Fathers・1


アルカディア弐号艦──元日の朝。

厨房には、子守歌のような旋律が口笛で奏でられている。
広い空間を満たす食欲をそそる香り。
くつくつと、雑煮の煮える音が俺の耳に届く。
台に乗って料理をするのは、俺の自慢の親友だ。
俺は、お節料理なるものが並べられた縦長のテーブルに突っ伏して、
彼の小さな背中を眺めていた。
心穏やかな光景だ。俺は、零れてくる笑みを止められない。


「えへへへ」


「──…なんだよ、変な笑い」


トチローがおたまを持ったまま振り返る。黒地に髑髏を染め抜いたエプロンが眩しい。
俺は、「別に」と笑顔のまま立ち上がった。「気持ち悪いな」と、トチローが僅かに眉を寄せる。彼は、台に乗ってようやく俺と目線が同じになるのだ。俺は、トチローの前に立ち、「えへへ」ともう一度しまりなく笑った。


「やっぱり良いな、白」


「ふん、着れるモンに仕上げるのに苦労したんだぞ」


大晦日から明けて元日。トチローは俺が送った着物を改造して
着てくれている。元々は女性物だった白い婚礼衣装を縫い縮め、
合わせて袴も作ったらしい。
きちんと男物になった白い着物は、とてもトチローに似合っていて。


「綺麗だなぁ。髪、縛れるんだな」


「和装しようと思うなら、髪を結えるくらいは伸ばしておくものだ。
 髪短いとみっともないからな」


「うん、似合ってる」


俺はトチローの項に優しく触れた。「ひぇ」と、トチローが首をすくめる。


「な、何しやがるんだ!」


頬を真っ赤にして怒鳴るトチロー。何だか全然怖くないのが微笑ましい。
俺は、ぎゅ、とトチローを抱き締め、首筋に顔を埋めた。


「項チェーック。トチロー、項キレイだなぁ。項キレイって良いよな。
 色っぽくて」


「バーカ。馬鹿言ってねぇで、雑煮を椀に盛りつけな」


ぽんぽん、と頭を軽く叩かれる。トチローの髪からは、仄かに鰹節の
匂いがした。俺は、小さな肩に回した両手に一層力を込め、彼の肩越しに
鍋の中を覗き込んだ。
ほうれん草、椎茸、鶏肉、餅などが、金色の出汁の中で煮えている。
──もう食べられるのではないだろうか。
俺は、こくん、と喉を鳴らした。


「お雑煮、美味そう。食べて良いか?」


「あーとで。あとでだ! ヤッタランとトリさんが待ってるんだから、
 お前はさっさと手伝いな」


「はーい。餅は多めにくれよな、俺食べ盛りなの」


俺はトチローから離れ、食器棚から漆塗りの椀を四つ出す。あとは
椀を乗せるお盆があれば良いのだが、どうにもそれが見当たらない。


「ねぇトチロー。お盆知らない?」


俺は食器棚を開け閉めしながら問いかけた。「何だよ」と、トチローの
声が返ってくる。


「ないのか? 俺はちゃんとしまったぞ。誰だよ、片付けておかないの」


「うーん、俺じゃないと思うんだけど。おかしいなぁ、どこにいったのかなぁ」


がさごそ、と俺は食器棚とテーブルの間をさまよう。が、お盆は
どこにもない。


「おっかしいなぁ、ちゃんと海賊島から持ってきたと思ったんだけど。
 忘れたのかなぁ」


「忘れてないよ。ほれ」


不意に、す、と眼前に差し出されるセラミック製のお盆。
「何だ、あったのか」と俺は顔を上げた。


「そっちにあったんだな。トチローってば、うっかりだなぁ」


「うん、コタツの方にね。酔ってたんだろ、アイツ」


「──……?」


俺の目に映ったのは、トチロー。大きなメガネも、肩まで伸ばされた薄栗色
の髪も同じ。
けれど。


「──……アイツ?」


目の前にいるのは、トチロー。薄汚れた砂漠仕様のマントと、日よけの帽子を
被った、いつものトチローだ。


「──……あれ?」


ゆっくりと、視線を巡らせる。目の前にいるのはトチローだ。けれど、
テーブルの向こう側で呆然とこちらを見ているのもトチローだ。
白い着物に、髑髏マークのエプロンを付けた俺の親友。


「トチロー?」


俺は、何度も二人を見比べながら立ち上がり、厨房に立つ親友の肩を
抱き寄せた。


「トチローは、トチローだよな。じゃあ、あれは……」


そうしている間も、トチローによく似たトチローは、楽しそうにこちらを
眺めている。親父、と小さな声でトチローが呟いた。


「お、親父ぃ?! だって、だってトチローの親父さんは」


俺は慌ててもう一度二人のトチローを見比べる。確かに、着物を
着ていないトチローは、俺の傍らで台に乗っているトチローよりも
幾分か歳をとっているようにも見える。だが──。


「──親父! てめぇ死んだくせに何やってやがる!!」


ぽーん、とおたまを放り投げて、トチローが台から飛び降りた。
──そうだ。トチローの親父さん、大山十四郎は六年も前に病で
没しているのである。

しかし、目の前でトチローに胸ぐらを掴まれているのは、紛れもなく
トチローと同じ遺伝子の持ち主だ。全く相似形の二人が睨み合っている。
「ひししししっ」とトチロー似の男が肩を震わせた。


「正月だからな、特別に黄泉帰ってみたのだ」


「何が黄泉帰りだ!! この馬鹿、自然界の法則覆しやがって。
 しかもてめぇ、元ネタの映画観てねぇだろ。帰れ! 今すぐ
 帰れっつーの!!」


「いしししし。俺だけじゃないもんね。うしししし」


トチローに揺さぶり上げられても動じない。トチロー似の男──トチローが
「親父」と呼んでいるということは、故大山十四郎と認識しても良いの
だろうか──はあくまで冷静に笑っている。「何だとぅ!?」とトチローが
激高した。


「ふざけるな貴様! 死んでまでふざけやがって。何を黄泉帰らせ
 やがった。ネコか? サンドオームか? それとも──!!」


「すまん、大山。この霊界テレビはどこにおけば良い?」


ドアが開いて。長身の男が16インチのテレビを肩に担いで入ってきた。
左目には眼帯。照明に煌めく鳶色の髪、端正な顔に一筋走る大きな傷。


「……あ、あぁあぁああぁあ?」


トチローの口から、何とも奇妙な声が出る。俺は、何度も目を擦って
確認した。──間違いない。あの人は。


「お……親父?」


──俺の亡き父、グレート・ハーロック。

いつも着ていた漆黒のコスチュームではなく、ごく普通の軍服姿で
テレビを抱える親父。俺はトチローと並んで「あぁあぁ?」と珍妙な
声を上げた。


「な、なんでいるんだよ。だって、親父は……」


「あぁ、ジュニア。久しぶりだな。トチローくんにあまり迷惑を
 かけてはいけない」


──親父は、半年も前に。


「トチローくん、その白い着物似合っているな。大山の若い頃を
 思い出すよ」


唖然としている俺をさりげなく押し退けて、親父はトチローの正面に
しゃがみ込む。そして、この上もなく優しい仕草でトチローの前髪を
掻き上げた。


「ぐ、グレート・ハーロック……」


ぽ、とトチローの頬が朱に染まる。俺は反射的にお盆で親父の頭を
ドツき倒した。かこーん、と軽やかなインパクト音が厨房に響く。
トチローが「よせ」と俺の二の腕に縋り付いた。


「こ、こらやめろハーロック。相手はグレート・ハーロックだぞ」


「止めるなトチロー! グレートが何だって言うんだ!! 俺の
 親父だぞ!」


「あーぁ、おい敏郎。餅が溶けてやがるぞ。これじゃあ、
 雑煮じゃなくて餅汁だな。餅汁」


「しかし大山。これは美味い。トチローくんは何でも
 出来る子だな。優秀なご子息で羨ましい」


お盆を振り回して暴れる俺。その俺を止めようと必死にしがみついてくる
トチロー。鍋の中を覗き込んで溜息をつく大山氏と、彼の肩越しに雑煮を
味見する親父ことグレート・ハーロック。

たちまち厨房内は騒然となった。みんながみんな好き勝手に喋っている
ので収集がつかない。取り敢えず俺は親友のトチローを確保し、入り口
までズリ下がった。


「ふ、二人とも!! どうしているんだよ。親父も、トチローの親父さん
 も!! だって二人とも天国やら地獄やらにいるんじゃないのかよ」


「だから、霊界テレビ。お正月だものな」


大山氏がぽんぽん、とテレビを叩く。
「大山は優れた“マイスター”なのだよ」と、親父が頷いた。
──知ってる。トチローの父、大山十四郎氏は、かの有名な戦艦
デスシャドウ号の制作者だ。優れた“マイスター”だということは
何も親父が得意げに説明しなくてももわかる。


「──親父さ、あのね……」



俺は「ふぅ」と、息をついてこめかみを押さえた。トチローは
既に何やら疲れ果てている。何の未練を以てこの二人が戻ってきた
のかは不明だが、この状況が長く続くのはトチローの精神衛生によくない。

──これは早々に成仏して頂くのが得策か。俺は、小さく咳払いをして、
呑気に雑煮やお節料理の支度をする親父共に向かって一歩を踏み出した。
と、その時──。


「……何しとんねん。朝飯はまだかいな」


ヤッタランが俺とトチローの間から、ひょい、と顔を出す。


「よぉ、お前、ヤッタラン・ジュニアか。親父似だなぁ。クローン
 みてぇだな」


大山氏がひらひらと手を振った。「やぁ」と、親父が軽く右手を挙げる。


「──……は?」


ヤッタランが小さな目を激しく瞬かせた。しまった、と俺は慌てて
彼の目を塞ぐ。──ヤッタランは、激しく現実主義者なのだ。そして、
幽霊やオバケの類を最も嫌う人種でもある。


「や、ヤッタラン。これは、その」


「…………」


ぐにょり、と俺の腕にかかるヤッタランの全体重。──案の定、
ヤッタランは白目をむいて気絶していた。


「あーぁ、気絶しちまいやがった。生き返るなら生き返るで、
 もう少し配慮しろよな、馬鹿親父」


トチローが、深い溜息をついて額を押さえた。














アクセス解析 SEO/SEO対策