遺書
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頭の中で、時折呟いている言葉が、ある。 ☆☆☆ おはよう、“4”。これが、最後の君への挨拶になるね。 どうして僕がこんなことになったのか、それを君が気にする必要はない。 ただ、僕が弱く──本当に意気地なしだったから、こうなっただけ。 ☆☆☆ それは、親友の最後の『言葉』。最後の綴り方。 不器用で、憶えているのはいつも彼が笑っていた、それだけ。 ☆☆☆ 出会ったとき、僕が君に自己紹介したときのことを憶えてるかい。 僕の名前は四葉・トランキライザー。君と同じ、幸運のクローバーだよって言ったっけ。 けれど、君はその意味を知らなくて、「ふぅん」と無関心げにそう言った。 女神エルダに愛された叡智の使徒。限りなく0に近い4。 何でも知ってると思っていたのに。それが意外だったから、 僕はとても驚いて、そんな君を好きになったよ。 ☆☆☆ 憶えている。けれど、彼がそのとき俺をどのように思っていたかは、 知らなかった。 ☆☆☆ だけど、そういったことを除けば君は天才だった。人体の全てを識る 医術の使徒。いつか、この宇宙のどこかに誰にも何処にも支配されない 大病院を造るのが夢だと言って、自分の星が壊れたばかりの君は笑った。 僕は、君のそういうところが本当に本当に好きだった。今も、そうだよ。 ☆☆☆ そんなものか、と思う。親友と呼んだ男のために、一生遊んで暮らせるはずだった沢山の財産と一つの星の支配者という身分、全て投げ打って。 いつも笑って。いつも傍にいて。 それが、永遠に続くと思っていた遠い日のことだ。 ☆☆☆ けれど“4”。僕は、意気地なしだった。臆病で、どうしようもなく背中の 丸まった意気地なし。こんなことを言うと、君はまた「馬鹿なことを」と 言うかもしれないけど、それは正しいね。君は、嘘の無い星から来たの だから。 ☆☆☆ 馬鹿なことだ。今でも──思う。 本当の意気地なしが自分の持ち物を全て他人のために投げ打つだろうか。 本当の臆病者が、誰の支配も受けないという夢の傍らにいるだろうか。 俺はずっと彼にそう言い続け、彼に、俺の言葉は届くことなく。 否、届いていたのか。それでも。 ☆☆☆ で も、 ぼく は。 君といるのが苦しくなった。君の正しさ、崇高さを知ってる。 だから、とても苦しくなった。君の 目が、いつも、ぼ くを 蔑んでいるのではないかと、そんな 妄想に とりつかれて。 ☆☆☆ ここから、あんなにも綺麗だった活字が乱れていく。 目を閉じれば、寸分の狂いも無く網膜の裏で再現出来る。 キーボード、思念入力が主流のこの時代に、いつも紙を綴じた日記帳に インクのついたペンで物事を書き記していた彼。 ☆☆☆ どうしよう。何も 無 い。 僕には、君のような叡智 も。理想も、色々なものを一つに束ねていく ち から も。 何も無い。 なにも無い。 なにも ない よ。ぼくは 君に 沢山のお金を渡した。 おおよそ 僕の持っている全部を委ねた。 ただ そ れ だけ。 君は 悪くない。 こんなことを書く僕は最低だ。違う ち がう。 こんなことが 書きたいんじゃない。君に 沢山の感謝と 君を あいしていると いう ことを。 あぁ どうしよう。こんな ことを かいて 君 に、嫌われた ら。 人生の 最期。大切な しんゆうに 本当にうとまれたら。 や だ。嫌 だ。こんな ことばかりだ。 くるしい よ。もう、君のそばで 笑って いられな い。 名前 を 呼んで。 ぼ く の な まえ は ☆☆☆ 狂気にも似た文字の羅列。 それだけが、どうしても思い出せない。 あの文章の中に、確かに彼の名があったと記憶してるのに。 ☆☆☆ あぁ、違う。違う。違うよ。わかってる。わかってるんだ。 君は悪くない。君は本当に悪くない。わかってる。わかってる。 わかってるんだ。本当に 君は でも 僕は ごめんね もう、夜が明けた。 四葉・J・トランキライザーから、 名の無い大切な4番目の“エルダ”へ。 ☆☆☆ これが、彼の日記の最後のページ。これが、彼の遺書。 名の無い大切な4番目の“エルダ”。 いつも俺をそう呼んだ、優しい儚い親友の、俺への言葉。 愛していると、そう言った。苦しみばかりのあの綴り。 どうして、最期まで愛していると言うのだろう。 彼がレーザー銃で、自分の頭を粉々に打ち砕いた遠い晴れた日。 彼の一族が何百年も統べてきた小さな星は、医療惑星『メディカル』と 呼ばれるようになった。 どうして、焼き付けておけないのだろう。この、機械になった頭に。 物の名前は憶えられる。病の種類も、一瞬で照合出来る。 けれど、どうしても想い出せないのだ。考えようとすればするほど、 それは、頭の中で形にならず、ごちゃごちゃとありとあらゆる物の名称の 中に消えていく。 否、憶えておく手段を考えたはずだ。彼の、他の誰を忘れても、 彼の名前だけはせめて、記憶の傍らにおいておきたいと。 「Drジャック・クロウヴァ」 研究室の扉がノックされ、俺は昼食の時間が終了したことに漠然と気付いた。 返事を待たず、アンドロイドの看護士が「午後の診療です」と数枚の診断票を持ってくる。彼女達に個性はない。規格の統一された看護士アンドロイドだ。 生身の医師や看護士達が進んでこの部屋を訪ねることは滅多にない。出会うそのたびに名前を問えば、誰だって打ちひしがれるものだろう。 あの頃はわからなかった感情が、一世紀経ってようやく知識として追加される。 そういう生き物なのだ。しようがない、といつも思う。そればかりはどうしても、医術の使徒と呼ばれ、自らの脳にメスを入れても、機械に取り替えても覆せないのだ。どうしても。 俺は、手渡された診断票をぱらぱらとめくる。名前の欄を見る。 どれもこれも同じだ。意味を成さない単語の群れだ。症状欄に書き込まれた 文章だけを速読し、俺は「良いよ」と看護士を促す。 「呼んでくれ。最初の奴はカウンセリングだな。地球人の男性27歳。職業、 地球連邦宇宙起動軍独立艦隊『火龍』の艦長。紹介状が付いてるが……誰 だったか君は記憶しとるかね?」 「はい、Drジャック・クロウヴァ。そのクライアント──ウォーリアス・零 氏に紹介状を書いたのは、ドクトル・マシンナー氏。Drジャック・クロウ ヴァの124387人目の弟子ですわ」 「あぁ、124387の紹介か。アイツ、地球連邦軍なんかに行ったのか。 あの星は色々と大変だろうに」 「だから、行くのだと仰っていましたわ。Drジャック・クロウヴァが、 偉大な親友、四葉・J・トランキライザー氏と共にこの『メディカル』を この星域の支配者達から勝ち取ったときのように、自分もあの星での 差別に満ちた医療を変えるのだと」 「へぇ、それじゃあアイツの上官には優しくしてやらないとな。アイツが 紹介状まで書くのだ。きっと希望のある優秀な男なのだろう」 看護士を退出させ、俺は改めて彼の診断票を見る。 備考欄に、走り書きが。 死者の 夢をみます。 丁寧なペン字で、たった一行。他のところは全てキーボード入力のゴシック体だというのに。 死者の──夢。 ごめんね、もう、夜が明けた。 それが誰の言葉だっただろうと思い出すその前に。 こんこん、と二度扉が叩かれた。 |
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●Dr.ジャック・クロウヴァの過去ほんのり。 名前の由来とか、彼はそういうことも思い出せない叡智の使徒です。 |
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