Happy Days・14



★★★

小さな緑色のアンプルの中で、液体が揺れている。


「なんだろうなぁ、これ」


ハーロックがソファの背もたれに寄りかかる。アンプルを目の上に掲げつつ、その手は膝の上の敏郎を優しく撫でる。さっきは頼んでも乗せてやらないと拗ねていたくせに。その切り替えの良さに俺は苦笑する。


「眺めててもわからないな。舐めてみようか」


「ん? あぁ、そうだな。零、喋って平気か? ほっぺ、痛くないか?」


早速アンプルの口を折りつつ、向けられる視線。痛々しいよ、と鳶色の瞳が語ってる。俺は「平気」と頬に当てていたハンカチを下ろした。


「腫れも…引いたみたいだし。口の中の出血も止まった。大丈夫、結構、
 丈夫なんだ。俺」


「丈夫って言ってもさぁ。殴ったの現役の軍人だぜ。壁まで飛んだし。氷、
 また入れてやるよ。ハンカチ貸して」


「ん…」


本当はまだ少し頬が熱かったので、素直に渡す。ハーロックはアンプルを敏郎に預けて、シャンパンクーラーの氷を掴んだ。


「大体、子供殴るなんて大人失格だよ。よくないなぁ。やっぱり、腕の
 1本も折ってやれば良かった」


「物騒だな。あんな大きな男に…敵う気でいるのか? 大怪我、するよ」
 

腫れた頬を撫でてみる。熱い。きっと、鏡を見たら酷い顔になっているのだ。


「重力ブーツを履いてたって……。さっきは、隙をついたから」


「零、ゼロ、俺は負けないよ」


ハーロックが、ハンカチを差し出すついでに俺の顔を覗き込んだ。


「隙をつかなくたって、正面からやり合ったって、俺は負けない。言った
 ろ? 俺は俺の友達を、傷つける奴は許さないって。まして、自分より
 ずっと小さい奴を殴るようなのには負けない。俺、凄く強いよ? 試し
 てみる?」


大きくて、挑戦的なその瞳。その中に映る俺は、なんと自信なさげなのだろう。俺はそっと目を伏せて、「いいよ」と小さく呟いた。


「喧嘩とか…あんまり好きじゃないし。それに、君のお父さまは海賊で、
 俺のお父さまは連邦正規軍。君の言葉は嬉しいけど、別に友達じゃ」


「そんなの、関係ないよ。零は、トチローに優しいし、勇気もある! 
 気付いてないのか? 旅行先で誘拐されて、大変なのに零はずっと勇敢
 だったよ。お父さまはいつも言うんだ。本当の強さは力じゃなくて、心
 が揺れないことだって。どんなときでも、勇気をもって勇敢にしてるこ
 とだって。それに」


友達に、海賊とかセーキ軍とかは関係ないと思う。


俺の頬にハンカチを当てて、ハーロックはゆっくりと元の位置に戻った。
ね? と敏郎の頭を撫でる。「そう」と、敏郎が頷いた。


「本当の友なら…その属するところが何であっても良い。いつも近くに
 いなくても。遠くにいて、志を違えても、友達は友達と思うのだ」


「遠くにいても?」


「そう。志すところが違っても。いつか…互いに剣を交える日が来ても」


幼い賢者は託宣のように語る。俺はただ、頷いた。たとえ、剣を交える日が来ても。友達は友達でいられるのだろうか。

たとえば、お父さまとグレート・ハーロック。2人が剣を交える日が来たとして、彼らは互いを友と思うだろうか。

地球においては、裁くものと裁かれるもの。いつか命を、取りあわなくてはならない関係でも。



「………」


胸が、痛んだ。


「とにかくさ、今重要なのはこの液体だよ」


重くなってしまった空気を感じてか、ハーロックが明るく仕切り直す。
敏郎が「ん」と彼の手に額を寄せた。俺は少しだけ、ハーロックの近くに身体をずらす。


「取り敢えず、舐めてみようか。言いだしっぺなんだから、勿論俺が」


「零はよしなよ。口ン中、しみるぞ。ここは日々薬草やら毒草やらの味見
 でお母さまに鍛えられているこの俺が」


「毒草?! 君のお母さまは一体」


「フツーの戦士より戦士みたいな母さんだよ。って、良いだろ別に。とに
 かく、いただきまーす」



「待て」



くわ、と口を開けたハーロックを、敏郎が制止した。見れば、小さな手に付箋のような紙が握られている。


「そろそろ、結果が出る。舐めなくても良い」


「結果? 一体なんの結果だいトチロー」


ハーロックがそっと親友の頭に顎を乗せた。「これ」と敏郎は紙をハーロックと俺の目線にまで上げてみせる。


「大山式薬物試験紙。その薬が人体にとって有害なのか…無害なのか。
 自然物なのか、そうでないのかを調べるのに使う。種類を特定出来る
 薬品はおよそ600種。近似の種類ならその10倍。あまり多くないけど…」
 

「多くないのか? 600種から6000種を調べられるのに?」


「宇宙にある全ての薬品の数からすれば」


俺の言葉に無感情に応え、敏郎は凝っと試験紙を見つめる。白かった紙の先が、ゆっくりと血のような赤に変わった。


「──これは」


敏郎の目が見開かれる。今までの子猫のような稚気に溢れた表情が消え、叡智と科学に身を捧げた者の顔になって、「良かった」と呟く。


「良かったって、何が? 栄養剤かなんかだったってこと?」


「いいやハーロック。そして零。これを舐めるなど…とんでもないことだ」


「と、言うと?」


「間違いなく人体に悪影響を及ぼす薬品。それも…人工的に生産された
 モノ。恐らくは…精神高揚系の効果をもたらす新種のドラッグだ。それ
 と、筋肉増強剤などにも似た反応を示している。それも、猛烈に」


「──…まさか。それじゃあ!!」


「精神コーヨーで、筋肉ゾーキョー? って、ことは気持ちが昂ぶって
 マッチョになるのか? ゲオルグ、あれ以上マッチョになってどうする
 気だ?」


重いだけなのになぁ、とハーロックが首を捻る。それだけじゃない、と俺は呑気なその肩を叩いた。


「それだけじゃないよ! 精神が高揚するってことは、何にも怖くなくな
 るってことだ。上官に剣を向けることも…死ぬことも! それに、筋肉
 増強剤の反応が沢山出たってことは…ゲオルグのパンチは俺を吹っ飛ば
 した以上のパワーを持つってことだろ。──どうしよう!! お父さま
 が!」


お父さまが──死んじゃう。確かに普通の人に比べれば、頑強な体格のお父さま。けれど、ゲオルグよりずっと細くて、背が低いのに。
俺は、ふらふらと扉の前に立ち、ばん、と1度大きく扉を叩く。


「──出なくちゃ。ここから、出なくちゃ。お父さまの足手まといになっ
 ちゃう。ううん、そんなのどうでも良いんだ。お父さまに早く知らせな
 くちゃ。この薬…あの人沢山持ってた。使う気なんだ。お父さまとの決
 闘にドラッグ使う気なんだ。…なんて卑怯。そんなのって」


何度も、何度も扉を叩く。落ち着け、とハーロックが俺を羽交い絞めにした。6歳とは思えないような強い力。離して、と俺は叫ぶ。


「どうしよう!! 俺が…全然強くないから。俺がぼんやりしてたから! 
 みんな捕まって……俺のせいだ。お父さまが死んじゃったら…俺のせい
 だ!!」


「零、ゼロ。それは違う。あいつらを挑発したのは俺だよ。それに、まだ
 澪中佐が負けるって決まってない! あの人には必殺技があるんだろ?
 『Heaven'S gate in The rain』が。機械化人の戦闘母艦だって一発な
 んだ。ゲオルグがいくら強くたって」


「…いいやハーロック。それは使えない。ゲオルグは、恐らくそのために
 零を人質に」


敏郎の静かな声。背中がすっと冷たくなる。がくがくと震えの止まらない身体を、ハーロックがぎゅっと抱き締めてくれた。


「零、落ち着け。大丈夫。中佐は強いよ。それに、俺のお父さまだって、
 トチローのお父さまだって…石倉中尉だってついてる! 俺の親友、
 アーサーだってきっと来る!! 信じるって言ってみな。零、みんなを
 
信じるって。これは大事な言葉だぞ」


「……しんじる?」


「そうだよ零。友達を信じるって言ってみろ。俺を、トチローを、
 まだ会ってないけど…アーサーも! 友達は、絶対にその言葉を裏切ら
 ない! その言葉のために命を懸ける!! そうだね、トチロー」



「そう」


アンプルの中の液体を、別の小瓶に移しながら敏郎が頷く。その小さな瞳にはハーロックと同じ温度の炎が燃えていた。

熱い、太陽のコロナのような信念の炎。

「信じる…」と俺は小さな声で呟いた。


「信じる…。君も、敏郎も、アーサーも、みんな信じる! 誰も死なない
 で。もう誰も怪我して欲しくない。ここから出なくちゃ。ここから出て
 …お父さま達に知らせなくちゃ。ここはきっと…ドラッグを作ったり販
 売したりする場所なんだ。そうでなきゃ、どうしてこんなに広い敷地」


「うむ。その可能性は大きい。だが、地上ではあるまいな。あるとすれば
 …地下か」


「OK、決まり。ここから出よう。そして、地下を探索してみようよ。証拠があれ
 ば、中佐達は地球連邦正規軍。ゲオルグも、ゲオルグの背後にいる奴も
 逮捕出来るね」


ハーロックがぱちんと指を鳴らした。「どうやって?」と俺は呼吸を整えてハーロックを見つめる。


「何か、手が?」


「あるとも。忘れたのか零。俺のお守り」


ちら、とシャツの下からのぞくロザリオ。確か──それは。


「小型爆弾……?」


「そう。そんなに威力は無いけどね。扉のロックを破壊するには充分だと
 思う。ただ、やっぱり爆発音はするからタイミング計らないと」


「ハーロック」


敏郎が、ぴょこんとソファから降りて、暖炉の上の置時計を指す。


「…じきに、0時だ」


「うーん。きっちりで来るかなぁ。うちの父さまはちょっと信用ならない
 んだよね。プラマイ30秒の誤差は見ないと」


「うむ。うちの父はそれに輪をかけてルーズ。期待は出来ないが」


2人でよくわからないことを相談している。爆発のタイミングを、お父さま達の登場に合わせるつもりなのだろうか。

だけど。


「零。中佐は? 中佐は時間に正確な方?」


ハーロックが向き直る。俺は「いいや」と力無く首を振った。あの人のスケジュールは中尉によってどうにかコントロールされているのだ。彼無しでは今日の飛行機にだって間に合わなかった。


「お父さまは…凄くルーズ。今日だって、遅刻しそうだったんだ」


「ありゃあ」


ぺちん、とハーロックが額を叩いた。どうしようかなぁと首を捻る。
敏郎が暫く腕を組み、「まぁいいど」と呟いた。


「今夜ばかりは息子への愛に期待しよう。時間通りに来ると見て」


「時間より早いってのは? 息子への愛で」


「それは…ない。ハーロック。元より個人主義の集団。どうせ弁当喰った
 り、車を横転させたり、その後の処置に揉めたりで時間を浪費してる」


「あり得るねぇ。ま、トチローが言うんだから間違いないや」


敏郎の言葉を(しかしまるで見てきたかのように言う)、ハーロックは無条件で信じている様子だった。ロザリオを外し、「ちょっとどいて」と俺をソファの方へ押しやる。


「ソファ、立てといた方が良いね。一応爆発するからね」


「うむ」


敏郎が、小さな身体でぎゅっとソファを押す。手を貸してやりながら、俺は扉のロックにロザリオをくっつけるハーロックの背中に声をかけた。


「なぁ、君達は爆弾の音や衝撃をお父さま達の到着に合わせるつもりみた
 いだけど」


「そうだよ。何かマズいことでも?」


「……お父さま達が…静かに潜入してきたらどうする気? 俺達を助けて、 
 それから派手にやるつもりだったら」


初めから静かに息子達を助けて去るなどという選択肢は無い。それくらいのことはわかってる。

けれど、助けることくらいは静かに、事を荒立てずにする場合だってあるはずだ。俺の言葉に、ハーロックは振り返ってにやりと笑う。見れば、敏郎も僅かに笑みを浮かべていた。


「ないない。そんなの、絶対ない」


2人の言葉が重なる。手を横に振る動作まで同じだ。そんなものか、と俺は嘆息した。きっと、彼らは俺よりもずっと自分の父親について把握している。

どすん、とソファが横倒しになる。テーブルの上から料理が落ちて絨毯を汚したが、そんなことを気にしている場合ではない。


「0時まで…あと15秒」


ハーロックがふわりと身を翻してソファを飛び越え、俺と敏郎の間に身を置いた。敏郎の頭を掻き抱き、俺の肩を引き寄せる。


「カウントするぜ。10、9、8、7、6、5、4……」


3。

2。

1。


「ゼロ!!」


ハーロックが楽しそうに声を張り上げた。ぼんっとロザリオが破裂し、
ドアロックの装置に罅が入る。

と、同時に、ずぅぅぅぅん、という派手な重低音。工場内が、振動した。



「来たぜゲオルグ! 澪さんと愉快な仲間達、ジャストミートに見参
 だぁ!!」



窓を覆い尽くした粉塵にも負けぬ、透るバリトン。お父さまだ。
俺は思わず立ち上がり、窓に額をくっつける。


「ジャストであったな」


「うん、これなら外に出られるね」


行こう零、とハーロックが呼ばう。俺は「うん」と精一杯の力を込めて
頷いた。















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