることを。

茫漠とした暗闇でも、工場内から漏れる光で周囲の構造は理解出来る。
澪と時夫が妖怪談義に花を咲かせているのを目の端で確認し、アーサーは足音を立てぬよう壁伝いに走った。分厚い壁。一見トタンかアルミ製に見えるが、多分何十構造にもなった防音壁だろう。中でアーマードとグレート・ハーロック達が衝突しているというのに、入り口から数メートル離れてしまえば戦闘音は殆ど聞こえなくなってしまう。

見張りは、倒されてしまったはずだ。念の為、銃を抜きながら慎重に建物の裏側に回り込む。

表と同じく広い敷地。鉄の門。その両端に兵隊が二人、退屈そうに立っている。

持ち場を離れるなと命じられたのだろう。表や中であれだけの騒ぎが起きているにも関わらず直立不動の姿勢を崩さないのは訓練を受けた軍人の証拠だ。

気をつけなければ。アーサーはことさら静かに近くの茂みに身を潜めた。ほどなくして、エアカーの近付いてくる音が耳に届く。



「──将軍!」



兵の一人が、門を開ける。「お着きだ」と手で示されて、もう一人が肩についている通信機で何事かを報告する。

エアカーが止まる。アーサーはそっと茂みを掻き分けて、出てくる人物を確かめた。

かしゃん、と簡易タラップの落ちる音。障害者用の特殊車両だ。どこか不自由な人なのだろうか。将軍で、特殊車両に乗るような人物。誰だろうと考えているうちに、自動車椅子が降りてくる。


「首尾はどうだね」


しわがれた声。けれど、どこか強く、覇気がある。車椅子に乗っているとはいえ、その人物は相当鍛えられた身体をしているようだった。外灯の明かりに浮かび上がるシルエットが大きい。


「は、全て将軍のお考えどおりに。ゲオルグも上手くグレート・ハーロッ
 クらを誘導出来た模様です」


「ら、とは」


「は、それが──」


兵の声のトーンが落ちる。何を言っているのだろう。アーサーは身を乗り出す。「ほぅ」と車椅子の人物から驚きと喜びの混じった声が上がった。


「ウォーリアス・澪が……素晴らしい巡り会わせだ。聖夜の奇跡といった
 ところかな」


「は、いえ…しかし彼はグレート・ハーロックと」


「彼とグレート・ハーロックとの関係は連邦軍上層部なら誰でも知って
 おる。あの鼻持ちならぬ腐った連中は良く思わんらしいがな、儂は
 ウォーリアス・澪を高くかっておるぞ。あれは歴代ウォーリアスでも
 異端の男よ。身分や階級など気にも留めぬ──58地区には珍しい本物の
 戦士だ。言うなれば儂の同胞よ」


車椅子の男が呵呵大笑した。同胞。その言葉にアーサーは凍りつく。
そうだ。澪も時夫も連邦軍人だ。海賊グレート・ハーロックの敵、
親友ハーロックの敵。そして…今戦っている相手は連邦軍宇宙起動機甲兵。

もしも、あの二人もこのことに加担していたら? 銃を握っていた手から力が抜ける。友という立場を利用して、グレート・ハーロックを暗殺する。
その計画に力を貸していたら?

いいや、そんなはずはない。ずっと楽しそうにしていたじゃないか。
心易くしていたじゃないか。

澪も時夫も優しくて。アーサーを抱きかかえて飛ぶ腕は逞しくて温かかった。あの人達が友を裏切るなんて。


馬鹿なこと。けれど身体の震えが止まらない。『もしも』が頭から抜けないのだ。

そういえば、彼らは幾度となくグレート・ハーロックや大山十四郎と
衝突してやしなかったか。

剣を抜いて立ち会ったことも。どうして時夫もグレート・ハーロックも止めなかったのだろう。アーサーが割って入らなければ確実に殺し合いになっていた。

敵なのだ。どちらが死んでも構わないのだ。友でも信念の向く方向が違えば必殺の心をもって相手の息の根を止めなくてはならないと十四郎は言っていなかったか。今がそのときなのだろうか。


そういえば。アーサーは刮目する。ついさっき、澪は何かをグレート・ハーロックに告白しようとしていなかったか? 唇を震わせ、あの強い瞳を揺らして、たまらなく重い何事かを。


裏切りの告白だったら。息が詰まる。彼は深い呼吸をして、何を言おうとしたのだろう。罪悪に耐えられなくなったのだろうか。いいや、いいやそんなこと。

戦神ウォーリアス・澪なのだ。地球最後の守護戦闘神。ラスト・ウォーリア・レイとまで呼ばれる男が友を罠にかけるなんて。


するはず、ない。けれど、震えが止まらない。茂みから手を離す。がさ、と思うより大きな音がした。どきりと心臓が高鳴る。


「誰だ!!」


車椅子の男が声を上げる。全身に熱が戻ってくる。そうだ。ここが敵地なのだ。誰が裏切っているなんてこと、未熟な自分に考えている余裕などない。


「誰かそこら辺に潜んでいるのじゃないか? ちょっと見てこい」


「は、しかし多分小動物ではないかと。大人が潜むにはあの茂みは小さ」


「大山十四郎を知らんのかね、君は。あの男は子供のような為りをして
 中身は恐ろしい怪物のような男だ。注意するにこしたことはない」


「は、お言葉を返すようですが、大山十四郎はただ今工場内にて戦闘中
 ──」


「怪物だと言っておるだろうが!! あの男なら戦闘中に姿を消して、
 ここいらの茂みに潜むことなど造作もないのだ。頭を取るためならば
 友でも手足でも切り捨てる──機械化人よりも冷たい心を持った叡智の
 使徒だぞ。呼び入れたのなら油断はするな!!」


「い、イエッサー!!」


「大山十四郎を確認します!!」


兵が敬礼し、一人こちらに向かって来る。もう一人は通信機を片手に工場内の誰かに確認作業を始めている。十四郎なら中にいるのだ。確認されて、発見されれば、ただでは済まない。ハーロックを救出することも出来ず、彼らの父親に迷惑をかけてしまうだろう。アーサーは慌てて周囲を見回した。どこでも良い。隠れるところがあれば。

近付いてくる足音。銃の安全装置を外す音。「誰かいるのか!」と声を上げられて心臓が竦む。


「…通気口……」


ふと、すぐ目の先に工場地下から繋がる通気口が口を開けているのが見えた。古いものなのだろう。金網が外れてしまっている。僅かに鼻につく化学薬品のような匂い。地下で何か合成しているのだろうか。

この匂い。毒かもしれない。背後を気にしながら近付いてみて思う。飛び込めばただでは済まないかも。下がどうなっているかもわからない。


けれど。


「大山十四郎、工場内で交戦中。確認出来ました!」


幾分か安堵して報告される声。迷っている暇などないのだ。未熟な自分が、誰かを助けようと思うときに我が身を惜しむなんて。

友を救うと決めたのだ。ハーロックだって同じ立場ならきっとこうする。


アーサーは意を決し、猫のような俊敏さで通気口に身を滑らせた。




★★★


 きぃぃぃぃぃん!!


絶対零度の鞭が特殊金属の装甲を滑る。表面に僅かな傷しか残せないのを見て、グレート・ハーロックは宙を翻りながら舌打ちした。


「鞭では弱いか……ならば」


“ヘルムウィーゲ”解除。ぶん、と振り回される屈強なアームを避けながら、『ニーベルング』に口付けする。


「謳え、我が愛しい“ブリュンヒルデ”」


『ニーベルング』ソード・モード“ブリュンヒルデ”。手首から伸びた凍てつく剣が、澄んだ音と共にアームを両断する。薄い唇に笑みが浮かんだ。


「Gut。やはり大山の造ったものは優秀だ」


「当然である」


背後に十四郎の気配。耳元に声を残して、次の瞬間には数メートル先で別の機甲兵の攻撃を巧みに避けている。彼がどのようにして瞬時の出現を可能にするのか、ハーロックは知らないままだ。単に足が速いというだけでは説明がつかない。けれど、十四郎は十四郎。何者でも構わない。

地球最初の『エルダ』でも。そうでなくても。彼はきっとハーロックの永遠の友だ。死が二人を引き裂いても。遠く時の輪の接するところでまた巡り逢えると信じてる。

ほんの少しの辛抱なのだ。彼が僅かに先んずる。それだけのことだ。

病を抱えた彼の身を案じつつ、目の前の敵の胴体部分に深く刃を貫き通す。慣れた肉の感触。操縦者の息の根が止まったと確認して、ハーロックは十四郎に向き直った。


「大山!!」


見れば彼は、まだ小さなファルケ・キントのコートをなびかせて飛んでいた。剣も抜かず、何かを確かめるように機甲兵を翻弄している。


『この野郎!!』


他の機甲兵が焦れたのか、十四郎の背後に回りこんで来た。援護をと思って足を踏み出した瞬間、失明した右目の死角からアームが突き出される。


“ブリュンヒルデ”解除。『ニーベルング』アックス・モード“グリムゲルデ”へ。


 ごきんっ………。



ただの一度も視線をやらず、右側の敵を唐竹割りにする。


「大山!」


呼ばうと、彼の動きがぴたりと止まった。周囲の温度が透明度を増していく。力任せに振り下ろされたアームを、やはり彼は目視出来ないスピードとモーションで避けて。


「大体…読めた」


と呟いた。低く、けれどよく透るテノール。歌うように、彼は言葉を紡ぐのだ。


「反射速度、破壊力、限界強度──…ふん、退役以前に宇宙機動軍が何か
 を造っておったのは知っていたが…こんな機械人形を造るために公費を
 湯水のように浪費するとはな。俺ならもっと低コストで優れたものを
 造れたであろうに」


残念であったな、とコートを脱ぎ捨てる。灰色の工場内に紅が咲く。


「おぉ、大山のパーティモード」


ぱちぱちと澪の拍手。そういえば今夜はクリスマスだったか。ハーロックは新たに襲いかかってきた機甲兵のカメラ・アイを蹴り割ってやりながら思い出す。晩餐会の予定だったのだ。十四郎の妻、弥生が正装してきたように、彼だって正装していた。

普段なら礼節など気にも留めない、自由の風纏うあの男が。


深紅の狩衣は──十四郎の礼服だ。生きとし生けるものの赤。血の色に染まっても己を変えぬ、男の信念の証立て。



「閃け。“燦天我無限”」



絶対零度を遥かに超える無限零度の戦闘宣言。地上に宇宙の温度が舞い降りる。無骨な白木の鞘から、深紅の刀身が一度だけ瞬いた。

流星のように鮮やかに。再び刀が鞘に納まった瞬間、音もなく機甲兵の胴体がずれていく。


『──…ッ?』


外部スピーカーから漏れた、操縦兵の息を呑む声。それが最期だ。彼は、自分自身が機械の装甲ごと真っ二つにされたことにも気付けなかったろう。

ずぅん、と上下に分かれた機甲兵の体が床に落ちる。時が止まったかのような沈黙だ。ハーロックは嘆息する。めくるめくような彼の剣技。

殺されるなら、彼が良い。心の底から誘惑される太刀筋の冴え。


『畜生!!』


我に返った兵が彼に向かってガトリングを向ける。ハーロックは眉根を寄せた。十四郎がつくり出す静寂は芸術なのだ。生と死と。エロスさえ混在する深紅の死神。

グレート・フリューゲル・ハーロックの唯一神。大山十四郎のつくり出したものを破壊することは許されない。

『ハイパードライブ』なる粗悪な薬の常用者に折られたサーベル。

今、ガラクタのような機甲兵に破られた沈黙。


断罪に値する罪だ。原子に戻るのに相応しい。


「澪!」


ガトリングのトリガーが引かれる前に銃身を切り落とし、のんびりと工場の外で見物していた男を呼ぶ。


「面倒だ。一気に」


「げ。お前任せとけって言ったじゃん」


「面倒になったのだよ」


「あぁやだやだ。海賊さんは自由だなぁ」


口調と表情がまるでそぐわぬまま、澪が嬉しそうに駆け寄ってきた。制止しようとアームを伸ばしてきた機甲兵を軽くジャンプして回避し、ハーロックと背中合わせになる。


「低コストでこれらより優秀なモノが造れると君は言うがね」


大山、と、壊れた機甲兵の部品をいじくる友の背中に声をかける。
澪が入って来たことで怖気づいたのか、機甲兵達は二人を囲むように円陣を組む。

美しい太刀筋を魅せる、小さな叡智の使徒のことなど忘れたように。
ハーロックは少しだけ悲しくなる。この星は、この世界は、何と心の盲いた者の多いことか。

本当に彼らが怯えるべきは、総力を挙げて戦うべきは自分でも澪でもないのに。


「君の造ったじゃじゃ馬を100%制御出来る人間など軍にも宇宙にも存在
しないよ」




私と、澪を除いてはね。




彼を忘れることも罪だ。ならば刻んでやらなくては。


流星のような瞬きを、数十倍にも増幅して。



グレート・ハーロックは静かに『ニーベルング』を振りかざした。

















アクセス解析 SEO/SEO対策